土方は苛立った表情で、前髪をかき上げた。
事件の捜査にあたっているのだが、なかなか進展がないのだ。爆弾テロ事件の犯人の居場所が掴めたと聞いて急行すれば、もぬけの空。苛立ちが募って当然の話だった。
だが、立場上、それを表にあらわす事は出来ない。
「今日は無理ですね」
あちこち連絡をとっていた斉藤が云った。諦めたように、ため息をつく。
「完全に逃げられたみたいです」
「そうか」
「とりあえず、引き上げますか」
「……あぁ」
土方は形のよい眉を顰めつつ、車の助手席に乗り込んだ。
運転席に坐った斉藤がエンジンをかけながら、ちらりとその端正な横顔を眺める。
他の人間はあまり気づいていないようだったが、長いつきあいの斉藤はわかっていた。今朝から、土方の機嫌は最低ラインを漂っていた。
その原因がわかりきっている斉藤は車を運転しながら、口を開いた。
「……で、例の件はどうなったのです」
「例の件?」
「総司のことですよ」
とたん、びくっと土方の肩が揺れた。驚いてみると、眉間に皺を寄せてしまっている。
しばらく黙り込んだ後、低い声で答えた。
「……ますます拗れた」
「え?」
「もう修復不可能かもしれねぇな」
「何です、それ」
呆れたように、斉藤は云った。
「昨日、仲直りのデートしたはずじゃ……」
「しくじったんだ。最悪な結果になって、挙げ句、総司に、もう嫌だと云われた。俺といるのが嫌だとさ」
「えっ」
思わず、斉藤は声をあげた。
信じられない話だった。あの総司がそんな事を云うとは、余程の何かがあったとしか思えない。
「いったい何があったんです」
「誤解させちまったのさ」
そう云ったきり、土方は黙り込んでしまった。冷たいと云ってもよい横顔を見せたまま、車窓の外へ視線をやっている。
そんな彼の様子に、斉藤はやれやれとため息をつきたくなった。
仲直りしたと思っていたのに、そこまで拗れてしまっているとは。土方の様子を見る限り、第三者がどうこう出来るレベルを越えてしまっているらしい。
だが、それでも心配で仕方のない斉藤は、躊躇いがちにだったが、一言だけ訊ねた。
「オレが……連絡とってみましょうか」
「……」
しばらくの間、土方は黙っていた。だが、やがて、僅かに苦笑すると、首をふった。
「いや、これは俺たちの問題だ。自分で解決するよ」
「わかりました」
斉藤は頷いた。ここまできっぱり云うのだから、手出ししない方がいいのだ。
運転に集中する事にした斉藤に、土方が静かな声で云った。
「ありがとう、斉藤」
珍しい彼の言葉に、斉藤は黙ったまま小さく笑ってみせた。
その夜、自宅のマンションに戻った土方は、家の電話が留守ランプを点灯させている事に気づいた。
総司か!?と思って再生させたとたん、がっかりする。
「……姉さんか」
留守電は信子からのものだった。例の手配は済んだという知らせだ。それは有り難いのだが、今この状況でいい知らせと云えるのかどうか。
土方はしばらく考えこんでいた。やがて、きっと唇を引き結ぶと、電話の子機をとりあげた。
思いきって電話してみようと思ったのだ。
このままぐずぐず考えているのは、性に合わなかった。ならば、さっさと解決してしまった方がいい。
「……」
土方はコール音の後に流れるメッセージに、眉を顰めた。
総司の家にある固定電話にかけたのだが、留守メッセージが流れてきたのだ。思わず時計を見てしまったが、もう夜の11時過ぎだ。
「また、遅くまで外出しているのか……?」
先日の、遅くに帰ってきた総司の姿を思い出し、思わず舌打ちしたくなった。何か危険なめにあってからでは遅いのだ。あんな可愛い総司が誰かに狙われたらと思うだけで、ぞっとする。
土方は総司の携帯電話にかけてみる事にした。ところが。
「……え?」
電源が落とされているというメッセージが返ってきたのだ。
着信拒否でないだけマシだが、それでも、電源が落とされているのではどうしようもない。
それが、逢いたくないという総司の意志のように思え、かっとなった。
「くそッ」
電話を叩きつけた土方は、苛立った表情でネクタイの結びに指をさし入れた。しゅっと音をたてて解き、放り出す。スーツの上着も脱ぎ捨てながら、バスルームへむかった。
熱いシャワーを浴びながら、きつく唇を噛みしめた。
あの場面を見て、総司がショックを受けるのは、当然だった。だが、そう思ったからこそ、誤解をといて謝ろうとしたのだ。なのに、弁解の余地も与えないなど、あまりにも一方的ではないか。
土方はタイルの壁に手をつき、俯いた。シャワーが雨のように降り注ぐ。
ここ一ヶ月ほどの奔走を思い出し、眉を顰めた。
総司が喜んでくれる顔を思い浮かべ、必死に頑張ってきたのだ。
仕事が忙しい時だったので睡眠時間も削りまくる有様だったが、それでも、総司のためならと思っていた。
なのに、総司は連絡もとらせず、謝る事さえ許さないというのだ。
そんな身勝手、許されると本気で思っているのか。
だが、ならば……もういい。
こちらはこちらの勝手にする迄だ。
「……男を莫迦にするなよ」
押し殺した声で低く呟いた土方は手をのばし、シャワーのコックを捻ってとめた。激しい雨のように降り注いでいたシャワーがやむ。
バスルームから出た土方は、すらりと均整のとれた躯をバスタオルで手早く拭った。濡れた黒髪が鬱陶しく、片手で煩わしげにかきあげる。
ふと、鏡の中の自分と目があった。
「獣みたいな目しているな」
くっと喉奥で笑った。
だが、実際そうなのだろう。
これから、あの可愛くて我侭で気の強いうさぎを狩りに行くのだから。どんなに逃げようが、捕まえたが最後、絶対に離さない。
土方は鏡に映る己自身にむかって、不敵な笑みをうかべた。
雀がちゅんちゅん鳴いていた。
総司はそれを聞きながら、手早く身支度を整えていた。
今日は大学で講義があるのだ。人気の講義だから、早めに行かなければいい席もなくなってしまう。
総司は朝ご飯をさっさと食べると、鞄に荷物をつめこみ、部屋を出た。大急ぎでエレベーターに乗り込んで下へ降り、道路へと飛びだそうとする。
そのとたん、だった。
「!」
石段の処で転びかけた総司の躯を、力強い腕がふわっと抱きとめた。
誰かが助けてくれたのだ。
そのお礼を云おうとした瞬間、浮遊感が総司の躯を襲い、そのまま強引に抱きあげられる。
「……え?」
びっくりした総司は、目の前にある見覚えのあるシャツに、息を呑んだ。
濃紺のヘンリーシャツだ。以前、総司自身がプレゼントしたもので、開いた襟元から覗く褐色の肌がセクシャルだった。ジーンズにもよく映え、本職のモデルも顔負けの艶やかさだ。
男は総司を抱いたまま、さっさと道路を横切った。マンション前に停めてあった車の助手席に、その躯を放り込む。
まるで誘拐するような荒っぽさだ。
「! 土方さんっ、ちょっ……」
慌てて抗議しようとしたが、バタンと目の前で扉を閉じられてしまった。
運転席に回った土方は躯を滑り込ませ、エンジンをかけ、あっという間に車を発進させた。ものの10秒もかからない早業である。
総司は慌ててシートベルトを締めつつも、きゃんきゃん叫んだ。
「何、これっ!」
「……」
「土方さん、いきなり何考えてるの? ぼく、今日は講義があるし、それに」
「大学は休め。俺も非番をとった」
「な……」
絶句した総司に、土方は無言のままハンドルをきった。角を曲がり、車は大通りを疾走してゆく。彼にしては少し乱暴な運転に、総司は小さく息を呑んだ。
おずおずと見上げれば、男の端正な横顔は酷く冷たい。怒っているとしか思えなかった。
彼が纏う雰囲気は、どこか夜行獣めいたものを感じさせた。それは、どきどきするぐらい恰好よかったが、一方で何だか妙に怖い迫力を感じ、身を竦めてしまう。
「……あの……」
しばらく続いた沈黙の後、総司は小さな声で呼びかけた。
「土方さん……怒ってる?」
「……」
「ねぇ、怒っているの……?」
総司の問いかけに、土方は形のよい眉を顰めた。一瞬、きつく唇を噛んでから、答える。
「これが怒ってないように見えるのか」
「え、見えないけど……」
「なら、見ての通りだ」
とりつく島もない答えに、総司は困惑してしまった。とりあえず謝る他ないと、一生懸命言葉をつづける。
「ご、ごめんなさい。一昨日、勝手に逃げ出して、あなたを放っておいて……本当にごめんなさい」
「……」
「でも、恥ずかしくてみっともなくて、あれ以上いられなかったから……あ、でも、そんなの云い訳だものね。ごめんなさ……」
「何で連絡を切った」
低い声でいきなり遮った土方に、総司は「え?」と目を見開いた。
それに、土方は車を強引に路肩へ停めると、総司の方に向き直った。きつい口調で詰問してくる。
「どうして、俺との連絡を切ったのかと聞いているんだ」
「連絡を切るって……何……?」
「しらばっくれるのも、いい加減にしろ」
土方は苛々した様子で云い放ち、片手で髪をかきあげた。
「おまえ、電話全部切ってたじゃねぇか。留守電にする、携帯の電源落とす、あれのどこが連絡切ってねぇんだよ」
「……あ」
総司が大きく目を見開いた。
それから、突然、大慌てで鞄から携帯電話を取り出した。呆然と見つめ、呟く。
「充電切れてる……」
「は?」
「だから、充電切れてるんです。ごめんなさい、すっかり忘れてました」
「……」
沈黙してしまった土方に、総司は慌てて言葉をつづけた。
「あのっ、家の電話もね、最近セールス多くて面倒だから、留守設定にしてるんです。……あ、もしかして、昨日11時頃、土方さん、電話した?」
無邪気に訊ねてくる総司に、土方は一気に脱力してしまった。俺の昨夜の苦悩は何だったんだと思いつつ、ハンドルの上に突っ伏す。
それに、総司が慌てたように、彼の腕に手をかけてきた。ゆさゆさ揺さぶられた。
「ごめんなさい。途中で切れちゃったから、間違い電話かなぁって」
「……」
「怒ってる? ねぇ、土方さん、怒ってる?」
「……怒ってねぇよ」
はぁっとため息をつき、土方は身を起した。ぐったり疲れ切った気分で、シートの背に凭れかかる。
総司が目を閉じた彼の端正な横顔を見つめ、そっと身を寄せた。ちょっと黙ってから、小さな声で云った。
「本当にごめんなさい……せっかく電話してくれたのに、出なくて。それから、ぼくの方から連絡もしないでごめんなさい」
「……」
「さっきも云ったけど、一昨日は恥ずかしくてたまらなかったの。綺麗な人と一緒にいたあなたに、あんなみっともない処を見せて……」
「それで、もういやだと云った訳か」
「うん」
こくりと頷いた総司は、土方の大きな手を縋るように握りしめた。
「土方さんの前から、消えてしまいたかったの。あの時はそれしか考えていなかったから、恥ずかしくてみっともなくて、泣き出しそうで」
「何でそんな事思うんだか……」
深いため息に顔をあげると、彼の黒い瞳がじっと総司を見つめていた。優しく頬を撫でられる。
総司は俯いた。
「だって……泥だらけになって、すっごくみっともなかったし……」
「あのな、総司」
土方は総司の両手をとると、包みこむように握りしめた。瞳を覗き込み、静かな声で話しかけてくれる。
「おまえが転んだのを見た時、俺が思ったのは、痛いだろうとか怪我はないのかとか、そういう事だけだったよ。みっともないなんて、思うはずがねぇだろうが」
「土方さん……」
「俺がおまえをどれぐらい愛しているか、想っているか……そんなのよくわかっていると思っていたけどな。それとも、そうじゃねぇのか?」
「……っ」
総司は目に涙をいっぱいためたまま、何度も首をふった。それに苦笑し、そっと小さな頭を胸もとに抱き寄せてやる。
「なら、もっと自信をもてよ。俺はおまえを一番愛してるんだ。おまえしか望まないんだ……総司、おまえがいれば、他の何もいらないぐらい愛してる」
「土方…さん……っ」
総司は両手をのばし、細い腕で彼の首に抱きついた。泣きながら、縋りつく。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……っ」
「総司……」
「不安でたまらなくて……あなたの傍にいるのが自分でいいのかって……」
「いいに決まってるだろう。俺はおまえしかいらねぇんだよ」
きっぱり断言してくれた土方に、総司は頷いた。抱きしめてくれる腕があたたかい。久しぶりの彼のぬくもりが、たまらなく嬉しかった。
ようやく戻ることが出来た居場所に、うっとりしていた総司だったが、ふと気がついた。顔をあげ、土方を見つめる。
「あの、土方さん」
「何だ」
「それで……今日、どこへ行くつもりだったの? これから仕事って訳じゃなさそうだし……」
「あぁ」
土方は苦笑し、身を起した。シートベルトを締めなおし、ゆっくりと車を発進させながら、答える。
「最近、逢えなかった理由だよ」
「? どういう事? 仕事が忙しかったんじゃ……」
「確かに仕事も忙しかったが、他に理由があったのさ」
そう云った土方は、悪戯をたくらんでいる子どものような笑顔になった。それに、ちょっと目を瞬きながら、総司は訊ねた。
「理由って何なの? 教えて」
「さぁ、何だろう。あててみな」
「そんなの無理に決まってるじゃない! ヒントもなしに答えられる訳……」
「なるほど、ヒントが欲しいのか」
くすっと笑った。
「じゃあ、そうだな……絵本」
「絵本?」
「あぁ」
それからは、何度訊ねても、土方は笑っているばかりだった。
結局、その答えがわかったのは、目的地に着いてからで───
「……え、ここって……」
車から降りた総司は、絶句した。
小さな家が建っていた。
小さな庭もついている、可愛らしい洋館だ。
コテージと云ってもよい程の小さな家は、公園に面しているためか、まるで森の中にいるような雰囲気を漂わせていた。
小さいながらも手のこんだ造りである事は、一目でわかった。茶とオレンジの瓦屋根に、卵色のしっくい壁。木製の窓、ガラス。玄関脇に、小さなランプが灯されてある。
石造りの門から続く、煉瓦のアプローチ。
素朴な印象を際だたせる、小さな草花。
それはまるで───
「すげぇ似てるだろ?」
土方が総司の細い肩をそっと抱き寄せながら、囁いた。
「おまえが俺に見せてくれた絵本。こんな家に住みたいって云っていた、あれだ」
「土方さん……」
「ここを見つけた時は、俺も驚いたよ。まんまだったからな。しかも、あの例の花畑がある公園に面しているんだ、これは運命だと思って速攻で購入さ」
「あ、本当だ。ここ、あの公園……」
総司は驚いて、周囲を見回した。
確かに、あの公園だった。
土方と二度の再会を果たした、思い出の。
「フランス人の夫婦が住んでいたらしいが、小さい家だし、3年ほど空き家になっていたから、かなり手を入れないと駄目らしいけどな」
「随分、探してくれたの……?」
「まぁ、それなりに。けど、おまえと一生住む家じゃねぇか。一生懸命探して、当然だろ」
「……」
総司が小さく息を呑んだ。
それから、おずおずと家の方を眺め、また土方に向き直り、桜色の唇を震わせた。
黙り込んでしまった総司に、土方は眉を顰めた。困惑した表情で、少年の顔を覗き込む。
「もしかして……気にいられねぇのか? 俺が先走っちまったか?」
「……っ……」
「だったら、ごめんな。俺もこの家をすげぇ気にいって、それで……」
「ちが…うの……」
総司は俯いたまま、小さな小さな声で云った。
「嬉しいの……すっごく嬉しいの……」
「え?」
「一生って、云ってくれたから……ぼくと一生住む家だと云ってくれたから」
大きな瞳から、ぽろぽろ涙がこぼれた。
呆然としている土方の前で、総司は嗚咽をあげながら言葉をつづけた。
「ずっと、あなたの傍にいていいんだ、許されるんだって思ったら、嬉しくて……あんまり嬉しくて涙が出てきて……」
「あ、あたり前だろうが!」
土方は思わず総司の腕を掴み、自分の方へ引き寄せた。小柄な躯を腕の中におさめ、ぎゅっと抱きしめる。
「おまえは一生、俺といるんだ。ずっと傍にいる。そんなの、ずっと前から当たり前の事だろう?」
「だって……」
「今更、こんな事で泣くなよ。すげぇ可愛くて、どうしていいかわからなくなっちまう」
土方は総司の髪に頬を擦りよせ、目を閉じた。
腕の中の小さなぬくもりが、何よりも愛おしい。
あたたかな陽だまりのような匂いがした。
それは、幸せの匂いだと思った。
ずっとずっと、いつまでも。
自分の傍にいてくれる、愛しい恋人。
「……愛してるよ」
囁きかけた土方に、総司はこくりと頷いた。
潤んだ瞳のまま彼を見上げ、小さく花のように笑ってくれる。
その火照った頬にキスを落し、土方は総司の手をそっと握りしめた。寄りそい、微笑みあう。
そして。
二人は手を繋ぎ、ゆっくりと歩き出したのだった。
幸せの家へ。
Lover's sweet homeへ
ようやく同居です。
書きたかったのは、土方さんが総司を担ぎあげるシーン。これ、また使いたいです。
おもしろかった、またこのシリーズ読みたい〜♪ と思って下さった方は、ぜひ、元気のもと「ぱちぱち」を♪
