知ってた?
うさぎはとっても淋しがりやだから
ちゃんと愛してあげないと
すぐ泣いちゃうんだよ
気持ちのよい朝だった。
カーテンの隙間からは朝の光が射し込み、今日も青空になること受けあいだ。ちゅんちゅんと小鳥の囀りも聞こえていた。
そんな朝の光景の中、土方は腕の中の総司を眺めていた。
彼の胸もとに顔をうずめるようにして、くうくうと可愛らしい寝息をたてている恋人。
柔らかな髪が頬にこぼれ、僅かに開いた桜色の唇がキスを誘うようだった。ちょっとだけ土方のパジャマの胸もとを掴んだ手が、またいじらしい。
そんな可愛い恋人を前に、土方はため息をついた。
「……」
爽やかな朝だが、とても気分爽快とはいかなかった。が、それは何も昨夜さんざん斉藤や永倉、島田たちと飲んだ酒のせいではない。それほど飲む方ではないが、程々に彼も強いのだ。二日酔いなど経験したことなかった。
それよりも、土方は昨夜帰ってきてから、このベッドの上で総司とかわした会話に気分が沈んでいた。
目覚めてから、ため息ばかりくり返しているのだ。
自業自得とはいえ、やはりショックだった。が、しかし……
(……当然だよな)
もう一度ため息をつくと、土方はすやすや眠る総司をそっと両腕に抱きすくめた。
「……うーん」
もうかなり長い間、総司は悩んでいた。
時は、夕方4時頃。
場所は百貨店の地下お惣菜売り場だ。平日であっても、そこはパート帰りの奥様たちでごった返していた。その中で、総司は先ほどから可愛らしい顔で考え込んでいる。
「うーん、どうしたらいいのかなぁ」
そんな総司に、傍らから声がかけられた。
今さっきエスカレーターを駆け下りてきた藤堂だ。
「お待たせー! え、あれ? まだ買い物おわってなかったの?」
「うん」
総司はこっくり頷き、ため息をついた。
「だって、すごく悩んじゃうんだもの」
「悩むって、今日の晩ご飯で? いつも総司はちゃっちゃっと作っちゃうんだろ?」
「つくることはつくるけど、でも……今日は別のをメインにした方がいいかと……」
「別のをメイン?」
そう聞き返し、藤堂は総司の真正面にある店を見た。そして、成程と頷いた。
「……精力つくもんね」
「う、うん」
「じゃあ、総司は土方さんが自分に手を出さないのは、精力不足だと思ってるんだ」
「そ、そんな事ないけど……っ」
総司は顔を真っ赤にし、俯いた。耳柔までピンク色になって、とんでもなく可愛い。
それに、藤堂はやれやれと首をふった。
こんな可愛い総司を前にして、その気にならない男がいるだろうか。確かに、総司のだい好きな彼氏である男は手を出してないようだが、それにはどうせまた色々な理由があるのだろう。
土方が記憶喪失の時におこった様々な事について、おおまかに知っている藤堂はちょっとため息をついた。
「ま、総司がそれで少しでも頑張れるなら、買ったら? 鰻、おいしそうだよ」
「うん……」
「けどさ、精力不足っていうより……土方さん、駄目になっちゃたんじゃない?」
総司は目を見開き、ぱっと顔をあげた。
それに、藤堂はからかうような口調で云った。
「事故にあった時、男としてのあっちが駄目になっちゃったとかさ」
「そんなこと絶対絶対ないもの!」
思わず、総司は叫んだ。
両手を握りしめ、愛する恋人のため必死に抗弁した。
「いつも毎朝、ぴんぴんしてるものっ! パジャマの上からでも、すぐわかるんだからっ」
男の生理現象などという、とんでもない事を百貨店地下売り場で叫び、総司は大きな瞳をうるうるさせた。レモンイエローのTシャツにジーンズ姿で、涙目になっている総司はいたいけで可憐だ。
それに、藤堂は慌てふためいた。
傍目には、可愛い女の子を苛めてるように見えるらしく、周囲の奥様方の視線がびしばし痛い。
「わ、わかった。ごめん。余計なこと云ったよな」
「えーん……平助なんて、嫌いだ」
「ごめん。ごめんな、総司……」
「何やってんのよ!」
いきなり後ろから大きな声で怒鳴りつけられ、藤堂はびくっとした。大慌てでふり返ると、何故かそこには磯子が仁王立ちになっていた。腰に手をあて、怖い顔で藤堂を睨みつけている。
「沖田さんを苛めてる訳っ? また、平ちゃん余計なこと云ったんでしょ!」
「な、なんで、いっちゃんここに……っ」
「ここは百貨店じゃない。誰がいても構わないでしょ」
きっぱり断言し、磯子はささっと総司の傍に寄った。取り出したハンカチを渡しながら、うってかわった優しい声で「大丈夫ですか?」なんて訊ねている。
「……いっちゃん……」
その彼女の姿に、思わず自分への愛を疑ってしまった藤堂だった……。
一方。
もう駄目になっちゃたのか──などと藤堂に無礼千万な事を云われた男は、車の後部座席で不機嫌そうに眉を顰めていた。
緊急ではないためサイレン鳴らして問答無用で走る事もできず、かといって目の前の長い長い渋滞に苛立ちはつのりばかりだ。
「あーあ」
永倉が助手席でのびをした。
「いっそ、歩こっか〜」
「ここ、首都高ですよ」
「そんなものどうだっていいじゃん」
「よくないですよ。刑事がそんな事で捕まってどうするんですか」
無言でいる土方の傍で、斉藤と永倉が相変わらずのやりとりをしている。それを聞くともなしに聞いていると、突然、話題が自分の方へまわってきた。
「で、土方さん、どうなの?」
「?」
訝しげに視線をあげた土方に、永倉はにやにや笑った。
「最近、ちゃんと総司くんと仲良くしてる? あれからもう一ヶ月だけとさ。この頃はちゃんと毎日家に帰ってるんだろ」
「あぁ」
「なら、またまた新婚さん気分って訳だ。いいねぇぇ、総司くん、可愛いし。あれだけ尽くしてくれたんだ、ちゃんと可愛がってやらなきゃ駄目だぜ? ま、あんたも仕事あるし総司くんもまた細っこい躯してるから、夜のお勤めの方は程々に……」
前の渋滞を眺めながらそう口にしたとたん、すうっと空気が冷えた気がした。
「……?」
不審に思ってふり返ると、黙って視線を落とす土方の隣で、斉藤がストップストップ!と必死に両手で×マークを作ってる事に、永倉はようやく気がついた。
不気味な沈黙が落ちた。
「……え、まさか」
「……」
「最近、そっちの方はご無沙汰とか……」
「……あぁ」
「マジで!?」
思わず永倉は叫んでしまった。びっくりして助手席から身を乗り出した。
あの警視庁1のたらしとまで云われた男が、一ヶ月も恋人に手を出してないなど驚くべき事だった。
自分が地雷を踏んでしまった事も気づかず、夢中で問いかけた。
「同じ部屋に住んで? 同じベッドで寝て?」
「あぁ」
「それで、手を出せないなんて……もしかしてさ、土方さん、テクに自信ないわけ?」
次の瞬間、ぱかーんっと音が車内に響いた。
土方が傍の斉藤の携帯電話を取り上げ、思いっきり投げつけたのだ。ものの見事に頭部へ命中し、「あぁ!?」という斉藤の悲鳴と、「ぐえっ」という永倉の声が重なる。
永倉は頭を抱え込み、涙目になった。
「な、何すっ……」
「おまえ、さっき首都高歩きたいとか云ってたな。何なら放り出してやってもいいんだぜ」
「そんな怒ることないだろ。怒るってことはやっぱり図星なわけ?」
「何だと!」
「永倉さん、もう頼むからやめて下さい」
「斉藤、おまえは黙ってろ。永倉、外へ出ろ!」
「おしっ! 相手になってやる」
「まずいですよ。首都高速の路上で刑事同士がとっくみ合いなんて」
「車内でするよりはマシだろうが」
「どっちもどっちです。二人とも、冷静になって下さいよ」
うんざりした表情の斉藤が、二人を引き止めにかかっていた時だった。
「あ──ッ!!」
突然、もの凄い声が車内に響いた。
何事かと見れば、島田が運転席で口をぱくぱくさせながら、計器を示している。それに、三人は動きをとめ、ふり返った。
「? 何だ」
「ガ、ガ……」
「ガ?」
「ガソリンがもうありませんっ。ガス欠ですーっ!」
そう叫ぶなり、島田はハンドルに突っ伏してしまった。自分の失態だとしくしく泣いている。
その巨体を乱暴に押しのけ、永倉は大慌てで計器を覗き込んだ。「げっ」と顔色をかえた。
「マジ!? おい、ここ首都高だぞっ」
「警視庁の車がガス欠のため首都高で立ち往生ですか〜。マスコミの格好の餌食になりそうですね〜」
「んな呑気なこと云ってる場合じゃないって! 今すぐ近くの交番からガソリン持ってこさせて……」
「ガソリンを売ってるのは交番じゃありません、ガソリンスタンドですよ」
「んなこた百も承知だぁーっ!」
「……」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ永倉と斉藤、島田の様子を眺め、土方は深くため息をついた。
ふと見上げた窓の外は、7月の青い青い空だ。
爽やかな夏の空に、総司の可愛い笑顔を思い浮かべた。
(……今日は絶対早く帰ろう)
そう思いながら、土方は携帯電話を取り出すと、ロードサービスに連絡したのだった。
さて、その夜。
総司はお風呂の中でせっせと躯を洗っていた。
最近ご愛用の石鹸を泡だてまくり、それこそ丁寧に隅々まで洗いまくった。それもこれも皆、だい好きな彼との夜のためだ。
「今夜こそ、頑張るんだから」
さっき帰ってきた土方と、予定どおりちゃんと鰻丼を食べた。ご飯の後はちょっとだけおしゃべりして、それから、先にお風呂に入って貰ったのだ。
総司はお風呂から出ると、つやつや桜色に染まった肌をバスタオルで丁寧に拭いた。髪もドライヤーでぶわーっと乾かして、それから、あるものを手にとった。
『絶対、それがいいって!』
そう力説していた藤堂の顔が脳裏に浮かんだ。
横で、磯子は、
『また、平ちゃんオヤジ発想して』
と渋い顔をしていたが、それでも構わず藤堂は断言したのだ。
『凝りまくるより、その方がシンプルで余程そそるって。絶対、おれが保証する!』
『そうかなぁ。土方さん、そういうの喜ぶのかなぁ』
『でも、まさかピンクのひらひらネグリジェって訳にもいかないだろ?』
とたん、総司は慌てて両手をぶんぶん振り回した。
磯子の目がきらりんと光ったのを見たから、尚更だ。
『そ、それは絶対やだ!』
『あたしはその方がいいなぁ。絶対可愛いくて似合うと思うんですけど』
『思わない、思わない! 平助の意見をとり入れます』
そんな訳で、この結果となったのだ。
総司はこっそりクローゼットから取り出してきた洗いざらしのパジャマを広げた。ごそごそと着込み、第二ボタンまでは外し、下は何もはかなかった。かなり大きく、袖口からちょこっと指さきが覗いた。
大きいのも当然だった。これは土方のパジャマなのだ。白い薄手の男物長袖パジャマ、それを着てから、総司は最後の仕上げをした。ひょいっとあるものを頭につけたのだ。それから、鏡の中を覗き込んだ。
洗いたての髪はつやつやで、ちょっとくしゃっと乱れているとこが色っぽい。
上気したなめらかな頬も、少し潤んだような瞳。桜色の唇。
その華奢な躯に纏った大きな男物パジャマが倒錯的で、すらりとのびた白い足がまた艶かしかった。
その上、クリスマスの時もつけたピンク色の可愛いうさぎ耳。
自分で見ても、合格点に近そうだ。
「よぉーし、作戦開始―!」
一人、おーっと手を天井にあげてから、総司は脱衣所を出た。
胸をどきどきさせながら寝室のドアをあけ、そっとベッドの上に乗る。そして、土方を覗きこんで──
「!?」
総司の目がまん丸になった。
なんと、土方はベッドの上、すやすやと熟睡してしまっていたのだ。どう見ても狸寝入りなどでなく、くうくう寝息をたてて気持ちよさそうに眠っている。
「嘘でしょう? ちょっと……っ」
総司は土方の肩に手をかけ、ゆさゆさと揺さぶった。
仕事で疲れてるのはわかってるが、それでも今夜こそはと意気込んでいたのだ。ここで引き下がる訳にはいかなかった。
「起きて! ねぇ、土方さん、起きてってばー!」
が、土方はちょっと眉を顰めただけで、いっこうに起きる気配もない。
とうとう総司は仰向けで寝ている彼の上に馬乗りになると、ばしばしと男の広い胸を小さな拳で叩いた。もちろん、さほど力は入れてないが。
「土方さん、起きて! 起きてよっ」
「……ぅ…ん……」
「土方さん? 起きた? ね、今夜はぼく……きゃああ!」
総司は思わず悲鳴をあげた。
突然、土方が上にのっかってる総司をもろともせず、くるりと寝返りを打ったのだ。当然ながら、総司はベッド下へ転げ落ちてしまう。が、そんな事にも気づかず、土方は躯を少し丸めるようにして、またすやすやと眠ってしまった。
「……土方さん……」
ベッド下にふり落とされた総司の目が、すうっと細くなった。
心底、めらめら怒った証拠だ。
だいたい、この家に戻ってきてから一ヶ月。一度だって抱いてくれた事がなくて、いい加減、総司も欲求不満だった。
それは総司だってわかってる。
あの記憶を失っていた時にした事を、土方はまだ罪悪感に思っているのだ。きっとそれが原因で手を出さないのだ。前の時のくり返しだった。
何度も云ったのに。もう気にしないでと。
あなただけが悪いんじゃないから、だから、そんなふうに思わないでと。
なのに。
「いい加減、すっきりしてよ」
総司は唇を尖らせ、熟睡してる土方を睨みつけた。
いっそのこと上にのっかって、ちゃっちゃっと勝手に事を致してしまおうかと思ったが、いくら何でもそれは虚しかった。一人プレイなんて考えただけで、情けなくて涙が出てくる。
「もう……もう知らないっ」
総司はすっくと立ちあがり、部屋を横切った。
クローゼットを開けると、乱暴にバックを取り出し、ばさばさと洋服を詰めこんでゆく。
眠っている土方を気遣うつもりも全くなく、音たてまくりで用意をした。すると、意外なことが起こった。
「……総司?」
あれほど揺さぶっても叩いても起きなかった土方が、不意に目を覚ましたのだ。
片肘をついた状態で上半身を起こし、不思議そうに総司を眺めている。寝乱れた黒髪をくしゃっと片手でかきあげ、小首をかしげた。
「おまえ、こんな夜中に何をやってるんだ……?」
「帰らせて頂きます」
「は?」
「所謂、実家に帰らせて頂きますって奴です。ぼく、近藤さんの家を実家がわりに思うよう言われてますから」
「???」
まったく理解できてない様子だった土方は、不意ににっこり笑った。どうやら、まだ少し寝ぼけているらしい。
「何、怒ってるんだか。早く寝ようぜ」
「……」
「ほら、おいで?」
そう云いながら、ぽんぽんと自分の隣を叩いてみせる。唇を噛んだまま立ち尽くしていると、土方はベッドから降りて総司の肩を抱いた。よしよしと頭を撫でてからキスすると、優しくベッドへつれてゆく。
そのまま総司を抱えてベッドに入り、タオルケットを肩まで引き上げた。ちゅっと唇にキスしてから、囁いた。
「おやすみ」
そう云って、また瞼を閉ざしてしまう。
それに、総司ははっと我に返った。つい、いつものキスや抱擁に騙されてしまったが、自分は怒っているのだ。
もうもう知らないっと怒って、家を出るつもりだったのだ。
「おやすみじゃありません!」
突然、総司はがばっと起き上がった。
ベッドから降りると、放り出してあったバックを掴んだ。
「ぼく、本気で家を出るんですから! 絶対です」
「総司?」
ようやく、土方も完全に目を覚ましたらしい。
ちょっとのびをしてから、ベッドの上で胡坐をかいた。膝に頬杖をついた格好で、問いかけてくる。
「いったい、何を怒ってるんだ」
「それぐらい察して下さい」
「云わなきゃわからねぇよ。目覚ましたらバックに荷物つめこんでるし」
「だから、家出なんです。すぐ出ていくんですから」
総司はバックを抱え込むと、ぺこりと頭を下げた。
「どうもお世話になりましたっ」
「ちょっ……おい! 待てって」
土方は慌ててベッドから降り、総司の腕を掴んだ。
「本気で家出するつもりなのか? いったい何で……だいたい、その格好は何なんだ。そんな格好で外へ出るなんて、とんでもねぇよ」
「え……?」
云われて初めて、総司は自分の格好を思い出した。下着もつけず、土方のパジャマだけを身につけ、その上ピンクうさぎの耳までつけた超セクシャルな格好を。
これ全部、いったい誰のためにしたと思ってるのっ?
「……」
じわっと総司の大きな瞳に涙がうかんだ。ピンク色のうさぎ耳がくたっと揺れた。
「だ…って、土方さんにその気になって貰おうと……っ」
「俺が? その気って……あぁ、めちゃくちゃ可愛いよ。色っぽい。けど、そんな格好で外へ出るのは絶対やめてくれ」
「それだけ? 全然、その気にならない?」
「だから、云ってるだろ。可愛い、色っぽいって。すげぇそそられるよ」
「だったら、抱いてよ!」
総司は叫び、土方の胸もとにぎゅっと抱きついた。激しく躯を擦りよせた。
「あなたがぼくを抱くつもりないってわかってるけど、でも、そんなの嫌だから。もう気にしないで欲しいのに……っ」
「ちょっと待て、おい」
土方は無理やり総司の肩を掴んで引き離すと、その瞳を覗き込んだ。
「俺がおまえを抱くつもりないって? いったい、何でそんなふうに思ってるんだ」
「だって、一ヶ月も抱いてくれなかったじゃない」
「だから、それはおまえが……」
云いかけ、土方は大きな瞳に涙をいっぱいためている総司に気がついた。
ため息をつくと、総司の細い躯をそっと抱きすくめた。
そして、云ったのだった。
「……どうも話しあいが必要みたいだな」
「ほら」
土方はマットの上に坐り込んだ総司に、マグカップをさし出した。
柔らかな湯気がたち、ホットミルクの甘い香りがした。それを総司は両手で受け取った。
一口飲んでみると、蜂蜜の味が口の中に広がる。
「……」
総司は俯き、片手でごしごしと目をこすった。まだ涙で視界がぼやけていたのだ。
それを、土方は痛ましそうに見やった。
傍らに腰を下ろすと、そっと優しく総司の小さな頭を抱き寄せた。己の肩に押しつけさせ、囁いた。
「泣かないでくれ……」
「……」
「あの時、さんざん泣かせたんだ。俺はもう、おまえを泣かせたくない」
「土方さん……」
総司は彼の優しい声、そのぬくもりに、ほっと息をついた。躯の力を抜き、男の胸もとに凭れかかった。
とくとくと聞こえる心臓の音。彼の生きている証。
それがたまらなく愛しかった……。
総司はマグカップをテーブルに置くと、もう一度土方の胸もとに凭れかかった。何か云いかけて躊躇い、彼のしなやかな指さきをとった。甘えるように弄びながら、云った。
「……あのね」
「うん?」
「ぼくね……」
総司は大きな瞳で土方を見上げた。そして、小さな小さな声でこう云った。
「……甘いキスより、どんな優しい言葉よりも。あなたが欲しいなんて云ったら……呆れちゃう?」
「……」
しばらくの間、土方は黙っていた。
ちょっと小首をかしげるようにして、総司をじっと見つめている。
その深く澄んだ黒い瞳に、総司は妙に気恥ずかしくなった。何だか自分ばかり盛り上がって必死なのが、恥ずかしくなってしまったのだ。
思わず俯いた。ぎゅっと両手を握りしめてしまう。
それに男の手がのばされた。
「総司……」
そっと優しく両手のひらで頬を包みこまれ、あお向けさせられた。おずおずと見上げると、とろけそうなほど優しい男の瞳が総司を見つめていた。
「俺、今……すげぇ嬉しいよ」
「土方さん……」
「総司がそんなふうに思ってくれるなんて、考えてもいなかった。この一ヶ月、おまえに怖がられ拒絶されてるとばかり思っていたから……」
「どうして、そんな?」
総司は目を見はった。
思わず土方のパジャマの胸もとにしがみつき、云いつのった。
「絶対そんなこと思ってないのに。ぼく、あなたを怖がったりしません、拒絶もしてません」
「……」
「だって、あなたはぼくのだい好きな土方さんだもの。愛する人と躯を繋げたいと思うのは、いけない事じゃないでしょう?」
「もちろん、そうなんだが……」
土方は僅かに眉を顰めた。少し躊躇っていたが、やがて嘆息すると言葉を吐き出した。
「正直な話、俺もおまえを抱くことに躊躇いはある。あんな酷い事をしたんだ、おまえに怖がられないか、嫌がられないかって。けど……初めに拒絶したのは、おまえの方なんだぜ」
「え?」
総司は呆気にとられた。
いったい何の事を言われているのか、さっぱりわからない。
「どういう…こと? ぼくが拒絶したって、いつ……」
「一ヶ月前だ。こっちに戻ってきてから暫くして、おまえを抱こうとしたら拒絶された」
「……全然、心あたりないんですけど」
「いや、本当だ。俺も酔ってはいたが、ちゃんと覚えてる」
「酔っていたって……え、あ、あれっ!?」
とたん、総司は目を見開き、声をあげた。
確かに覚えがあったのだ。
飲み会から帰ってきた土方が、珍しく酔っていて。その勢いでベッドに押し倒されたのだが。
総司はようやくこの家で愛しあえるのに、その一番最初がこんな形でなされるのは嫌だった。もっと優しくキスして、甘い甘い雰囲気の中で抱かれたかったのだ。
だから、思わず抗い、「いや」と拒絶してしまったのだが───
「あ、あの場合、拒絶して当然でしょう!?」
思わず大声で叫んでしまった。ピンク色のうさぎの耳がぱたぱた揺れた。
「この部屋に帰ってきて初めての行為なのに、あんな酔っ払った状態でしようとするんだもの! キスも何もなくて、いきなり服脱がせてくるし」
「……そうだったかな」
「そうです! なのに、抵抗した理由も全然わかってなかったなんて。そんなふうに思ってたなんて!」
「いや、けどさ」
土方は困惑した様子で眉を顰め、寝乱れた黒髪を片手でくしゃっとかきあげた。
「おまえ……泣いて嫌がってさ。それも初めての時みたいに、やだやだって泣きじゃくってたんだぜ。さすがに俺も怯んじまってさ。そんなに嫌なのか、俺が怖いのかって、ショックでずっと手出す気になれなかったんだ」
「だから、泣いて当然でしょう!? 帰ってきた土方さん迎えたら、いきなりベッドに押し倒されたんですよ。それもどこから見ても酔っ払い状態のあなたに。初めのうち、どんなに嫌がってもやめてくれなかったし、だから、ぼく、泣いたのに……」
「ごめん」
土方は総司の頬にキスを落とし、謝った。そっと優しく髪を撫でた。
「酔って帰った俺が悪かったんだな、謝るよ。それに、変な誤解して悪かった」
「酔うのはいいけど……そんな自己完結した誤解しないで下さい。ぼくはこの一ヶ月ずーっと悩んでいたのに」
「悩んでたのか?」
かるく小首をかしげ、土方は訊ねた。
それに、総司は可愛らしく唇を尖らせた。
「悩みました。すごーく悩んで、その気になれないのかなとか、ぼくに魅力ないのかなとか、疲れてて元気ないのかなとか、いろいろ考えたんだから」
「あぁ……だから、鰻か」
くっくっと喉を鳴らし、土方は笑った。
「おまえ、凄い量をてんこ盛りしてきたものな。いったいどうしてだろうと思ってたんだ」
「でも、黙って食べてたじゃありませんか」
「そりゃいらないとは云えねぇだろ? 俺はおまえが作ったものなら何でも食えるし、それに……」
土方は手をのばし、総司の細い体を膝上に抱きあげた。己の膝を跨がせるようにして坐らせると、ちゅっと音をたてて頬にキスした。
「それに、そんな理由で俺に食わせようとしたとはな。ほんっと可愛くてたまらねぇよ」
「……だって……」
「そんなに俺に抱かれたかったのか? 俺が欲しいのか?」
「……うん」
小さな声で答えた総司に、土方はにっこり笑った。
悪戯っぽい瞳で覗きこみながら、大きな掌をすっとパジャマの下へ滑りこませた。少年のなめらかな肌を撫であげてくる。
「せっかくこんな格好までして誘ってくれたんだ……ちゃんと期待に応えねぇとな」
「え、うん。あ、でも……」
総司は不意にある事に気づき、慌てて土方の胸に両手を突っぱねた。
「少しだけでいいですからね。久しぶりだし、それに土方さんもお仕事もあるし……」
「安心しろ。明日、俺は非番だ」
「えぇっ!? そんなの聞いて……あっ、んんっ、やっ」
男のしなやかな指さきが白い首筋から胸もとを撫でおろした。きゅっと胸の尖りを指さきで摘みあげ、擦りあわせる。
総司はいやいやと首をふった。そのたびに、またピンクうさぎの耳がふるふる揺れる。
「だ…めぇ、明日、ぼくは大学だし」
「夏休みだろうが」
「よ、用事があって……」
「こんな可愛い色っぽい格好で誘っておいて、今更用事も何もあるもんか」
そう云うと、土方は総司の耳もとに唇を寄せた。
腰までくるような、甘い低い声が囁いた。
「たっぷり可愛がってやるよ」
「……っ」
総司は息をつめた。
囁くと同時に、そっと柔らかく腰骨から脇腹あたりを手のひらで撫であげられたのだ。ぞくぞくするような快感が這い上がってくる。
思わず喘ぎながら、彼の胸もとに顔を押しつけた。男の背に手をまわし、ぎゅっとしがみついた。艶やかな髪にくたっとうさぎ耳が折れてるのがまた何とも可愛らしい。
土方は満足気に目を細めた。
「……可愛いな。すげぇそそる格好だし……たまらねぇよ」
「んんっ…ぁあ、で…も……っ」
「俺が欲しかったんだろ? お望みどおり、好きなだけやるよ。明日は一日中ベッドの中にいような」
「え、えぇ…っ!? んんっ──」
驚いて顔をあげた総司の髪を、後ろから土方は手で梳いた。柔らかく項を掴むと、そのまま唇を重ねてくる。
「ぁ…ん…ぅっ」
正直な話、その気になってくれたのは嬉しかった。でも、それはあまりヒートアップしなければの話なのだ。
この分では本気で明日一日、ベッドの住人にされてしまいそうだった。その翌日、大学へ行けるかどうかさえ怪しい話だ。
「おまえ、知ってるか?」
キスの後、土方が悪戯っぽく笑いながら云った。
「年中盛ってるのって、人とうさぎだけなんだぞ。他は春の発情期にしかやらねぇらしい」
「ほんと? でも……土方さんはちょっとやり過ぎじゃないですか。ヒートアップしすぎというか」
「そうかな。けど、それで丁度いいんじゃねぇか?」
「え?」
きょとんとする総司に、土方はくっくっと喉を鳴らして笑った。
「おまえは両方だろ。だから、俺ぐらいが相手で丁度いいんだよ」
「両方って?」
「ピンクうさぎ」
そう云って、土方は楽しそうに、総司の頭についたピンク色の長い耳を指さきで突っついた。それに、総司は思わずふるふるっと首をふった。
「やっ……」
「俺だけの可愛いうさぎだな」
すっと指さきがすべり、髪の中にさし入れられた。柔らかく愛撫するように梳かれ、甘い痺れが走る。
シャツの中に男の手がすべりこんで背を抱き起こされた。それに、え?と顔をあげると、また深く唇を重ねられる。舌がさし入れられ、甘く柔らかく総司の舌を吸い上げた。頭の中がぼうっと霞んだ。
もう何をどう云っても、土方はこのピンクうさぎを貪るつもりなのだろう。一ヶ月我慢していた分まで、たっぷりと。
(その気になったら、今まで色々考えてたことなんか全部ふっ飛ばしちゃうんだから。いつも、ほんとふり回されてばっかりだ)
総司は甘いキスをかわしながら、しみじみ思った。
めちゃくちゃ強引で強気だと思えば、突然、まるで子供のように不安げな瞳をしてみせて。
優しくて冷たくて意地悪で。
少年みたいで、大人の男そのもので。
世界中の誰よりも、一番だい好きなだい好きな土方さん。
「あ」
不意に総司は声をあげた。
土方がひょいっと総司の華奢な躯を両腕に抱きあげると、そのまま立ち上がったのだ。
歩き出した土方の腕の中、総司はちょっとびっくりした顔になったが、すぐ彼の胸もとに顔を押しつけた。
どこへ連れてゆかれるかなんてわかってる。
でも、だけど。
ぼくもこの人と愛しあいたいから。
もっともっと。
ぼくの中がこの人の愛でいっぱいになっちゃうくらい、愛されたいから。
「……土方さん」
ゆらゆら揺れる腕の中、呼びかけた総司に、土方は「ん?」と小首をかしげてみせた。
それに、両手をのばした。
「……愛してます」
総司は土方の首を両腕でかき抱くと、囁いた。
想いをこめて。
だい好きなだい好きな彼に。
「これからもずっと、いっぱい……愛してね」
「あぁ、もちろんだ。愛してるよ」
「うん……だい好き」
そう囁きざま、自分から唇を寄せてキスをした。土方も目を伏せ、キスを返してくれる。
何度も角度をかえてキスしあいながら、寝室へはこばれた。ベッドへ下ろされ、のしかかってきた男に抱きつき、身を寄せた。
言葉だけじゃ足りない。
ぬくもりだけじゃ足りない。
キスだけでも駄目。
人ってどうしてこんなに欲張りなんだろう。
どうして、愛しあわないと生きてゆけないのかな。
抱きあわなくちゃ、互いを互いでとけあわせない限り、淋しくて淋しくてたまらない。
(でも、そうか……そうなんだ)
総司は首筋をすべる男の熱い唇を感じながら、ぼんやり思った。いつのまにか互いを隔てていた衣服は取り払われ、あたたかな素肌がふれあって心地よい。
それに、うっとり微笑んだ。
(だから、抱きあうんだ……)
淋しがりやだから。
うさぎも人も、淋しがりやだから。だから、きっと抱きあって愛しあう。
いつでもどこでも、互いを求めて。
まるで、もっと深く愛しあうことだけを求めるように。
人もうさぎも、愛だけを求めながら───
「……淋しがりやなんだ」
思わずそう呟いた総司に、土方は不思議そうな顔をした。
いったい何のことか教えて欲しそうな顔をしていたが、これは絶対秘密。
つまらない誤解で、淋しがりやのうさぎを焦らしまくった彼への、ちょっとした意趣返しなのだ。
総司は悪戯っぽく笑うと、また男の唇にキスをした。
それはすぐさま甘く深いキスとなり、互いの躯の奥に情欲の火をつけた。土方が総司の躯を組み敷き、その指で唇で追い上げ始める。総司は小さく喘ぎ、男の躯に可愛らしく縋りついた。
やがて、部屋は熱く甘い空気だけで満たされていったのだった……。
うさぎは淋しがりやだから
ちゃんと愛してやらねぇと
すぐ泣いちまうんだ
けど、おまえには俺がいる
淋しくないよう
いっぱい愛してやるから
だから、な?
もう泣かないでくれ
その可愛い笑顔を見せてくれ
俺の愛おしいうさぎ……
[あとがき]
「秘密の花」一周年記念アンケートで一番リクを多く頂いた「かくれんぼの恋」番外編です。本編Uの一ヵ月後。相変わらず、シリアス本編と大違いのコミカルで、そのギャップにくらくら〜ですね(笑)。
一番書いてて楽しかったのは、総司が土方さんの上に馬乗りになってばしばし叩くシーン。あれで起きないなんて、相当ですよね。そう思われません?
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