その朝、二人は喧嘩をした。
 同居してから初めての喧嘩。
 原因はけっこう下らない事だった。
 珈琲の粉が入ってる缶をきちんと元に戻さなかった土方と、昨夜の洗い物の時にスプーンもフォークも一緒くたに引き出しに放り込んだ総司。
 どっちもどっちなのだが、朝食時にそれで尚更バタバタしたため、大喧嘩になってしまったのだ。
「土方さんなんか、だいッ嫌い!」
 いつもどおり玄関を一緒に出はしたが、エレベーターの中でも無言。
 挙句の果てに、駅のホームで別れる時に思いっきり叫ばれて、土方は思わず形のよい眉を顰めてしまった。
 だいたい、土方はプライドが人の倍以上高い。
 こんな公衆の面前、それも混雑しきったラッシュ時のホームで「だいッ嫌い!」とまで云われて、笑っていられるほど人間ができていなかった。
 固い表情のまま無言で背をむけた土方に、総司も一瞬まずかったかなという顔になったが、こっちも意外とプライドが高い。
 もう一度だけ、さっきよりは小さい声で「……だい嫌い」と呟いてから、ばたばたと駆け出した。反対側のホームに向かうため、階段を駆けあがってゆく。
 それに、土方は思わずふり返った。
 もう人の多さでよく見えない。
 が、総司のちょっと悲しそうな「……だい嫌い」という声は、耳奥に残っていた。
 つい、たまらなくなってしまう。
「……俺も大人げなかったな」
 呟き、ため息をついた。
 せっかく整えた黒髪をわずらわしげに片手でくしゃっとかき上げ、目を細めた。
 そのまま意を決すると、足早にホームを横切った。階段を駆け上がり、総司がいるはずの反対側ホームにむかった。
 電車の発車を告げるベルが鳴った。

 

 


(……もうやだ)
 総司は揺れる電車の中、ぎゅっと唇を噛みしめた。
 大学へむかう朝の電車はもう乗車率200%状態で、ぎゅうぎゅう詰めだ。鞄なんか手放したら、どこかに行ってしまいそうだった。
 そんな中、総司は扉近くに立っていたのだが、先ほどから何度もため息をくり返していた。
 どうして、あんな喧嘩なんかしてしまったのか。
 珈琲缶なんかどうだって良かったのに。二人幸せな朝を迎えたかったのに。
 それに、それに……
(……だいッ嫌いなんて……ぼく、最低だ)
 あんな事を彼に云うなんて。
 それも人前で、こんなラッシュ時の駅のホームで大声で叫んでしまうなんて。
 彼が怒って当然だった。
 もう嫌われてしまったかもしれない。
 怒って、二度と口もきいてくれないかもしれない。
 そう思うと、じわっと涙がこみあげた。うるうるっと泣きだしそうになってしまう。
 総司は長い睫毛を伏せ、堪えるように桜色の唇を噛みしめた。
 その瞬間、だった。
(……え?)
 妙な感触がふれたのだ。
 誰かの手がのそのそと総司の腰あたりを撫でていた。
 思わず息をつめていると、それは、なんと腰骨あたりから前の部分へ這わされてくる。そろそろとジーンズごしに触れようとする男の手に、総司は大きく目を見開いた。
(やだ! ち、痴漢っ? そんな……ぼく、男なのに……っ)
 焦って必死に体を動かそうとするが、満員電車の中は身動き一つできない。どうする事もできず、総司は嫌悪感に体を震わせた。
(やだ! やだ……!)
 先ほどとは全く違う意味で、涙目になってしまう。声を出そうと思うのが、いざとなると怖くて出なかった。
 すると、突然、そのいやらしい手が離れた。
 何か鋭い音が鳴って呻き声が聞こえたが、それは電車の音にかき消された。
(……???)
 訳がわからず呆然としていると、今度はもの凄い力で、後ろから腰を抱き寄せられた。
 男の腕が総司の腰にまわされ、抱きしめてくる。
 先ほどの男と違うようだった。先ほどのはポロシャツを着ていたが、今度の男はスーツだった。涙でぼやけた総司の視界に、黒っぽいスーツと白いワイシャツの腕が入った。
「っ……や……っ」
 やはり総司は抗った。先ほどと同じように身を捩り、何とか逃れようとする。
 が、先ほどの男と違い、かなり力も強かった。しっかり抱きすくめられ、逃げることなどできない。
 それでも必死になってもがいていると、男の手が前にまわされた。シャツの裾から入りこみ、なめらかな肌を撫であげてくる。
「!」
 胸の尖りを指で摘みあげられ、総司は悲鳴をあげそうになった。びりっとした快感が背筋を走る。
 慌てて両手で口をふさいだ総司に、後ろの男が微かに笑った気配がした。
「っ……ふ…っ、く……っ」
 男の指は繊細に動き、胸の尖りを摘んで擦りあげた。
 時折、きゅっと押しつぶし、指の腹で柔らかく擦りあげてくる。甘い愛撫に、乳首はたちまちぷっくりと尖ってしまった。
「ぁ…っ、ん……っ」
 柔らかで的確な愛撫に、体中の力が抜けてしまう。
 総司が抵抗をやめてしまい、その胸に凭れかかると、男の手の動きはより大胆になった。
 胸の尖りを愛撫しながら、もう片方の手でジーンズの前を撫であげてくる。布越しでも感じる刺激に、総司は思わず腰を揺らした。
 が、一方で強い罪悪感と自己嫌悪がある。
 見知らぬ男の手にふれられ、あっさり感じてしまう自分が信じられなかった。
 どうして、こんな事を許しているのか。
 痴漢されて気持ちいいなんて、こんな……。
「……っ、ぁ…や…ぁ……んっ」
 男の手がジーンズのジッパーを下ろし、中へ潜りこんできた。
 信じられない大胆さに、総司は目を見開いた。必死になってその手首を掴んで引き離そうとするが、力では全然叶わない。
 その手は総司のものを掴み、優しく揉みあげた。指が全体に絡みつき、上下に擦りあげてゆく。強烈なまでの快感を無理やり引き出され、総司は涙目のまま喘いだ。
 知らず知らずのうちに、腰が揺れてしまう。
「ふっ…っ、んぅ…ぁ……っ」
 男は手の動きを早めた。鈴口に親指を食いこませ、グリグリッと押しあげる。
 それに、総司は「ひぃ…ッ」と小さく悲鳴をあげた。熱が下肢に集中し、もう我慢できない。あっという間にのぼり詰めてしまった。
「……ッ! ひ……っ!」
 すばやく男の手が総司の唇を塞いだ。
 次の瞬間、目の前がスパークし、自分が達したことを総司は感じた。あてがわれたハンカチの中に、白い蜜を吐き出してしまう。
(……信じられない……!)
 総司は呆然となった。
 自分は今、見知らぬ男の手でイかされてしまったのだ。それも、電車の中で。
 羞恥にカーッと頬が熱く火照った。が、腰は甘く心地よく痺れている。体にまるで力が入らなかった。
「ぁ……は…ぁ……っ」
 ぐったりと凭れかかった総司の腰をゆるく抱いたまま、男は後始末をしてくれた。ジーンズの前を直し、シャツの裾を引いてきちんと身づくろいさせる。
 そして。
 淡いピンク色に染まった耳もとに、低く囁きかけた。
「……気持ちよかったか?」
「ッ!」
 総司は大きく目を見開いた。
 慌ててふり返ろうとしたが、相変わらず身動き一つできない。
 が、耳もとにふれる、くっくっという笑い声。
 それに、どうして今まで気づかなかったのか、彼がつけているブルガリ・ブラックの甘やかな──
「土方…さん……!」
 そう叫びかけた瞬間、電車が駅のホームに滑り込んだ。
 とたん、土方は総司から離れ、すばやくその右手を違う方向へのばした。混雑にまぎれて逃れようとしていた男の襟首を掴み、ぐいっと乱暴に引きずった。
 ホームに降り立った土方は男を見下ろし、冷ややかな笑みをうかべた。
「こいつに手を出して、ただで済むと思うなよ」
「ひっ、勘弁……!」
「おまえ、常習犯だろ? すげぇ手馴れてたしな」
 黒い瞳が底光りした。
「生憎だったよなぁ。現職刑事の恋人に痴漢行為しちまったのが、運のツキって訳だ」
 先ほど捻りあげた手首にガチャンッと音をたてて手錠をかけ、もがく男を引きずるようにして土方は足早に歩き出した。
 途中、汚れた例のハンカチをゴミ箱に捨てる姿に、総司は我に返った。
 ぼくに痴漢したのは、むしろ土方さんの方じゃないの?
 何だか、絶対おかしい気がするんだけど。
「……」
 総司が唖然としながら見ていると、土方は男を引きずり駅員室へ入っていった。
 そして、荒々しく男を突き出した。
「警視庁組織犯罪対策部の土方です」
 慌てて立ち上がった駅員たちにむけて、土方は口早に告げた。
「先ほど、電車内にて強制猥褻罪の現行犯でこの男を逮捕しました。至急、こちらの所轄の方に連絡して貰えますか」
 いきなり飛びこんできた刑事にもの凄い勢いでまくしたてられ、駅員たちは呆気にとられた。が、慌てて男の身柄を受け取り、土方の指示に従う。
 それらを終えて出てきた土方を、総司は待っていた。
 駅員室のすぐ傍にあったベンチに坐り、じっと彼の方を睨んでいる。
 それに土方は苦笑した。
 歩み寄ってゆくと、大きな瞳で見上げられた。
「……土方さんは逮捕されないの?」
 ちょっと嫌味っぽく訊ねた総司に、土方はくすっと笑った。
「痴漢したからか? けど、恋人にふれるのも痴漢になるのか?」
「だって! ぼく、全然、土方さんだってわからなかったんですよ。なのに……っ」
「ふうん。俺だとわかってなくても、あんなに感じた訳だ」
 肩をすくめて云った土方に、総司はかっと頬を紅潮させた。
「土方さんの意地悪! だいッ嫌い……!」
「それ、朝から何度目だよ。いい加減、聞き飽きたぜ」
「云われるような事してるの誰なんですかっ? このエロ刑事!」
「ま、否定はできねぇよな」
 くっくっと喉を鳴らして笑い、土方は身をかがめた。
 僅かに小首をかしげ、悪戯っぽい瞳で総司の顔を覗き込んだ。
「けど……気持ちよかっただろ?」
「そ、そりゃ……でも、あんな……っ」
「おまえ、すげぇ可愛かったぜ。必死に我慢してる様がたまらなかったな」
「も、もう知らない……っ!」
 総司は立ち上がると、凄い勢いで歩き出した。が、数歩もいかないうちに手首を捕まれ、強引に引き戻された。
「どこへ行くんだ」
「どこって決まってるでしょう? 大学です」
「今日は休め。俺も半休にしたから」
「休んでどうするんです、いったい」
「この近くのホテルにでもしけこむんだよ」
 男の言葉に、総司は大きく目を見開いた。
 信じられない!
 この人、全然懲りてない。
 懲りてないどころか、むしろ、この状況を楽しんでいると云うべきか。
 さっき逮捕された痴漢なんかより、この人の方がずっとずっと危険じゃない。
 絶対!
「……っ」
 あまりの状況に呆然としている総司に、土方は言葉をつづけた。
「さっきはおまえだけだったろ? それじゃ、つまらねぇし」
「つ、つまらないって……」
「だからさ」
 土方は綺麗な顔でにっこり笑ってみせた。
 そして。
 通勤ラッシュの駅構内。
 人目も気にせず、少年の体を抱きしめ甘い甘いキスをすると、こう云ったのだった。
「今度は、二人一緒に気持ちよくなろうな」
 

 

 
 ──この後。
 ホテルへ連れこまれた挙句、さんざん鳴かされてしまった総司は、満足げな男の腕の中、「喧嘩するの、朝だけは絶対やめよう」と、しみじみ思ったのだった。

 ある爽やかな朝の出来事……。








[あとがき]
 もはや弁解の余地なし。これこそ、やおいですね(笑)。しかし、土方さん、犯罪でしょうが! 現職刑事がこんな事してていい訳? だいたい、総司も途中で気づかんかいっ──等々、思われた皆様、おっしゃるとおりでございます。下ネタ〜な話でしたけど、書いててけっこう楽しかった、しかも正味1時間で書いちゃった私って……しくしく。


長いお話へ戻る       もくじへ戻る       「かくれんぼの恋」の扉へ戻る