夏の青空の下。
総司はうきうきと歩いていた。
何しろ、初めてのデートなのだ、だい好きな彼との。
もちろん、今までも何度もあちこち行ったりした。だが、それは全部、例の事件が起こる前のことだ。つまり、二人がおつきあいはしていても、まだ恋人未満だった頃の話だった。
だから、今日が恋人同士になって正真正銘の初デート!
遠足へ行く子供みたいに昨日の夜、眠れなかったことは内緒にしておこうと思った。
軽い足取りで待ち合わせの公園に入り、ぐるりと周囲を見回すと、右手奥の方のベンチに坐っている彼が見えた。こちらを見ながら、携帯電話を胸のポケットにしまっている。
「すみません、待ちました?」
走りより訊ねた総司に、土方は小さく笑ってみせた。
「いや、さっき俺も来たとこだから」
「仕事忙しいんですか?」
「え?」
「だって、さっき電話してたから」
そう言うと、あぁと頷き、携帯電話を取り出した。開き、何か操作してから画面を見せてきた。
「ほら」
「え……?」
それを覗きこみ、総司はきょとんとした。
画面には地図のようなものが映り、真ん中の赤い点が点滅している。何かよくわからず見ていると、土方はくすっと笑った。総司の左手を引き寄せ、そっとブレスレットに唇を押しあててくる。
「これだよ」
「どういう事?」
「だから、これ発信機ついてるだろ? それを見てたんだよ」
「え……あ」
「おまえが俺のとこへ来てくれるの、ずっと見てたって訳だ」
ようやく理解した総司に、土方は笑いながら言った。それに、何だか恥ずかしくて頬を赤らめてしまう。
行こうと歩き出した土方についてゆきながら、総司はその端正な横顔を見上げた。
夏の陽射しの中、風が彼の黒髪をさらりと梳いてゆく。
ちょっと眩しそうに目を細めて、髪をかきあげるしなやかな指さき。総司の方を見下ろし、微笑いかけてくれる優しい瞳。
身をかがめ、耳もとに「可愛いな……」なんて形のよい唇で囁いてくれて──
今日の土方は、涼しげなグリーンのシャツにジーンズ姿だった。シンプルだが、彼によく似合っていて、その姿はまるでグラビアから抜け出たようだ。
何もかもがだい好きで、胸がどきどきするくらい格好よくて。
こんな特別な男の人が自分の恋人なんて、今でも信じられないと思った。彼が自分を選んでくれたことが、今まで生きてきた中で一番の幸せだった。
(……大好き……!)
総司は思わず手をのばすと、土方の腕にぎゅっと抱きついた。びっくりしたように彼は見下ろしたが、微笑み、優しく髪を撫でてくれた。それが心地よくてうっとりと頬を彼の腕に押しつけた。
幸せいっぱいの気分で歩いてゆく二人を、夏の向日葵が見送っていた。
「え……これ、土方さんの車?」
「あぁ、気に入らないか」
「だって、前は……」
「あれは黒手団にいた時の仕事用の奴だよ。警察が用意したんだ、俺自身の車じゃない」
総司はちょっと目を見開いてしまった。
公園の駐車場に停められていた美しい濃紺のスポーツカー。あまり総司も車に詳しい方ではないが、これは知っていた。
「これって、アウディですよね。えーと、確かTTクーペ」
「おまえ、けっこう車のこと知ってるんだな。わりとマイナーな奴だぞ」
苦笑した土方に、総司は首をふった。
「原田さんとこのお客さんで乗ってる人いたから。そっちは排気量1800でしたけど……」
「3200だ。俺、けっこう飛ばすからな」
「土方さん、刑事でしょう? でも、凄い。3200なら倍近くに値段跳ね上がるって」
そう呟いてから、土方を見上げた。
「警察って、そんなにお給料いいんですか?」
「まさか」
肩をすくめ、土方はドアのロックを解除した。乗れよと言ってから、自分も運転シートに体を滑り込ませる。それに総司はおずおずと助手席のドアを開き、乗り込んだ。バタンと重厚そうなドアを閉めると、外の音は全く聞こえなくなる。
「思ったより広いんだ……それに、綺麗な車」
「ここんとこ乗ってなかったら、余計にな」
「そういう事じゃなくて、外見もみんな綺麗ですよね。すごく土方さんに似合ってる」
「ありがとう」
くすっと笑いながら、土方はエンジンをかけた。低いエンジン音がシート越しに伝わってくる。ゆっくりと公園の駐車場から道路へと車を滑り出させた。
総司は運転している彼を見ながら、先ほどの疑問を投げかけた。
「あの……聞いていいですか?」
「あぁ」
「さっきの話。警察のお給料はいいのかなって事なんですけど……」
「いいはずないって、公僕だぞ」
「じゃあ……」
「色々あって、俺は高校生の時に株で儲けた事があるんだ。今でも投資は時々やってるし、姉貴の旦那がやってる会社を手伝ったりもしてるから、そっち関係でも収入がある。それに俺は……」
言いかけ、ふっと土方は口をつぐんでしまった。
訝しげに見上げると、僅かに笑ってみせた。
「ま、色々あるって訳だ」
「ふうん……」
総司は不思議そうに小首を傾げたが、それ以上追求しないでおこうと思った。誰でも隠しておきたい事はあるのだ。もちろん、彼のことなら全部知りたいが、あまりしつこくして嫌われるのが怖かった。
「それで、えーと……今日はどこへ行くんですか?」
そう訊ねた総司に、土方はちょっと驚いた表情になった。
「一昨日、電話で言っただろうが」
「覚えてません。すごくびっくりして嬉しくて、日時以外すっ飛んじゃってましたから」
「おまえ、遠足前の子供みたいだな」
自分でも思っていたことを言われ、総司はちょっと唇を尖らせた。それに追い討ちがかけられる。
「もしかして、昨日の夜、眠れなかったとか」
「………」
図星です!というのが顔に出ていたのだろう。
土方は声をたてて笑い、ちょうど信号待ちだったので身をのり出してきた。
総司の腕を掴んで引き寄せ、甘く唇を重ねてくる。
「……可愛い、総司」
「ひ、土方さん! 隣っ! 隣の車から丸見え……っ」
隣の車に乗ってるカップルの視線を感じ、総司は慌てて彼を突き放した。が、土方はそちらを見やると、かるく会釈しながら微笑いかけた。もちろん余裕たっぷりの、だが、誰をも魅了する笑みだ。カップルの方も笑いながら会釈を返してきた。
信号が変わり、土方はシートへ体を戻した。平然とした様子でアクセルを踏み込んでいる。
少しずつスピードをあげてゆく車の中で、総司はもう耳柔まで真っ赤だった。
「ここって、え、もしかして……」
「もしかしなくても、ディズニーランドだよ」
見ればわかるだろ?という顔で土方はさっさと車を駐車場に入れた。
車から降り立つと、助手席のドアを開けてくれる。それに総司は思わず彼に飛びついてしまった。
「嬉しいっ! 一度来てみたかったんです!」
「おまえ、前に言ってたからな」
「あんな昔のこと、もう忘れてると思ってた。嬉しい、ありがとう!」
くすっと笑い、土方はぽんぽんっと総司の背中を軽く叩いた。まだ総司は彼の首に両腕をまわし、抱きついていたのだ。
「俺も嬉しいけどな、注目の的だぞ」
「え……えぇっ!?」
思わず周囲を見回し、総司は慌てて飛びのいた。駐車場とて無人ではない。あちこちから視線が二人に集まっていた。
それに総司の顔はまた真っ赤になってしまった。
土方は思わずくっくっと喉を鳴らして笑った。
「おまえ、トマトみたいに真っ赤だ」
「ト、トマトって……」
「それに、総司も意外と大胆なんだな。こんな所で抱きついてくるなんて」
意地悪な笑みをうかべながら言う土方に、総司は頬をふくらませた。だが、恥ずかしくて顔もあげれない。
思わず土方の胸もとに、伏せた顔を押しつけてしまった。それに土方はかるく片眉をあげた。
(……おいおい、余計、見られるって)
だが、悪い気はしない。それどころか嬉しいぐらいだ。そっと総司の腰に腕をまわし、引き寄せてやった。
「ほら、行こう」
「はい……」
駐車場を出てゲートに向かった。チケットはもう土方が用意していたので、そのままゲートを抜けた。
たちまち華やかな色彩あふれる夢の国が現れる。土方の隣で、総司が目を輝かせた。
「わぁ……!」
弾んだ声をあげ、子供のように駆け出していった。どのアトラクションに入ろうか、うきうきと周囲を見回している。先ほど事はすっかり忘れてしまったみたいだ。
そんな可愛い恋人の姿に、土方は苦笑した。
(やっぱり、まだまだ子供だよな……)
そう思いながら歩き出した土方に、総司がふり返り「土方さん、早く!」と手をふっていた。
平日だったためか、割合どのアトラクションも空いていた。
まだ夏休み前からだろう、子供も幼児ばかりだ。その中を二人は楽しんで回った。
総司はもう大はしゃぎで、あれもこれもと一緒に乗ることをねだってくる。それに苦笑しながらも、土方はつきあってやった。
本当を言うと、こういう場所はあまり好きではない。何だか、自分が場違いのような気がしてしまうのだ。平和で優しい光景というものに、どうしても馴染めなかった。それも考えてみると惨めな話だが、今までの彼の人生からすると無理もない事だろう。
だが、こうして今、総司とふわふわした夢の国で遊ぶことは嫌ではなかった。逆に楽しいほどだ。
総司といる一瞬一瞬がきらきらして見えた。本当に幸せだった。
幸せで幸せで夢のようだと思った。だが、それはここが夢の国だからではなかった。お伽話ならこの国を出れば終わってしまうが、自分たちの幸せはこれからもずっと続いてゆくのだ。
ずっと、いつまでも。
「……総司」
思わず呼びかけた土方に、総司はえ?とふり返った。
アトラクションでさんざん遊んで、今度はショップへ行こうと歩いている最中だった。その手首を掴んで、引き寄せた。
「土方さん……?」
「愛してる」
不意にそう囁いた土方に、総司は目を見開いた。
驚いた顔をしていたが、すぐにちょっと不安そうに瞳を揺らした。
「何……? 何かあったの?」
「何もないさ」
「じゃあ、どうして……」
「言いたくなったんだ。おまえを愛してる、いつまでも好きだって」
「土方さん……」
そっと頬を赤らめて、総司は俯いた。が、すぐに土方の胸もとに凭れかかると小さな声で返した。
「ぼくもだい好き……愛してます」
「総司……」
ぎゅっと一瞬だけ抱きしめてから、土方はすぐ腕の力を緩めた。不満そうに見上げた総司に、くすっと笑う。
「キスして欲しいのか? けど、また注目の的になりたくねぇだろ?」
「……あ、当たり前ですっ」
総司はまたまた真っ赤になると、土方の傍から走り出してしまった。それに笑いながら、ゆっくりと後を追った。
行ってみると、総司はもうショップの中で嬉しそうに歩きまわっていた。可愛いぬいぐるみやグッズを、にこにこしながら眺めている。こういうところは実に単純だ。
(こいつの機嫌とるのって、案外簡単かもな)
そんな事を考えていた土方は、あるものが目についた。それを手にとり眺めていたが、やがて、ふっと唇の端をあげた。
幾つか総司が欲しがった物を買ってから、二人はショップを出た。とたん、ぽんっと総司の頭に何かがかぶせられる。
「え? 何……っ?」
驚いて見上げると、土方がひどく満足そうに笑っていた。
「思ったとおりだ、すげぇ似合うぜ。めちゃくちゃ可愛い」
「え?」
慌てて総司は走ってゆき、ショップのガラスに自分の姿を映してみた。ガラスの向こうから、大きなミッキーマウスの耳をつけた可愛い少年が見返す。
「な、何ですか!? これ……っ」
「シッポもあると良かったのにな。いや、本当は猫の方が似合うだろうけどさ」
「どういう意味ですか!」
「せっかく買ってやったんだ。外すなよ」
「それはどうも……じゃありません! こ、こういうのは女の子がつけるものでしょうっ?」
「いいじゃねぇか、似合うんだから」
そう言いざま、土方は人目も気にせず総司の細い腰を抱き寄せた。耳もとに唇を寄せ、そっと甘い声で囁いてくる。
「可愛いよ、総司……」
「………」
総司は思わず小さく震えてしまった。
甘い痺れのようなものが腰から背筋を走り抜ける。こうなるともう、彼に抵抗できるはずもないのだ。
耳柔まで桜色にそめ、こくりと頷いた。
そして、土方に手をひかれ歩いてゆきながら、総司は頭につけた飾りにふれ、小さく微笑ったのだった。
「……はふっ」
総司は息をつき、タオルで顔を拭った。
鏡ごしにちょっと眠そうな少年の顔が見返した。
確かに眠かった。何しろ、昨日、寝たのは夜中の2時だったのだ。
ホテルのパジャマから、昨日彼が買ってくれたシャツとジーンズに着替えると、バスルームを出た。しっとりと沈む絨毯を踏んで歩いてゆくと、朝の光があふれる中、大きなベッドが見えてくる。真っ白なシーツにうもれ、ぐっすり眠っている男の姿も。
(……土方さん)
総司はそっとベッドの端に腰かけ、眠っている彼を見つめた。
あの頃も思ったが、彼の寝顔はまるで少年のようだった。やはり、あの鋭い瞳が閉ざされているからか、どこかあどけない感じさえ与える。シャンプーしたままの、さらさらした黒髪もその理由の一つかもしれないが。
手をのばし、優しく彼の髪を指さきで梳いた。さらりと指の間を癖のない黒髪が流れてゆく。それを何度もくり返したが、起きる気配はなかった。
(お仕事忙しいって言ってたもの……すごく疲れてるんだ。なのに……)
総司はちょっと罪悪感にかられてしまった。
あんなにひっぱり回してしまったのだ。
彼が嫌がらないのをいいことに、結局、閉園までいてしまった。それから遅いが食事しようと、このベイホテルに連れてこられ、挙句、眠そうな総司にこの部屋をとってくれたのだ。
だが、総司は部屋へ入ったとたん、もう眠気など吹っ飛んでしまっていた。広い綺麗なスイートだったという事もあるが、とにかく、どきどきしっぱなしだった。
そんな総司を知ってか知らずか、それぞれバスルームに入ってさっぱりすると、ベッドの上でテレビを見たり様々な事を話したりして、それからもう2時近くになってから、ようやく土方は「寝ようか」と言った。
はいと頷きながらも、総司は頬が熱くなるのを押さえられなかった。実に半年ぶりなのだ。うまく出来るかな、彼を歓ばせられるかなとか、そんな事ばかりがぐるぐる頭の中を回った。
ところが、土方は布団にもぐりこみ総司の体を抱き寄せ、優しく額にキスして───
「……おやすみ」
さっさと眠ってしまったのだ。
正直な話、総司はしばらくの間、呆然としていた。彼の腕の中で、何が何だかわからなかった。
ずっと一緒にいた頃ならいい。あの頃だって何も毎日、抱かれていた訳ではないのだ。だが、今は半年ぶりだった。半年ぶりで、こうしてベッドを共にしているのだ。
(……どうして?)
すぐ思ったのは、飽きられた?という不安だった。一瞬、泣きそうになったが、それなら、こんなふうに優しくしてくれるはずがない。昨日も優しく甘いキスをくり返し、「愛してるよ」と囁きかけてくれたのだ。
(やっぱり……疲れてたんだよね)
総司はまだ眠っている土方を眺めながら、そう思った。
ハードな仕事明けで、なのに一日中テーマパークの中をひっぱり回されて──もう彼もくたくただったのだろう。そんな事する気にもなれなかったに違いない。
(うん、そうだ。絶対そうなんだ)
自分に言い聞かせるように頷いてから、総司は時計を見てちょっと困ってしまった。
ここのホテルの朝のブュッフェはすごくおいしいと昨日の夜、土方が言っていたのを思い出したのだ。とくに焼きたてのパンがきっと総司も気に入るだろうと。
「土方さん……」
そっと肩に手をかけ、揺さぶった。
「起きて? ね、土方さん……朝ごはん無くなっちゃいますよ」
「……ん……」
土方は僅かに眉を顰めた。
無意識のうちにか、両手をのばし総司の体を抱き寄せて来る。腰に手を回して、柔らかく背中を撫で上げた。
「土方さんってば!」
「………」
薄く目が開いた。
一瞬、訳がわからないという表情で、ぼんやりと総司を見上げている。だが、不意に大きく目を見開くと、がばっと起き上がった。
焦った表情で周囲を見回していたが、自分と総司の格好を見て何を思い出したのか、はあっと息をついた。安堵の表情で顔を片手でおおった。
「……よかった……」
「え?」
「いや、何でもねぇ……それより、今何時だ?」
総司は素直に「9時半です」と答えた。それに土方は苦笑した。
「悪い、朝飯に間にあわなかったな」
「え、ここのって……9時半ラストなんですか」
「あぁ。けど、10時半からすぐブランチがあるはずだから、そっちに行こう。ちゃんと旨いもの食わせてやるよ」
土方はそう答え、両腕をのばして大きくのびをした。まるで子供のようなのびやかな仕草だ。
それに総司は思わず見とれてしまった。
あのマンションにいた頃もしょっちゅう朝を共にしていたが、こんなふうな彼は見た事がなかった。それに、いつも土方は先に起きていたのだ。やはり、あそこでは相当気が張っていたのだろう。素のままの彼が少しでも見られた気がして、総司は嬉しくなった。
まだパジャマ姿の土方の胸もとに、ぎゅっと抱きついた。
「あのね、昨日はありがとう。すごく楽しかったです」
「そうか、なら良かった」
「土方さんは少しは楽しかった? その、すごくつきあわせちゃったから……」
「いや、俺も楽しかったよ」
そう言って微笑み、土方は優しくキスしてくれた。
唇を重ね、少し擦り合わせる。僅かに唇を開くと、そっと熱い舌が入ってきた。柔らかく舌を舐められ、絡められる。
「……ん……っ」
体が痺れるようなキスに、総司は小さく喘いだ。それに何度も角度をかえて唇を重ね、土方は甘いキスをあたえつづけた。そうしながら、総司の腰を抱いていない方の手で背中を柔らかく撫でてやる。
蕩けるようなキスの後、総司は彼の胸に凭れかかった。うっとりと目を閉じている。その可愛い少年に微笑み、もう一度だけ額にキスした。
「……あのね、土方さん……?」
「ん?」
「次は……いつ逢えるの?」
「そうだな、来週会えたらいいが、ちょっとわからねぇんだ」
「お仕事忙しいのでしょう? 無理はしないでね」
「大丈夫だよ。けど、次の時、どこか行きたいところあるか? おまえのご希望どおりにするよ」
「んーとね……」
総司は可愛らしく小首を傾げた。
それから、すぐ思いついて目を輝かせた。
「そうだ、あのね、海! 海で泳ぎたいです」
「………」
土方は沈黙し、にこにこと笑っている少年の可愛い顔を見下ろした。しばらく、じいっと見ていたが、やがて、きっぱりと首をふった。
「駄目だ」
「え?」
総司は目を丸くした。
「さっき、ぼくの希望どおりでいいって……」
「言ったがな、海は駄目だ」
「海だと遠いから? 時間とれないから?」
やっぱり、そんなにも仕事が忙しいのかと思った。仕方なく譲歩する事にする。
「じゃあね、プールは? 新しく出来たプール、そこならいいでしょう?」
「………」
一瞬、土方の黒い瞳が僅かに翳った。
が、すぐにゆるく首をふると、目を伏せた。
「駄目だ」
「え、どうして? 海もプールも駄目なんて、土方さん、まさか泳げないんですか?」
「おまえ、俺のこと馬鹿にしてんのか」
「そ、そういう訳じゃないけど、でも、どうして……?」
「つまりさ」
土方はヘッドボードに寄りかかり、ため息をついた。
「海に行ったら当然、おまえ泳ぐんだろ?」
「あたり前です」
「水着姿になるんだろ?」
「服着たまま泳ぐ人はいませんよ」
「だから、嫌なんだよ」
「はあ?」
呆気にとられた総司に、土方はより強く抱き寄せた。そっと、なめらかな白い頬を手のひらで包みこんだ。
「おまえ、こんなにも可愛いんだぞ。それが水着姿になんかなったら、狙われねぇはずないだろうが」
「ね、狙うって……そんなの大丈夫ですよ。ぼくなんか、誰も見向きしませんって」
「おまえ、全然自分のことわかってねぇよ」
土方は小さく舌打ちした。
「昨日だって、おまえ可愛いから注目されっぱなしだったんだぞ。どれだけ俺は追い払ったと思ってるんだ」
「……うそ」
「嘘なもんか。それにな、俺は絶対嫌なんだ。おまえの可愛い顔やその白い肌を他の男に見られたりしたら、頭に血がのぼっちまって、そいつらみんな銃でぶっ飛ばしてやりたくなるんだよ」
「………」
思わず絶句した。
まさか本気でやりはしないだろうと思うが──何しろ、土方は刑事なのだ。だが、もしかすると……と思えるところが怖かった。
正直な話、彼ならやりかねなかった。いや、そうしみじみ思えるところが怖いのだ。
「……わかりました」
総司はこくりと頷いた。
「行きません。プールにも海にも」
(……だって、土方さんと行かなければいいんだもん。誰を誘おうかなぁ)
そう考えた総司を、土方はじーっと黒い瞳で見つめた。
「な、何?」
引きつった笑みをうかべた総司に、土方はゆっくりと低い声で言った。
「……おまえ、今、何考えた?」
「えっ」
「俺以外と行くなんて、尚更駄目だからな。だいたい、おまえの行動は全部ばれるんだぞ」
「どうして……あ」
ブレスレットのことを思い出し、総司は思わずため息をついてしまった。
そうなのだ。これがある限り、自分の行動はこの独占欲の強い恋人に全部把握されてしまうのだ。内緒の行動なんて到底無理だった。
沈んだ様子でブレスレットを見下ろした総司に、土方は眉を顰めた。その小柄な体を腕の中にぎゅっと抱きしめた。
「おまえ、嫌なのか?」
「え?」
「そのブレスレット嫌なのか? 外したいのか?」
そう訊ねながら、だが、彼は返答を許さなかった。そのまま傲慢な口調でつづけた。
「駄目だからな、そんな事。絶対に許さねぇよ」
「でも……っ」
総司は反論しようと土方を見上げ──だが、次の瞬間、言葉を呑みこんでしまった。
まっすぐ自分を見つめている彼の黒い瞳。
いつもどおり強気な目をしてると思っていたのに、なのに、今、彼の瞳は不安に揺れていた。
本人は全く意識してないだろうが、まるで縋りつく子供のような瞳なのだ。脆く傷つきやすい彼の心そのままのような、瞳……。
不意に、あの頃聞かされた言葉が蘇った。
『……あの人もさ、傷ついてるんだよ』
ブレスレットのことで怒った総司に、斉藤が言っていた言葉。
『こうでもしないと、またすぐ逃げ出されそうで怖くてたまらないんじゃないか』
もしかすると、今でもそうなのだろうか。
この人はぼくを愛してるのに、こんなにぼくも愛してるのに、なのに──ぼくと同じように色んな不安を抱いているの?
また逃げ出さないかって、不安でたまらないと思ってくれているの?
「土方さん……」
総司はそっと彼の胸に手をおいて身を起こすと、いつも首から下げていたペンダントを外した。静かにそれを差し出した。
「これ……あなたにお返しします」
「………」
土方は思わず息を呑み、見下ろした。総司の手の中できらりと光るペンダントヘッド。それは、このブレスレットの鍵だった。
躊躇う彼に、総司は微笑んだ。彼の手を掴んで引き寄せ、握らせた。
「お願い、これはあなたが持っていて。そして……ぼくをずっと放さないで」
「総司……」
「ぼくはあなたに囚われていたいの。ずっといつまでも、あなたの腕の中にいたいから……」
「……っ」
もう何も言えず、土方は総司をきつく抱きしめた。少年の細い背がしなるほど強く抱きしめ、その頬に髪に、こみ上げる想いのままキスの雨をふらせた。
「愛してる。総司……俺はおまえだけを愛してる……」
「……土方さん……」
「二度と放さない。もうどんな事があっても放すものか……!」
そう囁いてくれる男の腕の中で、総司は幸せそうな吐息をもらした。
おずおずと彼の背にまわした左手首で、銀色のブレスレットが窓からの陽光を受け、きらきら光る。
(……ぼくの全部はこの人の手の中にあるんだ)
総司はうっとりと目を閉じ、思った。
(今までも……そして、これからも。この人の手の中で、ぼくは泣いたり怒ったり喜んだりして、過ごしていけるんだ。いつだって、この人はそんなぼくの全部を受け止めてくれるから。この人がいるから、ぼくは生きてゆけるのだから……)
そうして、夢心地のまま目を開いた総司は、ぼんやりとベッドサイドを眺めた。
突然、はっと我に返った。
「わぁっ、土方さん! もう10時ですよ、10時!」
慌てて身を起こし、彼の腕をぐいぐい引っ張った。
「も、もうチェックアウトの時間! 全然間に合わない、どうしよう……っ」
「遅延料金払えばいいだけだろ?」
肩をすくめ、土方は逆に総司の腕を引っぱった。そのままベッドの中へ強引に引きずりこんでしまう。
「それに、俺はもう少しこうしてる方がいいしな」
くすくす笑いながらキスの雨を降らす男の腕の中で、総司はばたばた暴れた。
「だ、駄目ですってば! それに朝ごはんっ」
「んー、総司は可愛いなぁ。朝飯なんかより、おまえを食っちまいたいよ」
「ぼくはご飯じゃありませんっ」
「あぁ、噛みつかれんのは嫌か? 痛くしねぇよ、甘咬みって知らねぇのか?」
「そうじゃなくて、土方さん、ちょっと……土方さん! 聞いてます?」
「さーてと、今日はどこにキスマークつけようかな。こっち? いや、こっちの方がいいか?」
「少しは人の話を聞いて下さい──ッ!」
──結局。
総司が朝食ならぬ昼食にありつけたのは、11時もかなり過ぎた頃だった。
レストランの窓際の席で首筋を突っつきながら意地悪く笑う土方に、怒った顔で頬を赤らめながらも、それでも好きだなぁと思ってしまう自分に、総司は深いため息をついたのだった……。
本日の教訓……初デートでは男をあまりつけ上がらせないこと
[あとがき]
砂糖吐きまくり番外編でした。この「かくれんぼの恋」の総司は、他のとは逆で土方さんにふり回されてます。車の中だろうが夢の国TDKだろうが、お構いなしの土方さん。ほんとGoing
my way!ですから。総司も惚れた弱みって奴ですね。でも、この後、レストランでもいちゃつきまくったんですよ。「あーん」なんてご飯食べさせあいとか、「ジャムついてるぞ」なんて総司の頬っぺた、ぺろっと舐めたりして。絶対そうだと思われません?ふっふっふっ。……妄想走りまくりの葉月雛でございました。>
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