「……うわ、これは酷いわ」
 一歩、そのレストラン──というよりレストランだった残骸の建物に入ったとたん、永倉は顔をしかめた。
 初夏の昼下がり。水曜日の事だった。
 この処テレビで紹介されたためか人気が出始めていたレストランが、突然爆破されたのだ。幸いかわざとなのか、定休日に爆発したため、怪我人は皆無だった。
 だが、それにしてもレストランの内部は吹っ飛び、目茶苦茶だ。
「こうなると、有名になるのも考えものって奴だよなぁ」
 そう言いながら、永倉は入り口の方をふり返った。
 薄暗い店内から見ると、昼下がりの戸外は明るく眩しいほどだ。その光の中を、ゆっくりとスーツ姿の男が歩み入ってくるところだった。
 白い手袋へしなやかに手を滑り込ませる仕草が、刑事のものなのに、妙に男の色気を感じさせる。指さきまで入れてから、きゅっと端を引いて整えたところで、永倉の視線に気づき、顔をあげた。
 切れの長い目が鋭く見返した。
「……何だ」
「いや、何も」
 慌てて目をそらしてから、先ほどからせっせと現場検証に励んでいる斉藤に耳打ちした。
「なぁ、何で、土方さん、あんなに機嫌悪いんだ?」
「さぁ……知りませんよ」
「嘘つけ、おまえ、絶対に知ってるだろ。あの人の恋人の事じゃないのか? うまくいったんじゃなかったのか?」
「だから知りませんって」
 斉藤は素っ気無く答えたが、永倉はまだ首を捻っていた。それに土方の怒声が飛んだ。
「新八! さっさと仕事しろっ」
「うわっ……はいはい!」
 慌てて永倉はしゃがみこみ、残骸をあちこちひっくり返し始めた。
 もちろん、大勢いる他の警察関係者も土方の不機嫌さを感じ取り、触らぬ神に祟りなしとばかりに黙々と仕事を続けている。
 その中を土方は不機嫌そのものの表情で、店の奥へと大股に歩いていった。
「………」
 それを見送り、斉藤はちょっとだけため息をついた。

 

 

 
 不機嫌の原因はもちろん、総司だった。
 数日前。 
 さんざん揉めて修羅場までやらかした挙句、ようやく手にいれたはずの恋人だった。だが、その可愛い恋人はその大きな瞳に涙をいっぱいためて、こう言いきったのだ。
「駄目です。土方さんとは、おつきあいできません」
「………」
 本当に絶句するとはこの事だと思った。
 あれだけ好きだ愛してると求め合い、ようやく再会できて、腕の中でわんわん泣いて。
 だが、数日後、近くの公園で色々と今までの事情を話したあたりから、少しずつ総司の様子が妙になった。
 彼が生きていたという喜びに頬を紅潮させ、うっとりとその腕に抱かれていた総司だったのに、土方の言葉を聞くうち、その表情は暗く翳っていったのだ。
 そして、さっきの台詞だった。
 いったい何を考えてるのか、さっぱりわからなかった。
「おまえ……何を言ってるんだよ」
 思わず総司の細い肩を掴んだ。
「もう俺のこと好きじゃねぇのか? 嫌いになっちまったのか?」
「そんなの……ぼく、土方さんのことだい好きです。あなただけを愛してます」
 総司はちょっと頬を赤らめて言った。きゅっと土方が着ているシャツを掴んだ。
「今でも信じられないのに。あんなに泣いて苦しんで……でも、あなたが生きてくれてたなんて。本当に夢みたいで幸せで……」
「総司……」
 土方の瞳がとろけるように優しくなった。前髪をかきあげ、そっと額にキスしてやる。
「俺はここにいるよ。ちゃんと生きて、おまえを抱きしめてるだろ……?」
「うん……土方さん……」
「愛してるよ、可愛い総司……もう二度と放さない」
 抱き寄せ、そう囁いたとたん、はっとしたように総司が身を起こした。
 慌てて男の胸に両腕を突っぱねた。
「だ、駄目です! ぼくはあなたとおつきあいできません!」
「だから、何で」
「何ででもです」
「あのなぁ。おまえの言ってる事、全然わからねぇよ」
 苛立ち、土方は総司の両腕を強く掴んで引き寄せた。深くその瞳を覗きこんだ。
「つきあいたくないと言うなら、理由があるんだろ? それを話せと言ってるんだ」
「言ったら、了承してくれるんですか?」
「おまえとつきあわないって事を? 冗談じゃねぇよっ、俺はおまえを二度と手放すつもりねぇんだからな」
「じゃあ、言っても仕方ないじゃないですか」
 そう言うなり、総司は男の手をふり払い、立ち上がった。そのままくるりと背を向けると、駆け出して行く。
 慌てて立ち上がり追いかけようとした土方に、公園の出口でふり返り、叫んだ。
「ごめんなさい!」
「………」
 そして。 
 唖然としている土方の前から、愛しい少年の姿はあっという間に走り去ってしまったのだった……。
 

 

 

 それからはもう最悪な日々だった。
 何度電話をかけても、ごめんなさいの一言で切られてしまう。
 逢いに行こうと思っても復帰後なのでとんでもなく忙しいのだ。もともと課長の近藤は二人の仲に眉を顰めている。休暇など許してもらえそうもなかった。
 いっそ無理やりでも浚ってしまおうか──などと刑事にあるまじき事まで考えたが、可愛い総司にそんな強引な事ができるはずもなかった。
 もともと土方にはあんな前科があるのだ。これ以上とんでもない事をして嫌われたくなかった。
(と言って……どうすりゃいいんだ?)
 デスクワークをしながらため息をついている土方の前に、ことんとマグカップが置かれた。顔をあげると、斉藤が立っていた。
「……総司とうまくいってないんですか」
 いきなり核心を突いてくる遠慮のなさが、斉藤のいい処であり悪い処だ。
 土方は黙ったまま珈琲に口をつけた。それに斉藤が小さく笑った。
「じゃあ、近藤さんとの賭けに負けた事になりますね」
「負けじゃねぇよ。あいつは今でも俺を好きだと言ってくれた。けど……」
「けど?」
「つきあえないと言われたんだ」
 それに斉藤はちょっと驚いたように目を見開いた。
「あなたとつきあえないって?」
「あぁ」
「また酷い事をしたんじゃないですか?」
「してねぇよ」
「ふーん、どうですかね」
 斉藤はデスクの端に寄りかかって立ち、珈琲を飲んでいる土方を眺めた。
 長いつきあいだが、この人の事は本当によくわからない。本来なら、ここでおとなしく刑事をしているような気性ではないのだ。型に嵌められるのが大嫌いなはずだった。
 むしろ、黒手団にいた時の土方の方が斉藤には馴染みが深い。二人が会った頃の彼をよく思い出させたのだ。だが、あの頃とは決定的に違っていることがあった。
 それは瞳だった。
 あの頃は荒みきり、凶暴な獣そのものの目つきをしていた。だが、今は違う。
 冷たく澄んでいるのは同じだが、そこに荒んだ感じはなかった。深く静かな焔を孕み、己の残酷さをよく知った上で、だが、それを押し殺している──そんな男の瞳だった。そのくせ、時折、驚くほど優しく明るい表情をうかべる事があった。一番それが顕著なのは───
(……総司を見てる時なんだけどな)
 嘆息し、斉藤はまた一口珈琲をすすった。それから、ちょっと身を乗り出すようにして訊ねた。
「何もしてないなら、いった何を話して、そういう事になったんです?」
「何って……いろいろだよ。例の事件でどうして俺が死んだ事にされてたかとか、総司にも知らされなかった理由とか」
「……まさか、正直に全部話したんですか」
「あぁ」
 訝しげに土方は斉藤を見た。
「俺はあいつにもう隠し事したくないからな。全部、話したさ。それのどこが悪いんだ」
「物には順序ってものがあるでしょう」
 思わず斉藤はつけつけした口調になった。
 本当にこの人は、昔からさんざん女にもててたくせに、どうしてこんなにも人の心の動きに疎いのだろう。
 だからこそ、総司が本当は彼を想ってるとも知らず、さんざん苦しんでいたのだが。それにしても───
「もう少し落ち着いてからの方が良かったはずだし……え、まさか、近藤さんとの賭けの事まで話したとか」
「話したが……やっぱり、まずかったか?」
「まずいに決まってるでしょう!?」
 思わず斉藤は頭を抱え込んでしまった。
 あんな事を知って、それでも平気で彼とつきあえるなら総司も苦労しないのだ。
 土方が死んだと告げられた時、あんなに狂ったように泣いて飛び降り自殺までしようとした総司だ。愛する男のためなら自分の気持ちを犠牲にするなど、当たり前の事だった。
 結局のところ、土方は全く実感できていないのだ。自分がどれだけ総司に愛されているかという事を。
いつまでも、自分の方が総司を追いつづける立場だと思い込んでいる。だが、総司の方だっていつも彼を追い求めつづけていたのに。
「とにかく、原因はそれですよ。絶対」
「………」
「きっちり話しあって、不安をとり除いてやるべきです。でないと賭け自体もあなたの負けになるんですからね」
「……わかったよ」
 マグカップをデスクに置くと、土方はくるりと背をむけた。
 書類を引き寄せペンをとり、また仕事に没頭しはじめた。いや、没頭してるように見えるが本当の処どうなのだろう。
 肩をすくめ、斉藤は空になったカップ二つを手にした。いつもの感情を読ませない顔つきになると、給湯室へ歩いて行く。
 後ろの方で、土方がついたらしい微かなため息が聞こえた……。

 

 

 
 レストランの爆破はやはりテロによるものだった。
 仕掛けられていた時限爆弾の残骸が見つかったのだ。犯行声明がないので確証はないが、比較的小さなテロ組織がよく使う物だった。だが、一方で愉快犯の可能性も捨て切れない。とりあえずは近辺で聞きこみが行われることになった。
「でっかいなぁ……!」
 土方の隣で、永倉が呆れたように口を開けた。
 二人はレストランのすぐ隣にあるショッピングモールに入ったところだった。つい最近できたばかりのここは最上階に付けられた巨大な観覧車が売り物だが、ショッピングモール自体がとんでもなく巨大で、平日でも買い物客でごった返していた。
「こっちでやられてたらと思うと、ぞっとするねぇ」
「それはないだろう。こういう処でやるとしたら自爆テロだ。でないと爆弾仕掛けた段階で見つかってしまうからな」
 あちこちに据え付けられた監視カメラを眺めながら、土方は答えた。
 とりあえず二手にわかれて聞き込みを開始する事にした。あまり期待はしないながらも、土方は店を一軒一軒まわって聞きこんだ。そして、それが一時間ほど過ぎた頃だった。
「……わかりました。後でまた伺うかと思いますが、その時はご協力お願いします」
 不審者を見たという情報を思いがけなく得た土方は、店から出ると、永倉に連絡しようと携帯電話を取り出しかけた。スーツの内ポケットに手をさしいれ、取り出す。だが、それがかけられる事はなかった。
 ふと視線を感じて前方を見やった土方は、次の瞬間、鋭く息を呑んだ。
「───」
 雑踏の中。
 3メートルも離れていない処に、総司が立っていたのだ。
 買い物の途中だったのか、小さな紙袋を抱えている。華奢な体に水色のTシャツとジーンズという少年らしい格好だった。
 大きく目を見開き、まっすぐ土方だけを見つめていた。それが彼が気づいたのを見たとたん、首をふり、ゆっくりと後ずさった。突然、身をひるがえし、雑踏の中を走り去ってゆく。
 しばらくの間、土方はそれを呆然と見送っていた。
 ある既視感が彼を襲っていたのだ。
 あの表情、自分の姿に怯えきっていた瞳。震えていた唇。
 そうだ、あれは……あの時だ。エレベーターの前で、逃げ出そうとしていた総司とばったり会った時。
 あの後、嫌がる総司を俺は無理やり連れ戻り、そして犯したんだ。怒りで訳がわからなくなって、もうめちゃくちゃに何度も受け入れさせて───
『……も、いやだぁ! ぼくを逃がしてよっ!』
 総司の泣き声が耳奥に蘇った。
 だが、それは過去のものだった。過去のものであるべきだった。
 今の総司は俺を愛してくれている。好きだと言って、俺の気持ちを受け入れてくれた。あの少年は俺の恋人になったはずだった。
なのに、何だって逃げられなきゃいけないんだ?
 もうずっと、俺は総司のことしか考えられなかったのに……!
「……総司!」
 突然、土方は走り出した。
 ショッピングモールのエントランスホールをあっという間に走りぬけ、さっき総司があがってゆくのを見た階段を勢いよく駆け上がった。
 半年のブランクはあるが、リハビリという名のきつい訓練とハードな現場で鍛えた体だ。総司に追いつくなど造作もない事のはずだった。だが、いかんせん、このショッピングモールは広く、初めての土方にはまるで迷路のようだ。
 見回した彼の視界の端を、ちらりと総司のTシャツの水色が掠めた。角を曲がり消えてゆく。それに土方はまた走り出した。
「……絶対、逃がさねぇ」
 恋人たちの追いかけっこは、まだ始まったばかりだった。
 

 

 

 ───心臓がとまるかと思った。
 久しぶりに東京の方へ出てきて、最近できたと聞いていたショッピングモールへ寄る事にしたのだ。
 たまたま入った店で彼に似合いそうなシャツを見つけ、思わず手にとってしまった。白地だが薄くブルーのラインが入った麻のシャツだった。少し高かったが、買ってしまい──それから気がついたのだ。
 またやってしまったと。
 土方の死を告げられてから、総司はついつい彼の物を買い込んでいた。確かに似合いそうだが、もう着てくれるはずもないシャツやセーターを買っては、それを抱きしめて眠るのが習慣になっていたのだ。
 だが、今は彼に渡せるはずだった。土方はちゃんと生きて自分の元へ戻ってきてくれたのだから。
(……でも、ぼくは傍にいたらいけないんだ)
 総司は紙袋を胸に抱いたまま、ふるふると首をふった。
 あの人のためだった。
 本当は傍にいたいけれど。逢いたくて逢いたくてたまらないけれど。
 半年も引き離されていて、ようやく逢えた恋人だった。本当はその力強い腕に抱かれ、思う存分甘えたかった。愛してるよと囁かれたかった。
 だが、彼のためだった。彼のためには自分が今ここで身を引くことが大事なのだ。
「………」
 ため息をつき、総司は歩き出そうとした。だが、ぴたりとその足がとまった。
 大きく見開いた目で前を見つめた。
 一人の男がある店から出てきたところだった。
 しなやかな長身に濃紺のスーツと白いカッターシャツ、ネクタイできっちりと決め、それがまたよく似合っている。ストイックで、そのくせ抑制された夜行獣のような雰囲気があった。
 僅かに乱れた黒髪を指さきでかきあげる仕草一つにも、男の艶がこぼれる。滅多に見られぬほど極上な男の存在に、周囲の女たちも皆、ふり返っていた。
 しばらくの間、男はその形のよい眉を顰め、何か考え込んでいた。やがて、スーツの内側に手をさし入れ、携帯電話を取り出す。
 そして──突然、顔をあげた。
 こちらをまっすぐ見つめた瞬間、男は驚きに鋭く息を呑んだようだった。だが、何も言わない。ただ総司を見つめているだけだった。
「……あ……っ」
 切れの長い目で射抜くように見つめられ、総司の心臓がどきんっとなった。
 頭の中がぼうっとして、もう何も考えられなくなった。体中が震え出し、身の内からカアッと熱くなるのを感じた。
(……逃げなくちゃ……)
 総司は首をふり、のろのろと後ずさった。それを土方は黙ったまま見つめている。
 それ以上耐えられず、総司はくるりと背をむけると走り出した。紙袋をしっかり抱えたまま、ホールを抜けて階段を駆け上がった。上がりきった処で、雑踏の中から自分を呼ぶ土方の声が聞こえたが、ふり返らなかった。そんな余裕なんて全然なかった。
 追ってくるのはわかっていた。どちらかと言えば体が弱い方である自分が刑事である彼をまけるはずもない。だが、それでも総司は必死になって走りつづけた。
 ちょうどやってきたエレベーターに飛び込み、最上階のボタンを押した。外へ出た方がいいに決まってるが、それは土方も予測しているだろう。だったら上へあがって逃げるしかなかった。
 総司はエレベーターから降りると、すぐさま走り出した。必死になって逃げ場所を探す。どこか隠れる処はないかと辺りを見回した総司の目に、大きな赤い観覧車が映った。子供が何人か親と一緒に並んでいる。
 チケットを買い、その列に並んだ。焦りながら待つうちに総司の番はすぐきたが、その時にはもう既に遅かった。階段を駆け上がってきた男が、ガラス越しに総司を見つけ出したのだ。すぐさまこちらへ回るため走ってくる。
 総司はどうしようかと迷ったが、そのまま観覧車に乗ることにした。ここで逃げても、どうせ捕まるのだ。なら、少しだけでも時間をおきたかった。
 だが、土方の行動は、総司の予測の範疇を超えていた。
「ちょっ……お客さん!」
「連れだ! いや、警察だ」
 警察手帳を突き付けて係員を絶句させ、そのまま強引に観覧車に乗り込んできたのだ。
「……土方さんッ!」
 その名を思わず叫んだ総司の様子に、確かに連れだと思ったのか、係員は土方が乗ると同時にドアを閉めた。
 ガタンッと揺れて観覧車は動き出した。
 その中で土方は総司の体を荒々しく引き寄せた。きつく抱きしめられる。
「手間かけさせやがって……っ」
「……あっ」
 完全に土方は怒っているようだった。
 ベンチに坐ったまま膝上に少年の華奢な体を抱き上げ、その首筋や頬に唇を押しあてた。それに総司は身を捩って抵抗した。
「やだぁっ……こんな…ところで……っ」
「こんな所でなきゃいいのか? そうしたら、おまえは俺を受け入れてくれるのかよ」
「……っ」
 総司はふるふると首をふった。
 そして、潤んだ瞳で目の前の愛しい男を見上げた。
 巨大なショッピングモールの中を駆けずり回されたせいか、彼の呼吸はいつより荒かった。黒い瞳が興奮と怒りにきらきらしている。だが、あの頃のような残忍さや冷たさはどこにもなかった。
「……総司」
 涙で目を潤ませている総司に気づき、土方はかるく目を見開いた。困惑したような表情になり、そっと、なめらかな頬を指さきで撫でた。
 しばらく黙ってから、少し落ち着いた声で言った。
「すまない……また怖がらせてしまったな」
「土方…さん……」
「みんな俺が悪いのにな。おまえに余計な事を言ってしまって、傷つけたのに」
 黙ったまま俯いた総司を、土方は黒い瞳で見つめた。
 ゆっくりと観覧車が上へのぼってゆく。ガラスの向こう、よく晴れた青空の下にオモチャ箱のような街が広がった。
 その中で、土方はそっと総司の頬にキスした。そして、優しい声で訊ねた。
「おまえはあの賭けの事で傷ついているんだろ? 身を引こうと思ったんだろ……?」
「………」
「確かに、俺は近藤さんと賭けをした。半年たっても、俺の気持ちが変わらなかったら、おまえがブレスレットを付けたままで同じように気持ちが変わってなかったら、つきあってもいいと。上司の余計な口出しだと思うだろうが、あの人は俺にとって親友であり上司であり恩人なんだ。むげに拒絶する事はできなかった」
「当然です……」
 総司は長い睫毛を伏せた。
「だって、ぼくは浪火の首領の弟なんです。刑事のあなたとつき合えるはずがない。しかもぼくは男だし、あなたも男だ。こんな事がばれたら、あなたの将来はめちゃくちゃになってしまう。反対されて当然のことなんです」
「総司、あのな」
 ため息をつき、土方は腕の中の愛しい少年をより強く抱き寄せた。目を閉じ、額と額をそっと合わせた。
「おまえ……何を馬鹿なこと言ってるんだよ。俺の将来がめちゃくちゃになるだって? そんな事、おまえが心配する事じゃないだろ。だいたい、何だってめちゃくちゃになるんだ?」
「ぼくはあのテロ組織の浪火の首領の弟なんですよ! あなたに迷惑をかけてしまうっ……」
「何で迷惑だよ。それが俺とおまえに何の関係があるんだ?」
 苛立ったような口調で土方は言った。少し身をひいて総司の大きな瞳を覗きこんだ。
「おまえはおまえなんだ。俺が愛してるのは、今ここにいるおまえだ。浪火もテロも警察も何も関係ない、今ここにいるのは俺とおまえだけだ」
「土方さん……でも……っ」
「これだけ言ってもわからねぇのか? なら、わかった。こうしよう。おまえが不安だと言うなら、俺は今すぐ警察をやめてやる」
「そんな……っ」
 驚き、総司は顔をあげた。冗談かと思ったが、見上げた土方の顔は真剣だ。慌てて首をふり、縋りついた。
 あれだけ刑事という仕事に誇りをもっている彼なのだ。絶対にそんな事はさせたくなかった。
「いやです! そんなの……やめないで。お願いだから、やめないで下さい。あなたには一生懸命生きてほしいから。誇りをもっている仕事をずっとやり続けて欲しいから」
「総司……」
 小さく吐息をもらし、土方は総司の細い体をぎゅっと抱きしめた。
「そう思うなら、俺の傍にいてくれよ。俺はもうおまえがいないと駄目なんだ。ここ数日、おまえのことばかり考えて、全然仕事が手につかなかった。迷惑なんてとんでもないんだ。むしろ、その逆だ。俺はおまえがいるから頑張れるし、こうして生きていられる……」
 白い額に頬に、優しくキスした。
「あんな怪我を負って、それでも生還できたのは俺の気力のせいだったと医者は言っていた。だが、それは違う。おまえのおかげなんだ。俺はおまえのために死にたくなった。何が何でも生き抜いて、おまえを愛したかった。おまえと一緒に生きたかった。だから……あの時、俺は助かったんだ。いや、おまえに助けてもらったんだ」
「土方…さん……」
 総司の目に涙があふれ、ぽろぽろと頬をこぼれ落ちていった。
 その手があがり、初めて彼の背中を縋るように抱いた。そのまま、ぎゅっと抱きついた。
 それだけでよかった……。
 言葉で告げられなくても、総司が自分を受け入れてくれた事を深く感じることができた。
 土方は目を閉じ、そっと柔らかな髪に頬を擦り寄せた。腕の中のぬくもりが何よりも愛しいと思った。
「あの時……おまえは俺の手を握り、ずっと名前を呼んでくれていたんだってな。近藤さんに聞いたよ。本当にありがとう。おまえは俺の命の恩人だ……」
「そんな……土方さんこそ、ぼくの命を助けてくれたのに。ぼくを庇って撃たれたのに……お礼を言わなきゃいけないのは、ぼくの方です」
「総司……」
 一番上にまで昇った観覧車の中で、土方はそっと唇を重ねた。少年の細い体を抱きしめ、何度も甘いキスをかわす。
 愛してる……と囁きながら。
 総司も素直に応えた。うっとりと目を閉じ、愛しい男の腕に抱かれた。
 もう二度と離れたくないと心から思った。
 やがて、観覧車が下りに入った時、土方が悪戯っぽい瞳で総司を覗きこんだ。
「……あのさ」
「はい……?」
 何度も甘く熱いキスをされ、夢心地のまま総司は彼を見上げた。
 それに土方は言葉をつづけた。
「おまえ、俺に助けられたと思ってくれてるんだろ? なら、何か礼をくれないか?」
「え……お礼ですか」
 小さく総司は首をかしげた。礼と言われても、いったい何をあげたらいいのかわからない。買ったばかりのシャツも押し付けになるかもしれないし……。
 戸惑っている総司に、土方はくすっと笑った。
 そして、耳もとに唇を寄せると──とびきり甘い声で囁いた。
「……総司、おまえをくれよ」
「!」
 とたん、ぼんっと音が出そうなほど総司は真っ赤になってしまった。何を考えたのか、慌ててぶんぶん首をふっている。
 それに、土方は楽しそうに喉を鳴らして笑った。
「何想像してんだよ。俺は、ただ、おまえとつきあいたいっていう意味で言っただけなのにな」
「な、何も想像してませんっ。ぼくもそうだと思ってましたからっ」
「はいはい」
 そう言いながらも、尚もくっくっと肩を震わせて笑っている。
 それを総司は潤んだ目で見上げた。
 ほんと、この人って意地悪だ。強引で、意地悪で、自分勝手で、でも、そんなところもだい好きで……。
 もう逢えないと思っていたのに。
 こんなふうに、また、この人のぬくもりを感じて、この人の声を聞くことができるなんて、思ってもみなかったのに。
「……土方さん」
 総司はそっと彼の名を呼んだ。
 それから、何だ?と見下ろした土方に、あふれるほどの想いのまま告げた。
「生きててくれて……ありがとう」
 その瞬間。
 土方はちょっと目を見開いて。
 本当に、幸せそうな微笑みをうかべたのだった……。












[あとがき]
 お待たせしました。「かくれんぼの恋」番外編その1です。総司が土方さんを想うあまり自分を犠牲にするってパターンは定番ですが(訣別の時でもさんざんやってますよね)どう総司に納得させようか、土方さんの気持ちをどれだけ表そうかとしてるうちに、あの警察やめてやる!の発言になりました。でも、実際、土方さんは総司のためなら平気で辞表出すと思うのですが。仕事より恋人ですもの!
 観覧車は梅田ファイブのものをイメージしました。凄い高さですけどね、大好きです。でも、乗ってすぐキスしたりしたら、係員さんにも見えるって……ねぇ? ま、この「かくれんぼの恋」の土方さんもGoing my way!なので。でも、永倉さん以下、同じ課の方々も一安心てとこですか。
 番外編は基本的に、らぶらぶ甘甘で続いていきます。いかがでしょう? 本編と雰囲気違うから、皆様の反応がちょっと不安。またご感想下さると嬉しいです。これからも、ちょこちょこ出してゆくつもりなので、また読んでやって下さいね。


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