「うーん、どうしようかなぁ」
昼下がりの学生食堂。ぽかぽかと冬の日ざしがあたたかい窓際で、総司は悩んでいた。
テーブルに広げられた沢山のカタログ。雑誌。
ランチもそっちのけで悩んでいるのだが、とっても楽しい事らしく、その大きな瞳はきらきら輝き、なめらかな頬もぽっと薔薇色にそまって、可愛らしい。
華奢な躰に大きめのセーターと洗いざらしのジーンズを着た総司は、少し長めの黒髪もあいまって、ショートヘアの可憐な少女にしか見えない。もちろん、大学の人間ならば、総司が男の子であることは知っているのだが、それでもあまりの可愛さにくらくらしている男は、数知れぬという噂なのだ。
今も、珍しく一人でいる総司に、学生食堂にいる男たちの視線がちらちら向いている。が、それを察知したのか、運よくか、一人の学生が足早に歩みよってきた。
「何悩んでいるの」
「あ、平助」
そこに友人、兼、防波堤(ボディガードというには少し頼りない)の平助を見出した総司は、にこりと笑った。天使のような可愛い笑顔だ。
平助はランチがのったトレイをテーブルに置くと、総司の手元を覗き込んだ。
「? 車のカタログ?」
「そ、車のカタログです」
総司はにこにこ笑いながら、じゃーんとカタログを広げてみせた。それに、平助は「へぇ」と目を見開く。
「お金、たまったんだ」
「うーん、そうじゃないけど」
「ま、そうだよな。何百万もする車、学生がアルバイトで稼いで買えるものじゃないし」
「ぼくも、見通しが甘かったんだよね」
はぁっとため息をついた。
「結局、土方さんに買ってもらう事になっちゃったし。もちろん、ぼくもバイト代を足すつもりで、働くようになったら返すつもりなんだけど」
「それ、受け取ると思う? あの人が」
「無理だと思うけど、そういうの嫌だもん。パトロンみたいで」
「……禁句。土方さんの前でそれ云ったら、大騒動だよ」
「え、云ったことあるよ」
あっけんからんと答える総司に、平助は思わず仰け反った。
「云ったことある訳!? い、いつ?」
「うん、高校生の時に、ほら、平助の前で云ったじゃない」
「そ、そう云えば……うわー、今から考えると、めちゃくちゃ恐ろしい。おれ、巻き添えくわなくて良かったぁ」
「巻き添えなんてある訳ないでしょ。っていうより、そんな事より、車なの」
ぱんぱんとカタログを叩いて、総司は話を戻した。
「車、どれにしようか悩んでいるんだから」
「予算は?」
「土方さんは幾らでも出してやるなんて云ってるけど、ぼくとしては……150万までだよ。それ以上は絶対に無理」
「150万でも大金だからなぁ。ま、あの人は完全にずれた金銭感覚だから考慮しないとしても……軽自動車とか、けっこういいの買えるんじゃない?」
「それが……」
総司はため息をついた。
「軽自動車、だめなの。土方さんが危ないから駄目って」
「危ない?」
「ぼくの運転じゃ危なくて仕方ないから、軽自動車はだめなんだって。装甲車でも買えって訳って思わない?」
「い、いや、それは……」
「ほんと、ぼくの車なのにうるさくて」
不満そうに唇を尖らせる総司に、平助は肩をすくめた。
「まぁ、仕方ないんじゃないの。お金出してもらうんだから」
「わかっているけど、でも、土方さん、ぼくが事故するってこと前提で考えているんだもの。電柱柱にぶつかったら危ないとか、溝に落ちたら危ないとか。そんなの軽自動車じゃなくても、危険は一緒だと思うんだけど」
「うーん、それは……」
確かに煩くも思えてくるだろう。むろん、土方の気持ちもわかる。もともと免許をとることさえ反対していた彼だった。心配で心配で仕方がないのだ。
「とりあえず、いいなと思った車、片っ端から試乗に行ってみたら? 乗ってみない事には、車もわからないし」
「そうだよね」
総司はこくりと頷いた。
もちろん、平助は「試乗」のことをかるーい気持ちで云ったのだ。ごくごく当然のことを口にしたつもりだった。
そう、ごくごく当然のことだったのだが……しかし。
「車、いいの見つかったか?」
土方は洗い物を片付けながら、訊ねた。
それに、きゅっきゅっと音をたてて皿を拭いていた総司は、首をふった。
久しぶりに早めに帰ってきてくれた彼だった。夕食を一緒に食べることが出来て、総司もご機嫌だ。
土方も総司のおいしい手料理をあたたかく食べることができて、二人とも幸せな時間を過ごしていた。一緒に仲良く後片付けを終えた後は、ソファに行ってくつろぐ。
テレビをつけると、CMで車が映った。それに、総司がうーんとうなる。
「何だ?」
「難しいなぁと思って」
「車選びか」
ソファに凭れかかりながら訊ねる土方に、総司はこくりと頷いた。
「とっても難しいですよ。土方さんも悩んだ?」
「悩んだっていうより、楽しかったな。運転するの好きだし、とにかくマニュアルのスポーツカーと決めていたから、あまり迷いも少なかったし」
「そうですよね。土方さんって、そういうの決断早そう」
「少なくとも、俺は優柔不断タイプじゃねぇな」
「わかります」
優柔不断と真逆をいっているだろう男に、総司はこくこく頷いた。それから、ふと思いついて訊ねる。
「ねぇ、やっぱり車って試乗してから選んだ方がいいの?」
「あたり前だろう」
土方はびっくりした顔で、総司を見た。
「まさかと思うが、おまえ、試乗もしないで選ぶつもりだったのか」
「そ、それはないけど……」
「怪しいな。ま、とにかく、試乗しないとわからねぇ事もあるのさ。周囲の様子がわかりにくいとか、ハンドルの大きさが自分にあわないとか、色々な。俺の場合はエンジン音とか、加速度とか瞬発力も大きな要因だったが」
「そうなんだ。ちゃんと試乗しなくちゃ駄目だよね」
「いいなと思う車があったら、云えよ。試乗、つきあってやるから」
「え、いいですよ」
総司は慌てて手をふった。
「ぼく、一人で行けますから」
「一人で……大丈夫か。押し売りされるぞ」
「押し売りって、ぼく、子供じゃないんだから」
「それでも、とにかく一人ではいくな。俺が一緒に行く」
「だって、土方さん、最近忙しいじゃない。そんな時間ないでしょ」
「……」
土方は形のよい眉を顰め、黙り込んでしまった。
確かに、ここ最近、とんでもなく忙しかったのだ。出張から帰ってきたばかりという事もあるが、休みもほとんどない状態だった。
「なら、俺が暇になってから……」
「そんなのいつになるか、わからないじゃない。ぼく、早く車が欲しいんだもん」
総司は立ち上がると、お茶を入れてこようかなぁとキッチンにむかって歩き出した。それに、土方がふり向き、云い放つ。
「一人で行くのはもちろん、伊庭や斉藤なんざと一緒に行くなよ」
「え」
総司はびっくりして、ふり返った。
「何で、そこに伊庭先生や斉藤さんが出てくるの」
「おまえのことだから、一人でだめなら、そっちに走りそうだ」
「……」
一瞬、確かにと思ってしまった総司は、はっと我に返った。慌てて手をふってみせる。
「そんな事しませんよ。あ、そうだ、平助と行きますから、大丈夫です」
「それはそれで心配だろ」
「じゃあ、近藤さんとか」
「はぁ? なんでそこに近藤さんが出てくるんだ。っていうか、あの人、今、アメリカ出張だ」
「ふうん、そうなんだ。とにかく、平助やいっちゃんと行きますから、土方さんは心配しないで」
「……」
疑いの表情で無言になってしまった男に、ちょっとため息をつきつつ、総司はキッチンに入った。お茶を入れながら、ふと思う。
(伊庭先生かぁ……そうだよね、伊庭先生って教習所の先生だもの、車のこと詳しいよね)
もちろん、土方と一緒に行きたかった。
何しろ、残業帰りの彼を迎えに行きたいがために免許もとり、購入しようとしている車なのだ。当然、一緒に試乗して選びたかったのだ。
だが、多忙極まりない土方は当分無理だろう。なら、他に車に詳しい人となると、伊庭が浮かんで当然のことだった。
(今度、連絡とってみようっと)
そんな総司を、リビングの方から土方が鋭い瞳で見ていたことなど、まったく気づいていなかった……。
地下鉄の階段を駆け上がると、総司は待ち合わせ場所にむかって走り出した。
待ち合わせ場所は、大型書店の前だ。
展示されている書籍を眺めていた伊庭は、駆け寄る総司に気づき、ふり返った。
「こんにちは!」
元気よく挨拶する総司に、伊庭は笑顔になった。
「こんにちは、相変わらず元気だね」
「ぼくがお願いしたのに、お待たせしてごめんなさい。だいぶ待ちました?」
「いや、全然。それに、早めに来たのはおれの勝手だからさ」
優しく言ってくれる伊庭に、総司は、ほっとして笑いかけた。
結局、伊庭に頼むことになってしまったのだ。
というより、土方の言葉で思いついてしまったのが運のツキ。
平助に頼もうかとも思ったのだが、ここはやはり車に詳しい大人の男である伊庭の方が、ずっと頼りになるだろうという結論に至ったのだった。
二人はさっそく総司が購入を考えている車のディーラーへ向かった。
少し緊張してしまう総司をよそに、伊庭はてきぱきと話を進めていく。
試乗もスムーズにいった。短い距離だったが、少し運転してみたことで、総司はこの車もいいなと思った。中も外装も写真よりもっと可愛いと思う。
「あの車だけで良かったのかい?」
ディーラーを出た後、入ったカフェで、伊庭は訊ねた。それに、総司はぺこりと頭を下げた。
「はい、大丈夫です。それより、ありがとうございました。おかげで、よくわかって本当に助かりました」
「礼を言われるような事じゃねぇし。で、あの車は気にいったのかい?」
「はい。いいなぁと思いました」
「いい車だと思うよ」
伊庭はカタログを示しながら、云った。
「色々オプションをつけると高くなりそうだけど、彼が出してくれるんだろ? 甘えて買ってもらえばいいと思うよ。安全性も優れているし」
「え、そんな高くなっちゃいますか?」
「税込でフルでオプションつけると、200はいくだろうなぁ」
「に、200!?」
総司はびっくりして目を丸くした。
「そんなの出せませんよ。土方さんにも出してもらえません」
「え、予算言われているのかい?」
「違いますけど……幾らでもいいって言われていますけど、でも……」
「じゃあ、買ってもらいな。学生の総司が出せる金額じゃねぇよ?」
「だって……」
俯いてしまった総司に、伊庭は苦笑した。
こうして友人(もちろん、伊庭自身はもっと先に進みたいが)としてつきあううちに、わかってきたのだが、総司は気が強く、プライドも高いのだ。
男を恋人としてもっているが、決して女の子のようではない。
可愛い顔をしていながら、凛とした芯の強さはもちあわせているところが、また魅力的だった。
「彼に車の代金を払わせること自体、悔しいのかい?」
「悔しいとかそうじゃなくて……なんか、申し訳ない気がするのです。ぼくは女の子じゃないから、奥さんにもなれないし、子供も産めません。ただでさえ、土方さんの出世を阻んでいるのに、その上、車を買ってもらったりするなんて贅沢すぎる……」
「贅沢かねぇ」
伊庭はくすっと笑った。テーブルに頬杖をつくと、総司の愛らしい顔を覗き込んだ。
「おれからすると、総司みたいに可愛くて気立てのいい恋人を独り占めしていること自体、贅沢だけどねぇ」
「そ、そんなの全然……」
「彼も同じように感じているだろうよ? 総司といるだけで贅沢だって。男は甘えられるのも、頼られるのも、大好きだしさ」
「それはわかるんですけど……」
「わかるなら、甘えてみな。その方が、ここでぐちゃぐちゃ悩んでいるより、ずっと建設的さ」
そう言った伊庭は、視線を総司の向こうにやった。立ち上がると、にっこり笑いかける。
「そろそろ選手交代だ。名残惜しいけどね」
ふわりと総司の髪を撫でると、伊庭はテーブルの横をすぎていった。びっくりしてふり返った総司の瞳に、去ってゆく伊庭の背と、こちらを見ている男の姿が映る。
総司の目が見開かれた。
(土方さん……!)
仕事の途中にでも来たのか、スーツ姿だった。
黒いコートを腕にかけ、カフェの扉口に佇んでいる端正な姿は、まるで映画のワンシーンのようだ。その証に、カフェ中の女性がちらちらと視線をおくっている。
呆然と見つめていると、土方は一つ息をついてから、ゆっくりと歩みよってきた。静かな瞳で見下ろす。
「……」
総司は何と言っていいかわからず、両手を握りしめた。一瞬、視線をおとしてから、思い切って彼を見上げる。
「あ、あの……土方さ……」
「出よう」
不意に、低い声で云われた。腕を掴まれる。
「とりあえずここを出よう。話はそれからだ」
「……はい」
冷静な声音が恐ろしくて、総司は素直に従った。
いつもどおり怒ったりやきもち妬いたりしてくれたら、楽なのだが、こうして冷静に対処されると、怖くなってしまうのだ。実際、あの頃もそうだった。土方に囚われていた頃、冷たくそっけない彼が理解できなくて、不安でたまらなかったのだ。
カフェを出ると、土方はまっすぐ地下鉄の駅へむかった。このまま家へ帰るつもりなのかと思ったが、地下鉄の駅近くにある銀行へ立ち寄る。
土方は窓口の傍にある記入台で支払伝票を抜き取った。ペンをとり、記入を始める。
ぼんやり眺めていた総司は、土方が支払伝票へさらさらと記入した金額の大きさに、息を呑んだ。
「300万? えっ、300万って……」
「それぐらいするはずだ。車、今すぐ買ってやるよ」
「ちょっと待って、土方さん。ぼく、そんなの……っ」
慌てる総司をよそに、土方はさっさと窓口へ伝票と通帳を出してしまった。こんな処で騒げば彼に恥をかかせることに気づき、口を閉ざす。
手続きがおわると、用意された札束を手に、土方は総司へと向き直った。銀行を出ながら、無造作に押しつけてくる。
驚いて見上げる総司に、冷ややかな表情で云い放った。
「今すぐ欲しい車があるんだろう? 早く買ってこいよ」
「そんな今すぐだなんて、ぼく、云っていません」
「へぇ?」
土方は微かに唇の端をあげた。
「俺と行くのが待てず、伊庭と試乗に行くぐらい急いだくせに? それとも何か、俺なんかより伊庭と行く方が良かったのか」
「土方さん、話を聞いて」
「そんなもの聞けるか」
吐き捨てるような口調に、はっとして顔をあげた。見上げれば、土方はきつく眉根を寄せ、総司を見下ろしている。
「いきなり電話がかかってきて、「あんたの可愛い総司と試乗したよ。車、おれが買ってもいいんだぜ」なんて言われてみろ。腹がたって当然だろうが」
「そ、そんなこと、伊庭先生が……」
「まぁ、場所を知らせてくれた事だけは感謝するが……けど、総司、おまえの考えていること、さっぱりわからねぇよ」
傷ついたような声音だった。
それに息を呑んだ総司の前で、土方は目を伏せた。少し掠れた低い声でつづける。
「そんなに伊庭がいいのか。恋人である俺よりも……あいつに心を許しているのか」
「……」
総司は目を見開いた。
そうとられても仕方のない行為だったのだ。
車は総司にとって大きな買い物だ。
安全のことも考え、土方も色々と助言してくれていた。
そんな彼でなく、伊庭と試乗に行くということは、伊庭の方が相談しやすい、心を許しているということになってしまうのだろう。
土方が怒って当然のことだった。
「ごめんなさい……!」
総司は大きな声で云うと、勢いよく頭を下げた。
幸いにして、銀行が入っているビルの路地裏だったため、人の目はない。むろん、今の総司にはそんなこと関係なかった。
「本当に、ごめんなさい。ぼく、そんなつもりなかったの。土方さん、お仕事忙しいから悪いと思って、ただでさえお金出してもらうのに申し訳なくて……少しでも迷惑かけたくなかったから」
「迷惑?」
土方は眉を顰めた。
「そんなこと、思うはずがねぇだろう」
「だって、ぼく……甘えてばかりだし」
「……」
「家のお金もそうだし、学費もそうだし……全部、土方さんに出してもらっているでしょう? なのに、この上、車まで……贅沢で、申し訳なくて……」
「……あのな、総司」
土方は身をかがめると、視線をあわせた。
「俺とおまえは恋人だ。俺にとって、おまえは一生の伴侶だ。可愛いおまえが俺の傍にいてくれることが、一番の贅沢なんだよ」
「一番の贅沢……」
伊庭と同じ言葉に、総司の目が見開かれた。
それに、土方は微笑んだ。
「あぁ、そうだ。世界中の何にも叶わない最高の贅沢さ。そのお礼に、ほんの少し俺ができることを、おまえにしてやりたいと思う事は我儘か? 受け入れられねぇか?」
「土方…さん……っ」
優しい恋人の言葉に、総司の目が潤んだ。ぽろぽろと涙がこぼれる。
飛びつくように、男の逞しい胸にぎゅっと縋りついた総司を、土方は柔らかく抱きすくめた。両腕で抱きしめ、髪に頬を擦りよせる。
「愛しているよ、総司。世界中の誰よりも愛してる……だから、頼む。俺の我儘を叶えさせてくれ」
「土方さん……」
「おまえを愛したいんだ。おまえの幸せを、ほんの少しでいいから手伝いたい」
「……」
総司は涙をいっぱいためた瞳で、土方を見上げた。それから、おずおずと訊ねた。
「本当に……いいの?」
「あぁ」
「甘えちゃって……いい?」
「思いきり甘えてくれ」
そう囁いた土方に、総司はこくりと頷いた。小さな声で答える。
「お願いします」
そんな可愛いことを云ってくれる総司に、土方は微笑んだ。
そして。
愛しい恋人を抱きしめると、街中だろうがお構いなく、甘い甘いキスをしたのだった。
結局、車の購入は後日になった。
いくらなんでも試乗した日に買うのはあんまりだったし、土方自身、総司が伊庭と行ったディーラーで買うことを激しく拒絶しまくったためだ。むろん、300万は速攻で銀行の口座に戻された。
後日、別のディーラーで土方と一緒にしっかり試乗したうえで、購入したことを伝え聞いた伊庭が、独占欲丸出しの男の行動にどんな感想を抱いたかは、皆様の想像にお任せするということで……。
総司が買った車はフィアット500Popのつもりです。可愛いくて似合うと思うのです。