「土方さん! 土方さんってば!」
 大声で総司は叫んだ。
 そうしないと、相手に声がとどきそうもなかった。吹きつける風に髪が乱れる。呼吸ができないくらいだった。
 必死にしがみついてないと、ふり落とされそうだ。凄まじい勢いで馬は京の町を駆け抜けていた。
「こんなの! こんな    無茶くちゃして! いったい何処へ行くんです!?」
「………」
「何です? 聞こえないっ!」
 大声で叫んだ総司に、土方が怒鳴った。一言だけ。
 それに総司は、大きく目を見ひらいた。
「う……海 !?」





 ざ……ん。
 波の音がひびく。
 白い砂浜。寄せては返す波。きらきら光る飛沫。砕けた貝殻。潮の匂い。
 ゆっくりと、その海辺を総司は歩いていた。両足を海水に浸して、ばしゃばしゃさせて。それを追い、土方が歩いてゆく。
 他には誰もいなかった。
「……あ」
 総司は不意に小さく声をあげ、身をかがめた。桜色の貝殻を拾いあげる。花びらのような形をしていた。
「きれい    ほら、土方さん」
 ふり返り、さしだす。
 それを土方は受けとった。小さく頷く。
「あぁ」
「……」
 総司はその土方をじっと見た。視線に気がつき、土方が顔をあげる。静かに総司が訊ねた。
「どうして ?」
「何が」
「どうして、急に海へ?」
 それに土方は肩をすくめた。貝殻を総司の手に返しながら答える。
「おまえが行きたいと云ったから」
「え  」
「覚えてないのか? 昨夜、さんざん駄々こねたくせに」
「……あ」
 総司はちょっと目を見ひらいた。


 確かに覚えはある。
 昨夜、急に海が見たくなり、行きたい!って騒いだ。土方の部屋で。
 背中から彼に抱きついてねだる総司に、あの時、土方は何も云わなかったけれど。
 でも、叶えられる願いだなんて思っていなかった。
 いつでも自分の願いは叶えられなかったから。


「思い出したか?」
「えぇ    でも」
 総司はうつむいた。
「でも、まさか……本当に連れて来てくれるなんて思ってもみなかった。土方さん、忙しいのに……」
「総司」
 静かに土方は云った。片手をさしのべ、そのなめらかな頬を指さきで包みこむ。
「俺はおまえが願う事なら 叶えてやるよ。どんな、ささやかな事でも」
「……」
「本当に、俺はおまえに何もしてやれないから。何もしてやれなかったから。俺の叶えてやれる願いなんて、ほんのわずかだ。小さな願いばかりだ。それでも、俺ができること、みんなやってやるよ。叶えてやるよ……」
 そう囁きざま、土方は身をかがめた。
 柔らかく唇が重ねられる。総司は抱きすくめてくる彼の腕の中、目を閉じた。
「……んぅ…ん……っ」
 両手を彼の背中にまわして、初々しく接吻に応える。
 そんな総司を感じながら、土方は目を伏せた。


 ……願い。
 叶えられない願いなんて、互いにどれだけあることか。
 自分の何もかも命を捨てても、それでも叶えてやれない願いが山ほどある。哀しいくらいある。人の力ではどうしようもないことがこの世には。
 それが時々たまらなく苦しく哀しくなるが、今はまだ願いは叶えられているから。何もかも捨てて、この手の中にたった一つしか残らず、傷ついて泣いて。
 それでも、ただ一つの願いだけは、今もこの手の中に……


 そっと唇をはなした。微かな吐息をつき、総司は男の胸に顔をうずめる。その髪を柔らかく撫でた。
 総司は軽く力をこめて土方の腕から抜け出ると、海の方をふり返った。眩しそうに目を細める。


 辺りは黄昏色に染まりはじめていた。沈みゆく夕陽。
 炎のように空は燃えあがり、その照り返しで海はすべて黄金の輝きだった。
 その永遠の一瞬。


 激しくも美しい光景を、総司はしばらく見つめていた。やがて、かすれた声で呼びかける。
「土方さん」
「あぁ」
「連れて来てくれて、ありがとう」
 そう云ってから、土方を見あげた。ふわりと微笑んでみせる。そのなめらかな頬を夕日が染めあげた。
「本当に……嬉しかった」
「………」
 土方は黙ったまま手をのばし、総司の体をもう一度引き寄せた。背中がしなるほど、きつく激しく抱きすくめる。
 その腕の中、総司はそっと目を閉じた。


   慶応三年十二月十六日 新選組京を撤退
   その翌年一月四日 鳥羽伏見の戦い勃発



 ずっといつまでも。
 ふたり一緒に。
 それが、ただ一つの願いだから……










  
[あとがき]
 海、好きです。総司が波うち際歩いて、それを土方さんが追うってシュチュエーションが好きです。とくに夕焼けと夜明けの海かな。いつか、海で本格的にあんなことやこんなことをする二人を書いてみたいです。

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