ざ……ん。
波の音がひびく。
白い砂浜。寄せては返す波。きらきら光る飛沫。砕けた貝殻。潮の匂い。
ゆっくりと、その海辺を総司は歩いていた。両足を海水に浸して、ばしゃばしゃさせて。それを追い、土方が歩いてゆく。
他には誰もいなかった。
「……あ」
総司は不意に小さく声をあげ、身をかがめた。桜色の貝殻を拾いあげる。花びらのような形をしていた。
「きれい ほら、土方さん」
ふり返り、さしだす。
それを土方は受けとった。小さく頷く。
「あぁ」
「……」
総司はその土方をじっと見た。視線に気がつき、土方が顔をあげる。静かに総司が訊ねた。
「どうして ?」
「何が」
「どうして、急に海へ?」
それに土方は肩をすくめた。貝殻を総司の手に返しながら答える。
「おまえが行きたいと云ったから」
「え 」
「覚えてないのか? 昨夜、さんざん駄々こねたくせに」
「……あ」
総司はちょっと目を見ひらいた。
確かに覚えはある。
昨夜、急に海が見たくなり、行きたい!って騒いだ。土方の部屋で。
背中から彼に抱きついてねだる総司に、あの時、土方は何も云わなかったけれど。
でも、叶えられる願いだなんて思っていなかった。
いつでも自分の願いは叶えられなかったから。
「思い出したか?」
「えぇ でも」
総司はうつむいた。
「でも、まさか……本当に連れて来てくれるなんて思ってもみなかった。土方さん、忙しいのに……」
「総司」
静かに土方は云った。片手をさしのべ、そのなめらかな頬を指さきで包みこむ。
「俺はおまえが願う事なら 叶えてやるよ。どんな、ささやかな事でも」
「……」
「本当に、俺はおまえに何もしてやれないから。何もしてやれなかったから。俺の叶えてやれる願いなんて、ほんのわずかだ。小さな願いばかりだ。それでも、俺ができること、みんなやってやるよ。叶えてやるよ……」
そう囁きざま、土方は身をかがめた。
柔らかく唇が重ねられる。総司は抱きすくめてくる彼の腕の中、目を閉じた。
「……んぅ…ん……っ」
両手を彼の背中にまわして、初々しく接吻に応える。
そんな総司を感じながら、土方は目を伏せた。
……願い。
叶えられない願いなんて、互いにどれだけあることか。
自分の何もかも命を捨てても、それでも叶えてやれない願いが山ほどある。哀しいくらいある。人の力ではどうしようもないことがこの世には。
それが時々たまらなく苦しく哀しくなるが、今はまだ願いは叶えられているから。何もかも捨てて、この手の中にたった一つしか残らず、傷ついて泣いて。
それでも、ただ一つの願いだけは、今もこの手の中に……
そっと唇をはなした。微かな吐息をつき、総司は男の胸に顔をうずめる。その髪を柔らかく撫でた。
総司は軽く力をこめて土方の腕から抜け出ると、海の方をふり返った。眩しそうに目を細める。
辺りは黄昏色に染まりはじめていた。沈みゆく夕陽。
炎のように空は燃えあがり、その照り返しで海はすべて黄金の輝きだった。
その永遠の一瞬。
激しくも美しい光景を、総司はしばらく見つめていた。やがて、かすれた声で呼びかける。
「土方さん」
「あぁ」
「連れて来てくれて、ありがとう」
そう云ってから、土方を見あげた。ふわりと微笑んでみせる。そのなめらかな頬を夕日が染めあげた。
「本当に……嬉しかった」
「………」
土方は黙ったまま手をのばし、総司の体をもう一度引き寄せた。背中がしなるほど、きつく激しく抱きすくめる。
その腕の中、総司はそっと目を閉じた。
慶応三年十二月十六日 新選組京を撤退
その翌年一月四日 鳥羽伏見の戦い勃発