今でも、覚えている。
そして一生、忘れないだろう。
あの、瞬間のことを。
眩しい青空の下、初めて、あの人に逢ったこと。
あの黒い瞳が私を見つめ、その声が初めて私の名を呼んでくれた瞬間を。
あの時から。
私の人生は、始まったのだから……。
「……宗次郎?」
そう呼んだ声は、よく透る低い声だった。
大きな桜の樹木から抱き下ろしてくれながら、彼は言葉を続けた。
「そうか──おまえ、宗次郎っていうのか」
ぱんぱんと埃を払ってくれた。
「なら、お光さんの弟だな」
「うん、お兄ちゃんは?」
「………」
それに、彼は答えなかった。黙ったまま、薬箱に手をかける。それをえいっと肩に担ぎあげながら、云った。
「今度、木に登る時は自分の背丈を考えてから登るんだぞ。じゃあな」
さっさと立ち去ろうとして、後ろからきつく裾を引っぱられているのに気がついた。ふり返ると、宗次郎がじっと彼を見ていた。
「ねぇ……お兄ちゃんは? 何ていう人?」
思わず沈黙した。。
だが、彼は一つため息をつくと、ぶっきらぼうに答えた。
「歳三だ」
「……歳三、さん?」
それにもう彼は答えなかった。裾を乱暴に払うと、踵を返す。砂埃の立つ道を歩いてゆく彼をしばらく宗次郎は見送っていたが、やがて、決心すると、勢いよく走り出した。
──その人を、追って。
「歳三さん、歳三さん」
「………」
幼い声に、村人たちがふり返った。
その中を歳三はふり向きもせず、足早に歩いてゆく。ぱたぱたと宗次郎が必死にその後を追った。
「──この頃、いつもだねぇ」
「ありゃ、浪人さんとこの子だろう?」
「何でまた歳なんかに、よりによってなぁ」
この辺りでも、歳三はならず者で有名なのだ。とうてい子供に好かれる性格ではない。なのに、宗次郎はひっついて離れなかった。
毎日毎日、嫌になる。
そう思いなから、歳三はしかめっ面で歩いてゆく。時折、振り返り睨んでやるが、宗次郎はにこにこと笑顔を返すばかりだ。
そんな宗次郎の行動に、姉のお光も困惑していた。
「何故なの?」
「……」
「どうして、あんな人の後ばかり追うの? 宗次郎?」
「……わからない」
宗次郎はぎゅっと両手を握りしめた。
どうしてか、わからないけど。
でも、この人の後を追わなきゃ、この人の背中を見失っちゃだめだって、そんな気がしたから。絶対にふり返ってはくれない人だけど……
(……でも……)
一面の、野原。
まっ青な空の下だった。
前を歩いてゆく歳三は、ずっと宗次郎を無視していた。そのくせ、さり気なくだが、ちゃんと宗次郎がついて来ているか、確かめてくれている。
何だか、夢に見た気がした。
こんなふうに、この人の背を追った事がある気がした。
独り歩みつづけるこの人を追いかけて。
決してふり返らない孤独な背中を、ただ見つめて。
時折、耐えかねたようにさし伸ばされる指さきを、その冷たい手をそっと握りしめた。
この人を守るため、この人を愛するために。
自分は、生まれたきたのだと───
「あっ!」
突然、宗次郎は思いきり転んでしまった。
膝をすり剥いてしまう。それでも必死に立ち上がろうとした宗次郎は、目の前に誰かが立ったのを感じた。瞬間、ふわっと優しく抱きあげられる。
むろん、それは歳三だった。
いつのまにか二人が逢った桜の樹木の近くに来ていた。花びらが舞う石上に坐らせると、泥を拭って手当てをしてくれる。そうしながら、歳三は目を伏せた。
「……どうして、なんだ?」
低い呟きに、宗次郎は顔をあげた。その幼い顔に視線をむけ、歳三は静かな声で訊ねた。
「どうして……俺なんか追うんだ」
「……わからない、よ」
宗次郎は俯いた。
「自分でもよくわからないんだ。でも……そうしなきゃって思ったから、絶対、絶対、そうしなきゃだめだって」
「……宗次郎」
「追いかけるの……だめ? 歳三さんは、すごく迷惑?」
「……」
かるく、歳三がため息をついた。
それから、笑った。
宗次郎が初めて見る、彼の笑顔だった。
優しい、年相応のあどけなさを残した、とても綺麗な笑顔。
「おまえには負けたよ」
くっくっと笑いながら、歳三は云った。
「もう俺は何も云わねぇから、好きなだけついて来な。けど、途中で泣き出したりするなよ。しっかりついてくるんだぞ、おまえが自分で決めた事なんだからな」
「はい!」
元気よく応えた宗次郎の頭を、ぽんっと叩いた。そして薬箱を肩に背負い、また歳三は歩き出してゆく。
その頭上には、青空と舞い散る花びら。
(……あぁ)
何だか、何もかもがわかったと思った。
この人の笑顔を見た瞬間。
どこか遠い天から、約束だよって声が聞こえた。
これは遠い遠い昔からの約束事。
「──宗次郎」
花びらが舞い散る中、歳三が片手をさしだし、微笑んだ。それに、ゆっくりと宗次郎は手をのばした。
ぎゅっと握りしめる。
そして。
その瞬間。
───世界は、輝いた。
[あとがき]
これが短いお話の方の土方さんと総司の出逢いです。小さい頃から総司の方が積極的にアタックしてます。大人になってからは土方さんの方が積極的なんですけどね。すごーく健全なお話だけど、ここから全部始まったんです。たまには宜しいのではないかと、いかがなものでしょうか。
戻る