[土方サイド]





 まだ少し汗ばむほどあたたかい、秋の日のことだった。。
 芹沢たちが死んですぐの頃で、俺は一挙に増えた仕事に忙殺されていた。まだまだ新撰組できたばかりでやる事は山程あるのだが、こういう時に近藤さんは全く当てにならない。
 あの人は細かい事務的な事が全く苦手なのだ。組織の先頭に立ち、皆を引っ張っていくことは出来るが、組織を運営することは出来ない。まあ、だからこそ俺のようなものにも出番があるのだが……。
 そんなことを考えながら書類の決裁や何やらを処理していると、総司が部屋にやってきた。


 着流しに艶やかな髪を肩から流している。しかも、白地の涼やかな小袖をその華奢な体に纏っているため、どう見ても女に見えた。
 いや、女でもこんな不思議な色気をもっている奴はいねえだろ。


「土方さん」
 呼びかけきた総司に、俺は目も上げなかった。どうせ甘味屋に連れて行けとかいう、くだらない用事に決まっているのだ。
「何だ」
 それでも返事だけはしてやった俺の傍に、総司は座りこんだ。ぺたんと座り込んで、俺の腕に手をかけてくる。
「あのね、土方さん」
「あぁ」
「お願いがあるんだけど」
 ようやく顔をあげた俺に、総司は小さな声で言った。
「くちづけして」
「……」
 俺は僅かに眉をひそめた。


 別にこれは初めてのことではない。こいつが十才の時にしてから、もう数え切れないくらいしてきた事だ。
 ただ、中身がなかった。意味がなかった。俺たちはただ、してるだけなのだ。その中に愛とか想いとかは全く含まれていない。


「まだ昼間だろ、人に見られるぞ」
「大丈夫、忙しくて不機嫌な土方さんの部屋に、誰も来やしませんよ」
 にこにこしながら言う総司に、嘆息した。仕方なく筆を置いて向き直った。
「来い」
「……はい」
 自分から誘ったくせにちょっと躊躇ってから、総司は俺の胸もとに凭れ掛かった。その小さな綺麗な顔を両手ですくいあげ、ゆっくりと顔を近づけていく。
 目を閉じた総司はどこか扇情的だ。この表情を見るたび、紛れもない男の欲望と、やるせなさや苛ただしさを覚えた。
 唇を重ねると、いつもどおり総司の体がぴくっと震えた。そんな仕草にさえ熱い想いをかきたてられながら、俺はより深く唇を重ねた。舌をさしいれ、甘く熱く舐めあげてやる。
「ん、ん、……ぅ、ふぅ……ん……っ」
 総司の桜色の唇から唾液がつたいおちた。薄く目を開いて見ると、総司は頬を紅潮させ、うっとりした表情で目を閉じている。


 たまらなく可愛い……。


 無意識のうちに俺の両手が総司のしなやかな体に回った。着物ごしに撫であげ、あまつさえ袷から手を差し込んで、そのなめらかで白い肌の感触を思うさま味わいたくなる。
 だが、すんでの処で俺は己を抑えた。引き千切れそうな理性で欲望を押さえ込み、俺は唇を放した。腕の中、総司が小さなため息をそっともらす。
「……」
 その両腕に総司の熱い体を感じながら、俺はいつまでもこうしていたかった。だが、一方でこんな苦行はもう真っ平ご免だとも思う。
 こいつは、どこまで男の理性を試せば気がすむのか。
「……総司」
 促すように呼んでやると、総司ははっとしたように顔を上げた。その目を見開いた表情がまた新鮮で、俺の胸を熱くする。
「あ、ごめんなさい」
 総司は身をおこすと、かるく自分の着物の乱れを直した。じっと見つめている俺に、花のような笑顔をむけてきた。
「土方さんのお仕事、邪魔しちゃいましたね」
「いつものことだろ」
 ぶっきらぼうに言い返してやると、へへへと笑う。いつもの調子に戻ると、総司はさっさと立ち上がった。あまりの素っ気無さに思わず言ってしまった。
「おい、もういくのか。つれない奴だな」
「そういう事はね、女の人にでも言ってくださいよ。土方副長」
 相変わらずの減らず口で言い返すと、総司はばたばたと出て行ってしまった。それを見送り、俺は文机に向き直った。仕事を続けようと筆を取り上げたが、どうしてもその気になれなかった。


 いったい、いつまで堪えればいいのか。
 もう総司も子供じゃない。昔、俺に「私のこと好き?」と聞いた子供とは違うのだ。そして、俺自身もあの頃とは違っていた。簡単に好きだと答えてやれることが、できるのかどうか。
 総司に対する俺の感情はもう、この十年の間に、好きだとかそんな言葉では片付けられないものになっていた。
 大切で、可愛くて、愛しくてたまらなくて……だからこそ、誰よりも俺は総司の幸せを願っている。いつか似合いの娘とでも一緒になり、幸せそうに暮らす姿を望んでいる。
 たとえ、明け方の夢の中で、何度総司を抱いたとしても。二度と放さない、おまえは俺のものだと血を吐くような思いで叫んだとしても。それでも俺は、総司の幸せを守るために……。


「……」
 俺は目を伏せると、きつく唇を噛みしめた。









 その日の夕時、出かけようとしていると、後ろから声をかけられた。
「お出かけですか」
 振り返ると、総司が腰の後ろで手を組み、心持ち体を傾けるようにして俺を覗き込んでいた。
 襟元からのぞく白い肌にどきりとしたが、つとめて表情を消したまま答えた。
「あぁ」
「どちらへ」
「島原だ」
「ふーん、じゃあ、今夜はお帰りになりませんね」
 小首をかしげた総司の細い肩先で、さらりと髪がゆれた。
「たぶんな」
「いってらっしゃい」
 立ち上がった俺に、総司はにっこり笑った。その明るい無邪気な笑顔を眺めてから、俺は踵を返した。


 どこまで子供なんだか。
 女と寝ようとしている俺に、ふーんときたものだ。
 まあ、もっともこっちの気持ちなど全く知らないのだから、仕方ねえんだろうが。


 俺は足早に歩き出した。玄関を抜け、石畳を歩いてゆく。
 あともう少しで門というところで、不意に後ろが気になった。もうとっくの昔にいなくなっているだろうが、総司のことを確かめてみたくなったのだ。
 くるりと振り返った俺は、目を細めて玄関の方を見やり……息を呑んだ。


 総司はいた。


 俺が背を向けた時と同じ場所に立ったまま、こっちをじっと見つめていたのだ。大きな瞳に、置き去りにされた子供のような表情をうかべて。
 唇を少し開き、今にも泣きだしそうなせつない表情をしていた。今まで見たこともない総司の表情だった。
 だが、それも一瞬のことだった。
 振り返った俺に気がつくと、とたんに総司は身をひるがえしやがった。慌てて奥へと駆け込んでいってしまう。
 あとには呆然と立ち尽くす俺だけが残された。


 何だったんだ、今の総司は。
 あの悲しそうな表情は。


 縋るように俺を見ていた瞳が胸の奥に焼きついた。
 結局、その日、女を抱かなかった。総司の表情ばかりが頭にちらつき、その気になれなかったのだ。
 そんな俺に、女は「いけずな人や」と怒っていた。









 翌日、総司は部屋に来なかった。
 昼が過ぎてもこないので、一番隊隊士を呼んで訊ねると、さっき出たみたいだという答えだった。
「出かけたって、どこへだ」
「存じ上げません。散策に出られたのではありませんか」
 俺は苛々しながら隊士を追い払うと、踵を返した。草履に足を突っ込み、屯所から歩き出す。どこというあてもなかったが、総司を探してみようと思ったのだ。
 だが、探し人は意外にも早く見つかった。近くに大きな楓の木があるのだが、その根元に座っていたのだ。
 幹の後ろに総司のほっそりした姿を見出し、俺は声をかけようとした。が、それは次の瞬間、喉もとに飲み込まれた。


 総司は一人ではなかったのだ。
 可愛らしい娘が隣にいて、楽しそうに二人でころころ笑っていた。傍から見ても似合いの一組だった。総司はその娘と随分親しいのか、心を許した笑顔をうかべていた。何か娘に話しかけては、幸せそうに笑う。


 それを見た瞬間……俺の胸をぐさりと何かが貫いた。
 嫉妬なのか。それとも、理不尽な怒りなのか。独占欲か、欲望か。
 それはもう何かさえ自分にもわからなかったが、今すぐその場から立ち去りたいと思ったことだけは確かだった。


 あんなにも総司の幸せを願っておきながら、いや、幸せを願っているなどと言って置きながら、いざその光景を目にするとこの有様なのだ。
 俺は、そうだ。
 総司の幸せを望んでなんかいない。少なくとも、他の誰から与えられる幸せなど。
 俺は……自分のこの手で幸せにしてやりたかった。もしも幸せが花びらのようなものなら、降るようにあたえてあいつを幸せの花びらの中にうずめてやりたかった。
 俺は総司を愛していた。
 この世の誰よりも愛してる。
 心から、愛してる……。


 突然、総司が気配に気づいたのか振り返った。俺を見て、驚いたように目を見開いた。
「土方さん」
 慌てて立ち上がり、俺の傍へ駆け寄ってくる。
「どうしたんです、こんな所で。何かあったんですか」
「……」
「土方さん?」
 訝しげな総司に、俺は何も答えなかった。いや、答えようがなかった。ただ黙ったまま俺は背をむけると、足早にまるで逃げるように歩き出した。
 後ろで総司が何か言っているのが聞こえたが、振り向くことなんかできるはずもなかった。










 夕食の後、部屋でぼんやりしていると、総司がやってきた。
 俺の傍に座り、訊ねてきた。
「いったい、どうしたんですか」
「別に」
「別にって……昼間は、私が話しているのにさっさと帰っちゃうし」
「何でもない。用事を思い出しただけだ」
「ふーん」
 総司は両ひざを抱え込むと、しばらく黙り込んだ。
 あんまり長い沈黙なので気になって見ると、総司の大きな目が俺をじっと見つめていた。なめらかな白い頬に月明かりがあたり、かるく開いた唇が甘い果実のように濡れている。
 僅かに息をつめた。
 何だか、まずい雰囲気だった。また昨日みたいに欲望と理性の戦いになるのだろうか。
「ねぇ、土方さん」
「……あぁ」
「土方さん、好きな人いる?」
「……」
 虚を突かれ、俺は一瞬うろたえた。まさか本人から聞かれるとは思っててみなかったのだ。
 黙り込んだ俺を、総司は相変わらずじっと見つめた。
「そう……いるんだ」
「総司」
「いいですよ、照れなくても。それって、昨日の人? 島原の馴染みさん?」
「何も言ってねえだろ。勝手に話を決めるな」
 思わずそう言った俺に、総司は全くかまわなかった。両膝を抱え込むのをやめて、外の方を振り返った。
 今夜は綺麗な月夜だ。紺青色の空に、白く輝く月が儚く浮かんでいた。それを見上げながら、総司は言葉を続けた。
「いつか、土方さんも奥さん貰うんですよね。所帯もって、綺麗な女の人に世話してもらって……」
「俺は女房なんざいらねえよ。俺の身の回りは、いつもおまえがやってくれてるだろ」
「うん、でもね。奥さん貰ったら、私なんか用済みですよ。土方さんに近づくこともできなくなる」
「何、餓鬼みたいなこと言ってやがる。近づくこともできないって、どういうことだよ」
 苛々しながら訊ねた俺に、総司はため息をついた。
「だって、やっぱり……」
「何だ」
「いいです」
「言えよ」
「……土方さん、怒っているの?」
 不意に総司が俺のほうに振り返った。光の加減か、総司の目が涙で潤んでいるように見えた。微かに唇が震えている。俺はそれを見ているうちに、たまらなくなって、気がつくと激しく口付けていた。
 総司は抵抗しなかった。荒々しい俺の口付けにも懸命に応え、細い両腕を俺の背中にまわして縋りついた。俺はそんな総司がいとしくて可愛くて腹ただしくて、何度も何度もくちづけた。
 唇をはなすと、とたんに、総司の目から涙が零れ落ちた。綺麗な綺麗な、涙だった。
 じっと見つめる俺に、総司は小さな声で言った。
「だって……ね」
「……」
「こんな風に、くちづけだってしてくれなくなるのでしょう……?」
 俺は息を呑んだ。


 月明かりの中、総司は涙をこぼしながら微笑んでいた。
 花のように儚くて、透きとおるように綺麗だった。


 ゆっくりと総司は立ち上がり、背中をむけた。黙ったまま部屋を出ていってしまう。それを俺は追いもせず見送っていた。


 いつか、きっと。
 そんなこと何度も思った。
 いつか手放す日がくるのだと。
 総司の幸せのためにはそうするべきなのだと。この狂おしいほどの想いは断ち切らなければならないのだと。
 だが、それは偽りだった。自分を誤魔化しているだけだった。
 本当は怖いのだ。
 総司に執着している、狂ったように愛して、その白い指先ひとつまで艶やかな髪一筋まで独占したいと渇望している、そんな自分を知られるのが恐ろしいのだ。
 こんな俺を知ったら、あいつはどうするだろう。潔癖で初心なあいつのことだ、軽蔑するだろうか。嫌悪の目で俺を見るのだろうか。
 いや、もう……それさえも構わなかった。
 嫌われてもいい、憎まれてもいい。
 俺はあいつを自分のものにしたい。すべてを求め、独占したい。手に入らないのなら、いっそ……壊してしまいたい。
 他の誰かに奪われるなど、耐えられるはずもなかった。
 総司は俺のものだ。
 俺だけの、この俺だけのために呼吸をして、笑い、涙し、愛し、生きればいい。俺のために生きれないというのなら、いっそこの手で殺してやる……。


 俺は自分の両手を見下ろし、唇を歪めた。
 ここまで狂っているなど、自分でもわかっていなかった。だが、もう気づいてしまったのだ。箍は外れてしまった。あとはもう想いのままいくしかなかった。
 俺は立ち上がると、夜空の月を見上げた。
 総司はもう自分の部屋に戻り、この月を見上げているのだろうか。
 いつか二人一緒に、身も心も一つにしてこの月を見られる時がくるのだろうか。それとも、俺は総司の亡骸を腕に抱き、一人泣くのだろうか。
 そんなことを考えながら立ち尽くしている俺を、白い白い月だけが静かに見下ろしていた。












 








[総司サイド]



 気がつくと、土方さんの部屋に来てしまっていた。
 どうしようという事もなくて、ただ顔を見たくて来たのに、彼は顔もあげてくれない。忙しいのだとわかっていながら、そんな彼に拗ねたりしている自分がいやだった。
「お願いがあるんだけど」
 そう言うと、土方さんはやっと顔をあげてくれた。
 ちょっと不思議そうな顔で私を見ている。私は思い切って言ってみた。
「くちづけして」
 そう言ったとたん、案の定、土方さんは眉をひそめて困ったような表情になった。あぁ、また困らせている。本当は困らせたいんじゃないのに。
 土方さんは仕方ないなというふうに筆を置き、「来い」と言ってくれた。
 私はすぐさまその胸もとに凭れかかったけど、自分がすごくドキドキしているのがわかった。彼の匂い、少し煙草の匂いがする。それから、彼の感触、彼の体温。このままずっと抱かれていたいなと思っていたら、両頬をすくいあげられた。
 そして、くちづけ。
 甘くて優しい、土方さんとのくちづけ。


 もう何度も何度もしてきたけど、私はこの時が一番好きだ。
 だって、一瞬でも今だけでも、彼の恋人になったみたいな気がするんだもの。
 ずっとずっと子供の頃から憧れてきたこの人の。
 決して叶うことのない夢だけど……。


 くちづけの後、うっとり余韻にひたっていたら、
「総司」
と、低い声で呼ばれた。
 そうだ、いつまでもは駄目だ。ほんの短い間の夢だから。
 土方さんの腕の中から抜け出すと、いつもどおり明るく笑おうとした。自分でもうまくいったかわからない、不機嫌そうな土方さんにもう一度笑いかけ、立ち上がった。
 彼の部屋から自分の部屋に戻ってすぐ、ため息がもれた。たまらなく自分が惨めになる。
「よりどりみどりかぁ」
 さっき原田さんたちから聞いた言葉を呟いた。
 土方さんはめちゃくちゃもてるのだ。そんな事ずっと前から知ってたけど、でも、あんなに格好いいんだから仕方ないって思っていた。私には何も言える権利なんてないし。
 でも。妻とか、女房とかって、言葉を聞くと……。
 胸の奥がつんと痛くなった。


 すっと片思いでいいと思っていた。
 憧れてだい好きで、いつのまにか夢中で恋した男。でも、その傍にいられるだけでいいと思っていた。たくさんの女の人と遊んでも、土方さんは必ずここへ帰ってくる。だから、いいんだと。
 でも、結婚は違う。奥さんがあの人の一番になる、あの人の帰る場所になってしまう。私から、どんどん遠くへ行ってしまう。もうふれることさえできなくなってしまう。
 そう考えたとき、気がつくと土方さんの部屋に向かっていた。あの人の顔を見たくてたまらなかった。
 なのに……。
 もっと苦しくなった気持ちを抱えたまま、ため息をついた。










 その日の昼過ぎ。
 出かけようとしている土方さんを見つけた。
 自分でもいやだなぁと思うくらい、嫌味な言い方をしてしまう。
「お出かけですか」
「あぁ」
「どちらへ」
「島原だ」
「ふーん、じゃあ、今夜はお帰りになりませんね」
 本当は行って欲しくなかった。せめて夜には帰ってきてほしかったのに。
「たぶんな」
 素っ気無い口調の土方さんに、ちょっとカチンときた。私は土方さんの恋人じゃないけど、ただの弟分だけど、でも。
 私だって気持ち、とかがあるんだから。
「いってらっしゃい」
 そう言って、でも結局にっこり笑った。大好きなこの人に妙に思われたくない。いやな奴だと思われたくない。
 一生懸命笑ってみせた私を、土方さんは切れの長い目でじっと見た。でも、すぐ背をむけるとさっさと玄関を出て行ってしまった。
 ぼんやりそれを見送った。


 本当は、本当はね。
 行かないでって縋りつきたいの。
 お願いだから、どこにも行かないでって泣きたいの。
 でも、そんなことできないから。私は、ずっとこうして、女の人を抱きに行くあの人の背中を見送ることしか……。


 そう思ったら、視界がぶわっと霞んだ。
 どんどん遠ざかっていく土方さんの背中を見ているうちに、涙がもうぼろぼろ零れそうだった。
 それを必死にこらえていると、突然、土方さんが立ち止まり、くるりとこちらを振り返った。
「!」
 一瞬、どうすることもできなかった。今更、泣き顔を隠すこともまたあの作り笑いを浮かべることもできなくて、ぼうっとしたまま土方さんを見つめた。
 今、どんな顔をしているのかわかる。
 だって、土方さん、すごくびっくりした顔をしてるんだもの。私を見て驚いている。


 あーあ。全部、ばれちゃったのかな。
 もう何もかも終わりだ。


 私は向きをかえると、急いでそこから走り去った。










「いっそ、言ってみはったら?」
 お里ちゃんがにこにこと言った。
 私はため息をついた。
「だめだよー。そんなの絶対無理。言ってどうするの? 次の日から顔あわせられないよ」
「そやろか」
 お里ちゃんは近くの小間物屋さんの一人娘だけど、今、幸せの絶頂だ。何しろ長年思い続けてきた相手と相思相愛になって、もうすぐ夫婦になることになったのだから。
「いいなぁ、お里ちゃんは何の障害もなくて」
「えー、ほな、総司はんはどんな障害があるん?」
 お里ちゃんはちょっと唇を尖らせた。
「総司はん、こんなに綺麗で可愛いし、相手のお人、びっくりするくらい男前やし。いつも一緒にいてはるし、何の障害あるん」
「そういう事じゃなくて……って、お里ちゃん、何で相手まで知ってるの?」
「そりゃすぐわかるわ。総司はんのお顔見てたら」
「もう、叶わないなあ」


 私とお里ちゃんはこの壬生に来てからの友達だった。
 顔とは裏腹に男勝りのところが、あったのかもしれない。
 つくづく、私の周りって気が強い人が多い……。


 二人でいろいろなことを話していると、ふと後ろのほうで人の気配がした。
 振り返ってみた私は、びっくりして心臓がとまるかと思った。土方さんがどうしてだか、すごく怖い顔をして立っていたのだ。
 私は慌てて立ち上がり、駆け寄った。
「どうしたんです、こんな所で。何かあったんですか」
 訊ねた私に土方さんは何も応えなかった。押し黙ったまま私を見つめている。
 息が苦しくなった。


 やっぱり、昨日で全部ばれたんだろうか。
 もう俺に近づくなと引導を渡されるんだろうか。


 体を竦ませた私の前で、土方さんは踵を返した。足早に屯所の方へ歩み去っていく。
「土方さん?」
 呼びかけたけど、返事もしてくれなかった。
 私はまた泣き出しそうな自分をもてあましながら、遠ざかる彼の背中だけを見つめていた。











 夜、思い切って部屋へ行ってみた。
 土方さんは珍しくぼんやりしていたようで、私を見るとすごく驚いた顔をした。
 何だかばつが悪かったので昼間のことを聞いてみたけど、まともな返事は返ってこなかった。
 両ひざを抱え込むと、しばらく黙り込んだ。
 何を話していいか、わからなかった。土方さんといて、こんなこと初めてだった。
 土方さんをじっと見つめていると、彼も私の方を見返してきた。彼の黒い瞳に見つめられると、いつも体中が熱くなる。どきどきして頬が火照って、自分でも訳がわからなくなるのだ。
 だからなのか、気がついたら、とんでもないことを口にしていた。
「土方さん、好きな人いる?」
 彼はすごく驚いたようだった。かるく目を見開き、何か言いかける。でも、すぐ黙り込んでしまった。
 その様子を見て、私もすぐわかった。


 土方さん、好きな人がいるんだ。大切に思っている人がいるんだ。
 いつか、きっと。
 私なんか手のとどかないどこかへ、その人と行ってしまうんだ。


 それでも、私はいつもの口調で言った。
「いいですよ、照れなくても。それって、昨日の人? 島原の馴染みさん?」
「何も言ってねえだろ。勝手に話を決めるな」
「いつか、土方さんも奥さん貰うんですよね。所帯もって、綺麗な女の人に世話してもらって……」
「俺は女房なんざいらねえよ。俺の身の回りは、いつもおまえがやってくれてるだろ」
「うん、でもね。奥さん貰ったら、私なんか用済みですよ。土方さんに近づくこともできなくなる」
 自分でもわかっていた。すごく嫌なことを言ってるなあって。土方さん、訳わからなくて迷惑だろうに。
 でも、もう頭の中がぐちゃぐちゃだった。気持ちを抑えることなんてできなかった。
 いつまでも訳わからないことをぐちぐち言ってる私に、土方さんは怒ったみたいだった。眉を顰め、ちょっと唇を噛むようにして私を見つめている。
「何だ」
「いいですよ」
「言えよ」
 低い声で言われたとたん、泣きたくなった。思わず子供みたいな口調で聞いてしまう。
「……土方さん、怒っているの?」
 振り返ると、土方さんが私を抱きしめてきた。彼の力強い腕がぎゅっと抱きしめてくれる。幸福感にうっとりしていると、そのまま激しく口づけられた。まるで最後のくちづけみたいだった。


 あぁ、そうだ……最後なんだ。
 もう二度とこんなことしてもらえないんだ。


 そう思うと、涙がこみあげた。彼の腕の中で思い切り泣けたら、どんなにいいだろう。でも、そんなこと出来るはずもないって、よくわかっていた。
「だって……ね」
「……」
「こんな風に、くちづけだってしてくれなくなるのでしょう……?」
 そう言って微笑んだ私に、土方さんは辛そうな顔をした。


 冷たく見えるけど、本当はすごく心優しい人。いつでも私を守り、慈しんできてくれた人。
 大好きな、誰よりも愛しい人。


 涙がぽろぽろ零れたけど、どうしようもなかった。私はそのまま立ち上がると、土方さんの部屋から出て行った。
 こんな泣き顔だとまずいなぁと思ったけど、斉藤さんは夜の巡察に出ていて留守だった。ちょっとほっとして、自分の部屋の縁側に腰かけた。子供の頃のように足をぶらぶらさせた。
「最後、かぁ……」
 くちづけは、私から土方さんへの気持ちだった。ただ一つだけ許された夢のひと時だった。
 恋人でもないのに、本当に土方さんのくちづけを受けるべき人は他にいるのに。よくわかっていながら、でも、土方さんの腕の中で、ささやかな夢を見ていたかった。
 でも、それも今夜でおしまいだ。ちゃんと気持ちに整理をつけないと、あの人にまた迷惑をかけてしまう。
 月を見上げた。でも、すぐ視界が涙でぶれて、見えなくなってしまった。


 これから何度、泣けばいいのだろう。
 彼が他の誰かを愛して幸せでいる夜、私は一人月を見上げて何度泣けばいいのだろう。
 何度涙を流したら、彼への想いが断ち切れるの……?


「絶対、無理だよ」
 涙声で呟いた。
「そんなの、できるはずないよ……」
 ぎゅっと両手を握りしめる。その時だった。
 薄闇の向こうで足音がした。だんだんそれは近づいてくる。斉藤さんかと思った私は、すぐはっとなった。


 違う。この歩き方は。
 聞きなれた、あの人のものだ。


 思わず息をつめた。
 土方さんは部屋までやって来たが、しばらくの間、黙ったまま私の傍に立っていた。目を伏せていても、じっとあの黒い瞳で見られているのを感じる。でも、私は何を言うことも、顔をあげることさえできなかった。
 やがて、土方さんは私の傍に片膝をついた。
 そして。
「!」
 目を見開いた。
 突然、土方さんが私の体を抱きしめたのだ。息もとまるくらい、強く。
 何も言わず、ただきつく抱きしめてくる。
 また涙がこみあげてくるのを感じた。さっき願ったように、土方さんの腕の中で泣き出してしまう。あとからあとから、涙がぽろぽろ零れた。
 子供みたいに泣く私に、土方さんは何も言わなかった。ただ黙ったまま、優しく涙を唇でぬぐってくれていた。


 まるで恋人同士みたいに。
 まるで……愛してくれているみたいに。


 白い月が私たちを見下ろしていた。
 これから先、どうなるかなんてわからない。土方さんが何を思っているのか、私をどうするつもりなのかも、みんなわからない。
 ただこうして、土方さんと私はここいにる。
 こうして二人で月を見ている。
 それだけが確かなことだと、土方さんの優しい腕に抱かれながら、夢のように思っていた……。
















[あとがき]
 初めて一人称で書きました。正直、書きやすくて楽しかったです。土方さんの苦悩ぶりと、総司のせつなさを感じて頂ければ、幸いです。お話は3につづきます。やっと告白できるでしょうか。またお読み頂けると嬉しいです。

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