……信じられない。
 まさしく今、土方はそういう気持ちだった。
 呆然とした思いで天井を見上げる彼の傍で、肩を震わせてすすり泣く小さな声。
「……すまない」
 のろのろと身を起こし、手をのばした。
 それに、びくんっと細い肩を震わせて。
「や」
「本当にすまないと思っているんだ……」
「怖い……い、やだ……っ」
「何もしない。もう何もしねぇから、だから……」
 俺を嫌わないでくれ──とは、とても云えなかった。
 返される言葉が怖くて、どうしても口にできなかったのだ。
「……すまない」
 今の土方はただもう、そうくり返すより他なかったのだった……。
 

 

 

 事の起こりは三日前にさかのぼる。
 総司が裏切った。
 というと、語弊がある。いや、土方との約束を破った。もしくは、土方よりも、可愛い娘たちとの「お茶会」を優先したとでも、云えば最適だろうか。
 総司はもともと女友達がたくさんいる。それも可愛い小町娘ばかりだ。
 そんな彼女たちから「お茶会」に誘われ、たまたまそれは土方と外で逢瀬する約束の日だったのだが、見事なほどあっさりと、総司は「お茶会」の方をとってしまったのだ。
 そろそろ出ようかと土方が部屋へ行ったところ、出てくる総司と鉢合わせした。
 そして。
「あ、土方さん。今からちょっと出かけてきますので」
「は? おまえ、出かけるって……」
「あのね、お鈴ちゃんとお里ちゃんとか、いろいろとお茶会なんですー。とってもおいしいお菓子が出るそうなんですよ。じゃあ、行ってきますね♪」
 呆気にとられる土方を残し、さっさと出かけて行ってしまったのだ。
 もちろん、土方は怒った。
 が、そこで大声で責めたてる程、彼も大人げないつもりはないし、富士山より高〜い矜持の持ち主である彼には、そんなみっともない事とても出来やしなかった。
 それ故、この可愛い我儘な恋人より九つも年上である大人の男として、きちんと振る舞おうと思ったのだ。節度ある態度を示すつもりだった。
 総司が反省し、きちんと謝ってくるのなら。
 だが──総司は謝ってこなかった!
 お茶会から楽しそうに帰ってくると、にこにこしながら事もあろうに土方相手に色々とお喋りし、さっさと寝てしまったのだ。
 しかも、翌日になっても、その翌日になっても、土方と約束していたことさえすっかり忘れているらしく、まったく知らん顔で日々を過ごしている。
 これには、さすがの土方の堪忍袋の緒もブチッと切れた。
 我ながら子供っぽいと思ったが、総司をつかまえて問いただそうとした。
 いったい何を考えているんだ! と。
 ところが、その時になってようやく総司は思い出したのか、彼の顔を見るなり、
「あ」
 と声をあげ、慌てて巡察だ稽古だと仕事熱心なことを口走り、あっという間にどこかへ行ってしまったのだ。
 結局、発散場所を失った土方の怒りは別の方面に向かってしまい、その日不幸にも鬼の副長と接しざるをえなかった隊士たちは甚大な被害を被った。(おもに島田さんや山崎さんなどとご推察下さい)だが、それでも彼の怒りは納まらなかった。
 何しろ、肝心の総司がぜーんぜん反省していないのだ。納まるはずもない。
「……総司、ちょっと来い」
 とうとう完全に頭にきた土方は、夕食後、寝ようとしていた総司を引きずるようにして自室へ連れこんだ。
 そして。
 問いつめようと褥の上に坐らせ、いろいろと話していたのだが、いつのまにか──いつのまにか……?
(いったい何がどうなって、あぁなってしまったんだ!?)
「……全然わからねぇ」
 土方は最低最悪の気分で、ぐったりと文机の上に突っ伏した。
 組んだ両手を額に押しあてて、いろいろ考えようとするのだが、どうしても理解できない。
 とにかく確かなのは、昨夜、自分は総司にとんでもなく激しく濃厚で執拗な情交を強いてしまったこと。
 翌朝、目が覚めると、総司が傍で悲しそうに瞳を潤ませ、しくしく泣いていたこと。
 その二点だけだった。
 確かに今までも強引で濃厚な情事はしたことがある。だが、記憶にないほどというのは初めてだった。
 それに、泣き腫らした総司の目もと、なめらかな頬に残った涙の跡は、見るからに痛々しくて。総司の白い肌は、自分がつけたらしい咬み疵や吸った痣だらけだった。しかも、その細い手首には縛られた跡まであったのだ。
 思わず周囲を見回せば、追い討ちをかけるように、彼の目に飛び込んでくる部屋の乱れきった有様。あちこちに散らばった二人の着物や帯、蜜の跡、ぐちゃぐちゃに乱れた褥から考えても、怯えきった様子で泣く総司から考えても、とんでもない情事を恋人に強いてしまったたことは確かだった。
 さすがに暴力はふるわなかったようで、それだけは安堵したのだが、それにしても。
(どう謝ればいいんだ……)
 土方は苦渋にみちた表情で低く呻いた。
 一夜にして、彼らの立場が完全に逆転してしまったことは確かだった。

 

 

 
「すまなかった」
 その夜、土方は総司の部屋を訪れると、男らしく謝った。
 じっと俯いて坐っている総司に、できるだけ静かな声で話しかけた。
「本当に……その、すまなかったと思っているんだ」
「……」
「いくら恋人でも、あぁいう無理強いはよくねぇ。最低だ。おまえが俺を怖がるのは当然なんだが……それでも、俺の傍にいて欲しいと思うのは、男の身勝手だろうか」
 真摯な土方の言葉に、総司はしばらく黙っていた。
 やがて、視線を落としたまま、小さな小さな声で訊ねた。
「もう……しない?」
「え、あぁ……もちろんだ」
「あんな怖いこと、酷いことしない? いやだと云ったらやめてくれる?」
「……俺はそんな酷いことをしたのか」
 思わず眉を顰めた土方に、総司は少し黙ってからこくりと頷いた。それに、くらくら目眩さえ覚える。
 いったい、俺は何をやったんだ!
 誰か教えてくれと叫びたかったが、とうの当事者である総司に聞く訳にもいかず、土方はその辺りの追及はさておき、とにもかくにも謝りとおすことにした。
「本当に悪かった! すまない。許してくれ」
 新撰組副長としての威厳も矜持もかなぐり捨てて謝る土方に、総司の瞳の色も和らいだ。
 そっと手をのばし、彼の躯にふれた。
「許してあげます……でも、絶対に二度としないでね」
「あぁ。約束する、絶対だ」
「土方さん……だい好きです」
 そう云って微笑んでくれた優しい恋人に、土方はほっと安堵の吐息をもらした。そっと抱き寄せると、躊躇いがちにだが身を寄せてくる総司がたまらなく愛しい。
「好きだ……愛してる」
 そう囁き、土方は可愛い恋人を柔らかく抱きすくめたのだった……。
 

 

 

「……で、事の顛末は?」
「というより首尾でしょう? もっちろん、うまくいきましたよー」
 総司は悪戯っぽく笑いながら、お茶を飲んだ。
 例によって春画本を読みながら腹ばいになっていた原田は、小さく苦笑した。
「いきなり部屋に飛び込んできたかと思ったら、危ない薬もってませんかっ? だもんなぁ。あれ、高かったんだぜ」
「そんな言い方しましたっけ? でも、結局は媚薬でしょう?」
 無邪気に問いかける総司に、原田はにやにやしながら頷いた。
「男を狂わせる媚薬って奴だよ。どんなお固い御仁でもあれを飲ませれば、一発で獣になっちまう。いくら百戦錬磨の土方さんでも、あれには抵抗できなかっただろうしなぁ」
「夕飯のお味噌汁に入れたんですけどね、全然気づかなかったみたい」
「味しないからさ。けど、総司も怖い怖い。あんなもの使うとはねぇ」
「だって、土方さん、めちゃくちゃ怒ってたんですもの」
 総司は可愛らしく桜色の唇を尖らせた。
「そりゃ約束忘れてた私が悪かったですけど、でも、土方さん怒り出すとしつこいから」
「けど、その分、いろいろ褥の中でされちゃった訳だろ?」
「えぇ……まぁ。でも」
 ちょっと頬を紅潮させ、総司は恥ずかしそうに笑った。
「あぁいう土方さんもいいかなって。すごく積極的にいろいろしてくれて、気持ちよかったし、どきどきしちゃった」
「総司も大人になったねぇ」
「やだ、原田さんったら……私はもう大人ですよ」
 くすくす笑いながら、総司は茶碗を盆にのせた。これから巡察なのでと、部屋を出ていく。
 それをしばらく見送ってから、原田は身を起こし、大きく伸びをした。
 そして。
「……と、いう事なんだけど」
 隣室にむかって少し大きめの声で言ってやると同時に、すうっと襖が開かれた。敷居のところで仁王立ちになり、眉間に皺を寄せている男を、原田は見上げた。
「入ったら?」
 そう云われ、男は部屋に入りながら後ろ手に襖を閉めた。先ほど総司が坐っていた場所に腰を下ろすと、深くため息をついた。
 にやにやしながらそれを眺め、原田は訊ねた。
「で、ご感想は……?」
「……この俺に毒を盛ろうなんざ、いい度胸じゃねぇか」
「毒じゃないって、薬。媚薬って奴だよ」
「同じようなもんだろうがっ!」
 土方は声を荒げ、ばんっと畳を叩いた。が、すぐに脱力してしまい、はぁーっとため息をついた。組んだ両手を額に押しあて、絞りだすような声で呻いた。
「……俺の苦悩は何だったんだ」
「いや、あんたも苦労するねぇ」
「おまえが云うな! おまえが!」
「こっちに当たられてもさ〜。おれは総司の頼み事を聞いただけだぜぇ。ほら、あんたを怒らせて怖がって可哀想だったし」
「だからって、あんなものを飲ませることはないだろ! 媚薬だぞっ」
「あ、味噌汁じゃまずかった?」
「そういう問題じゃねぇよっ」
 怒鳴りつけてから、土方はここで原田相手にごちゃごちゃ云っていても時間の無駄だと判断し、さっさと立ち上がった。部屋を出ようとしたがふと気づき、じろりと原田を切れの長い目で見下ろした。
「この落とし前は、きっちり付けさせて貰うからな」
「そんな、ひでぇー。おれは善意の助力しただけなのに」
「どこが善意の助力だ」
「だってさ、ほら、総司も歓んでたじゃん。あんたが積極的にいろいろしてくれて、気持ちよかったって」
「じゃあ何か、いつもは気持ちよくないって云うのかよ」
「そ、それをおれに聞かれても」
「わかった。本人にきっぱりすっぱり聞いてやる」
 そう云いきるなり、土方は踵を返した。大股で廊下を歩き、足早に自分の部屋へとむかった。
 巡察を終えれば、総司は戻ってくる。
 そして、必ず副長たる自分に報告のためやってくるはずだった。
 それを、いったいどんなふうに迎えてやろうか。
 あの──可愛いくてたまらない。
 だが、とんでもなく我儘な仔猫を躾けなおすには、いったいどうすればいいのか。どんな手段をとればいいのか。
 とにもかくにも。
「……しっかり躾け直してやる」
 土方歳三、29才。
 いつもいつも振り回されてきた仔猫ちゃんへのリベンジか。
 副長室のいつもの定位置に腰を下ろした土方は、頭の中を原田が読んでいた春画本も真っ青な妄想でいっぱいにして、仔猫ちゃん躾方法をあれこれ考え始めたのだった……。
 

 
 
 

 何も知らない総司が妙に優しい土方に迎えられた後、きつく甘い躾に昼間から可愛く鳴かされてしまい、その日の午後、副長室が立ち入り禁止どころか近づくことさえ禁止になったのは、しごく当然のことだった。








[あとがき]
 あれ? これは育て方というより、躾け方ですね。ま、いいか。(いい加減ですみませーん)土方さん、一服もられるの巻です。いつもいつもへたれ土方さんで、すみません。でもまぁ、ラストでリベンジしてますけど。相変わらずのバカップルですね。きつく甘い躾なんかじゃ、全然、総司こりてなさそうだし。皆様が笑いながら読んで頂けたなら、幸いです。って、そんなたいした話じゃないか。でも、久しぶりにバカップル書けて楽しかったです♪


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