「……浮気?」
驚いたように、歳三は聞き返した。
出先から戻ってきたばかりの彼に、宗次郎はいそいそとお茶を出してくれた。その茶碗を取り上げようとしていたのだが、思わずその手をとめてしまう。
「浮気って、あの、相手がいるのに、他の奴とやっちまうあの浮気か?」
思わず念押ししてしまったのは、その言葉を口にしたのが、とんでもなく初心だが、そこがまた可愛い(と、歳三は思っている)宗次郎だったからだ。
宗次郎はもう十五の年を迎えたのだが、まだまだ幼い。
よく動く黒曜石の瞳はもちろん、拗ねると尖らせる桜色の唇、丸みのあるなめらかな白い頬、華奢なその体つきまで、可愛らしい少年だ。
しかも性格は素直で優しく、歪んだ汚れなども全く知らない。
もちろん、それは歳三がそんな事に絶対触れさせぬよう、真綿でくるむようにこの少年を育ててきた故なのだが、本人は全くわかっていなかった。
相変わらず、彼を相手に我儘を言ったり拗ねたり、背のびして大人ぶったりしている。
そんな宗次郎を誰よりも愛している歳三からすれば、このままでいて欲しいような、早く大人になって欲しいような複雑な心境だったのだが。
「うーん、そうだと思います」
「そうだと思うって……いったい、誰の話なんだよ」
「え?」
小首をかしげる宗次郎に、茶碗を口元に運びながらつづけた。
「浮気っていうからには、それをする奴がいるだろ。永倉か、近藤さんか?」
「あ、違います」
宗次郎は明るい声で言った。
「私と歳三さんですよ」
「───っ」
「うわ! ちょっ……何してるんですか、もうっ」
思わず口に含んでいた麦茶を吹き出してしまった歳三に、宗次郎は慌てて手拭を取り出した。あちこち拭きながら、ちょっと心配そうに男を見上げる。
歳三はといえば茶でむせてしまい、涙目で咳き込んでいた。
「大丈夫ですか」
「……っ、げほっ…っ……」
何度か咳き込んで、ようやく収まった。宗次郎を睨みつける。
「おまえが……変なこと言うからだろ」
「だって、まさかこんなにびっくりするなんて……でも、何で?」
「知るかっ」
よくよく考えれば、あんなに慌てることはなかったのだ。なのに、思わず反応を返してしまった自分が情けない。
(まだまだ、俺も出来てねぇなぁ……やっぱり、後ろぐらいからかな)
ちらりと見た宗次郎は、可愛らしく笑いながら彼を見ている。
それにため息をつき、僅かに乱れた前髪をくしゃっとかきあげた。
「で? いったい、どういう意味なんだよ。俺とおまえが浮気って」
「ちょっと違います。歳三さんがです」
きっぱり、宗次郎は断言した。
「歳三さんが浮気ばっかりしてるって、ちゃんと捕まえておけよーって」
「……誰が言ったんだ」
「原田さん」
「……」
そうじゃないかと思ったが、予測どおりの名の登場に、歳三はため息をついた。
宗次郎が言葉をつづけた。
「この頃、歳三さんが遊んでばかりいるから、冗談まじりで言われたんですよ。もう少し女遊び謹んで、稽古の励んだ方がいいと思います。だいたい、あんな所のどこが面白いのかなぁ。女の人の白粉で息つまるかと思っちゃいましたよ、それにお金もすごくいるし。私はあんまり好きじゃ……」
「……ちょっと待て」
歳三は思わず遮った。
今、とんでもない事を聞いた気がする。
きょとんとしている宗次郎の細い手首を掴み、自分の方へ引き寄せた。まっすぐ見下ろすと、綺麗に澄んだ瞳が彼を見返してきた。不思議そうに小首をかしげている。
「今、何て言った」
「何って……あんまり好きじゃない?」
「違う、その前だ」
「お金がすごくいるし?」
「その前」
「女の人の白粉で息つまりそうになったってこと?」
宗次郎は無邪気に問い返してから、困ったように笑った。
「そうなんですよ、まだ一緒にお酒飲んだりしてる時はよかったんですけど、お布団の上でぎゅーっと抱きつかれた時、もう白粉の匂いで息つまりそうになっちゃいました。歳三さんはあぁいう時、どうしている……」
「ちょっと待て!」
歳三は思わず立ち上がり、叫んだ。
「おまえ、いつのまに色街なんざ行ってんだ! 何で、誰とそんな……」
「え、この間、永倉さんや原田さんたちと行ったんですけど……駄目だったんですか。歳三さんも誘った方がよかった?」
「……っ!」
歳三は無言のまま手にしていた湯飲み茶碗を畳に叩きつけた。そのまま大股に部屋を横切ると、驚いている宗次郎を残して足早に出て行ってしまう。
それを見送り、宗次郎はちょっと小首をかしげた。
もうめちゃくちゃ怒っていた。
腹がたってたって仕方なかった。
無邪気に女と過ごしたなどと言ってのける宗次郎にも、そして、それを全く知らされてなかった自分にも。
(……畜生っ)
歳三はもの凄い勢いで廊下を歩いていたが、途中、近藤と行き会った。驚いた顔をされたことで、自分がどれほど取り乱していたか自覚した。
「歳? おまえ、どうした」
「……別に」
「それが別にって顔か。いったい何があったんだ」
「何でもねぇよ」
そう云ってから、歳三はふと気が付いた。
宗次郎が原田や永倉たちと色街へ行ったことは、この近藤も知っているはずだった。この親友は知っていて、それを止めもしなかったのだ。
理不尽な怒りに奥歯をぎりぎり噛みしめた歳三を、近藤はやれやれと眺めた。
「何があったか知らんが、おまえがそんな顔してるってことは宗次郎がらみか」
「……」
「やっぱりな、おまえもいい加減弟離れしとかないと、後が辛いぞ」
「弟離れって何だよ」
「子離れの代わりだ。宗次郎もそろそろ元服の年頃だし……」
「まだ早いだろ」
「いや、遅いくらいだ」
そう呟いた近藤に、、歳三は不意に息を呑んだ。何を思いあたったのか、すうっと目を細める。
「……勝っちゃん」
妙に低い声で呼ばれ、近藤はぎくりとした。
驚いて見ると、歳三はこちらをじっと見つめていた。
切れの長い目が底光りし、凄い迫力だ。
女相手ならくらくらしそうな艶のある目だが、近藤にはただただ恐ろしいだけだった。
ごくりと唾を飲み込んだ。
「な、何だ……?」
「宗次郎を色街に行かせたのは、もしかして、あんたなのか?」
「え」
「宗次郎がさっき喋ってた。原田や永倉と一緒に色街に行って、女に抱きつかれたと」
「あ、うー……」
「よく考えてみれば、おかしな話だ。あいつらにそんな金あるはずねぇのに、宗次郎まで連れていくなんて。という事は、どこかのお節介野郎が宗次郎の分だけでも金を出したって訳だ。なぁ、そうじゃねぇか?」
「と、歳! 待て、話を……」
思わず近藤は後ずさり、周囲を見回したが、どこにも逃げ場などない。
それどころか、先ほどまで聞こえていた原田や永倉の声もいつのまにか消えてしまっていた。歳三が近藤につめよっている様を見て、危険を察知し慌てて逃げ出したのだろう。
壁に背を張りつけてしまった近藤を、歳三は黒い瞳でまっすぐ見つめた。
そのまま僅かに小首をかしげると、形のよい唇の端をつりあげて笑った。
綺麗な笑みだが、とんでもなく怖くて冷たい。
「勝ちゃん……なぁ、元服前に筆おろしって訳か? そろそろ元服させたい、ならその前についでに筆おろしさせちまっておこう。そういう魂胆で宗次郎を色街なんざに行かせたんだろ? 俺がどれだけあいつを大切に思っているか知っていながら、あんたは……」
歳三はゆっくりと手をのばし、近藤の襟元を掴んだ。そのままギリギリーッと締めあげてくる。
思わず近藤はじたばた暴れた。
とんでもなく苦しい。
もともと力でいけば、近藤の方に分配があがるのだが、今日の場合、ひたすら分が悪かった。何しろ、歳三が云っていることはすべて事実なのだ。
そのため、いかんせん力づくで払いのける事もできない。
「く、苦しい……首、首しまってる、歳……!」
「だよなぁ。襟もと締めれば。そりゃ首もしまるよなぁ、勝ちゃん……苦しいか?」
意地悪く笑いながら自分を覗きこむ親友の黒い瞳に、この男の本性を見た気がして、近藤はぞわぞわ悪寒さえ覚えた。
が、それでも本当のところは、敵に容赦なく身内には意外と優しい彼だ。
すぐ力を抜くと、歳三はにっこり綺麗な顔で笑ってみせた。
「で? 白状する気になったか?」
「……う」
「ほら、さっさと話せよ」
「歳。だからな、その……」
そう近藤が云いかけた時だった。
ばたばたと足音がしたかと思うと、突然、その場に第三者が現れた。
とうの噂の張本人、宗次郎だ。
宗次郎は廊下を走ってくるなり、いきなり歳三の背中に抱きついた。
「ごめんなさい……!」
ぎゅっと男の背に抱きつき、宗次郎は甲高い声で叫んだ。
「ごめんなさい、歳三さん」
「……え?」
「私が悪かったから、吉原なんか行ってごめんなさい! 前に歳三さんと約束したのに、あんなとこ行かないって云ったのに」
「……」
「ごめんなさい、私が悪いの。だから、若先生と喧嘩したりしないで」
そう云ってから、宗次郎は歳三の躯に回していた細い腕をするりと抜いた。そして、近藤を大きな瞳で見つめ、ぺこりと頭を下げた。
「若先生にもごめんなさい! せっかくお金出してくれたのに、お店紹介してくれて女の人まで呼んでくれたのに、本当にごめんなさい……!」
「う、あ……いや、その」
近藤は目を白黒させている。
それに気づかず、宗次郎はくるりと背をむけ、歳三を見上げた。
甘えるようにじっと見つめた。
「歳三さん、お部屋に行ってていいでしょう?」
そっと手をのばし、彼の着物の袂を握りしめた。
「あのね、さっき井上さんからおいしいお菓子を貰ったんです。歳三さんと一緒に食べたくて」
「……あぁ」
歳三は微笑んだ。彼の瞳がとろけるように優しくなる。
「わかった、一緒に食おうな。先に行っててくれるか」
「はい!」
元気よく答えると、宗次郎は廊下を駆けていった。来た時の様子と違い、うきうきした足取りで走ってゆく小柄な姿が、たまらなく可愛い。
それを見送りながら、歳三は腕を組んだまま低い声で呼んだ。
「……勝っちゃん」
呼ばれ、近藤はまたまたごくりと唾を飲んだ。
そんな近藤に背をむけたまま、歳三は静かな声で云った。
「店、紹介したんだってなぁ……」
「いや、その」
「金出して店紹介して、女まで呼んでやって? そりゃまたご親切な事だよなぁ。けど……つまりは近藤さん、あんたもそこにいた訳だ」
「…………」
「ふうん。俺のいねぇ間によくもそこまで画策してくれたもんだなぁ。それで俺にばれねぇと思ってたのかよ」
歳三はゆっくりとふり返り、笑った。
が、その切れの長い目は全然、笑っていなかった。
「……覚えてろよ。俺の可愛い宗次郎を傷ものしてくれたんだ、この恨みは絶対忘れねぇからな」
「う、恨み……」
絶句している近藤を残し、歳三は踵を返した。
そして、可愛い可愛い宗次郎が待っている自分の部屋へと、さっさと歩み去っていったのだった。
さて、歳三の部屋で、彼を待っていた宗次郎は彼が入ってきたのを見ると、満面の笑顔になった。
「歳三さん」
にこにこしながら、手元の皿をさし出した。
小さな桜色の団子が幾つか乗っている。それをひょいと取り上げ、口に放り込んだ。じっと見つめる宗次郎に、笑いかけてやる。
「うん、旨いな」
そう云うと、宗次郎は嬉しそうに笑った。その笑顔がまたとんでもなく可愛い。
歳三はちょっとため息をつき、腰を下ろした。
おいでと手をさしのべると、宗次郎もすぐさま寄ってくる。
ひょいっと膝上に抱きあげてやりながら、歳三はまたため息をついた。
それに、宗次郎は悲しそうな表情になった。
「まだ怒ってる?」
「ちょっと複雑だ。やっちまったものは仕方ねぇし」
「やっちゃったって何を?」
「だから、筆おろしのことだよ」
そう云った歳三に、宗次郎はきょとんと小首をかしげた。
「筆…おろし? 何のこと?」
「え?」
「筆って、あの文を書くのに使うものですか?」
「そうじゃなくて……っ」
云いかけ、歳三は気がついた。慌てて宗次郎の顔を覗き込んだ。
「おまえ、女を抱いたんじゃねぇのか? もうやっちまった訳じゃ……」
「え、あの話? 違うんです」
ふるふると首をふり、宗次郎は俯いた。恥ずかしそうに、ぽっと頬を染めた。
「あれ、全然だめだったんです」
「? どういう意味だ?」
「白粉の匂い凄くて、抱きしめられただけで怖くて、逃げてきちゃったんです」
「……」
沈黙してる歳三に、宗次郎は恥ずかしそうに訊ねた。
「もしかして呆れてます? 子供だなぁって」
「……いや」
首をふってから、歳三は宗次郎の細い体をぎゅっと両腕に抱きしめた。
「よかったんだ、おまえ……それでよかったんだよ。けど、もう二度と行くな。あんなとこ行くんじゃねぇぞ」
「はい」
宗次郎はこくりと頷き、歳三の胸もとにしがみついた。その細い指さきがそっと彼の着物を握りしめた。
「もう行きません、行きたくないです。だって……」
「宗次郎?」
「だって、歳三さんがいいから……こうして抱きしめてくれるなら、歳三さんの方がずっといいから……」
小さな声で恥ずかしそうに云った宗次郎に、歳三は思わず苦笑した。
腕の中に抱きこんだ少年の柔らかな髪に顔をうずめ、小さく舌打ちしてしまう。
「……ったく、人の気もしらねぇで」
「え?」
宗次郎は歳三を見上げ、小首をかしげた。それから、じっと彼を見つめたまま、にっこり笑いかける。
その笑顔がぱっと花が綻ぶようで、思わず歳三は手をのばした。また少年の細い体を引き寄せ、ぎゅっと胸もとに抱きしめた。
「ちくしょう……可愛くてたまらねぇよ」
「歳三さん?」
不思議そうに呼びかける宗次郎が、可愛くて可愛くてたまらない。
この少年が本当の意味で、大人になるのはいつなのだろう。
どんなに望んでも、このままであって欲しいと思っても、いつかは成長し、自分の手を離れていってしまうのだ。
その時、自分は笑って見送ってやることができるのだろうか。
……それとも。
二度と彼から離れられぬよう、こうして腕の中に閉じこめてしまうのだろうか。
己の奥深くにある、狂おしく激しい愛のままに──
「……宗次郎、好きだ」
歳三は愛しい少年を抱きしめたまま、囁いた。
もしかすると。
永遠に、己のものにはできないかもしれない、その体を抱きしめて。
心から愛おしく思うがゆえに。
いつまでも綺麗なままでいて欲しい、その大切な存在を。
そっと優しく抱きしめると、歳三は静かに目を閉じたのだった……。
[あとがき]
このお話は「あなたの腕の中で」のつづきになります。あの時、行かないって約束したのに、それを忘れて宗ちゃんは行っちゃった訳です。好奇心旺盛な少年だし、なかなか帰ってこない愛しい歳三さんに逢えるかも♪なんて、いじらしい事を考えた上での行動なのですが、もちろん、歳三さんはそんなの知らないから、ご覧のとおり近藤さんに当たりまくった訳です(笑)。
相変わらずもどかしい恋人未満兄弟以上の、歳宗話でした♪