人はその誕生時から
どこか欠けているのだと
そう──教えてくれたのは誰だったか
だからこそ人は生きるのだと
その欠けた片割れを求め、生きてゆくのだと
私に教えてくれたのは……
さわさわさわ。
風が吹いてゆく。
すすき野原だ。闇にゆれる。
天は濃紺の夜空。銀色の月光。
鏡のように澄み、透かれた三日月の夜だった。
「──月が……きれい」
そっと吐息をつくように、総司が呟いた。
両膝を抱えこんだまま、月を見上げた。その細い肩さきで柔らかな黒髪がゆれた。
それを見つめる土方の前で、小さく微笑んだ。
「何があっても月は変わりませんね。どんなに時が過ぎても。樹木や花、景色や人さえ、みんな変わってゆくのに。月だけは……昔も今も同じだ」
「……」
「……それにしても」
不意に、くすっと総司は笑った。悪戯っぽい瞳で、左に坐る土方を覗き込んだ。
「ほんと……久しぶりですね」
「何が」
「こんなふうなの。何だか、昔に戻ったみたい」
土方は不審そうに総司を見た。にこっと総司が可愛らしく笑う。
「こんな風な喧嘩、久しぶりでしょう? 原っぱに坐りこんで二人だけで。まるで江戸の頃に戻ったみたいですね」
「……」
「あの頃も、よく二人で喧嘩しましたよね」
「これからもやるさ」
きっぱりした口調で土方は答えた。
「この先ずっとな。まだまだ新選組はやる事が山ほどある」
それに総司は静かに目をふせた。小さく微笑む。
しばらく黙った後、折りとった薄をもてあそびながら、ゆっくりとした口調で云った。
「でもね──土方さん」
「あぁ」
「そろそろ一人歩きはやめませんか? かりにも新選組副長。もう昔とは違うんですから」
くすっと土方は笑った。
「おまえに説教されるとはな」
「茶化さないで下さい」
珍しくきつい口調で、総司は云った。
「今夜だって、つけられてる最中に私に会ってなかったら、どうなっていたと思うんです。こんな原っぱで逆に待ち伏せどころか、その辺の路地裏で……」
言葉をつづけようとして、不意に総司は口をつぐんだ。ふと耳をすますような表情になり、ゆっくりと右手を刀の柄にやった。
「……来たようですね」
「あぁ」
そう答え、土方は身を起こした。草むらから立ちあがる。
夜空の三日月。それに照らされた白い道へ、すべるように歩み出た。
「!」
はっと浪士たちは足をとめ、慌てて身構えた。
彼らの前で、土方はうっすらと笑ってみせた。
「どうした? 俺を探していたのではないのかね」
「お、臆するな! 奴は一人だ」
「斬れ!」
が、土方の背後に影が動いた。静かに総司が立ちあがり、すうっと刀を抜き放ったのだ。
彼らの顔色が変わった。
「……沖田……!」
「うわぁぁぁ──っ」
絶叫とともに斬りこんでくる。それを土方は横なぎに払った。
総司は初めの男を突き、次に上段から一刀のもとに斬り下げた。どうっと道に倒れこむ二人の屍。素早く身をひいて返り血は避けた。
闇に血の匂いがきつい。
「……あっという間に二人か。相変わらず見事な腕だな」
呟いた土方に、総司は黙ったまま刀の血を拭い、鞘におさめた。目をあげ、静かな声で訊ねた。
「どうします?」
「番所に片付けさせるさ。身もとはしっかり洗わせよう。俺ばかりかおまえも見知っていた奴らだ、何か裏がでるかもしれん」
そう云い捨て、土方が歩き出した。総司はその隣に並んだ。
しばらく黙々と歩いていたが、ふと思い出したように呟いた。
「──そう云えば……」
「うん?」
「あの夜も月が……」
「あの夜?」
「えぇ。初めて……人を斬った夜です」
「──」
ちらりと土方は総司の横顔を見た。
月の光に縁取られた、綺麗なその顔。長い睫毛が僅かに伏せられた。
その横顔のまま、総司は言葉をつづけた。
「あの夜もね、すごく月のきれいな夜だったんです。透きとおるような銀色の月で怖いくらい。私は人を斬ったのに、初めて人を殺したのに……それなのに、その月ばっかり見ていた」
「……」
「今もね、あの時もね。いつも、私は人を斬っても何とも思わないんですよ。人を殺しても、心に落ちる重みもなくて。あぁ、音がしたなぁとか、血がいっぱいだなぁとか。死んだなぁとか。そう思うだけなんです。ううん……もしかしたら、思ってもいないかもしれない」
「……総司」
「こんな話、いやですか」
総司は土方の方をむいた。
「聞きたくないですか、腹がたちますか。でも、聞いて下さい。私は、今日ね……医者に行ってきたんです」
「……」
「土方さんも知っているでしょう? 私が労咳だってこと、血を吐いたこと治らないこと、もう長くないってこと。みんな、あなたも……私も知っている。だから今夜ね、医者に思いきって訊ねました」
「何を」
「私は後どれくらい生きられますか……と」
「……」
土方は思わず足をとめた。が、つとめて表情を消したまま、ゆっくりとふり返った。
総司は、静かな瞳で彼を見返した。
「あと……二年ともたないと云われましたよ」
「……」
「知っていましたか。やっぱり……」
くすっと総司は笑った。
長い睫毛を伏せ、呟くように言葉を続けた。
「それを聞いて、私はすごく不思議な気持ちでした。悲しいような怖いような、ほっとしたような。二年後の自分の死を告げられて。そうした気持ちのまま、あの浪士たちを斬り殺して……」
「……」
「矛盾してますよね。おかしいですよね。自分の死を恐れて、なのに人の命を奪って……何とも思わないなんて」
「総司」
「初めから、ずっとそうだった。初めて人を殺した時から。この京に来て初めて、人をこの手で殺した時。他の皆はまっ青になって震えているのに、私は何も感じないで、ぼんやり月なんか眺めているんですからね」
総司は顔をあげた。うっすらと微笑んでみせる。
柔らかな月明かりの中、それは驚くほど大人びた──そして、悲しいくらい綺麗な微笑みだった。
どこまでも澄んだ子供のような瞳だった。
それを見つめる土方の前で、総司はゆっくりと言葉をつづけた。
「もしかしすると、私は……欠けた人間なのかもしれませんね」
「……」
「人としての何かが決定的に欠けているのかもしれない。そして、欠けたまま殺して殺して、血まみれになって……いつか、自分をも殺してしまうんでしょうね。きっと」
一息に告げた後、総司はふっと息をついた。
「そう……思ったんです。今夜、あの月を見た時、浪士たちを殺した時、そんなことをふと思ったんです」
「……総司」
思わず呼びかけた土方に、総司は瞳をむけた。
やさしく、だが困ったように微笑んだ。
「いやな話をしました。土方さんに甘えてるなとわかっているんです……ごめんなさい」
「総司、俺は……」
何かを土方は云おうとした。が、何を云えばいいのか、わからなかった。
人を斬るなんてやめろ。
そんな事はおまえに似合わない。
人を殺すたび傷ついてゆくおまえなど、もう見たくない。
そう、昔なら云えただろう。
昔の歳三なら。
だが、今ここにいるのは新選組副長土方歳三だった。
もう……俺は昔の俺ではないし、おまえも昔のおまえではない。
二人とも、こんなに遠くまで来てしまった。
あの頃にはもう二度と戻れないほど、遠くへ──……
「土方さん」
そんな土方の様子を見ていた総司は、不意に彼の手をとった。そっと指をからめ、目を伏せた。
「冷たい。すごく冷たい手ですね……」
「……」
「いいんですよ、もう。何も云わないで下さい。みんな……私の甘えなんですから。私もわかっているんです。私が私で、あなたがあなたで。だからこそ、ここにこうしているんだという事。あなたと一緒に生きているんだという事もみんな……」
ゆっくりと総司は手を離した。
背をむけ歩きだす。
驚くほど小さな細い背だった。
月の光の中、今にも儚く消えてしまいそうな───
「……総司」
思わず土方はその背にむかって呼びかけていた。
「はい──」
足をとめ、ゆっくりとふり返った。
それに少し黙ってから、土方は静かに低い声で云った。
「俺はな……総司」
「……」
「ずっと走ってきた。新選組のために戦ってきた。随分残酷な事もした。鬼と罵られながらも、大勢の者を斬り、斬らせ、数えきれぬほど殺してきた」
「……」
「おまえが云ったとおり、俺はもう昔の俺じゃないし、おまえもそうだろう。昔には決して戻れやしないんだ」
「……土方さん」
「欠けている──とおまえは云う、自分が欠けていると。俺も自分をそう思っているよ。おまえどころの騒ぎじゃないさ。おまえが半月としたら、俺は今夜の三日月あたりだからな」
くすっと総司が笑った。
「そんなの──」
「いや。だからな……総司」
「はい」
「それで……ちょうどいいじゃねぇか?」
「……」
総司の目が見ひらかれた。
月の光の中。
子供の頃のような、あどけない表情。
まるで何一つ変わっていないような……。
それを見つめたまま、土方は静かな声で言葉をつづけた。
「なぁ……総司」
「……はい」
「おまえが欠けていなかったら、おまえが今のおまえじゃなかったら、俺はおまえを愛してなかったよ」
「……」
「おまえと一生を共にしようと、思わなかったはずだ……」
一生を。
これからも、ずっと一緒に。
ただ、ひたすら──この長い道を。
「……」
しばらくの間、総司は何も云わなかった。
が、やがて、小さく呟くように彼の名を呼んだ。
「土方さん 」
「あぁ」
「本当に……なんて、遠くまで来たんでしょうね」
ゆっくりと夜空を見上げた。さらりと柔らかく髪がゆれた。
総司は言葉をつづけた。
その声は深く、静かだった。
何よりも変えがたく。
「こんなに遠くまでひたすら走ってきて。そして──これからもゆくんでしょうね」
「……」
「ずっと、どこまでも……あなたと一緒に」
「総司……」
静かに土方は歩み寄り、両手をさしのべた。その胸もとに、総司はそっと寄りそった。
抱きしめてくれる恋人の腕の中、目を閉じた。
銀色の月。
透きとおった夜。
欠けた己の片割れだけを感じて。
それが何よりも切なく。
そして。
どこまでも愛しかった……。
いつかはみちる
悲しみの私たちも
夜に欠けたあの月のように
そう信じ──願って
いつかは、きっと……
[あとがき]
このお話を書いた時、どん底の総司を土方さんがどう慰めるのか、まったくわからないまま書いてました。でも、いつのまにか、土方さんがうまい具合に云ってくれちゃったという。一人は淋しいけど、片割れが傍にいてくれるなら、こんな幸せな事はないですよね。ある意味、幸せな恋人同士。私はそう思うのですが、いかがなものでしょうか。
ちなみに、冒頭の言葉を総司に教えたのは、山南さんです。そういう設定のつもりで書きました。
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