──冷たく嘲るような嗤い。


 その突然の豹変が、総司にはまったく理解できなかった。
 否、これがいつもの彼自身の姿だとわかっているのに、どうしても、その冷たさを受け入れられなくて……。





「な…に……?」
 総司は怯えたように、目を瞬いた。
「何を笑って……」
「……いや」
 土方はふっと形のよい唇の端をつりあげた。
 冷たく澄んだ瞳で、総司を静かに見下ろしてくる。
「おまえって本当に子供だ。何も知らねぇんだな」
「どういう…意味……」
「全部、嘘なのさ」
 淡々とした口調で、土方は答えた。
 それに、総司は目を見開いた。
「……え……嘘……?」
「あぁ、そうだ。嘘だ」
 くっくっと喉奥で笑いながら、土方は身を起こした。
 褥の上に胡座をかいて坐ると手をのばし、枕元の煙管を取り上げた。火をつけ、慣れた手つきで紫煙をくゆらせながら、切れの長い目を細める。
 それを、総司は呆然と眺めるばかりだった。褥に横たわったまま、目を瞠り、彼だけを見つめている。
 どこか縋るような表情で。
 だが、そんな若者に、土方は嘲るような口調で言葉をつづけた。
「さっき云った事は、全部嘘なのさ。俺はおまえを抱いちゃいねぇよ」
 黒い瞳が愉悦に似た色をうかべる。
「だいたいさ」
 膝に頬杖をつき、すがめた目で総司を斜めに眺めた。
「この俺がおまえみたいな子供を相手にすると、本気で思っていたのか。それも、男だぞ」
「……っ」
 絶句した総司に、喉奥で低く笑った。
「おまえみたいなのに手を出すほど、相手に困っちゃいねぇさ」
「だったら……どうして……!」
 思わず総司は叫んでいた。
 身を起こし、褥を握りしめて彼をまだ涙に濡れた瞳で見あげる。
「どうして、あんな事を云ったのです! 私を……騙したの……っ?」
「まさか本気で信じるとは、思ってもいなかったからな」
「土方…さん……」
「おまえも、男に抱かれた後かどうかぐらい、躯を確かめればわかる事だろうが。まったく……」
 土方は小馬鹿にしたような嗤いをうかべた。ふうっと紫煙を吐き出しながら、冷たく云い捨てる。
「本当に、おまえは莫迦な子供だな」
「……っ!」


 その瞬間。
 ぱんっと小気味のいい程の音が部屋に鳴った。


 総司が怒りと屈辱の感情に身をまかせ、男の頬を平手打ちしたのだ。
 こんな事をすれば、彼の怒りを買う。だから子どもなのだと、また罵られる。そう思ったが、彼が怒ったのかどうか確かめる余裕さえ、今の総司にはなかった。
 涙をぽろぽろこぼしながら、思いっきり叫んだ。
「土方さんなんか……だいっ嫌いッ!」
「……」
「あなたなんか、いなくなったらいいんだ! 嫌い、嫌い…だいっ嫌い……ッ!」
 そう叫ぶなり、総司は立ち上がった。
 枕元にあった着物を掴んで身をひるがえし、部屋を飛び出していってしまう。
 荒々しく閉められた襖の音だけが、夜明け前の部屋に響いた。










 静まり返った部屋で、しばらくの間、土方は宙だけを見つめていた。
 手にした煙管から、紫煙がたちのぼる。
 微かに視線を落とすと、一瞬だけ唇を噛んだ。やがて、堪えきれなくなったように、くっと喉奥で嗤い声をたてた。
 誰もいなくなった、総司の残り香さえ消えてしまった部屋の中で、土方は一人嗤った。
 まるで、狂ったように。
 いや、本当に狂っているのかもしれなかった。
 この世の誰よりも愛おしい存在を傷つけ、貶め、苦しめて。
 いったい、自分は何をしたいのか。
 総司を愛しているのではなかったのか……。


(……愛してる。気が狂いそうなほど、愛してる)
(なのに、俺は……)







 酒宴の席でも、総司のことばかり気にしていたのだ。
 視線をやらずとも、その気配、声を、探るようにじっと全身で感じていた。
 傍に侍っている女たちの事など、全く気にもとめなかった。
 彼の中にあるのは、総司の存在のみ──だったのだ。
 いつでも、そうだった。
 どんな時でも、こんなふうに、あの若者は彼を易々と征服してしまうのだ。
 彼の身も心も虜にし、溺れさせ、狂気にも似た愛の地獄へと突き落としてしまう。
 花のように、きれいな笑顔で。
 可愛らしい、あどけない仕草で。
 ふとした時に流れる視線も、ふっくらした桜色の唇も、細い手足も。
 涙をうかべたその瞳さえ、まるで星のように美しく───


(あぁ……総司)


 どれほど愛すれば、おまえは俺のものになってくれるのか。
 愛しても愛しても手が届かない、永遠の存在。
 この世の誰よりも清らかで、無垢で、きれいな総司。
 おまえは、何も知らないのだ。
 俺がどんな想いで、おまえを守りつづけてきたのか。
 おまえを守るため、この手を幾度汚したか。
 だが、それでも構わなかった。いっそ望んだ。この世の闇に汚泥につかるのは、俺だけでいいと。
 おまえだけは、どんな穢れからも無縁のまま、綺麗に、愛らしく笑っていて欲しかった。


 ……なのに。
 おまえは、そんな俺のささやかな願いさえ裏切ってゆくのだ。







 宴が終わりに近づいた頃、酔った総司がふらふらと部屋を出てゆくのに気づいた。
 一人であるが上に、足下さえ覚束ない酔いっぷりだ。
 土方は嫌な予感を覚え、慌てて席をたった。広間を横切り、総司を追うために出てゆく。
 廊下に出て探してみれば、案の定だった。
 総司は、他の広間にいた客たちにからまれ、誘われていたのだ。
 しかも、それを総司はごく当然のように受け、見も知らぬ男たちにその身をまかせようとしていた。
「……おい」
 土方は大股に歩み寄ると、凄味のある声で呼びかけた。
 総司にふれている手を、乱暴に払いのけてしまう。
「おまえら、こいつをどうするつもりだ」
 素早く総司の細い肩を抱いて引き寄せ、底光りする目で男たちを睨みつけた。
 突然、現れた邪魔者に男たちは色めきたったが、憤怒に燃える土方の迫力に慌てて後ずさった。そのまま何やら云い訳めいた事を口ごもり、足早に去っていってしまう。
「……」
 嘆息し見下ろしてみれば、総司は眠りに落ちていた。
 この世で一番嫌いな男の腕へ素直に身をゆだね、やすらかな寝息をたてている。
 それを愛おしいと思う一方、怒鳴りつけたい程の苛立ちがこみあげたのも確かだった。
 呑気に自分の腕の中で眠っているが、一歩間違えばこの華奢な白い躯は男たちに蹂躙されていたのだ。
 おそらく助けたなどと云っても、一片の感謝もむけられないだろうが、それでも、この愛しい若者の危険を見過ごすつもりなどさらさらなかった。
 だが、助けたはいいが、いったいどうしたものか。
 土方は少し考えてから、すぐ傍を通りかかった仲居に部屋の用意を頼んだ。総司をそこで寝かせようと思ったのだ。
 用意された部屋に運びこみ、褥へそっと横たえた。苦しいだろうと袴を脱がして、小袖の帯も緩めてやった。
「……ん……っ」
 それに、総司が微かに身動きした。とたん、ゆるんだ襟のあわせめから覗く白い肌が彼の目を打った。
「!」
 どきりとした。
 華奢な躯は、褥の上で無防備に横たえられている。
 あれほど望んだ、この世の誰よりも愛おしい存在が今ここにあるのだ。
 彼の手の中に。
「……総司」
 思わず傍に跪き、その頬を両手のひらで包みこんだ。
 深い眠りに落ちた総司は、むろん、嫌がることもない。
 いつも彼と顔を逢わすだけで、あからさまな嫌悪をあらわす総司が、彼にふれられても抗い一つできないのだ。
 今、この愛しい若者は深い眠りの中にある───。


(……いっそ)


 奪ってしまおうか、と思った。
 この白くて細い躯を男の欲望で穢してしまうのだ。
 それを、総司自身も先ほど許していたではないか。あんな酔漢に身を任せようとしていたではないか。
 見知らぬ男に抱かれてもいいのなら、その最初の花を散らすのが自分であってどうしていけないのか。


(いや、そうだな……)


 土方はほろ苦い笑みをうかべた。
 総司は、自分に抱かれるぐらいなら、見知らぬ男に抱かれることを望むだろう。
 この世で一番嫌いな男に穢される屈辱を味わった時、いったいどんな顔をするのか。
 だが、そう思ったところで、実際、総司を抱けるかといえば、それはまた別の話だった。
 誘惑は強く、どす黒い雄の欲望が腹の奥底から突き上げたが、それでも彼は総司を抱かなかった。
 そして。
 目覚めた総司に偽りを告げることで、深く傷つけ、屈辱だけでもあたえようとしたのだ。
 結果は、彼の方も己の傷をより深めることになってしまったが……。






 土方は僅かに目を細め、先程まで総司が身を横たえていた褥へ視線を落とした。
 そっと指さきでふれれば、まるでそこにぬくもりが残っている気さえした。この世の誰よりも愛おしい若者のぬくもりが……。


(……あれでよかったのだ)
(俺があいつを抱いた方がよかったとは……到底思えない)


 総司を愛しているからこそ。
 どんなに言葉で心を傷つけ、苦しめても。
 嫌悪され、憎まれても。
 それでも、誰よりも愛しているからこそ、穢すことなど到底出来なかった。
 彼にとって、総司は、永遠に踏みいる事のできぬ聖域なのだから。





 土方は立ち上がると、自分も身支度を始めた。
 今日もまた副長として多忙な一日が始まるのだ。
 夢のような──辛く哀しい夜は、終わったのだから。



 ──ただ一つだけの事をのぞいては……。










 総司は屯所へ戻ると、自室に閉じこもった。そして、泣いた。
 子供に戻ったように泣いて泣いて、泣きじゃくった。
 こんな事をしていれば、隣室の隊士たちを起こしてしまうかもしれないと思ったが、それでも涙は後から後からあふれた。
「っ…ふっ…ぅ……っ」
 部屋の真ん中でうずくまり、両手で顔をおおって泣く。
 ずっとずっと、わかっていた事だった。
 わかりきった事だったのだ。
 あの人が自分みたいな子供など、相手にするはずもないのだと。
 いつも美しい女たちに囲まれ、その艶やかさに纏わりつかれてきた彼から見れば、総司など取るにたらない子供なのだから。
 なのに、その子供が彼に生意気な口をきいたり、反抗したりするから、彼自身もあぁして酷い言葉を投げつけてきたりする。
 もっと素直なら。
 もっと、自分が綺麗であれば。
 せめて男でなく、娘だったら。


(土方さんは、私を少しは見てくれただろうか……)


 今も、耳奥に蘇る彼の冷ややかな声。
 そして、目にやきついた、あの嘲りにみちた瞳。


『だいたいさ、俺がおまえみたいな子供を相手にすると本気で思っていたのか』


 思ってなど、いなかった。
 そんなこと思った事もなかった。
 だけど、でも。
 あなたがあんな事を云うから、一瞬でも優しくしてくれるから。だから、思わず願ってしまっただけだったのに。
 幸せを、嬉しさを、そっと噛みしめていたのに。
 なのに……。


「……っ、ぅ……っ」
 総司は泣きながら、何度も何度も呼吸をくり返した。
 必死になって涙をとめ、泣くのをやめようとする。


 泣いても仕方のない事だから。
 どんなに泣いても縋っても、あの人は決してふり返ってくれない。
 あの人にとって、私は、永久に鬱陶しい生意気な子供にすぎないのだから。





 総司は涙をぬぐってから、のろのろと立ち上がった。
 着物を代えることで気持ちを入れ替えようと思ったのだ。葛籠の蓋をあけ、中から小袖を取り出す。
 昨日の着物をすべて脱ぎ捨て、白い素肌にその小袖をすべらせた。


 ──その一瞬、だった。
 障子越しにさしこむ柔らかな朝の光の中。
 総司の雪のように白い背に、紅い花が艶やかにうかびあがった。



      永遠の約束に似た。
      ──くちづけの痕。



 総司は何も知らぬまま、着物に袖を通した。帯をしめ、気持ちをきりかえて部屋を出てゆく。


 だが、その背には。
 この世でただ一人、彼だけが知っている。
 艶やかに花咲いた。




       所有の証───。


















 

[あとがき]
 何だか、総司の知らない土方さんの行為ばかりが、増えていってる気がしますね。でも、こういうシュチュが好きでして。
 まだまだすれ違いの恋人たちですが、またつづき読んでやって下さると、嬉しいです。