冬の夜だった。
 布団へもぐりこんだ総司は、己の爪先がひどく冷たい事に気づいた。だが、今更どうしようもない。
 思わず身をすくめ、子供のように躯を小さく丸めてしまった。





 冬の夜は冷たくて嫌いだった。
 どんな時であれ、独り寝が嫌いな事は確かだったが、冬はとくに、淋しさが冷たい爪先から伝わってくるようで、悲しくなった。
 京に来てからは、とくにその想いが強い。
 試衛館にいた頃は雑魚寝することもあったため、淋しさなど感じた覚えがあまりなかった。
 何度か、土方と枕を並べて眠った事もあるのだ。
 あの時どれだけ、胸を高鳴らせていたか、あの人はきっと知らない。
 まるで拒絶するように、嫌っている事を思い知らせるように、こちらに背を向けて眠る彼の姿に、辛くて辛くて、涙があふれそうになったことも。
 その後、布団をひきかぶり、こみあげる嗚咽を必死に押し殺したことも。
 何も知らず眠る彼を、いっそ本当に嫌えたらと思った。
 だいっ嫌いという言葉を、本当にできたら、どんなに楽だろう。
 だけど、でも、そんなこと出来るはずもなくて……。


(あんなにも恋しい人を、嫌いになんかなれるはずがない……)


 冬の闇を見つめながら、総司は小さく笑った。
 あの頃のことを思うと、なんて子供だったのか。
 好きだということを告げることもなく、ただ、あの人への恋心に涙し、風にそよぐ花のように揺れていた。
 ただ、一言だけ。


 好きです──と。


 そう告げられたなら、きっと何もかも変わったはずなのに。
 そんな勇気すらなくて……。
「今更……後悔しても遅いよね」
 総司は静かに布団を引き寄せた。
 そして、あの頃のように頭までひきかぶると、そっと瞼を閉ざした。













 あれはまだ江戸にいた頃だった。
 試衛館にいた頃のことだ。


(……総司の隣で眠った事があった)


 夜空の下、土方はゆっくりと歩きながら思った。
 公用の帰り道だった。もうすぐそこに、屯所の明かりが見えている。
 また供も連れずの単独行動に、近藤などは目くじらをたてるだろうが、煩わしさからつい一人行動してしまうのだ。
 いつもなら総司を連れて出ただろうが、最近、総司は風邪気味で無理はさせられない。


(総司……というか、あの頃は宗次郎だな。あいつの隣でいったい何度眠ったことか……)


 だが、思った傍から、苦笑してしまった。
 眠る──ではない。
 当然のことなのだが、眠るどころの騒ぎではなかったのだ。
 総司の気配を感じながら、ただ向けた背を強ばらせ、息をつめて。
 その柔らかな寝息に。
 布団を敷いた時、ほんの一瞬ふれた指さきに。
 甘い香りに。
 愛しい少年の存在に、目も眩みそうだった。
 いっそ抱きしめる事ができたなら、ほんの少しでもふれる事ができたなら、これほど苦しくはなかったのに。
 だが、手をのばせばすぐ届く場所にいる少年の心は、思わず息をとめてしまうほど遠く、男にとっては夢のように儚くて。
 どんなに求めても求めても、手に入らない存在だった。
 愛してると心に叫べば叫ぶほど、遠ざかってしまう存在に、己の所業を歯がみするほど悔やんだ。
 他の男といる処を見れば、気も狂いそうなほど嫉妬した。
 そのくせ、顔を見れば、口を突いて出るのは刺すような言葉ばかりで。
 今から思えば、自分の言動が、どんなに総司を傷つけてきたことか。
「……子供みたいだな」
 くすっと笑い、土方はふと夜空を見あげた。


 あの頃を思えば、本当に子供のようだ。
 手に入らない玩具に駄々をこね、人を傷つける子供そのものだ。
 ただ、一言でよかったのに。


 おまえが好きだ、と。


 それだけで、すべてが救われたはずなのに。
 なのに、そうする勇気が俺にはなかったのだ。


「今頃、後悔しても遅いか」
 そう呟くと、土方は視線を戻した。
 屯所の門前に燃える篝火が、目を射る。門傍に控える隊士が彼を認め、慌てて頭を下げた。
「……」
 土方は表情を引き締めると、ゆっくりと門をくぐっていった。












 少しずつ少しずつ。
 布団の中があたたかくなってくる。
 だが、まだ爪先は冷たくて。
 思わず爪先だけを擦り合わせ、総司は小さくため息をついた。
 冷たくて眠れないのだ。
 だが、今更、起き上がって火鉢をおこす気にもなれなかった。
 ようやく風邪が治りかけてきたのだ。
 布団から冷えた空気の中へ出るのは、とても無理な事だった。
「……」
 はぁっとため息をついた時だった。
 廊下を歩む足音がゆっくりと近づいてきた。総司の眠りを妨げないよう、静かに音をひそめている。
 しばらくの間、彼は障子の前に佇み、迷っているようだった。
 それに総司は小さく微笑むと、声をかけた。
「……起きていますよ」
 そう云ったとたん、するりと障子が開いた。一人の男が滑りこむように入ってくる。
 一瞬だけ月明かりを背にした男の姿が、総司の瞳に映った。
 白い寝着の肩に、黒の羽織を無造作にかけた姿は、息を呑むほど男の色香を漂わせている。
 逆光のため彼の表情はわからなかったが、それはすぐ教えられた。なぜなら、土方は部屋を横切ってくると、総司の傍に跪いてくれたのだ。
 そっと顔を近づけ、瞳を覗き込んでくる。
「起こしたのか? ……すまない」
 気遣わしげな口調だった。
 その黒い瞳は薄闇の中でもわかるほど、優しい。
 総司はゆるく首をふった。
「いいえ……起きていました」
「眠れないのか」
「えぇ。爪先が冷たくて……」
「爪先が?」
 そう小首をかしげると、土方は布団を僅かに持ち上げた。手を差し入れ、そっと総司の足にふれてやる。
 とたん、思わず眉を顰めた。
「……まるで氷みたいじゃねぇか」
「だって、冬ですもの」
「先に布団をあたためておけば……あぁ、そんな事を云っても仕方ねぇな」
 ため息をつくと、土方は総司の小さな足を両手のひらの中に柔らかく包み込んだ。
 それに、総司が思わず、ほぉ…っと吐息をもらした。
「あたたかい……」
「気持ちいいか?」
「うん……とっても。土方さんの手、あたたかいですね」
「手があたたかい奴は、心が冷たいって云うぞ」
「でも、土方さんは違いますよ」
 総司は大きな瞳で土方を見あげると、柔らかく微笑んでみせた。
「だって、私に……こんなに優しくしてくれる。いつもいつも愛してくれる。そんなあなたの心が冷たいはずないでしょう?」
「優しくなんざねぇさ」
 ちょっと照れたように、土方は視線をそらせた。
「だいいち、優しくするようになったのは、最近のことだ。それまで……俺はずっとおまえを傷つけてきた」
「……そう、ですね」
 総司は長い睫毛を伏せた。
「私はいつもあなたの言葉に態度に傷ついて、どうしてかわからず泣いてばかりで……。私もあなたをさんざん罵り傷つけて……あの頃の私たちには、優しさなんて欠片もありませんでしたよね」
「……」
「お互いもっと勇気があったら、もっと早く好きという気持ちを伝えていれば……もっと早く幸せになれていたと、思うのです」
 そう云って唇を噛みしめた総司を、土方は深く澄んだ瞳で見つめた。だが、すぐ目を伏せると、優しく、そっと、手の中にある小さな冷たい足を擦ってやる。
 そうしながら、低い声で云った。
「確かに……そうかもしれねぇな。もっと勇気があったなら、俺たちはもっと早く幸せになれていたかもしれない。だが……」
「……」
「だが、俺はこうも思うんだ。あんなふうに様々な事があったから……傷つけあった苦しい昔があるからこそ、俺たちは今こうして愛しあっていられるんじゃないかと」
「……」
 総司の目が大きく見開かれた。
 息をつめ、彼の言葉に聞き入っている。
 土方は目を伏せたまま、微かな笑みを口許にうかべた。
 薄闇の中、その端正な顔は彫像のように美しい。
「俺は、おまえを愛してる。今まで、俺が傷つけてきたおまえも、俺を傷つけてきたおまえもふくめて、皆……何もかもすべてが愛おしいんだ」
「……」
「長い道のりだったが、今こうして、おまえの傍に辿りつけた事を、俺は何よりの幸せだと感じている……」
「……土方…さん……」
 心にしみいるような彼の声に、総司はそっと片手をのばした。
 彼の躯にふれ、布団の中から身をのりだすようにして、その膝元に頭を凭せかける。
「私も…です。私も、今、幸せです……」
「総司……」
「あなたを愛してる。あなたの冷たさも優しさもみんな……何もかも、全部愛してます」
 そう心から告げた総司に、土方は微笑んだ。
「ありがとう」
 囁くと、身をかがめ、そっと唇を重ねる。
 しばらくふれあうだけの口づけを何度かくり返してから、土方は掛け布団の中から手を抜いた。
 それに小首をかしげる総司の肩に手をまわすと、掛け布団をもう一度もちあげる。
 そして、え?と思った時には、土方はするりと布団の中へ身をすべりこませていた。黒い羽織が畳の上に落ちる。
 総司は目を見開いた。
 思わず慌てた口調で云ってしまう。
「土方さん……そんな事したら困ります」
「何で」
「だって、一つのお布団で眠るなんて……」
「いつもしてる事だろう?」
「ここ、屯所ですよ」
「わかってるさ。けど、昔……できなかった事を今夜はしたいんだ」
「昔、できなかったこと?」
 不思議そうに小首をかしげた総司に、土方は黙ったまま微笑んだ。
 かるく顔を傾けると、総司の髪に、額に、頬に、柔らかな口づけを落としてゆく。
 とたん、総司はふわりと躯中があたたかくなるのを感じた。さっきまで彼がその手で温めてくれた爪先までも。
 あの冷たく悲しい夜の記憶を。
 優しい口づけで、かき消して……。
「……土方…さん……」
 そっと彼の名を呼ぶと、総司は土方の胸もとに顔をうずめた。その鼓動を聞きながら、目を閉じる。


 遠い遠い昔から。
 ずっと、こうして二人身をよせあい、ぬくもりを感じてきたように。


 そんな総司の躯に、男の腕が柔らかくまわされた。
 そして。 
 ずっと求めつづけてきた──愛しい恋人を、土方は優しく抱きしめたのだった。












 時は戻せない
 あの頃に戻ることは、できない


 だが、それでいいのだ
 ふたり、今こうして寄りそい
 互いのぬくもりを感じて


 愛しさの裏側で
 この世の誰よりも
 互いを見つめてきた二人だから


 この愛しさのために
 ふたり歩んできたのだと、そう信じたいから
 たとえ……いつか
 遠く離れてしまう二人であっても



 この愛しいぬくもりだけは
 心に残して……























[あとがき]
 2年をかけて続いてきました「愛しさの裏側で」、これで完結です。もともと、反目しあいつつ、本当は愛しあってる二人を書きたいと思って書いたお話でしたが、やはりラストは二人幸せになって欲しくて、この終わり方になりました。もちろん、この先には別れがあるのですが、それを知っていても尚、二人幸せであれば……と願ってやまない気持ちをこめました。
 読んで下さった方々、本当にありがとうございました。皆様のおかげで、こうして無事完結することができました。
 もし宜しければ、ご感想送ってやって頂けますと、嬉しい限りです。更新の励みになります。
 ラストまでおつきあい下さり、ありがとうございました。