京都の冬は凍えるように寒い。
 地面から這い上がるようで、いわゆる底冷えというものだ。
 それをしみじみ感じながら、総司は唇を噛みしめた。
 指さきが真っ赤になり、痛くて痛くてたまらない。ところどころ、血がにじんでいるみたいだった。
 だが、手元にあるものを見れば、ほんわか胸奥があったかくなった。嬉しさに、頬がゆるんでしまう。
「……」
 鍋に入ったそれは、粕汁だった。
 里芋を主として様々な野菜をだしで煮込み、酒粕と味噌で味付けしたものだ。とても体の芯があたたかくなる、おいしい汁物だった。それに栄養があるので、体が疲れている時など滋養がつく。
 総司は土間からあがると、そっと辺りを見回した。
 別に、一番隊組長がこんな処にいるのを見咎められないかと心配しているのではない。もともと道場にいた時から、よく料理は作っていたのだ。こちらへ来てから、めっきりその機会もなくなってしまったが。
 江戸から京にのぼってきて、もう一年近くになる。
 さまざまな事があった一年だった。
 だが、総司にとってはあまり変わった事がない。
 相変わらず、仲のよい人とは仲が良いし、仲が悪い人とは仲が悪いのだ。

(住んでる場所が変わっても、そういうのって変わるはずがないものね)

 総司はちょっとため息をついた。
 仲がよい人とは、試衛館の道場主近藤を初めとする、原田や永倉、藤堂、山南、井上の面々だ。
 そして、仲が悪い人とは───
「……こんな処で何をしている」
 突然、低い声がかけられ、総司はびくりと肩を震わせた。
 慌ててふり返ると、いつのまに来たのか、黒い隊服を纏った長身の男がそこに佇んでいた。ちょっと柱に凭れかかるようにして、切れの長い目で総司を眺めている。
 その端正な顔にうかべられた表情は、いつものごとく皮肉げで意地悪だ。
「台所に入って、つまみ食いでもしていたか」
「そ、そんな事してませんよ!」
 総司はかっとなり、思わず叫んだ。
 それに、土方はくすっと笑った。
「どうだかな。そんな挙動不審の姿を見れば、誰だってそう思うさ」
「そんな、つまみ食いなんて……子供みたいな」
「子供だろうが」
「もう二十歳です」
「成る程、大人になったという訳か。なら、それなりの行動を見せて貰いたいものだな」
 小馬鹿にしきった口調で云ってから、土方は身を起こした。さっさと歩み去ろうとする。
 それに、総司は「……あ」と思わず声をあげてしまった。


 口喧嘩ばかりでもいい。
 どんな憎まれ口でも、嫌味でも何でも。
 彼と言葉をかわしていたいと思ってしまう自分に、涙がこぼれそうだった。
 だが、そんなこと云えるはずがない。


 何だと云わんばかりの表情でふり返った男に、総司はそっと顔をそむけた。
 もうこのまま自室へ戻ろうと、総司自身も踵を返しかける。
 だが、その次の瞬間、心臓が跳ね上がるかと思った。
「な…何っ!?」
 不意に後ろから手首を掴まれたかと思うと、ぐいっと引き寄せられたのだ。
 びっくりしてふり返ると、土方は怖いほどの顔で総司の手を凝視していた。
 自分の手首を掴んで離さない、大人の男特有の大きな手。
 彼の指がふれた処から、どんどん体が熱くなっていく気がした。
 どきどきして、その鼓動が彼に聞こえてしまいそうだ。
「何……ですか」
 ようやく掠れた声で問いかけた総司に、土方は形のよい眉を顰めた。突然、す…っとしなやかな指さきで手の甲をたどられる。
「血が出てる……あかぎれか」
「え? あ……そうですね」
 云われてあらためて見れば、確かに血がにじんでいた。いつも白い手はところどころ赤くなり、何とも痛々しい。
「こんなになるまで、何をしていた。すげぇ冷たい手だ」
「べ、別に……」
 口ごもり俯いてしまった総司を、土方は静かに見下ろした。
 だが、不意に、総司の両手を掴んでもちあげると、かるく身をかがめた。
 次の瞬間、総司は大きく目を見開いた。
「ひ、土方さん……っ」
 唇がふれる事はなかった。
 だが、その手に、彼のあたたかい息がふきかけられたのだ。
 優しい、ぬくもりにそっと包まれる。
 まるで口づけるような仕草に、総司はかぁっと体中が熱くなるのを覚えた。おずおずと見てみれば、土方は僅かに目を伏せ、何度も息を吹きかけてくれている。

(……あ、睫毛、長い……)

 少し乱れた黒髪が、額におちかかっているのが艶やかだった。
 その頬に翳りをおとす、男にしては長い睫毛。その間からのぞく、黒曜石の瞳。
 形のよい唇は、今、総司の手ぎりぎりの処にあって……。
「……っ」
 傷口に、一瞬だけ唇がふれた気がした。
 そのとたん、総司は思わず大きく手をふり払ってしまう。
 本当はもっとふれられていたかったが、これ以上されたら自分がどうにかなってしまいそうだったのだ。
 慌てて両手を背にかくし、自分の気持ちを隠すように俯いた。
「どうして、こんな事をするのですか?」
「……」
「こんな事をするのは……やめて下さい……!」
「……そうだな」
 しばらく黙ってから、土方はほろ苦い笑みに唇を歪めた。
「嫌いな男にされる行為じゃなかったな」


 ──嫌いな男。


 男の言葉に、総司は一瞬だけ唇を噛みしめた。
 だが、すぐに顔をあげると、土方をまっすぐ見つめた。
「そう…です。嫌いなあなたにこんな事をされたら、もっともっと嫌いになります」
「ほう」
 土方は皮肉な口調で呟いた。かるく肩をすくめてみせる。
「これ以上、俺を嫌う余地があったとはな。思いもしなかった事だ」
「……っ。あ、あなたが私を嫌っているから、私もあなたを嫌いになるのです。だから、もう……こんな事をしないで下さい。だいたい、いつも私のこと莫迦にしてるくせに……」
「まさか」
 ふっと土方は薄く笑った。冷ややかな瞳で総司を見下ろし、嘲りに満ちた口調で言葉をつづける。
「莫迦になんざするものか。おまえは、大事な大事な隊随一の剣士だ」
「……」
「こんなにも利用価値のあるおまえを、大切に扱うのはごく当然の事だろう……?」
「!」
 総司の頬がかっと熱くなった。怒りにその大きな瞳が燃え上がる。
 思わず両手をきつく握りしめた。
 まだ……彼のぬくもりが残っている手を。
 でも。
 こんなの幻だから、信じてはいけない事だから……
「そうですね」
 総司はきつく土方を睨みつけた。
「私は、副長にとって大事な利用価値のある剣士ですから。これからも、せいぜい大事にして頂きます……!」
 そう叫ぶなり、総司は今度こそ身をひるがえした。後はもうふり返ることなく、駆けだしてゆく。
 廊下を走って右突き当たり。
 自分にあたえられた小さな部屋に飛び込むと、後ろ手に障子をぴしゃりと閉めた。
 そのまま畳の上に坐り込むと、心の中で思いっきり叫ぶ。


 嫌い!
 嫌い!
 嫌い!
 あんな人、いなくなってしまえばいいんだ……!


 ───だが。
 その言葉が嘘か真なのかは、総司だけが知っている事だった……。








 走り去ってゆく総司の背を、無言のまま見送った。
 いつもの如くわき起った罪悪感と、悔いと、自嘲の中で。
 どうして、こんなふうになってしまうのか。
 なぜ、もっと素直になれないのか。
 本当は愛おしくてたまらないのに、だが、それを表わすことは今の立場では全く許されない。
 いつのまにか複雑に絡み合い、己自身の素直な気持ちさえ出すことさえ許されなくなってしまった。
 土方は自分の手に視線をおとすと、ゆっくりと掌をひらいてみた。

(……総司……)

 ついさっきまで、この手で総司にふれていたのだ。この指さきに、総司の肌のなめらかさ、冷たさを感じていたのだ。
 だが、それはまるで幻のようだった。
 手のひらの中で儚くとけゆく雪のように、あともう少しと願う彼の心も知らぬげに、消え去ってしまったのだ。
 あの時、あの瞬間。
 この手の中で、総司の指は確かに震えていた。
 恐れていたのか。
 嫌悪ゆえだったのか。
 何にしろ、総司にふれているという歓喜に、彼は目も眩みそうだった。
 だからこそ、震える総司にも目をそらし、たまらず傷口に唇を押しあてたのだ。
 だが、それも一瞬だった。
 あっと思った時には、激しくふり払われて。
 夢から無理やり引き戻された土方の瞳に映ったのは、拒絶感をその華奢な躯いっぱいに表わしながら両手を後ろにかくす総司の姿。


 ……あぁ、それでも尚。
 どんなに愛おしいと思ったことか。
 抱きしめたいと、心から願ったか。
 嫌悪にみちた表情で睨みつけてくるその瞳さえ、綺麗だと、愛しいと思ってしまう自分は、どこか狂っているのだろう。


 土方はため息をもらすと、ふと気づいて縁側から庭へ降り立った。
 冬の冷たい空気はきんと身も心も冷やし、見あげた空に少しずつ星が瞬き始めている。


 そう云えば、総司と初めて逢った時も、こんな空が綺麗な夜だった。
 道場の裏で、まだ宗次郎と名乗っていた幼い少年と出逢ったのだ。
 むろん、初めからこんな絡み合った関係になった訳ではなく、ごく普通に、二人の関係は始まった。それほど仲が良いという訳でもなかったが、こんなにも険悪ではない事は確かだったのだ。


 いったい、何がどこで狂ってしまったのか。
 初めは、あきらかに土方のやり方に非があった。
 いわゆる身持ちの悪さというものだ。
 江戸にいた頃、彼は女遊びが激しく、一つの処にとどまらぬ性格だった。
 実際、誰かを愛することができなかった淋しさゆえに、身も心もうちこめる相手を探し、彷徨っていたのだ。
 むろん、わかってはいた。
 そんな躯だけの関係を重ねても、何にもならぬのだと。
 否、本当は自分が何を切実に求めているのか、もうとっくの昔に愛すべき相手がいるのだとわかっていながら、それを認める事ができずに彷徨っていたのだ。
 だが、そんな男の葛藤など理解できうるはずもない、潔癖で清廉な少年は土方を激しく拒絶した。
 女の白粉の匂いを纏わりつかせ道場に帰ってくる土方に、嫌悪の表情をうかべたのだ。あからさまな程だった。僅かに身をすらし、視線をそらしたのだ。
 口に出して罵られた訳ではない。
 だが、その瞳が、その態度が、彼への嫌悪をはっきりとあらわしていた。
 それを見ても、土方は態度を変えようとは思わなかった。

 どうして、こんな幼い少年一人のために、自分の生き方まで変えなくてはならない──?

 今から考えると、若さゆえなのか、彼もある意味依怙地になっていたのか。
 まるで漁るように、女達の間を遊び歩き、さんざんその身をもち崩した。
 泥沼へはまってゆくようだった。
 喧嘩と女にあけくれ、そのくせ、心の奥深くにまるで清らかな水のごとく、あの可愛らしい少年をひっそりと思い秘めて。


 この身が世の中の悪に闇に穢れるほど、あの少年だけは汚されて欲しくないと願った。
 いつまでも、清らかで美しい花であって欲しかった。
 土方にとって、総司は、汚れきった己に残された唯一の聖域だった。
 総司が彼をどう思っているにしろ、自分の事を心から嫌って侮蔑しているにしろ、その清らかさへの想いは決して変わらなかったのだ。
 だが、その時でも、総司との関係は、今ほど険悪でなかった。
 二人の関係を一気に悪化させたのは、この京へのぼってきてからだった。





「……歳」
 後ろから不意に声をかけられ、土方は僅かに肩を震わせた。
 驚いてふり返ると、懐に片手をさし入れた近藤が立っている。
 まるで、さっきの総司のようだと己をほろ苦く笑いながら、親友の元へ歩み寄った。
「何だ」
「いや、月を見ようと出てきたら、おまえの姿が見えたんでな」
「あんたが月を見るとは、珍しく風流な事を云うんだな」
「おれだって、そういう気分になる時もあるさ」
 そう云ってから、近藤は夜空を見あげた。しばらく黙ってから、ぽつりと云う。
「なぁ、歳……総司とは、やはりうまくいかないか」
「……」
「あいつの心を開かせることは、できないのか」
「……」
 土方は僅かな笑みをうかべ、目を伏せた。
「できるも何も……あいつのあの拒絶は、俺一人にだけだ。他の皆には明るく接しているのだから、構わねぇだろう」
「だが……」
 近藤の言葉をさえぎるように、土方は云い捨てた。
「まぁ、あんたもやりにくくて仕方ねぇか。副長と一番隊隊長が顔をあわせりゃ、いがみあっていたのではな」
「そういう事ではない」
「そういう事だよ。京にのぼってから、俺は自分を一人の男として認識する事さえやめた。隊のために、あんたのために、あろうとした。だから、あいつとも上手くやっていこうと思ったんだ。何しろ、総司は隊随一の使い手だからな、俺とそりがあわねぇからって切り捨てる訳にはいかねぇ」
「歳……」
「だが、総司はそんな俺の気持ちを見透かしたように、こちらからさし伸べる手を一切拒絶したんだ。むろん、お梅の事が大きく絡んでいるのはわかっているが……」
「あれは、仕方のない事だった。そうではないのか」
 近藤が苦々しげな口調で云った。
「顔を見られたんだ、斬るより他なかった。それもおまえでなく、総司だ。おまえは総司の事を考え、咄嗟に判断したのだろう。だからこそ、その手で始末した」
「さぁ、どうだろうな」
 土方はくすっと笑った。その端正な顔に、冷ややかな──どこか諦めたような笑みがうかべられる。
「あの時、俺は何を考えていたのか。俺にもさっぱりわからねぇよ。ただ、この手でお梅を斬った。そして、その事で総司は俺をより侮蔑し、激しく嫌悪した。女を斬るなんて最低だと罵られた。それだけは確かなことなんだ……」
 そう淡々とした口調で云いながら、だが、土方は全く別の理由を考えていた。
 彼の心の奥底にひっそりと封印された、昏い真実を。

(……俺は、そんな理由であの女を殺したんじゃねぇ)

 もっと他に理由があった。
 土方にとっては、何よりも重い理由が。





 理由は──総司ゆえだった。


 お梅は、総司を誘惑したのだ。
 あの汚れきった手で、誰よりも清らかな総司にふれ、穢した。
 それをどうして、知っているのか。
 土方は、あの日、見てしまったのだ。
 屯所の奥の一室に、お梅に誘い込まれる総司の姿を。
 そして、少しの後、そこから零れてきた閨の気配───
 逃げるようにその場を離れながら、土方は目も眩むほどの憤怒の中で思った。


 殺してやる──と。


 この手で、お梅を殺さなければ、到底我慢ができなかった。
 あの女は、土方が何よりも大切にしてきた宝物、この世の何よりも清らかで美しいものを穢したのだ。
 許せるはずがなかった。
 おそらく、総司と同じように純真無垢な少女などが相手であったなら、これほどの怒りは感じなかっただろう。
 だが、お梅は芹沢の女だった。自ら進んで芹沢の妾となり、その身を淫靡な熱にゆだねた女だった。
 そんな淫らで穢れきった女が、総司にふれたのだ。穢したのだ。
 これほどの罪はあるかと、思った……。


 その日から、土方は考えつづけた。
 どんな方法で、お梅を殺してやろうかと。
 日夜、変わりなく隊務をとりながら、常どおりの日常を過ごしているふりをしながら、ただそればかりを狂ったように思考しつづけたのだ。
 どす黒い嫉妬と激しい怒りの焔を、冷徹な表情の下に押し隠しながら。


 だからこそ、芹沢たちを斬れと会津藩から命が下った時、好機だと思った。
 むろん、芹沢たちを始末する事は、結成当初から考えていた事だった。いつかはあの邪魔者たちを始末し、近藤を隊の頭にたてようと策をねりつづけてきたのだ。
 それゆえ、今更、何の感慨もなかった。芹沢たちは、土方が少しずつ張り巡らせていった罠に落ちただけの事なのだ。あとは、当初の予定どおり抹殺するだけだった。
 だが、お梅は違う。
 これは完全に、土方の私情ゆえだった。
 総司への、一縷の望みもない愛ゆえだった。
 欲しくて欲しくてたまらず──だが、その手にいれるどころか、ふれる事さえ許されぬ存在を、あの愚かな女は穢したのだ。
 どんな事があっても、この手で殺したかった。
 あの女の断末魔の悲鳴を聞き、この世でもっとも許されぬ憎い存在を殺したゆえの快楽を味わいたかった。
 だからこそ、自らの手で殺したのだ。
 顔を見られたからなど、そんな事はまったく後から付け足した理由だった……。






「……とにかく」
 気がつけば、傍で近藤が嘆息しながら呟いていた。
「おまえと総司があまりに仲が悪いと、おまえの云うとおり色々と支障も出てくる。公ではあまり露骨にしないでくれよ」
「あぁ……そうだな」
 土方は微かに苦笑した。片手をあげ、くしゃりと前髪をかきあげる。
「少しは気をつけるよ。俺もあいつの顔を見れば、嫌味ばかりを云っている。もう少し大人にならねぇとな」
「歳、おまえは幾つだ」
「今年で二十九だったかな」
「大人になるには、遅すぎる年齢だろう」
「違いねぇ」
 まるで江戸の頃にかえったように笑いあった二人は、その後もひとしきり話をつづけてから、別れた。
 夕餉をとるため自室へ戻ると、ちょうど新入隊士の一人が膳を運んできた処だった。
 土方はあまり人と食事するのを好まぬため、こうしていつも自室で一人とっているのだ。
 土方は膳を見下ろし、ふと眉を顰めた。
 さきほど、隊士たちの食事を通りすがりに目にしたばかりだった。そこには、ふつうの吸い物があったのに、自分の膳にだけ粕汁がのっている。
「……何だ、これは」
 そう訊ねた土方に、新入隊士は怯えたような顔になった。
「か、粕汁ですが……」
「そんなもの見ればわかる。どうして、俺の膳にだけこれがあるんだ」
「あの……先程、沖田先生が来られ、副長の膳はどれかとお聞きになられ、これを乗せられたのです」
「総司が?」
 思わず眉間に皺を刻んでしまった。
 いったい、何のつもりなのか。
 まさか毒でも入れた訳ではないだろうが、不審である事も確かだった。だが、こうしていても仕方がない。
「わかった」
 頷き、土方は膳の前に腰を下ろした。ほっとした表情で隊士が出てゆく。
 土方はしばらくその器を眺めていたが、やがて、ゆっくりとした動作でもちあげた。口許へとはこぶ。
「……」
 一口こくりと飲むと、甘い独特の味わいが広がった。
 懐かしい、あたたかな味だ。
「これは……総司の……」
 土方は思わず呟いた。
 確かに、総司の手によるものだった。


 試衛館にいた頃、総司はよく料理をしていた。
 その中で、冬によく出てきたのが粕汁だったのだ。
 総司のつくる粕汁はとてもおいしく、格別の味わいだった。
 どんなに疲れていたり風邪をひいたりしていても、それさえ飲めば治るとさえ云われたのだ。
 実際、今も少し味わっただけで、躯があたたかくなってきている。
 だが、どうしてこれを総司はつくったのだろうか。
 それも、自分のためだけに、どうして……。
 そんな事を考えた土方は、ふとある事に思い至った。
 それは、ここ数日の激務による彼の多忙ぶりと、先ほど見たばかりの総司の痛々しい手だった。


「……そうか、あれは……」


 総司はこれを作っていて、あんなにも手をあかぎれにさせていたのだ。
 野菜を一つ一つ冷たい水で洗い、時をかけて作っていたために、あんな……。
 むろん、それだけであかぎれになるはずもないが、きっと日頃生真面目な総司の事だから道場の掃除などもやっているためだろうが、それでも、その傷ついた手でこんなものまで作ってくれたのだ。
 疲れて、ここ最近顔色が悪かった彼のために……。





 土方は目を伏せ、再び器に口をつけた。
 また、こくりと飲む。
「……うまいな」
 そう呟いたが、それを聞く相手はいない。
 だが、それでも嬉しかった。
 この優しさが、嫌いな彼にほんの一瞬だけ見せてくれた気まぐれであったとしても、身も心も冷え切っている彼をあたためるには十分だった。


 そして。
 愚かな男は、願ってしまうのだ。
 一縷の望みもない恋に身を投じてしまった男は、微かな希望を抱いて思う。


(少しは、総司が心を開いてくれたのだろうか……)


 むろん、儚い望みだとわかってはいるのだが。
 
 
 少しでも。
 ほんの少しでも。
 愛しい人の心に近づくことができたらいいと。
 
 そう、祈るように願いながら───……















 

[あとがき]
 「愛しさの裏側で」その1です。
 深く深く愛しあっているのに、どんどんすれ違ってしまう二人。すれ違い、私、ほんと好きです。というか、すれ違うからこそ、恋愛のお話って成立するのかなと思っています。前に、お客様が言われてましたが、すれ違いは切ないけれど、すれ違わなくなったら話が終わってしまうと。本当におっしゃられる通りだと思います。
 愛しさの裏側にいる二人。いつか、裏側でなく、互いの愛しさに気づく日がくるまで、ぜひおつきあい下さいませ。
 尚、このお話は、基本的に一話完結読みきり連載です。時折、前後編が入ったりする事もあるかと思いますが。
 またupしましたら、ぜひ読んでやって下さいね。
 投票リクして下さった方々、本当にありがとうございました♪