甘やかな口づけだった。
己の身重をかけぬよう気遣って褥に肘をつき、唇を重ねる。
初めての総司を気づかってか、それはまるでとろけるように優しい口づけだった。
「……ん、ふ…ぅ、んっ……」
唇を甘く咬むようにしてから、柔らかく舌で舐めあげられた。
「ぁ…っ」と微かな喘ぎをあげたとたん、するりと男の舌が忍びこんでくる。
舌をからめられ、吸われ、舐めあげられた。そのたびに、総司の細い躯が男の腕の中で小さく震える。
土方は、その初な反応が可愛くてたまらなかった。
ゆっくりと褥に横たえられながら、総司が小さな声で呼びかけた。
「…土方…さん……」
それに小首をかしげ促してやると、ほんのり頬を桜色に染めながら言葉をつづける。
「あの、私……土方さんが初めてだから……」
「……口づけも、か?」
「はい」
総司はこくりと頷いた。戸惑いと不安に揺れながら、男を見あげる。
月明かりの中、土方の顔は息を呑むほど美しかった。形のよい眉も、今、自分を見つめている澄んだ黒い瞳も、口づけで少し濡れた唇も。
深く視線が絡みあい、その事に気恥ずかしさを覚えて総司は、慌てて目をそらした。とたん、寝着の襟もとから僅かに覗く逞しい胸もとを目にしてしまい、躯の芯がかぁっと熱くなる。
(……土方さん……)
本当は怖かった。
自分は娘でもない。男なのだ。
ずっと子供だと侮ってきた自分を、彼は本当に相手にしてくれるのだろうか?
こんな事を口にして、また冷たく突き放されないだろうか?
もしも今、この腕の中から放たれれば、その瞬間にも自分は心が凍りついて死んでしまう──とさえ思った。
「土方さん……」
総司は激しく鳴る鼓動と、息もつまりそうな緊張に震えながら、云った。
「私は、何も知りません……何もわからない」
「……」
「だから……お願い、あなたが私に教えて下さい……」
小さな小さな声で何とか云いきったとたん、総司は躯中が燃えたつような気がした。ぎゅっと目を瞑り、男の逞しい胸もとへ顔をうずめてしまう。
そんな総司の様子に、土方は思わず苦笑した。
いったい、こんなに煽ってどうするつもりなのか。
己の言葉が男にどう受け止められるか、理解しているのか。
だが、一方で思ってしまうのだ。
もしもこれが誘いだとしても、本当に手に入れていいのだろうか。
そんな夢のような事が、許されるのだろうか──?
今までの関係が最悪だっただけに、土方も慎重にならざるを得なかった。
躊躇いがちに頬や髪を撫でてやりながら、愛しい存在を見つめる。
「……教えろと云うのなら」
土方は身をかがめ、耳もとに唇を寄せた。うっすら桜色に染まった耳朶を甘咬みするようにしながら、低い声で訊ねた。
「教えてやるが。それで……おまえは構わねぇのか?」
「え……?」
「初めての男が、この俺でいいのか……?」
「……っ」
とたん、総司は顔を真っ赤にしてしまった。彼の背に両手をまわし、きつく縋りついてくる。
だが、それでも、こくりと小さく頷いたのを、土方は見逃さなかった。確かに、総司は自分を受け入れようとしてくれているのだ。
彼の胸に、狂おしいほどの歓喜が込みあげた。
生涯、どんなに恋いこがれても手が届かぬと思っていた。
その愛しい総司が今、腕の中にいる。
彼のものになってもいい……と、告げてくれているのだ。
「……総司」
土方は、そっと浴衣の襟元に手をかけた。柔らかく押しひろげると、まっ白な雪のような肌が晒される。
小さく尖った蕾が熟れた果実めいて、男の欲情を強く煽った。
思わず喉が鳴った。
「……っ」
それに、総司は小さく息を呑む。
ずっと子供扱いされてきた。子供だからと相手にされなかった。
だが、今、彼は自分に欲情してくれているのだ。
獣じみた熱っぽい瞳で自分の肢体を見つめ、ごくりと喉を鳴らしている。
男の欲望そのままに求めてくれる彼が、たまらなく嬉しかった。
もっと求めて欲しいと、望んだ。
他の事は何も考えられないほど、身も心も、彼の焔だけに灼きつくされてしまいたい。
「……土方…さん……」
熱い吐息まじりに囁いた声が、切っ掛けとなった。
後はもう、甘美な夜に堕ちてゆくだけだった。
ふたり共に、どこまでも。
きつく絡めあった指さきを、月明かりだけが静かに照らしていた……。
それは、土方にとっても総司にとっても、夢のような一夜だった。
二人が身を置かざるをえない冷たく残酷な現とは、ひっそりと切り離された夢の世界。
月明かりしか届かぬその場所で、ふたりは一途に互いを愛しあった。
互いの躯にふれ、口づけあい、何度も抱きしめあう。
それは、まるで長い間ひき離されていた恋人同士が抱きあうような行為だった。否、事実そうなのだろう。
互いが互いを気も狂うほど激しく求めながら、その手が一つに重なりあうことは、決してなかったのだから。
「……総司」
汗ばんだ髪を指さきでそっとかきあげてやり、土方はその白い額に口づけを落とした。
総司は微かに喘ぎながら、涙に濡れた瞳で彼を見あげる。
弱々しく微笑んでみせようとしたが、再び生じた痛みに、ひゅうっと息を呑んだ。だが、声を殺してきつく唇を噛みしめる。
それを見下ろし、土方は眉を顰めた。
男として痛みしか与えられない己が酷く切なかった。だが、そんな事を感じたのも総司が初めてだった。
総司が苦痛に息をつめれば、己の躯も鋭く痛み、総司が涙をこぼせば、己自身もたまらぬ切なさが襲った。
……愛しい──と。
ただ、それだけを思い、細い躯を両腕に抱きしめた。
深く繋がりあって、少しずつのぼりつめてゆく。
「……っ…く…ぅッ……っ」
総司が痛みを堪えるためか、唇をまたきつく噛みしめた。桜色の唇に血が滲んでしまっている。
それを痛ましげに見た土方は、そっと身を倒した。柔らかく口づけをあたえてやる。
「声を出した方がいい……」
優しく首筋を、頬を撫でてやりながら、囁きかけた。
「その方が、少しは楽になるはずだ」
「……っ…ぁ……」
「嫌だと泣いてもいい、俺を嫌いだと罵ってもいい。俺は……おまえのすべてを教えて欲しいんだ」
土方は掠れた声で囁きかけた。
「おまえは、俺に教えて欲しいと云った。その言葉どおり、俺はおまえにすべてを教える。もう、おまえには何一つ隠さない。だから、お願いだ。おまえも俺に包み隠さず、ありのままを見せてくれ。おまえを……俺に教えてくれ」
「……土方…さん……」
総司は彼の名を呼びながら、睫毛を瞬かせた。そっと手をのばし、指さきを縋るように絡めあう。
瞳と瞳をかわし、柔らかく微笑みあった。
身も心も深く繋がったまま、深い夜の底で愛しあう。
「ッ…あっ、ぁあ……んっ……」
もう隠す事なく堪える事なく声をあげ始めた総司を、土方は抱きすくめた。白い肌に口づけながら、夢にまで見た愛しい躯に溺れてゆく。
ほっそりとした手足が彼の躯に縋りつき、艶やかな髪が彼の頬をくすぐった。
手のひらをすべらせれば心地よい、しっとりとなめらかな雪の肌。彼の腕の中にすっぽりおさまってしまう、細い華奢な肢体。
大きな瞳も、果実のような甘い唇も、すべらかな頬も。
何もかもが土方を狂おしいほど虜にし、夢中にさせてゆく。
(この俺が……)
一瞬、己を嘲った。
この俺が何て様なのか。
痛みを堪える総司を見てもその繋がりをとけず、まるで子供が縋りつくように、その細い躯を抱きしめている。
欲しくて欲しくてたまらず。
指さき一つまで、独占したくて。
その思いの激しさに、欲望のたがが外れる。
「っ…ぃ、あ…ぁッ」
少しでも油断すれば獣のように貪ってしまい、総司があげた小さな悲鳴に、はっと我に返った。
だが、もうとまらない。
目も眩むような快楽の彼方に、限界が見えてしまっていた。
熱い吐息をもらしながら見下ろせば、総司の潤んだ瞳と紅潮した頬が目に映る。
(……総司も、俺を感じている……)
そう思った瞬間、土方の躯を一気に強烈な熱が突き抜けた。
「ッぁ…ぁあッ…ぁあ…ッ」
総司が泣き叫び、しなやかな躯を仰け反らせた。
その細い躯を息もとまるほど抱きしめ、より深く男の猛りを受け入れさせた。
「ぃ…ぁ、ぁああッ!」
甘美な泣き声。
その細い躯の最奥に己の楔を激しく打ち込んだ瞬間、きつく固く瞼を閉ざした。喉奥から、思わず呻き声がもれる。
「……っ……」
一気に頂きへ昇りつめた男の逞しい躯の背に、細い手がまわされた。抱きしめてくる。
縋るように。
包みこむように。
愛するように。
「……総司……」
掠れた声で囁きかけた土方の腕の中、総司がそっと何かを祈るように目を閉じた……。
夜明け前だった。
だが、もう夜ではない証に、あたりは微かな明るさを帯び始めている。
昨夜の雨故か、町には深い乳白色の朝靄がたちこめていた。そのため、少し歩めば何も見えなくなる。
そんな光景の中を、総司は一人ゆっくりと歩いていた。
きちんと小袖、袴をその細い躯に纏い、微かに目を伏せている。
(……土方さん……)
夜も明け遣らぬうちに、宿を一人発った。
おそらく今頃、土方は目を覚ました頃だろう。一言の断りもなく立ち去った自分を、いったいどう思ったか。
怒りを覚えている事は確かだと、総司は思った。
だが、それでも、逃げずにはいられなかったのだ。
明け方近く、あたたかい彼の腕の中で目を覚ました総司を襲ったのは、幸せよりも深い絶望だった。
何て事をしてしまったのか。
どんなに悔いても、もう遅い。
私たちは罪を犯してしまったのだ。
背徳の罪を。
許婚がいる──それも、祝言を間近に控えた男と躯を重ねた。
挙げ句、自分は男だ。
世間に知られれば、彼は糾弾の的とされるに違いなかった。
そんな罪を、重荷を、土方に負わせる訳にはいかなかった。
これ以上、もう彼の傍にいてはいけないのだ。二度とこんな事があってはならない。
昨夜の事は、夢だったのだから。
彼を心から愛し、恋こがれていた自分に、ほんの一夜だけあたえられた甘い夢。
その滴るような甘美さは総司を虜にしたが、それでも自ら断ち切らなければならなかった。こんな自分のために、土方を、背徳の汚泥の中へ引きずりこむ訳にはいかなかった。
総司は、彼の腕の中から逃げ出した。
初めて知った彼の懐はあたたかく、その胸は逞しく優しくて、とても恋しかった。
ずっと、このままでいたかった。
彼だけを求めて、身も心も引き裂かれるように泣き叫んでいた。
だが、それでも部屋を出た。
宿賃だけ置き着物を手早く纏って、とるものとりあえず宿から歩み出た総司を迎えた朝靄は、躯の芯まで凍えてしまいそうなほど冷たかった。
彼のぬくもりが切ないほど恋しくなる。
だが、今さら戻れるはずもなかった。
(……土方さん……土方さん……)
彼の名だけを、心の中で呼んだ。
いったい、昨夜、どうして彼が自分を抱いたのかはわからない。流されるまま抱いてしまったと、今頃もしかすると悔いているかもしれなかった。
むろん、あれは罪だった。許されざる背徳の夜。
だが、少なくとも、総司は幸せだったのだ。
悔いてはいなかった。彼に抱かれたという真実は、今も尚、総司の躯の奥深くに鋭い痛みとともに熱く残っている。それを悔いるはずがなかった。
ずっと覚えている。
この躯を優しく愛撫してくれた、彼のしなやかな指さき。重ねられた唇の熱さ。
耳もとにふれた、彼の吐息。
そして、痛みとともに己の躯を貫いた彼の熱……。
その何もかもが、まるで夢のようだった。
とても幸せな夢だったのだ───
「……そう。あれは夢……」
総司は小さく呟いた。
長い睫毛が露に濡れ、そっと瞬いた。
「あれは、夢だったんだ……」
自分に云い聞かせるように呟き、総司は歩き出したのだった。
夜明け前の町を一人。
愛する男の匂いに、つつまれながら……。
もしも許されるのなら
あなたを愛したい
あなたに愛されたい
けれど
許され得ない私たちは
永遠に彷徨いつづけるのだ
───背徳の夜を
[あとがき]
一応ですが、第一部完です。
そこで何で逃げるの、総司! どうして追わない、土方さん! という皆様の声が、聞こえてくるような(笑)。すみません。
ラストまでお読み下さり、ありがとうございました。
