「歳の帰りは少し遅れるらしいな」
 文に目を落としながら、近藤は言葉をつづけた。
 それに、総司はもの思いから覚め、はっとして顔をあげた。
「遅れるのですか……?」
「うむ」
 近藤は頷き、答えた。
「他の隊士は先に帰すと書いてある。今日にでも着くだろう。一日遅れということは……傷が理由か。医者に診てもらっているのかもしれんな」
「そうですか……」
 きつく唇を噛みしめた。


 明日には、土方が帰ってくる。
 その事がたまらなく嬉しく──そして、怖い。


 己自身でも掴めぬ気持ちの揺れに、局長室を辞した総司は、深くため息をついた。ゆるく首をふる。


(気持ちを切り替えなきゃ……) 


 部屋に戻り、稽古着にかえようと足をむけた。
 とたん、背後から呼び止められた。
「──沖田先生」
「え?」
 ふり返ると、先程近藤に土方の文を届けた小者が立っていた。
 目を見開いた総司に、懐から一通の文を取り出した。周囲を見回しながら手に押しつけてくる。
「土方先生からです」
「……」
「確かに、お渡ししましたので」
 そう云うと、小者はさっと身をひるがえした。足早に去っていってしまう。
 総司は呆然とその場に突っ立っていたが、不意に、はっと気がついた。慌てて文を懐に押し込むと、自室へ半ば駆けこんだ。幸いにして斉藤はいない。
 障子を閉め切り、震える手で文を開いた。
 見慣れた彼の優しい文字が、目をうつ。
 それは総司への気遣いから始まり、そして何よりも、深い愛情がつづられた文だった。彼が総司にたいして抱いている想いの深さが、ひしひしと伝わってくる。
「……っ」
 思わず声がつまった。
 何も云えず、ただ、瞼を閉ざす。


(……土方さん……!)


 読み終わったとたん、文をきつく抱きしめた。
 だが、すぐ皺になると慌てて戻した。静かに、丁寧に折り畳む。
 そのまま懐へ大切そうに仕舞いこみ、しばらくの間、瞼を閉ざしていた。
 やがて、何かを決意した総司は立ち上がり、部屋を出た。足早に歩き出してゆく。
 そんな若者の後ろで、昼下がりの光景の中、美しい蝶がひらひらと舞っていた……。












 場所は、あの伏見の宿だった。
 総司が伏見へつく頃には、もう辺りは茜色に染まり始めていた。
「……ありがとう」
 細い声で礼を云い、総司は駕籠から降り立った。
 あの日、土方とたまたま出逢った宿。
 思えば、あれが運命の別れ道だったのだ。
 ふと見やると、玄関脇の柵に白い花の蔓がからみついていた。水を打った後なのか、しっとりと濡れている。それが瑞々しく美しかった。
 総司は僅かに目を伏せ、歩をすすめた。
 案内されずとも部屋はわかっている。土方は部屋も書き記してきたのだ。
 この間の夜と同じ、離れだった。
「……土方さん」
 部屋の前に立ち、そっと声をかけた。
 短い沈黙の後、するりと障子が開いた。
「!」
 足を踏み入れようとしたとん、乱暴なほどの勢いで引き寄せられた。息もとまるほど抱きしめられる。
 男の匂いと、ぬくもり、力強い腕。
 気がつけば背後で障子が閉まっていた。そのまま傍らの壁に躯を押しつけられ、激しく唇を貪られる。
「っ……ん…っ、ぁ……っ」
 圧倒的だった。
 ここ数日の間、自分の中の何が欠けていたのか、それを思い知らされた気がした。
 いったい何を求めていたのか。
 何を渇望していたのか。


(……私も、この人がいなければ生きてゆけない……)


 総司はのろのろと手をあげ、土方の背に縋りついた。ぎゅっとしがみつき、身をすり寄せた。
 そんな総司を、土方もより強く抱きしめてくれた。
 熱い口づけがほどかれる。
「……逢いたかった」
 低い声で囁かれ、ぞくりとした。
 おずおずと見あげれば、土方は濡れた黒い瞳で総司を見つめていた。その頬に、首筋に、男のしなやかな指さきが滑らされる。
「おまえに逢いたくて逢いたくて……気が狂いそうだった」
「……私、も」
 思わず言葉がこぼれていた。
 嘘を告げることもできず、ただ、素直に気持ちを吐露してしまう。
「私も…逢いたかった、です……」
「……」
 土方は大きく目を見開いた。たちまち、その端正な顔に歓喜の色がうかぶ。
 それに、総司は慌てて弁明した。
「ちょっ……ちょっと思っただけですから。やっぱり、いつもいる人がいないというのは……何だかおかしな感じなので」
「それでもいいさ」
 土方はくすっと笑った。身をかがめ、愛おしくて堪らぬと云いたげに、白い頬や首筋に唇を押しあてる。
「おまえが少しでも……俺に逢いたいと思ってくれたなら、それでいい。それだけで嬉しいんだ」
「……」
「それに、おまえは俺の文に従ってここへ来てくれた。その事を、俺が今どれだけ喜んでいるかわかるか?」
「!」
 総司のなめらかな頬がさっと紅潮した。



 彼の文を見たとたん、もう後先も考えず屯所を飛び出してしまった。
 無我夢中だったのだ。
 土方さんに逢いたい……!
 ただ、それだけだったのだから。



「……愛してる」
 再び総司の細い躯を抱きしめ、土方は掠れた声で囁いた。
 その想いの丈をこめた言葉に、もう何も云えなくなってしまう。


(……愛してる……)


 心の中でだけ囁いて、総司はそっと目を閉じた。












 食事後、総司が風呂からあがってくると、褥がもう敷かれてあった。
 それに少し戸惑ってしまう。
 羞じらいに、頬が火照るのを感じた。
 褥の上で胡座をかいて庭を眺めていた土方は、入ってきた総司に気づくと、優しく微笑んだ。
 まだ濡れた黒髪が艶っぽく、男の色気をたまらなく感じさせた。
 こちらに向けられた、切れの長い目にどきりとする。
「総司……」
 入り口の処で立ち止まり、躊躇っている総司に、土方は僅かに吐息をもらした。
 それから、静かに片手をさしのべてくる。
「……おいで」
 総司は思わず息を呑んだ。



 あの時と同じ、言葉だった。
 あの時と同じ、優しい笑顔。
 逆らうことなど、できるはずもなくて……



 総司はまるで花に引き寄せられる蝶のように、ふらふらと彼のもとへ歩み寄った。
 すっと手首を掴まれ、柔らかく抱きよせられる。
「……ぁ」
 気がつけば、男の膝上に抱きしめられていた。
 髪に、首筋に、頬に、花びらを降らすような口づけがあたえられる。
「……土方…さん……」
 男の手が帯にかかったのを感じた。せっかくきちんと着付けたものが、あっという間に脱がされてしまう。
 そのまま褥の上へ躯を横たえられた。
「……ゃ……」
 恥ずかしさに身を捩りながら見あげれば、土方も寝着を脱ぎすてる処だった。
 逞しい均整のとれた男の躯が露になり、だが、そのとたん、見慣れぬ腕の晒しに息を呑んだ。
「……傷」
「え?」
 土方は僅かに眉を顰めた。
 それに、総司は震える指さきをさしのばした。
「傷……大丈夫、なのですか」
「……あぁ」
 土方は今気がついたように、己の腕の晒しをちらりと見やった。小さく笑う。
「少ししくじっちまってな。けど、大丈夫だ。たいした傷じゃねぇよ」
「本当…に?」
「何だ、心配してくれているのか」
 揶揄するような口調で訊ねた土方に、総司はかっとなった。
 思わず彼を睨みつけ、叫んでしまう。
「あ、あたり前でしょう……! あなたが傷を負ったと聞いた時、どれだけ胸が痛くなったか、怖かったか、そんなの……っ」
「総司……」
「そんなの……土方さんにはわからない、わからないんだ……」
 今にも泣き出してしまいそうな総司に、土方は息を呑んだ。
 だが、すぐ、おおいかぶさるようにして、その細い恋人の躯を両腕で抱きすくめた。優しい声で囁きかける。
「……すまない」
 そっと頬に唇をよせた。
「本当にすまない……けど、もう大丈夫だ。あんな失敗は二度としない」
「……土方…さん……」
「愛してる。総司……おまえだけを愛してるよ」
 それに、総司は何も応えなかった。ただ、黙ったまま彼の胸もとに頬を寄せている。
 鼓動の音が聞こえた。
 彼の生きている証が、泣きたくなるほど嬉しかった。
「……わかっているのです」
 小さな声で、総司は云った。
 それに、土方が僅かに眉を顰めた。
「何が」
「あなたの立場も、私の立場も。傷どころか、命さえもやり取りする日々なのに……こんなふうに心配してしまうなんて、その事自体がおかしいのだと」
「……」
「でも、それでも……心の痛みはどうしようもなくて。怖いと思った気持ちは、自分でも信じられないぐらいで……」
「総司……」
 土方は、優しく総司の髪を撫でた。
 片肘をついておおいかぶさるようにしながら、頬や首筋に甘い接吻を落としてやる。
「おかしい事なんかねぇよ」
 そう云った土方を、総司は大きな瞳で見上げた。
 どこか幼くさえ見える表情にたまらない愛しさを覚えながら、土方は言葉をつづけた。
「おまえが俺を気づかってくれる事……おかしくなどあるものか。むしろ、自然な事だろう?」
「本当……に?」
 不安げに訊ねる総司に、くすっと笑った。


 まだ子どもなのだと思ってしまう。
 いつも自分を律し、激しく清廉とありながら、そのくせ幼い子どものような部分をもった総司が、誰よりも愛しかった。


「あぁ。そんなおまえが好きだ」
「土方さん……」
「愛してるよ……誰よりも」
 そう囁きざま、静かに唇を重ねた。
 総司も黙ったまま目を閉じ、それを受ける。おずおずと躊躇いがちにだったが、その細い手が彼の背にまわされた。
 白い褥の上、月明かりが落ちる。
 やがて、甘い啜り泣きと息づかいだけが、部屋の中に満ちていった……。












 愛してる──と。
 何度も何度も囁いて。
 甘い睦言と、口づけ、抱擁の中で、二人は静かに躯を重ねた。
 この間のような抗いも悲鳴もない。
 ただ、互いだけを求め、愛しあってゆく恋人たちの夜。
「……ぁ…は…ぁあ……ッ」
 甘い声をあげ、総司が仰け反った。
 それを抱きしめ、より深く己の楔を打ち込んでゆく。



 これが背徳の行為だと、誰に非難されなくともわかっていた。
 だが、わかっているからこそ、溺れてしまう。
 溺れずにはいられない。



「……総…司……っ」
 もう頂きは間近だ。
 快楽の高みへ昇りつめる感覚に、目も眩みそうになる。
 激しく躯を揺さぶられ、総司は声も限りに泣きじゃくった。男の背に鋭く爪をたててしまう。
「!」
 痛みに眉を顰める彼の表情が、ひどく色っぽかった。
 汗に濡れた髪をかきあげられ、額に首筋に唇に、むしゃぶりつくように口づけられる。
「総司……愛して…る……っ」
「ぁ…ぁっ、…私…も……っ」
 総司は男の首を細い両腕でかき抱くと、うわごとのように口走った。
 その躯の奥を何度も男の楔で穿たれながら、泣きじゃくる。
「私…も……愛して…る……っ」
「!……総司……っ」
 土方は思わず、その愛しい躯の背に手をまわし抱きおこした。そのまま唇を重ね、激しく貪る。


 これ以上、もう何も聞きたくなかった。
 愛を囁かれた後の、否定の言葉など耳にしたくない。
 今の言葉は、幻だったのか。
 夢だったのか。
 確かめるすべはなかったが、それでも……


「愛してる」


 そう囁いた土方に、総司は固く瞼を閉ざした。
 抱きしめる腕の中、幸せとは違う何かに満たされてゆく。
 互いだけを感じ、とけあうすべて。
 そして、恋人たちは溺れた。






    ────ただ、愛だけに。


















 

[あとがき]
 ようやく、総司も素直になれました。でも、これでハッピーンエンドとはならないんですよね。まだまだ色々あります。そろそろ終盤にさしかかっているのですが。
 ラストまでお読み下さり、ありがとうございました。