「……それ、おいしい?」
 突然。
 本当に突然。
 後ろからそんなふうに声をかけられた瞬間。
 冷蔵庫の扉を開けたままで。
 真夜中のキッチンで。
 手から、レモンアイスを落っことしそうになった。








 土方と総司がすったもんだの末に、無事恋人同士としておつきあいするようになって、もう数ヶ月がたっていた。
 季節は初夏だ。
 二人は同じマンションの上下階に住んでいたが、お互いの部屋を行き来するというより、ほとんど総司の部屋で過ごす形でつきあいを続けていた。
 マネージャーの磯子にもお許しを頂いたので、本当なら同居してしまってもいいのだが、むしろ総司もそう望んだりしていたのだが、土方の方がやんわり断った。
 どこか悪戯っぽい笑みをうかべながら、こう囁いてみせたのだ。
「お互い、秘密がある方が楽しくない?」
 と。
 だが、それを聞いた総司は、唇を尖らせた。
 初めから秘密ばっかりで。
 とんでもなく謎めいた男で。
 恋人になった今でも、彼の言動はわからない事が多くて、ふり回されてばかりなのだ。なのに、これ以上、秘密がある方が楽しいなんて。


(ぜーんぜん、楽しいはずないじゃないっ)


 総司はそう心の中で反論したが、むろん口には出さなかった。あまりあれこれ云って、彼に嫌われてしまうのが怖かったのだ。
 国民的アイドルでもある人気歌手が何を云ってるのかと呆れられそうだが、総司は土方に心底夢中だった。
 だい好きでだい好きで、彼の事を思うと、いつだって、ほんわか頬が熱くなってしまうぐらい、だい好きなのだ。
 だが、それは決して一方通行ではなかった。
 これは、未だ総司の知らない事だが。
 土方は、総司が彼を思うよりも百倍ぐらい、いやいや一千倍も一万倍も──恋人の事が可愛くて可愛くてたまらなかったのだ。
 本心を云っちゃえば。
 歌手なんかやめさせて、誰にも見せず、ずーっと自分の腕の中に抱きしめ、自分のためだけに歌ってくれる小鳥として、篭に閉じこめてしまいたい──などと、危険な考えまでこっそり抱いてしまうぐらい、べた惚れなのである。


 つまりは、バカップルなのであった。








 さてさて、そんなバカップルの土方と総司が、喧嘩をした。
 それは恋人同士になって初めてのケンカだった。
 だが、何事にも終焉というものがある。
 どんなに長い連続ドラマでもラストシーンはくるのだ。突然、何もかも放棄して忘却の彼方へ追いやってしまわない限り。
 だから、この場合も同じくそうだった。
 怒りまくった挙げ句、いったん上の階にある自分の部屋へダッシュで駆け戻っていた恋人が、きっかり3時間後に戻ってきて。
 それでもって、「ごめん、悪かった」と頭を下げた段階で、ちゃんと二人は仲直りするはず──だったのだ。
 そう、喧嘩も皆終わるはずだった。
 まさに、その時。
 土方の携帯電話が高らかに鳴らなければ。
 しかもしかも。
 それがまだ縁を切ってなかったセフレの一人から、でなければ。



「土方さんなんて、最低ッ! 不潔ーッ!」
 こう叫んだ総司がマンションを飛び出したのは、そのすぐ後。
 目の前を走ってきたタクシーに乗り込んで、向かった先はスタジオ。
 ストレスを発散するには──というか、少しは頭を冷やすためには、唄うしかなくて。
 思い切り歌いまくって、彼への腹ただしさなんて忘れちゃおうと思ったのだ。
 そして、実際、忘れられた。
 天性の歌手である総司は、歌っている時、ひたすら無心になれるのだ。
 無心になれなかったのは、彼に片思いしていた時だけ。
 今はもちろん両思いで毎日ほとんど同棲状態で。だから、すっごく幸せで。
 幸せであるはずなのに。


(なーんで、こう喧嘩しちゃう訳?)


 独占欲が強くて、やきもち焼きで、総司がCM撮影で女の子と手を繋いだだけで、むっとした表情になっちゃって。
 なのに、そのくせ。
 自分の方は、未だセフレと手を切ってない身勝手な彼。


(……まぁ、その理由はわかっているんだけどね)


 彼だって、健全な若い男。
 そりゃ、したくなる時もあるでしょう。
 いろいろ発散したくなる事もあるでしょう。
 しかも、肝心の恋人がまったくさせてくれない──どころか、まるで中学生のようなキスどまりの恋愛関係では、いい加減キレてしまうのは目に見えている。
 そのうち自分が押さえきれなくなるからと、彼は外で発散しているのだ。
 繁華街を夜にふらつくよりはマシだからか、総司もこっそり知っている事だが、彼には三人もセフレがいる。しかも、それは皆、極上の美人で皆年上だ。
 気がむいた時だけ彼女を抱きにくる年下の男を、「しょうがないわねぇ」と笑いながら受け入れる彼女たちの寛容さにも恐れいるが、三人も相手にしてる彼にも驚きだった。
 もっとも、総司と躯の関係も結んだ暁には、きっぱり全部手を切ると断言しているのだが。
 それはそれで、困る話なのだ。
 つまりは「早く食べさせて下さいね?」と、せっつかれているも同然なのだから。
 でも、どーしても勇気がでない。
 総司を前にして、我慢に我慢を重ねて。
 挙げ句、「……マジで俺、獣になっちゃうよ」と総司を抱きしめてくる土方を、気の毒にも思うが、申し訳ないとわかってはいるが。
 でも、怖いのだ。
「……しなきゃ、だめ?」
 うるうる涙目で訊ねたとたん、はああぁっとため息をついて力なく首をふる土方に、ほっとするのも本当のことで。


(どうしたらいいのかなぁ)


 総司は歌いおえて少しだけ冷えた頭を抱えながら、とぼとぼと家への道を辿った。
 夜のためか、すれ違う人は誰も総司の素性に気づいていない。
 帰宅してみると、土方はまだ総司の部屋にいた。しかも、何をやっているのか、自分のノートパソコンまで持ち込んで、かたかた何やら入力している。
 その姿を見たとたん、また怒りが再燃した。


 こっちはこんなに悩んでいるのに、そっちはお仕事ですか!
 しかも、未だに何をやってんだか教えてくれない、お仕事。
 ますます腹たつー!


 怒りのオーラをめらめら漂わせつつ立っている総司に気づいたのか、土方がふり返った。きれいな端正な顔で、にっこり笑いかけてくる。
「あ、お帰り」
「……ここ、ぼくの部屋なんですけど。あなたの部屋は、上でしょ」
「まだ怒ってるのか」
「…………」
「いい加減、機嫌直してくれよ。あ、さっきの電話な、ちゃんと断ったから。幾ら何でも今日はまずいって」
「今日じゃなかったら、いいってこと?」
「…………」
 総司にしては珍しく鋭い切り返しに、土方はうっと絶句した。
 それを冷たい目で眺めてから、総司はぷいっと背をむけた。
 洗面所で手を洗ってからリビングへ戻ってみれば、いつのまに用意されたのやら、ローテーブルの上にはほかほかおいしそうなご飯が並んでいる。


 食べ物でご機嫌とるつもり?
 その手には乗らないんだからね!


 強くそう思った総司だったが、お腹がくうぅっと鳴ったことが敗因だった。
 ちらりと見れば、土方はにやりと笑い返してみせる。
 その意地悪そうな笑みに、ますます怒り倍増だが、お腹が空いてることは事実で、しかも今日の晩御飯は総司のだい好きな彼特製の味噌チーズハンバーグで。
「沢山あるから、どんどん食べろよ」
「……いただきます」
 気が付けば、総司はお茶碗と箸をもって、もぐもぐ晩ご飯をおいしく頂いていた。
 相変わらず頬はぷうっとふくれているし、桜色の唇は尖っていたが。
 そんな総司を、前に坐った土方は、それはそれは楽しそうに眺めていた。





 デザートに出されたのは、アイスだった。
 それも、さっぱりしたレモンアイス。
 器用な彼の手作り。
 おいしくて、おいしくて、頬っぺたが落っこちそうだった。
 だけど、そんなこと云ってあげる気にはなれなくて。
 総司は黙ったまま、銀色のシェル形スプーンでアイスをすくった。
 口の中にふくめば、甘い後味を残して、すっととけてゆく。
 苺味も好きだが、レモン味も好きだなぁと思ったところで、目の前で頬杖をついて眺めている土方と目があった。
「……何、ですか」
「いや、おいしそうに食べてるなぁと思って」
「そうですか」
「沢山あるから。冷凍室に入ってるから、好きなだけ食べていいし」
「ふうん」
 総司はスプーンを舐めながら、つんっと顔をそむけてみせた。それに、土方がくっくっと喉奥で笑い出す。
 びっくりして視線を戻すと、土方が身を乗り出し、きれいに微笑った。
「可愛いなと思って」
「か、可愛いって……何で」
「だってさ、たいしておいしくないって顔してみせながら、最後の最後まで梳くった挙げ句、スプーンまで舐めてるんだ。可愛いって思って、当然だろ?」
「……っ」
 総司の顔が真っ赤になった。スプーンを取り落とすというか、かっしゃんと放り出した。
 それに、土方は笑いをおさめると、手をのばした。くしゃっと髪をかきあげられる。
「きれいに食べてくれて、ありがとう」
 そんなふうに優しい声で云われ、総司はますますいたたまれなくなった。とうとうそこから逃げ出してしまう。
 自分の部屋に閉じこもって、泣き出したくなって───


 いつだって、彼は優しいのだ。
 優しくて、甘やかしまくって、どんどんどんどん総司をわがままな恋人にしてしまう。
 だが、いくらわがままでいいと云われていても、こんな意地っ張りな恋人では、そのうち愛想尽かされてしまうだろう。
 躯さえ許してないのだ。
 歌う小鳥でしかない自分を、彼がずっと愛してくれるなんて、そんな保証はどこにもないのに。


 総司は床に座りこんだまま両膝を抱え込むと、ぎゅっと固く瞼を閉じた。








「……ん……」
 薄く目を開いた。
 いつのまに移動したのだろう。
 視線の上には、天井があった。ということは今、自分がいるのはベッドだ。
 壁に凭れこんだまま眠ったはずなのに。
 総司はごそごそと起き上がり、周囲を見回した。
 時計の針は真夜中の3時。まだまだ朝はやってこない。
「喉が渇いた……」
 きっと、ここに運んでくれたのは土方なのだろう。起こさないように気をつけて、そっとそっと運んでくれたに違いない。
 部屋のベッドは割合広いのに彼の姿がないという事は、その後、上の階へ帰っていったのだろう。
 あんなにわがままなぼくなのに。
 総司はため息をつくと、ベッドからするりと降りた。部屋を出てキッチンへ向かう。
 冷蔵庫をあけてミネラルウォーターを飲もうとして、ふと思い出した。


(……アイス)


 こっくんと喉を鳴らしてしまった。
 冷凍庫を開けて、中を覗き込む。ご丁寧に小さなパックに分けられたアイスが幾つか入っていた。
 レモンのやわらかな黄色が、半透明のむこうにきらめく。
 総司はその一つを取り出すと、そぉっと蓋を開けてみた。やっぱり、アイスが入っている。
 行儀悪いとは思ったが、猫のようにぺろりと舌で舐めてみた。
 甘い。
 おいしい。
 んー、最高♪


「……それ、おいしい?」


 その時だったのだ。
 突然、そんなふうに声をかけられたのは。





「き、きゃあああああああーッ!!」


 真夜中のキッチンに、甲高い悲鳴が響き渡った。
 何しろ、歌手だ。
 生半可な声量ではない。
 安普請のアパートであれば、すわ泥棒か!?とたちまちご近所が110番の騒動だろうが、幸いにしてここは高級マンション。壁も厚いし、床も厚い。挙げ句、総司がよく歌を唄うため、入居前に防音工事がなされている。
 なので、外には聞こえなかったようだった。
 だが、問題はそこではない。
「……な、何でここにいるのですーっ!?」
 総司はガバッとふり返り、目の前に立っている土方にむかって叫んだ。
 とっくの昔に上階の部屋へ戻り、ぐーぐーおやすみになっているはずの男にむかって。
「何でって……」
 土方は寝乱れた黒髪を片手でかきあげながら、苦笑した。なぜか、しっかりパジャマにも着替えてる。
「ここで寝てるからだけど」
「キッチンで!?」
「まさか、和室でだよ。上に戻るの面倒だったし、おまえまだ機嫌悪かったから明日の朝もういっかいトライしようかなって思って」
「ト、トライって、何それっ」
「いや、けどさ」
 土方は形のよい唇の端をつりあげると、かるく身をかがめて総司の顔を覗き込んだ。のばした手で冷蔵庫の扉を閉めながら、小首をかしげてみせる。
「わざわざ真夜中に食べるほど、お気に召していたとはね」
「あ、こ、こここれは、そんなんじゃっ」
「何?」
「えっと、あのっ、喉が渇いて……」
「喉が乾いたんなら、ミネラルウォーター飲めばいいだろ?」
「う」
 言葉に詰まってしまった総司に、土方はくすくすと笑い出した。笑いながら総司の頭を自分の胸もとに引き寄せ、ぽんぽんと背中を叩いてくる。
「まったく、素直じゃないなぁ」
「……っ」
「ほら、認めてしまいなさい。おいしいですって、それから、いつまでも意地はってごめんなさいって。その方がきっとおまえも楽になるよ」
「……ぁ」
 男の言葉に、じわりと涙がにじんだ。
 彼は何も謝って欲しくて云っているのではないのだ。いつもの事だが、優しいから、総司を大切にしてくれるから。
 何よりも。
 総司がそう口に出すことで、もう意地をはるのをやめることで、楽になれるだろうという事を見越して、こう云ってくれているのだ。
 それが泣き出したくなるくらい、嬉しかった。
 だい好きだと思った。
「……ごめん、なさい……っ」
 総司は土方のパジャマの胸もとに顔を押しつけた。ぎゅっと縋るように裾あたりを握りしめ、小さな小さな声で謝る。
「意地はって……ごめんなさい」
「あぁ」
「それから、アイス、おいしかったです……」
「当然だろ?」
 土方は声をてて笑うと、総司の肩に手をかけて引き起こした。きれいに澄んだ黒い瞳で、ちょっと半泣きの少年を覗き込む。
「だってさ」
 涙に濡れた長い睫毛に、そっと唇がふれた。
「おまえのご機嫌とるために、腕によりかけて作ったんだぜ? おいしくて当然だ」
「そうなの?」
「そうなんだ」
「……知らなかったです」
「嘘ばっかり」
 そう笑った土方に、総司はかるく唇を尖らせた。が、その可愛い顔には甘えるような表情しかない。
「嘘つきなのは土方さんでしょ?」
「俺は嘘つきじゃなくて、謎めいてるのさ。それに、その方がずっと恋してられるだろ? 全部わかったら、俺に飽きてしまわない?」
「そんな事ありません。ずーっとずーっと恋しています」
「ずっと? いつまでも?」
「はい」
「なら、同じだな。俺も、ずっとおまえに恋してる」
「ずっと? いつまでも?」
「あぁ」
 二人顔を見あわせると、まるで共犯者みたいにくすくす笑いあった。
 何度も何度も、互いにふれあって。
 くすくす笑いの合間に、キスをかわして。
 ちゅっと音をたてて唇を離してから、
「……さっきのアイスの事だけど」
 土方が、総司の可愛い顔を覗き込んだ。
「おいしくて当然なんだよ」
「え?」
 小首をかしげた総司に、微笑みかけた土方は、可愛くて意地っぱりでわがままな恋人を見つめると、悪戯っぽい笑顔でこう云ったのだった。


  「何たって、俺の愛入りだから」








 ──だから、それは
 世界中の誰一人、真似できない
 甘い甘いレモンアイス
















[あとがき]
 いちごミルクのシリーズ、番外編1作目です。このシリーズはひたすら、謎めいた男土方さんと、国民的アイドルの可愛い総司のラブコメディになります。
 また、他のシリーズと違うのは、土方さんの方がお料理上手ってことです。家事ができて優しい恋人で、でも、実はスナイパー。ちょっと危険な香りも時々漂わせる感じで、書いていきたいです。