「……土方さん!」
ソファの方からあがった声に、土方は驚いてふり返った。
結局、朝っぱらから色々致してしまったのだが、当然ながら、その行為は初めての総司にかなりの無理を強いた。
その挙げ句、涙目で「……ベッドから降りられない」と訴える総司の姿に、さすがの土方も反省したものだ。
だが、しかし。
今更反省しても遅い訳で、しかも、(今までさんざん我慢させられてきたんだから、仕方ないよな)などと、ちょっぴりどころかかなり思ったりして。
その思いがつい顔に出てしまったのか、きぃぃぃっと怒った総司に枕を投げつけられ、慌てて謝り倒し、ただ今、懸命にご機嫌をとりまくっている最中なのだ。
(まずは、食べ物でつるしかないよな)
土方は用意した食事を眺めまわし、頷いた。
キッチンはいい匂いでみたされている。
総司のだい好きなため、常に冷蔵庫に常備してある生地でチーズベーグルを焼き、スクランブルエッグにベーコン。
色々な野菜の入ったスープに、フルーツサラダ。
フレッシュジュースと、ミルクティー。
ちなみに、今日の晩御飯は、精力をつけるため(誰のためかは、また謎だが)、すき焼きである。
そう。
ここはもう既にホテルではなく、総司の部屋だった。
綺麗に磨き上げられ、隅々まで掃除された部屋は清々しく、また、ほかほかおいしそうな食事が並んでいる様は、とても家庭的だ。
だが、しかし。
これを用意したのも、部屋を掃除したのも。
みんなみんな、表の顔は東京地検特捜本部のエース検事、裏の顔は凄腕スナイパーという──とんでもなく危険で、そのくせ可愛い恋人だけには滅法めろめろ甘甘のこの男、なのである。
今もすらりとした長身に、シャツとジーンズの上から黒のギャルソンエプロンをつけ、腰に手をあてて「よし」と満足そうに頷いている。
ようやく叶った初夜だったのに、ご機嫌をそこねてしまった可愛い恋人のため、腕をふるったのだ。もっとも、これぐらいの食事、彼にとっては文字通り朝飯前なのだが。
「総司、そろそろ食事に……」
そう云いながら、総司が待っているはずのリビングへ食事を運ぼうとした。
まさに、その時だった。
「……土方さん!」
総司の悲鳴にも似た声が、響き渡ったのだ。
「どうした!?」
土方は慌ててキッチンからリビングへ走った。
何か、総司が怪我でもしたのかと思ったのだ。
きれいな肌に傷一つでもつくなど、絶対に許せない!
しかも、初夜をむかえ、そのなめらかで白いお肌をさんざん堪能させて貰った後だから、尚のことだ。
だが、リビングのソファに坐った総司は、怪我など全く負っていなかった。
テレビを見て目を丸くしている。
「土方さん! あのっ、あのね……っ」
走り寄って己を覗きこんだ男に、総司は息せききった様子で、両手をふり回した。
「あのニュース! ほら、あれ!」
「はぁ?」
相変わら要領を得ない総司の言葉に、土方は首をかしげた。
だが、どうやらテレビでやっているニュースの事を云っていると気づき、視線を画面にむける。
そこには、路地やブルーシート、警察官の姿が映っているだけだった。
「? 何だ」
「だから、あそこ! ほら、昨日ぼくたちが泊まったホテルの横なんですよっ」
「え?」
云われて見れば、確かにそうだった。
っていうか、あの場所は思いっきり見覚えがあるんだけどな。
もっとも、この瞳で見たのはライフルのスコープ越しだったが───
「……あぁ、成る程」
頷いた土方に、総司はきょとんとした顔になった。
「土方さん、知ってたの? あんな殺人事件があったって」
「まぁな」
「ぼく、全然知りませんでした」
そう云ってから、総司は、はぁっとため息をついた。テレビの画面を眺める。
「でも……怖いですよね。ぼくたちが泊まっていたホテルのすぐ傍で殺人事件なんて」
「……」
「銃で撃たれたそうですよ、この代議士さん。それも一発で」
「……」
「そんな殺人犯がすぐ近くにいたなんて、本当に怖いですよね。そう思いません?」
無邪気にそう訊ねてきた総司を、土方は切れの長い目で見下ろした。
「……」
しばらく沈黙してから、やがて、にっこりときれいな顔で微笑みかけてやる。
「あぁ、そうだな」
すとんっと総司の傍に腰をおろすと、そっと髪を撫でてやった。
「けど……怖がる事はないよ」
「え?」
「何があっても、おまえだけは俺が守ってやるから」
優しく髪に額に、キスを落しながら囁いてくれた恋人に、総司はぱっと頬を紅潮させた。嬉しさと幸せに、耳朶まで真っ赤になってしまう。
「うん……」
こくりと頷き、彼の胸もとに顔をうずめた。
「……」
その従順にゆだねてくる華奢な躯を両腕で抱きすくめ、土方は薄く嗤った。
殺人犯がすぐ近くにいたなんて、怖い──か。
……けどさ。
まさに今、その殺人犯が、おまえを抱きしめてるんだぜ?
自分の恋人が暗殺者だと。
この俺が、あの代議士を一発で撃ち殺したスナイパーだと知ったら。
おまえは、いったいどうするんだろうな。
「……さて」
土方は総司の躯をぎゅっと抱きしめ、耳もとに唇を寄せた。
「お姫さまのご機嫌もなおったみたいだし、そろそろ食事にしますか」
「……え?」
総司が一瞬、目を見開いた。
だが、すぐにはっと我にかえると、「あー!?」と叫んだ。
「わ、忘れてた!」
「総司?」
「ぼく、怒ってたんだ! 土方さんのこと、怒ってたのに、なのに……絶対、絶対許しませんからねっ」
「絶対許さない? ふぅん、おまえの好きなチーズベーグル焼いたんだけど」
「……チーズベーグル?」
「そ。クリームチーズいれて、上からとろけるチーズもかけたし。すげぇおいしそうに焼き上がってさ、絶対焼きたての方がおいしいと思うんだが、おまえ……今すぐ食べたくないって訳か?」
「う」
「それとも、まだ喧嘩続行する?」
「……うぅっ」
言葉につまってしまった総司に、土方は悪戯っぽく笑った。
それから、総司の細い躯を膝上に抱きあげると、黒い瞳で可愛い顔を覗き込んだ。
「ほら、意地はってないで」
「だって……」
「俺も悪かったです。ごめんなさい。でも、もう仲直りしようぜ? 仲直りして、一緒にご飯を食べよう」
そう優しく微笑いかけた土方に、総司は視線を落とした。
それから、しばらく黙ってから、こくりと小さく頷いた。ぱふっと彼の胸もとに顔をうずめてくる。
「……うん、仲直りする」
「チーズベーグルのために?」
「そうじゃなくてっ」
総司は顔をあげると、土方を見上げた。
それから、こんな事を云ってのけた。
「ぼくは……土方さんのことなら、全部許せちゃうから」
「……全部?」
微かに、土方は眉を顰めた。
思わずとことんまで追究してしまいたくなってしまう。
だが、それを押さえ込み押し黙った土方に、総司は両手をのばした。ぎゅっと抱きつき、彼の広い背に両手をまわしてくる。
「だって、だい好きだもの。恋人なんだもの」
「……」
「だから、ね?」
総司はきれいに澄んだ瞳で彼を見上げると、天使のように無邪気な笑顔をうかべた。
「だい好きな人がする事なら、何でも許せちゃって当然でしょ?」
「……」
土方は思わず天を仰いでしまった。
……降参だ。
こんな可愛い笑顔で、こんな殺し文句。
絶対、反則だって。
結局のところ。
ようやく身も心も手にいれたと満足したとたん、実感させられたのは、つかまってしまったのは自分の方──という実感で。
もう逃れようもないぐらい、溺れこんでしまって。
凄腕スナイパーとして裏社会でも恐れられる彼が、こんな愛らしい小鳥の虜にされ、ふりまわされまくっている。
だが、それは悔しいどころか、たまらなく幸福感にみちた日々なのだ。
「あぁ、当然だな」
土方は柔らかな声でそう答えると、
(ったく、しょうがないよな)
やっとつかまえた可愛い恋人を、ぎゅっと抱きしめたのだった。