「……え」
総司はきょとんとした顔で、斉藤を見あげた。
涙でうるうるしている大きな瞳が、たまらなく可愛らしく保護欲をかきたてまくる。
こんな可愛い恋人を、捨てるはずがないのに。
あの男が自分のことをどれだけ愛しているか、総司には全く自覚がないのだ。
「土方さんの携帯に、オレが掛けてみようかと」
そう云いながら、斉藤は携帯電話の画面をさし出した。そこには土方のナンバー。
「どう?」
「……」
総司は目を見開いた。が、次に出てきた言葉は予想外のものだった。
「何で、斉藤さんが電話番号知っているの?」
「えっ」
「だって、斉藤さん、土方さんと顔見知り程度なのに……」
うっと詰まった。
天然なのに、時々、妙に鋭くなるのが総司なのだ。
だが、実は、裏なのか表稼業なのか、公安調査官などというものをやっている斉藤が、スナイパーの土方とずーっと昔からの知り合いなどとは、口が裂けても云えません。
それこそ、抹殺されてしまう。
むろん、総司ではなく、斉藤が。
「い、いやぁ……その、この間? 総司のことが心配だって云ってたあの人にさ、オレが教えて貰った訳。何かあった時は知らせるって」
「あ……そうなんだ」
総司の表情がちょっと明るくなった。
自分のことを心配していたという彼の様子に、気持ちがひょっこり浮上したらしい。
「じゃ、一度かけてもらえますか? どうしても、ぼく、土方さんと連絡が取りたいから」
「OK」
頷き、斉藤は携帯電話を操作した。
彼の電話へとかけてみる。
「──」
だが、すぐ、斉藤の表情が固まった。電話を耳にあてたまま、唖然としている。
それに、総司はいや〜な予感がした。
「斉藤さん……どうかした?」
「え、いや、その」
「ちょっと、その電話かして!」
もぎとるように総司は斉藤から電話を奪い取ると、それを耳に押しあてた。
そこから聞こえてきたのは。
あなたが掛けられたお電話は、お客様のご都合により、おつなぎできません───
「うわぁーん、やっぱり土方さん、ぼくなんか別れるつもりなんだーっ!」
総司が携帯電話を放り出し、泣き叫んだ。
がばっとテーブルに顔をふせて、おいおい泣き出してしまう。
「そ、総司……何もそんな」
おろおろと手をのばした斉藤に、がばっと総司が顔をあげた。
「だって、そうじゃない!ぼくのこと知らせてもらう斉藤さんからの電話まで、拒否してるんですよ!」
「う」
「もう全部縁きるつもりなんですっ、絶対絶対そうー!」
総司は一気にまくしたてると、またテーブルに突っ伏した。先ほどのナフキンを噛みしめ、わんわん大泣きしている。
それをげんなりした表情で眺め、斉藤は深く深くため息をついたのだった。
総司が倒れたのは、その翌日のことだった。
ある意味、もった方だろう。
スタジオでの撮影後だったため、それ程の騒ぎにならずに済んだ。
磯子が社長の原田に連絡をとると、すぐ療養させろという事だったので、家に連れて帰った。むろん、総司の部屋だ。
「ほら、靴を脱いで」
ふらふらしている総司を連れて、部屋の中へ入った。
五日も留守にしていたわりには、綺麗に片付いている。もっとも、使わなければ汚れるはずもないのだが。
病院で精神安定剤の注射と、ブドウ糖の点滴をしてもらったため、総司は眠くて眠くて仕方がなかった。半分もう瞼が閉じかけている。
磯子はその手をひいて寝室へ連れてゆくと、布団の中へ押し込んだ。
「……ありがと、磯子ちゃん……」
まわらぬ舌で弱々しくお礼を云われても、ちっとも嬉しくない。
いつもの元気な明るい総ちゃんに、早く戻って欲しかった。
「ぐっすり眠りなさい。仕事の方は心配しなくていいから」
「うん……」
「おやすみなさい」
そっと髪を撫でてあげると、総司は瞼を閉ざした。とろとろと眠りへ落ちてゆく。
やがて、小さなやすらかな寝息が聞こえはじめた事に安堵し、磯子は立ち上がった。そっと音をたてないよう寝室を出て、扉を閉める。
リビングへ入ると、お湯をわかして珈琲を飲んでから、
「……さて」
と、呟いた。
リビングの真ん中に立つと、腰に手をあてて部屋の中をぐるりと見回した。
そして、ぴしっとした口調で云い放った。
「どうせ、聞いているんでしょ?」
いったい誰にむかって、云っているのか。
磯子はいらいらした様子で、言葉をつづけた。
「総ちゃん、倒れちゃったわよ。そりゃご飯もほとんど食べないで寝ないでだもの、あたり前よね。あたしがどれだけ云っても、駄目だった。というか、食事も喉を通らないぐらい悩んでた訳よ。でも、その理由、あなたが一番わかっているはずじゃない?」
ふうっと一息ついてから、磯子は遠くへきつい視線を向けた。
「たまには喧嘩もいいけど、程ほどにしてちょうだい。謝るチャンスもあたえないなんて、ちょっと酷すぎるわ。あなただって、総ちゃんが可愛いんでしょ? 大事なんでしょ? だったら、すぐ帰ってきてちょうだい。でなきゃ……あたしが別の誰かを見つけて、くっつけちゃうからね!」
磯子は云いたいことだけ云うと、放り出していたバックを取り上げた。
総司のスケジュールを整理しなければならないのだ。
バタンッと玄関の扉が閉まる音が響いた部屋の外、紺色の夜空にお星様がきらきらと輝きはじめていた。
「……さすが、だね」
土方はくすっと笑った。
今夜は風が冷たい。
それも高層ビルの屋上ともなれば、尚一層の事だった。
手すりに寄りかかり、遠くにあるビルを先程から眺めている。
最上階で開かれている、豪奢なパーティ。
土方は風に吹き乱される黒髪を、煩わしげに片手でかきあげた。その手には黒い皮の手袋をはめられてある。
その姿もブラック一色で、黒のハイネックのセーターにブラックジーンズ、ウェストシェイプの黒いコートと、夜の闇にとけこむような姿だ。
いつも総司といる時の淡い色合いの服装とは、全く違った。だが、それも致し方ないことだろう。
何しろ、今、土方は「お仕事」の真っ最中だったのだから。
それも表でなく、裏の。
「ったく、あのオヤジ邪魔だな」
短く舌打ちし、目を細めた。
むろん、スコープ越しだ。いくらスナイパーでもそこまで見えない。
片手に握ったライフルを下ろし、土方は肩をすくめた。耳にはイヤホンがつけられてある。
そこから聞こえる声は、情報でも仕事上のものでもなかった。
愛しい恋人──総司の、マネージャーである磯子のものだ。
あの部屋にあちこち取り付けてある盗聴器。
おそらく磯子あたりは気づいているだろうと思っていたが、やはりそうだった。
さすが侮れない。
あの天然で売れっ子の総司のマネージャーたるもの、それぐらいでなければ勤まらないという訳か。
「この分じゃ、俺の仕事も気づかれてるかもしれねぇな」
そう呟きはしたが、まったく焦る様子もなく、くっくっと愉しそうに笑い声をたてた。
謝罪のチャンスもあたえないと、磯子はかなり怒っているようだが、別に、わざと姿をくらました訳ではなかった。
確かに、総司の言葉に腹をたてたのだが、あの時帰宅してみると急な仕事が入っていたのだ。それも少し遠方で。
仕方なく土方はその地に飛び、五日ほど仕事に専念していた。彼自身も総司のことは云えないぐらい、仕事熱心だ。プロフェッショナルに徹する質だ。だからこそ、しばらくは仕事に集中した。
むろん、ちょっと意地悪で総司や斉藤たちの電話を着信拒否していたが、まぁ、それも仕事に集中するためという大義名分は一応ある。
だからこそ、総司の様子は全く知らなかった。そんなに自分の不在が応えているなんて、全く思わなかったのだ。
「……だったら、あんなこと云わなきゃいいのに」
土方はため息をつき、苦笑いを口許にうかべた。
わがままでちょっと意地っぱりで、一生懸命で、優しくて可愛い恋人の顔が、脳裏にうかぶ。
その総司がご飯もまともに食べず、自分のせいで倒れてしまったとなると、当然、胸奥がちくりと痛んだが。
ほんの少しだけ、痛んだが。
「けど、そこまで愛されてるとは」
形のよい唇が不敵な笑みをうかべた。
「嬉しいと思っちまう俺も……とことん歪んでるよな」
実際、嬉しいのだ。
だいッキライだとか、いらないとか、云われた後だからこそ、尚のこと。
もちろん、あんな事云われたぐらいで手離す気なんか、さらさらなかったが。
総司と別れる日がくるのは、どっちかが死ぬ時だし。自分たちの世界が終わる時だ。
それぐらい、愛しているのだ。
この愛も恋も一生ものだと、強く信じているのだから。
「そのあたり、わかってるのかねぇ。あのお姫様は」
土方は苦笑しながら、もう一度ライフルをかまえた。そろそろ上手い具合に、獲物が現われてくれる事だろう。
「さて、と」
ぺろりと舌なめずりした男は、薄い笑みを唇にうかべた。
「磯子ちゃんにも云われたことだし、さっさとお仕事片付けて帰りますか」
そして。
ゆっくりと。
引き金に、しなやかな指がかかる。
──次の瞬間。
バシュッと鋭い音が星空に響いた。
……そっと。
唇に柔らかな感触がふれた。
小さく吐息をもらせば、頬を手のひらで包みこまれる。
「……」
ゆるゆると目を開いた総司は、だが、視界が暗闇にとざされている事に戸惑った。
夜だから当然なのだが、怖くて怖くてたまらなくなる。
思わずぎゅっと目を閉じたとたん、その躯がふわりと抱きすくめられた。力強い両腕で抱きすくめ、首筋に頬に額に羽毛のようなキスを落としてくる。
誰か、なんて。
見なくてもわかった。
気配で、感触でわかった。
だって、その人は世界中の誰よりも、総司が求めつづけていた人だから。
「……や…だ……」
ふるりと首をふった。手をまわし、彼の背にしがみつく。
「も……どこにも、行っちゃ、や……」
総司の言葉に、くすっと笑う気配があった。でも、それはとても優しくて慈しみに満ちていて。
やがて、耳もとに唇が寄せられ、そっと囁かれた。
「安心して……どこにも行かないよ」
「……ん……」
「約束しただろ? ずっと傍にいるって……だから、安心しておやすみ」
耳もとをくすぐる優しい声に、総司の躯から力が抜けた。
ほっとして、彼の腕の中、淡い眠りへと落ちてゆく。
「……おやすみ」
最後に覚えているのは、唇に感じた甘いキスだった……。
次に目が覚めた時は、朝だった。
カーテン越しに柔らかな朝の陽光が射し込み、部屋の中を明るくあたたかく包み込んでいる。
その光景の中に、彼がいた。
ベッド脇へ引き寄せた椅子に腰かけ、総司を優しい瞳で見つめている。
だい好きな、だい好きな恋人。
「……っ、ふ…ぇ……っ」
総司はたちまち視界が霞むのを感じた。
もっと彼を見ていたいのに、涙がぽろぽろこぼれてしまう。
「ぇっ…、ぇ…、ぇ……っ」
子どものようにしゃくりあげ、嗚咽をあげて泣きじゃくる総司に、土方は困ったような顔になった。
手をのばし、そっと頬をこぼれる涙をきれいな指さきでぬぐってくれる。
「……ごめん」
「っ…ぇ……ぅ……っ」
「ごめん、意地悪したな。放っておいて悪かった」
そう云ってくれた土方に、総司は両手をのばした。半ば身を起こし、受け止めてくれる彼の躯にぎゅっとしがみつく。
男の広い胸に顔をうずめ、総司は目を閉じた。
もう失ったと思った、彼の感触だった。
もう聞けないと思った、彼の鼓動だった。
「……どこ、にも…行っちゃ、や……っ」
昨夜と同じ言葉をくり返した総司に、土方は微笑んだ。優しく涙に濡れた睫毛へそっと唇を押しあてる。
「行かないよ」
「ずっと……いて……」
「嫌だと云われても、ずっといる」
「ぼく、ぼくも……ごめん、なさい……っ」
総司はまだ嗚咽をあげながら、一生懸命に謝った。彼のシャツを掴み、俯いたままだったけれど。
「あんなこと云って……本当に、ごめんなさい……」
「もういいよ。怒ってないから」
土方はくすっと笑った。
「おまえも俺がいなくてさんざん泣いたんだろ? 俺も意地悪した。これでおあいこって事で、もう喧嘩終わりにしような?」
「うん……」
「朝ご飯、食べるか? ここへ持ってきてやろうか?」
「向こうで食べます」
「じゃ、あたためてくるよ」
そう云って立ち上がろうとした土方は、くいっと後ろから引っ張られた。
驚いてふり返ると、真っ赤な顔をした総司が彼のシャツを掴んだまま見あげている。
桜色の唇がおねだりした。
「……行っちゃ、やだ」
大きな瞳をうるうるさせて。
なめらかな白い頬を紅潮させて。
恥ずかしそうに、彼を見あげている可愛い男の子。
(う、わ。すげぇ可愛い……!)
(こっちの理性がもたねぇよな。いっそ今すぐ食べちまおうか)
そんな事をこもごも考えた土方は、だが、想像していたよりも痩せてしまった総司の様子に、昨夜ちくりと感じた罪悪感を思い出し、僅かに首をふった。
(だめだめ、おあずけだ)
だが、彼の仕草を誤解した総司は、さっと頬を青ざめさせた。ぱたりと手がベッドに落ち、きゅっと唇を噛みしめる。
「……やっぱり、まだ怒ってるんだ」
「え? あ……違う違う」
土方は慌てて否定し、総司に優しく笑いかけた。
「すげぇおまえが可愛くて、今すぐ食べたくなっただけ」
「は?」
「けど、おまえ、病み上がりだし、さすがにまずいだろうなぁって自制していたところ。ま、明日のお楽しみにすればいいし。いや、俺って思いやりのある恋人だよな」
にっこり笑いながらとんでもない事をさらっと云ってのける土方に、総司は唖然となった。
明日のお楽しみって……何、それ?
だが、ここで頷いておかなければ、今すぐベッドへ押し倒されてしまいそうな雰囲気に慌てて、こくこく頷いた。
そんな総司に満足そうに微笑み、土方は両手をさし出した。ふわっと彼の両腕に抱きあげられる。
男の肩にしがみつけば、優しい彼の匂いがして。
懐かしい、コロンと混ざった彼の香り。
(……土方さん)
息を吸うみたいに。
ゆっくりゆっくり空気を吸いこむみたいに。
彼だけが好きだから。
ずっと傍にいたいから。
(だい好き)
総司は声にならない声で愛を告げると、土方の肩口に顔をうずめたのだった。
──さて。
その後、磯子へプレゼントを貢ぐことで、盗聴器関連の情報漏れをちゃっかり防いだ土方だったが、結局、総司にばれちゃって上へ下への大騒ぎになるのは。
また別のお話という事で……。
[あとがき]
ラブコメまではいきませんでしたが、糖度100%ぐらいには……。
土方さん、どこまでも怖い人です。総司は全然気づいてませんが、磯子ちゃんは結構勘づいているかも。
ラストまでお読み下さり、ありがとうございました♪
