愛人だとか、ヒモだとか。
 もちろん、冗談だった。
 けど、これぐらい許されて当然だろう?
 こっちは、この休日をどれだけ楽しみにしていたことか。
 必死になって、総司と休日をあわせるために仕事を片付けて。
 たった一日のオフ。
 だが、貴重な貴重なふたりの休日。
 なのに。


(……何が、どちらさま? だ)


 むかむかする気持ちを抑えながら、土方はまたキッチンに立っていた。
 どこぞのレストランのシェフかと思うほど料理の腕はすごいのだが、実は、これが彼なりのストレス発散だったりする。
 もちろん、料理をするのは好きだが、苛立っている時も料理をすると気持ちが落ち着くのだ。


(しかし、料理が趣味のスナイパーってのもなぁ)


 そう思いながら、カシャカシャと泡立て器を動かす。
 今つくっているのは、オムライスだった。ふんわり柔らかなオムレツをつくるには、まず卵をわけて、少しだけ卵白をあわだててればいい。黄身とまたあわせてバター溶かしたフライパンへ流し込めば、ふんわりオムレツの出来上がりだ。
 もちろん、ライスは総司好みの甘いケチャップライス。
 綺麗にオムレツで包み込んで、皿の上に移した。あとはスープを入れて、サラダを置いて。
「……総司、ちょっと遅いが昼ご飯にしよう」
 そう云いながら迎えに行ってみると、総司はベッドの上で拗ねたように頬をふくらましていた。
 抱きあげようと両手をのばしたとたん、大きな瞳できっと睨まれる。
「あなた、本当にぼくの愛人?」
「え?」
「だって、おかしいじゃない」
 総司は桜色の唇を尖らせ、つんつんした口調で云った。
「こんな好き放題されちゃうパトロンなんて、聞いたことないもの」
「パトロン……」
 小さくその言葉を呟いてから、土方はようやく納得がいった。
「あぁ。そう云えば、総司は俺のパトロンなんだな」
「何それっ」
「いや、だから、あまりそういう実感がなくて」
「実感がないって、実際、ぼくがあなたを囲っているのでしょう? でも、これじゃまるで逆みたい」
「そうかな」
「そうです。こんな好き放題されちゃって、腰たたないなんて、絶対おかしいもの」
 きっぱり断言した総司に、土方は「ふうん?」と小首をかしげた。
 形のよい唇の端をふっとつりあげ、身をかがめる。至近距離で可愛い恋人の瞳を覗き込み、きれいに微笑んだ。
「俺に好き放題されたって、じゃあさ、おまえは気持ちよくなかった訳?」
「え、え……あ」
「へぇ、気持ちよくなかったのに、あんなに何度もいっちゃうんだ。もっともっとってせがんで、俺にしがみついて来たりするんだ」
「そ、そそそれは!」
 とたん、ばばばっと顔を真っ赤にしてしまった総司に、土方はくすくす笑った。
 熟れた林檎のように真っ赤な頬っぺたに、ちゅっと音をたててキスしてやる。
「おまえも気持ちよかっただろ? 正直に云ってごらん?」
「……ぁ、その……よかった…です……」
 正直に白状した総司に、土方は嬉しそうに笑った。
「なら、それで、いいんじゃない? お互い様ってことでさ」
 楽しそうな口調で云ってのけた土方に、総司は何となく納得できないものを覚えつつも、こくりと頷いた。
 実際、最高に気持ちよかったことは確かなのだから。あの時のことを思い出すと、またじわりと腰奥が痺れてしまうほどだ。
 もぞもぞっと躯を動かした総司に、土方はにやりと笑った。黒い瞳が意地悪な光をうかべる。
「何だ、まだ足りない?」
「足りてますっ」
「そりゃ残念」
 肩をすくめると、土方は再び両手をのばして総司の躯を抱きあげた。先程も思ったが、とてもとても優しい手つきだ。
 総司は小さくため息をつくと、だが、あたたかくて心地のよい男の胸もとに凭れかかり、そっと目を閉じた。












(ふつう、記憶喪失ってもっと深刻なものじゃないのかな)


 遅い昼食後、総司はリビングのソファでくつろぎながらそう思った。まだ躯が少し気怠いので、隣に坐る土方へ凭れかかっている。
 ちらりと見れば、端正な男の横顔。
 きれいだなぁと何度も思ってしまう。
 それに、今日一緒にいてわかったのだが、彼は何でも出来てしまうし、頭の回転もとても速い。
 どうして、自分なんかの愛人になんかなっているのか、さっぱりわからなかった。
 しかも、そのパトロンの総司が記憶喪失になったというのに、全然動揺していない。
 最初、総司が何も覚えてない事を知ると驚きはしたようだが、すぐさまそれは収まった。磯子という女の人が来てちょっと喧嘩していたようだが、それもすぐ収まった。
 あとはもう、まるで何もなかったような態度で、平然と過ごしている。
 挙げ句、記憶がない総司を抱きまくって、腰たたなくしちゃって。
 それで怒ったら、気持ちよかっただろ?とにっこり笑いかけて。
 気持ちよかったと答えると、ものすごく嬉しそうに笑って───


(……ほんと、変わってる)


 こんな男の子の愛人なんかをやってるのだから、もともと変わっているのだろうけど。
 総司はちょっと失礼な事を考えつつ、ぱふっと土方の肩に凭れかかった。
 もっとも、そんなふうに土方のことを考えている総司自身が、記憶喪失を「え、そうなの?」と一言であっさり片付けてしまった天然ボケだということを、まったく自覚していない。
 ある意味、変わったもの同士のカップルなのだ。
「……土方さん」
 小さな声で呼びかけると、土方は視線を手にした本に落としたまま「ん?」と返事をした。ちょっと覗いてみると、何やらとんでもなく難しそうな内容の本だ。
 書いてある一行をたどってみれば、
「現代における凶悪犯罪の増加? その傾向と対策……って、何これ」
「仕事の一環」
「え? 土方さんって、お仕事してるの?」
 目を丸くした総司に、土方は思わずとも云うように笑った。
「もちろん、お仕事してますよ。でなきゃ、食べていけない」
「でも、ちゃんとお仕事しててお金稼いでるなら、どうして、ぼくの愛人さんなんかやってるの?」
 至極もっともな問いかけだった。
 そもそも、こんなにも容姿も能力も優れ、挙げ句、仕事までしている男が、男の子の愛人なんかやってること自体おかしいのだ。
 だが、その問いかけに対する答は、あっさりしたものだった。
「おまえを愛してるから」
「……へ?」
「俺はおまえが一番好きだし可愛いし、愛してる。だから、おまえの傍にいるんだ」
 きっぱりした口調で云いきった土方は、にっこり笑いかけた。
「至極当然のことだと思うけど?」
「……」
「他にご質問は?」
「……あ、ありません」
「宜しい」
 頷いた土方は再び本へ視線を戻した。また熱心に読みはじめる。
 その端正な横顔を、総司はしばらく見つめていたが、やがて、またぱすんっと彼の肩にもたれかかった。


(……愛してる)


 何だか、さらりと云われたので流されてしまったが、初めてそれを囁かれたのだ。
 とてもとても大事な言葉を。
 一瞬だけ、真摯な光をうかべて、総司を見つめた瞳。
 朝、目が覚めてから、ずっと何処か捉えどころがなかった彼の中にある本質に、ふれることが出来た気がした。


(……ううん、もしかしたら)


 ずっと傍にあったのかもしれない。ほんの少しだけ手をのばせば、すぐあたえられたかもしれない。
 優しいとか、甘いとか。
 そういうのだけじゃない、本当の気持ち。
 愛してる、という気持ちを。


(ぼくって愛されてるんだ。とてもとても愛されていて……だから、きっと、ぼくも?)
(ぼくも、あなたを……愛しているんだよね……?)


 そんな事を考えながら、総司はゆっくりと瞼を閉ざした。どうしてだか、たまらなく眠くなってくる。
 ふわり、ふわりと。
 柔らかな眠りへ、少しずつ落ちてゆく総司に、
「……おやすみ」
 優しい囁きとともに、彼がそっとキスをしてくれた……。












 突然、ぱちりと目が覚めた。
 見あげれば、白い天井。
 ソファで横になって眠っていた総司は、ごそりと起き上がった。かけられていた毛布を手に、部屋の中を見回す。
「あ、起きた?」
 キッチンから土方が顔を覗かせた。
 やれやれという表情でやってくると、ローテーブルに水の入ったグラスを置いた。
「随分寝ていたな」
「……」
「もう7時だし、そろそろ夕飯にしないと……」
「……土方さん」
「ん?」
 ふり返った土方に、総司はその辺りにあったクッションを掴んだ。
 そして。
 彼めがけて、思いっきり投げつけた。


「愛人ってヒモって、何それ──ッ!!」


 きぃぃぃっと叫びながら、クッションを投げつけてくる総司に、土方は目を見開いた。
 だが、すぐ合点がいったようだ。
 嬉しそうに、にっこり笑った。
「何だ、もう元に戻っちゃったのか」
「元に戻っちゃった、じゃありませんよっ」
「けど、実際、記憶戻ってるんだろ?」
「そうですけど、でも、いったい何考えてるのっ!?」
「何って?」
「だから、愛人だとかヒモだと、嘘ばっかり云いまくって!」
 総司は桜色の唇を尖らし、大きな瞳で土方を睨みつけた。


 この悪戯好きの恋人は、人の記憶がないのを良いことに、遊びまくってくれて!
 挙げ句、しっかり色々しちゃうのだから、油断も隙もない。
 だいたい、何で、ぼくが土方さんのパトロンな訳?
 ふつう逆でしょ!?


「え? 怒るポイントはそっち?」
「そっちも何も、全部全部怒ってるんですけど!」
 ぷうっと頬をふくらましてしまった総司に、土方は悪びれる様子もなく、くすくす笑った。
 ソファでクッションを抱えたまま坐りこんでいる総司に身をかがめると、ちゅっと音をたてて白い頬にキスしてやる。
 抵抗しない総司に微笑み、その細い躯にゆるく腕をまわした。
「けどさ、俺もちょっと怒ってたから」
「え……?」
「仕方ないってわかってるけど、恋人である俺のことまで忘れて、挙げ句、せっかくのお休みの朝から『どちらさま?』だろ。やっぱり、あれはショックだったからなぁ」
「……」
 思わずうっと詰まって沈黙してしまった総司に、土方は悪戯っぽく笑った。
 僅かに首をかしげ、その可愛い恋人の顔を覗き込む。
「それにさ」
 頬に、額に、甘いキスを落しながら囁いた。
「愛人ってのは、あってるだろ」
「え?」
「愛する人。実際、そうなんだからさ」
 そう云った恋人の笑顔に、総司は眠る前に思っていたことを、思い出した。

  
(……愛してる。愛する人……)


 たとえ、世界中のすべてを忘れ去ったとしても。
 自分の事だけは、覚えていて欲しい。
 そんな我侭で身勝手な。
 だけど、恋人なら当然求めてしまう想い。


 平然としてるからわからなかったけど。
 何でもない事のように振る舞っていたから、わからなかったけど。
 あなたも……淋しかったんだよね?


「土方さん」
 総司は両手をのばすと、土方の頬を掌で包みこんだ。
 のびあがって唇を重ね、ちょっと潤んだ瞳で見つめる。
「だい好き、愛してる」
「総司……」
「一日ぶり? でも、ちゃんと、あなたの元へ戻ってきたから……ね?」
 そう囁いた総司に、土方はびっくりしたような顔をしてから、すぐ、いつもの優しい笑顔になった。
 可愛い恋人の躯に両腕をまわし、ぎゅっと抱きしめる。
 耳元に唇を寄せて、甘く囁きかけた。
「……おかえり、総司」
「ただいま、土方さん」










 何はともあれ
 記憶があろうがなかろうが
 愛人でもヒモでも、恋人同士でも

 ふたり愛しあって幸せであるのなら
 磯子の言葉どおり
 世界は総ちゃんのために

 いやいや
 幸せな恋人たちのために、なのである