もう夕暮れだった。
見あげれば、西の空は茜色に染まり、おひさまも山の端に沈んでいこうとしている。
さっきまで聞こえていた子供たちの歓声も消え、しんと静まりかえった小道だ。
「……あーあ」
ため息をつきながら、総司はその小道をとぼとぼ歩いていた。
屯所の中庭をさんざん探したのだが、結局見つからず、もしかしてあれは自分の記憶違いだったのかと、蕎麦屋から屯所への道を一生懸命たどってきたのだ。
だが、どこにも笄は見つからなかった。
どうやら、もう完全になくしてしまったらしい。
「最悪」
くすんと泣きそうになるのを堪え、総司は壬生寺へ歩み入った。
そこにも人気はない。
茜色の夕陽が地面を照らし、そこここに咲いた花が夕暮れの風にそよそよと揺れていた。
それをぼんやり探しながら、総司はあちこち周囲を見回した。こんな処に落としているはずもないのだが、もしかしてと、ついつい探してしまうのだ。
「やっぱり、なくしちゃったのかなぁ」
そう呟いた時だった。
不意に、後ろから声がかけられた。
「……何を探している」
「わっ!」
総司はびっくりして、思わずその場で飛びあがってしまった。
まったく気配に気づかなかったのだ。
慌ててふり返った総司は、小さく息を呑んだ。
「……ひ、土方さん……!」
そこにいるのは、確かに土方だった。
さっき蕎麦屋で逢った格好のまま、なぜだか気難しい顔で総司を見つめている。
僅かに顰められた眉。
引き締まった口許。
じっとこちらを見つめている、黒曜石のような瞳。
(……やっぱり、好き)
こんな時でも、心にしみじみ呟いてしまうぐらい好きだなぁと、総司は思った。
だけど、でも。
この人の心に、私の存在はないから。
この人が好きなのは、可愛い男の子だった頃の私だから。
だから、もう届かぬ恋に泣くのは承知で、あの笄を胸にずっと抱いていた。
だい好きな彼のかわりだった。
あれさえ在れば、毎日元気に明るく、彼の前でも笑っていけると思っていた。
なのに……。
きゅっと唇を噛んだ総司を、一瞬、土方は可笑しそうな表情で眺めた。だが、それに総司は気づかない。
不意に表情を引き締めると、すっと片手を総司の方へさし出した。
ぽつりと云う。
「おまえが探しているのは、これか?」
「──え?」
総司の目が大きく見開かれ、それから、いきなりその顔が真っ青になり、すぐさま真っ赤になった。
呆然としたまま、口をぱくぱくさせている。
土方はにっこり微笑んでみせた。
「この笄、おまえのだろ?」
「そ、そそそ……そうですっ」
総司は大声で答えると、もの凄い勢いで笄を彼の手からひったくった。
後でよくよく考えみれば否定しておけば良かったのだが、そんなことその時は全く頭に思い浮かばなかった。
この笄を土方さんに見られた!
という事実に、あっという間に頭の中がまっ白になってしまったのだ。
総司は笄を握りしめたまま、土方を大きな瞳で見あげた。
「見た、見ましたよね?」
「あぁ」
あっさり答えた土方に、総司は更にかぁぁっと顔を赤くした。
だが、一気にまくしたてるように喋りはじめる。
「な、なんでもありませんからねっ!」
「何が?」
「だから、そのっ、たまたま梅を思いついただけで、別に、あ、あああなたの好きな花なんて、そんなこと全然なくて……っ」
「だったら、裏は?」
「え」
「その笄の裏に彫ってあるの、俺の家紋だろ?」
「…………」
長くて重い沈黙の後、突然、総司が傍らの石段にがばっと突っ伏した。
そして。
「うわぁあぁーんっ!」
まるで子供の頃のように、大声で泣き出した。
「最悪―! もういやだー!」
「……おい、総司」
「何で? 何で、よりによって土方さんが拾っちゃう訳っ? これ見ちゃう訳? どうしてなんですかっ!?」
「どうしてって……云われても」
土方は困ったように、呟いた。
だが、すぐに総司の傍へ跪くと、ぽんぽんと肩をかるく叩いてやった。
「まぁ、とにかく落ち着け」
「こ、これが落ち着いていられると思うんですかっ!」
総司はがばっと顔をあげると、いきなり食ってかかった。
もう何もかもばれてしまった事で、すぽーんっと箍が外れてしまったらしい。
ぽろぽろぽろぽろ盛大に涙をこぼしながら、大声で叫んだ。
「ずっとずっと隠してきたのに、我慢していくつもりだったのにー! なのに、こんな風にばれちゃうなんて最悪ですっ」
「別にいいじゃねぇか、隠さなくても」
ちょっと照れくさそうに、土方は笑った。
「俺のこと、おまえは好きなんだろ? それを何で隠さなきゃならんのか、全然わからねぇよ」
正直な話。
この笄を見た時からそうではないかと思っていたが、総司の態度にばっちり確信したのだ。
総司は自分を想ってくれている!
永遠に一方通行だと思っていた長い長い片恋が成就した歓びに、土方の頭の中はもう桃色一色だった。
今すぐにでも、可愛い可愛い総司の躯をこの腕に抱きあげ、そこらじゅう駆け回ってやりたいぐらいだ。
こいつは俺のものだ!
この可愛い総司は俺の恋人なんだぞーっ! と。
出来ることなら、隊中どころか京の町中に大声でふれ回ってやりたい。
神様仏様、ありがとう!ってとこか。
だが、そんな人生桃色〜♪に舞い上がってる土方に気づくことなく、彼の言葉だけを解釈した総司は、キィィーッと目をつり上がった。
どんっと男の胸を拳で叩き、叫んだ。
「何が全然わからねぇ、ですか!」
「え?」
突然、可愛い恋人に怒られ、土方は目を見開いた。
それに、総司がきゃんきゃん叫ぶ。
「あなたは、そこまで私のことなんかどうでもいい訳? 私があなたを好きでも嫌いでも、全然興味なんかない訳!?」
「はぁ?」
「わかってましたけどね。あなたが私なんか、とっくに飽きちゃってること! あ、あなたはあの鈴とかいう子が好きなんでしょう?」
「???」
土方は全く意味がわかりませんという顔で、総司を見下ろした。
だが、そんな男の様子がまた、すっとぼけてるように見えて、尚更めらめら怒りがこみあげてくる。
「鈴って子の事です! すっごく可愛がってるって話じゃないですかっ。そりゃ、私みたいな枯れ桜、興味も関心も失せちゃいますよね!」
「……枯れ桜?」
「そうです!」
総司はもの凄い勢いでまくしたてた。
「だって、私、もう、あなたのだい好きな可愛い男の子じゃないし! こんなに大きくなっちゃって枯れ桜そのものだし! あの鈴って子、あなたの超お好みの可愛い男の子そのものだしっ、そりゃ土方さんが可愛い男の子だけが好きって事よーく知ってましたけど、それに」
「……おい」
思わず土方は遮ってしまった。
げんなりした表情で、片手で額をおさえながら云う。
「頼むから、それやめてくれ」
「何を」
「俺の、好きな可愛い男の子って奴だ」
「何でですか?」
「それだけ聞いてると、俺がすげぇ変態って気が……」
「え、だって、そうでしょ? 土方さん、可愛い男の子好きなんでしょ?」
あったり前の事のように念押ししてきた総司に、土方は思わず「うっ」と絶句してしまった。
己の今までの所業を考えると、完全に否定できない処がちょっぴり悲しい。
何しろ、総司に一目惚れしたのは、まだ十歳の可愛い男の子だった時のことなのだ。
あの時から、抱きしめたい口づけたり、出来ることならもう少し色々してみたいなどと、やばい桃色妄想で頭の中をいっぱいにしてきたのだから、この男に抗弁する余地は全く残されていないだろう。
「嫌いじゃねぇが……確かに好きだが……」
「ほーら、やっぱり!」
何故か勝ち誇ったように、総司は胸をはった。
いつのまにやら、形勢逆転している。
土方は思わず深く深くため息をついてしまった。
完全に変態扱いされているのは、確かだ。
確かに、可愛い男の子は好きだった。
女の子とも見まごう、とある男の子に夢中になった。
だが、それでも意味が違うのだ。総司が思ってるのとは、かなり大きな隔たりがあるのだ。
そこの所をぜひともしっかり理解して貰わないと、この先には全然進めない!
せっかく、せっかく、両思いだとわかったのだから。
ならば、ちゃんと真実をつたえて、ずーっと抱えてきた桃色妄想を、あれもこれもあれも色々致してみたいと思うのは、男として、ごくごく当然の事だろう。
変態どころか、むしろ健全(?)な願いのはずだ。
土方は小さく咳払いすると、総司の細い肩に手をおいた。
じっと、その綺麗で可愛い顔を見つめながら、真剣な表情で云う。
「確かに……俺は可愛い男の子が好きだ」
「でしょでしょ」
「だが、そう思ったのは、後にも先にもたった一人だけだ」
総司はきょとんとした表情になった。
だが、すぐに可愛らしい顔で眉間に皺をよせ、んんーっと考え込む。
それから、「あぁ!」と手を叩いた。
土方は、やっとわかってくれたのか!と、ほっと安堵の息をついた。
だが、しかし。
「それって、鈴のことですね」
「はぁああ?」
思わず、土方は聞き返してしまった。
こいつ、本気で云ってるのか?
もしかして、俺のことからかってる?
まじまじと、その可愛い顔を見つめた。
だが、そうでしょ?と云わんばかりの総司の表情に、土方はようやく悟った。
理解した。
この鈍ちん総司相手に、これ以上色々遠回しに誘いをかけても、所詮、時間の無駄なのだ。
純粋培養のお子様相手には、どんな手管も通用しない。
ようは、一気に猛突突進する! しかないのだ。
土方は総司の肩をがしっと掴んだ。
「あのな、はっきり云うぞ」
「え? はい」
「ちゃんと、聞けよ」
「は、はい」
まるで喧嘩を始めるような、男のもの凄い迫力に内心怯えつつ、総司はこくりと頷いた。
そんな総司に、土方はきっぽりと断言した。
「俺はな、おまえが好きなんだ!」
「……へ?」
「へ? じゃない! 俺はおまえが好きなんだ! さっきのたった一人の好きな男の子ってのは、おまえの事だ!」
「……ぇ……え、え、ぇええぇぇ──っ!?」
総司は大きな瞳をさらに大きくして、驚いた。
ぽかんと口をあけ、土方を見あげている。
「わ、わ…私……?」
「そうだ! くそっ、他に誰がいるって云うんだよ」
「だって……だって、私、もうこんなに大きくなっちゃたのに、あなたの好きな可愛い男の子じゃないのに……どうして!?」
「だから、そこに大きな誤解があるんだって」
土方はため息をついてから、言葉をつづけた。
ここだけは、しっかり押さえておかなければならない要所だ。
「俺は、おまが大きくなろうが小さかろうが、好きなんだよ。ずーっと昔から、おまえしか可愛いと思えねぇんだよ」
「……う…そ」
「嘘なんかじゃねぇ。それにな、俺は、おまえの姿形だけで惚れたんじゃねぇぞ。おまえの優しさや、素直さ、ちょっと我が儘なとこや、もう全部ひっくるめて好きになっちまったんだ。好きで好きで、たまらなかったんだよ」
「じゃ、じゃあ」
総司は目を瞠ったまま、叫んだ。
「土方さん、私のことが好きなわけっ!?」
「だから、さっきから何度も云ってるだろうが! っていうか、今までも云ってきたはずだぞ!」
「そ、そんな……っ」
口ごもる総司の顔が、不意にかぁぁっと真っ赤になった。耳朶まで真っ赤に染めあげてしまい、おろおろと周囲を見回す。
その手が何度も組まれ、離された。
やがて視線を落とすと、小さな小さな声で呟いた。
「だって、それって気まぐれかな?って思っていたから……」
「……」
「ほら、土方さん、すごくもてるし、猫か犬か可愛がるみたいな軽い気持ちで云ってるのかなぁって……」
「────」
土方はあまりと云えばあまりの鈍ちんな言葉に、唖然となってしまった。
しばらく絶句したまま総司を見下ろしていたが、不意に、がっくりと項垂れてしまう。
総司の躯を抱きよせ、その肩に額をこんと押しあてた。
「……すっげぇ疲れた」
心底疲れ切った声音で、呟いた。
「斬り合いより仕事より、疲れた。ここまで気持ちが伝わってねぇなんて、まさか思いもしなかった……犬猫相手などと思われてたなんて……」
「ご、ごめんなさい」
総司はおろおろしながら、謝った。肩に感じる彼の重みが心地よい。
おずおずと躊躇いがちに彼の背中へ手をまわしてみると、不意に強く抱き寄せられた。ぎゅっと胸もとに抱きすくめられる。
驚いて見あげると、土方はいつのまに立ち直ったのやら、悪戯っぽい笑みをうかべ総司を見下ろしていた。
そっと、頬を掌で撫でられる。
「謝るのもいいけどな……」
「え?」
「もっと他の言葉を、云ってくれねぇか」
「他の言葉?」
きょとんとした総司に、土方はくすっと笑った。
身をかがめると、耳もとに唇を寄せる。
甘やかな低い声が囁いた。
「……俺、一番大事なこと、まだ云ってもらってねぇんだけどな」
「あ」
とたん、総司の顔が再び、真っ赤になった。
ちょっと躊躇ってもじもじしたが、やがて爪先だちになると、土方の耳もとに唇を寄せた。
ずっとずっと長い間。
待ち望んだ言葉を。
甘く澄んだ声が、そっと囁いた。
「土方さん……だぁい好き」
───そして。
長年の想いが報われた男の、今後は。
甘く甘ったるく。
文字どおり。
I LOVE BABY!
な日々、なのである。
おわり
[あとがき]
へたれ土方さんと天然総ちゃんの恋、ようやく成就しました。
初のコメディタッチ幕末連載でしたが、いかがでしたでしょうか。私自身、とても楽しく書けました。へたれ土方さんの恋物語、思ったより人気があっておかげさまで投票の方でもダントツの1位でした。とっても嬉しかったです♪
このお話は、毎回あたたかいご感想を下さり、いつも励ましてくださったはるひさまに、捧げさせて頂きます。拙いお話ですが、よろしければ、お受けとりくださいませ。ありがとうございました♪
ラストまでおつきあいくださった皆様、ありがとうございました♪