愛してるなんて言ったこともない。
好きとさえ、告げられたこともない。
それどころか喧嘩ばかりで、苦手、嫌いって言葉の方が多くて。
なのに、わかっていた。知っていた。
どんなに惹かれているか想い合っているか信じているか。
自分の命よりも大切に思っていること、ちゃんと知っていたのに。知っているはずだったのに。、
幸せって、失ってから初めてわかる。
優しい幸せの中にいる時は、自分が幸せだなんて思いもしない。そう実感する必要もないぐらい幸せなんだと、知ることもない。
なくしちゃってから、この手の中から零れてしまってから、馬鹿みたいに気がつくんだ。
あぁ、私たち、あの頃、本当に幸せだったんだって。
土方さん……ねぇ、そう思わない?
「……総司?」
訝しげにかけられた声に、ふり返った。
そこは島原の楼の一つだった。賑やかな喧騒が広間から随分と離れたここまで届いてくる。
京にのぼってから二度目の春。久しぶりの宴に皆、浮かれているようだ。
だが、先程その広間から逃れてきた処だった。
廊下をこちらに向かって歩いてくる男の姿に、総司は目を瞬いた。
「土方さん、どうして」
「それはこっちの台詞だろう」
土方はくすっと笑った。廊下のつきあたり、窓枠にそうようにして佇んでいた総司の前までやってくる。
隣に並びながら、見下された。
「どうした、こんな所で。酒に酔ったか」
「酔ったというか……つまらなくて」
「つまらない?」
「宴は苦手なのです。お酒もあまり好きではありませんし」
そう言ってから、総司は小首をかしげるようにして土方を見上げた。
「土方さんはどうして? こんなに遅れて来られるなんて」
「おまえと同じさ」
土方は形のよい唇の片端をあげた。
「俺も宴は苦手だ。遅れてきたくもなる」
「土方さんでも……苦手ですか?」
「あたり前だ。面倒くせぇと思っているが、これも仕事のうちだ」
そう答えてから、土方はついと視線を窓外にやった。しばらく黙ってたが、やがて呟いた。
「月がきれいだな」
ぽつりと零れた言葉に、総司も窓の外を見た。
「月が……?」
深い群青色の空に、淡い光を放つ月が浮かんでいた。彼の言葉どおり、とてもきれいだ。
丸い月が幻想的で優しく、総司はふと夢の中にいるような感覚になった。こうして彼と一緒にいられることも全部、現ではないような気がしてしまったのだ。
「……土方さん」
気づけば、その名を呼んでいた。子供のように。
それに、土方が答えた。
「何だ」
「……ごめんなさい」
思わず俯いてしまった。きゅっと唇を噛んでから、つづけた。
「少し……呼んでみただけ、なのです」
「そうか」
土方は何も咎めなかった。その優しさが心地よく、少し切ない。
寄りそい佇んで月を眺めるうちに、ふと、総司の手と彼の手がふれあった。そのまま、そっと指をからめて繋がれる。
指さきから、熱がつたわるようだった。
口に出さない、出せない想いも。
「……総司」
不意に、土方が呼びかけた。それに、総司は小首をかしげた。
彼の端正な横顔を見上げる。
「はい」
「呼んでみただけだ」
先程の総司のように言った土方に、目を瞬いた。「あ、はい」と答えた総司の前で、くっくっと喉を鳴らしている。
心を許してくれていることがわかる、柔らかな笑顔だった。それがたまらなく嬉しい。
指さきから伝わるぬくもりを感じながら、総司は月を見つめた。同じように土方も黙って傍にいてくれる。
月の光が二人をそっと包みこんだ……。
愛なんて言葉がなくても、恋人だった。
ささやかな幸せが、ときめきが、いっぱい散りばめられていた日々――
近藤の局長室に呼ばれて、その後、土方と二人きりになった。
お茶を飲みながら色々と話した時に、微かに目を伏せながら笑う彼に、思わず見惚れてしまった。その優しい笑み、気を許した表情に、嬉しくなったのだ。
幸せな気持ちに胸があたたかくなったことを覚えている。
外出先の茶店でたまたま背中あわせになって、黙ってお菓子を食べた時。
少し躰をずらすだけで、肩がふれてどきどきしたこと。
あれも……突然の出来事だった。
屯所へ帰る途中、雨が降ってきたので走っていたら、雨がやんだ。違う、傘がさしかけられたのだ。
「え」
びっくりして見上げれば、切れの長い目がこちらを見下ろしていた。
どうすればいいのかわからず、立ち尽くす総司の手に傘の柄が押し付けられた。
「風邪ひくぞ」
「あ、えっ」
「……」
それきり、土方は何も言わなかった。無言でその場から駆け去っていく。
遠ざかる男の広い背を、ぼうっと見送った。
彼の黒髪や肩が濡れていることに気づいたのは、自分に傘を渡したら彼が濡れると気づいたのは、その姿が見えなくなってからだった。
……思い出せば、さり気ない光景の中に彼がいた。
いつも、優しい瞳の彼が自分を見つめてくれていた。
なのに、手を離したのは自分だ。
最初に背を向けたのも。
山南の事が起きた時、総司は土方と激しくやりあった。いつもの喧嘩でも口論でもなかった。感情が激したあまり、彼を傷つける酷い言葉を吐いた事を覚えている。
下地はあった。もともと西本願寺への移転問題が持ちあった頃から、否、伊東が入ってきた頃から、少しずつ二人の関係が拗れていったのだ。
土方は、総司が伊東といることを酷く嫌った。非難し、時折嘲るような言葉を吐いた。それに総司は激しく反発した。
むろん、初めからそうだった訳ではない。土方も当初は、さり気なかったのだ。それ程きつい言葉ではなく、あまり気分がよくないと言う程度のものだった。それに過敏に反応したのは総司の方だった。
好きと言われた訳でもない。恋人である訳でもない。
その証に、土方は女遊びを繰り返していたし、それを総司も咎めようとは思わなかった。なのに、自分のつきあいに口出しをする土方に、苛立ったのだ。
「土方さんには何の関係もありません」
そう言った時の、土方の表情は今も覚えている。
大きく目を見開いた後、苦しげに顔を歪めた。まるで胸に刃でも突き立てられたような表情だった。
それを見ていたのに知っていたのに、言葉をつづけてしまった。
「私が伊東先生とつきあおうと何をしようと、あなたに指図される理由はないでしょう? 土方さんには何の関係もない事なのだから」
意地をはっていたのだ。
否、違う。
望んでいたのかもしれなかった。
彼から想いを告げられたかった。嫉妬しているのだと、愛しているからやめて欲しいと、そう言われたかったのだ。
だが、土方がそんな総司の甘い期待に応えるはずもなかった。一瞬だけ瞑目して、再びこちらを見た時には、いつもの冷徹な副長の表情に戻っていた。
冷たいまなざしに息を呑んだ。ただ躰を固くして見上げていると、土方は静かに「そうか」と答えた。
それきり背を向け、歩み去っていった。
遠ざかる彼の背を、総司は呆然と見送る他なかった。
傷つけたはずなのに、私の方が傷ついた気がするのは何故なの?
追いかけて縋りついて、「ごめんなさい」と言えばいいだけなのに。それが出来ない、素直じゃない自分がたまらなく憎かった。
わかっている、あの時謝っていれば、こんな事にはならなかったのだ。
山南の事件の後は転がるように事態は悪化した。
総司は完全に土方の敵とされ、伊東の庇護のもとにいると隊内で判断された。そんなつもりは全くなかったのに、いつのまにやら伊東の念弟扱いだったのだ。当然、派閥にも入ったとされ、総司がどんなにそこから抜け出そうとしても抗っても、恐ろしい程の強い鎖がその足首を捕らえた。人の噂、視線、立場という、目に見えぬ鎖が。
伊東自身は何も強いなかったし、むしろ総司に憐憫を覚えているようだった。
「きみも土方君も……本当に不器用ですね」
ある日、椿が美しいと評判の神社へ散策に行った時だった。
書を買うついでにつきあってくれた伊東は、真紅の椿を眺めながら呟いた。
それに、総司が目を瞬く。
「私はともかく、土方さんが不器用とは思いませんが」
「そうですか? 他のことならともかく、きみの事になると彼は何処までも不器用だ」
「不器用でもなんでも……あの人が私を嫌っていることにはかわりありません」
自分が言ったことなのに、深く傷ついた。涙がこぼれそうで、思わず俯いてしまう。
そんな総司を、伊東は柔らかく抱きしめてくれた。宥めるように髪を撫でられる。
「嫌っているなど……彼から聞いたのですか」
「聞かなくてもわかります。私を見る目や態度、それに」
「公の場での口論ですか。あぁ、本当に拗れていますね」
小さく苦笑し、伊東は呟いた。その腕の中、総司はぽろぽろと涙をこぼした。結局、泣きすぎて目が腫れてしまい、その日は外泊届を出して宿に泊まったのだ。伊東は総司を宿へ送りとどけると、祇園へ遊びにいったが。
ただ、その外泊がいけなかったのか、二人が契りをかわしたと思われたのか、屯所に戻れば完全に伊東の念兄弟として扱われた。否定しようにも噂はどうすることも出来ない。
そして、何よりも総司の胸をついたのは、土方から向けられたまなざしだった。帰営してすぐ、廊下ですれ違った時、一瞥されたのだ。
冷たく侮蔑するようなまなざし。
それは総司の胸奥の柔らかな部分を鋭く抉り、深い傷跡を残した。違うと言いたかった。他の誰かの念弟になどなっていないと、縋りたかった。
だが、そんなことが出来る訳がなかった。もはや、公の場以外で土方と口さえきけぬような有様だったのだ。
公の場でも酷い状況だった。土方は、どれだけ総司と口論になっても決して激することはなかった。ただ、冷ややかな嘲りを突きつけてくるのみなのだ。それがたまらなく辛く、切なく……そして、憎かった。自分を嫌っている彼が、愛しくて憎くて、どうにかなりそうだった。
総司は日々、絶望と彼への愛と憎しみの中で、もがき続けた。
そして、あの日が訪れたのだ。
あの日、総司は一人で外出した。
別に脱走するつもりはなかったし、逃げるつもりもなかった。ただ、一人になりたかったのだ。わずらわしい周囲の視線も、噂話も、地位も立場もしがらみも全部、どこか遠くへ放り投げてしまいたくなった。
つけられている事など全く気づいていなかった。だから、大津への道を辿った。江戸へ帰ろうなんて思っていなかったのだ。
なのに。
「……土方、さん?」
後ろから不意に肩を掴まれ、驚いた。ふり返れば、険しい表情の土方が総司を見下ろしていた。
その鋭い視線に躰が竦み上がる。
ここ最近、土方とは全く言葉をかわしていなかった。彼から向けられる侮蔑や嘲りが辛く、徹底的に避けていたのだ。
だが、逃げようがない。こんな所まで来て脱走するつもりかと思われたのだろう。どれだけ酷く非難されるか、考えただけで血の気が引いた。
青ざめた顔で見上げる総司に、むろん、土方は気づいた。一瞬、眉根を寄せて苦しそうな顔になる。
しばらく言葉を探すように黙り込んでいたが、やがて、ぽつりと言った。
「すまん」
「……え」
思ってもみない謝意に目を瞬いた。それに、土方が言葉をつづけた。
「おまえが俺を怖がるのも当然だ。それだけ酷い事をした……おまえを追い詰めたのは、俺だ」
「土方、さん……?」
「総司……俺は」
躊躇った。
少しだけ彼は躊躇い、視線を落とした。が、再び顔をあげた時、土方の表情は決意に満ちていた。
まっすぐ総司を見つめた。
「俺はおまえを愛してる」
「……」
「誰よりも、ずっと愛してきたんだ」
男の言葉に、総司は何も答えられなかった。ただ、自分に愛を告げる男を見つめるばかりだった。
だが、その胸奥では色々な感情が渦巻いていた。
嬉しさも喜びも悲しさも切なさも、そして、怒りさえも。
息が苦しかった。
絶望が――真っ暗な落ちてくるような絶望が、総司を襲った。
「どうして……っ」
気がつけば、叫んでいた。
子供みたいに。
「どうして、今更そんな事言うの……ッ!」
涙がぼろぼろ零れた。我慢なんか出来るはずもなかった。
唇が震えて、声も震えて、嗚咽がもれて。はっきり言葉にならなかったけれど、それでも、総司は叫んだ。
「今頃になって、何で言うの。こんな状況になって今頃……ッ」
「総司」
苦しげに土方は眉根を寄せた。
その表情さえも愛しいと思っている自分のことを、この人はわかっていない。
彼の言葉をどんなに渇望していたか、恋い焦がれていたか、何も知らないくせに、今頃になって愛という言葉を口にする彼が、憎かった。
心の底から、憎かった。
「だいっ嫌い……!」
彼の胸を拳で叩きながら、叫んだ。
「あなたなんて、だいっ嫌い」
「それでも、おまえを愛してる」
「今更そんなの、無理。引き返せない。あなたのもとになんて、いけない……っ」
はっと息を呑んだ気配がした。総司の頬を彼の手が包みこみ、強引に仰向かされた。土方が真剣な表情で顔を覗き込んでくる。
「総司、おまえ」
「……っ」
ぎゅっと目を閉じた。言葉が涙と一緒にこぼれた。
「好き」
「……」
「私も好き、あなたが好きです……愛しています。でも、だめなの」
「駄目なものか」
「私は今、伊東先生のもとにいる。伊東先生のものとされている。なのに、あなたの元へいくなんて……出来るはずがない。醜聞沙汰になります」
「俺はおまえを必ず守る。愛していく」
「だめです」
濡れた瞳で土方を見つめた。
「私なんかが、あなたの傍にいるべきじゃないから」
「何故」
「だって、私はあなたをひどい目にあわせた、傷つけた。山南さんの時、あれだけ罵って、今までだってさんざん酷い事をいって、敵対しているとまで言われているのに、いまさら……あなたの元に戻れるはずがないでしょう? これ以上、あなたを巻き込みたくない」
「俺がそれを望んでいるんだ!」
「お願いだから、私をもう放っておいて……っ」
総司は土方の胸を押し返し、離れようとした。それに彼が必死になって抱きしめてくる。
二人は互いしか見えていなかった。そのため、足元が不安定な場所にいることも、忘れてしまっていたのだ。
気がついた時には遅かった。
「! 総司……ッ」
先に足を滑らせたのは、総司だった。それを助けようとして、土方は巻き添えになったのだ。
想いを伝えあった時、絶望の一方で、幸せも感じていた。
いっそ、このままどこかへ二人で逃げたかった。
全部忘れて、何もかも無かったことにして、生きてゆきたい。
だから、忘れた。
皆、なかったことにして、あの里でふたり愛しあった。
あの時、私たちは。
幸せになりたいと、心から願っていたのだから……。
「……まぁ、こうなるとわかっていましたけどね」
副長室での昼下がり。
つけつけと先ほどから毒舌を披露しているのは、新選組三番隊組長斉藤だった。
彼は常に飄々とした若者で、いつもなら皮肉や嫌味など一切いわない。だが、この男に対してだけは別だった。さんざんひっかき回して可愛い総司を泣かせたり驚かせたりした挙げ句、一番美味しいところを掻っ攫っていった恋敵なのだから。
一言ぐらい良いだろうと思っているし、今現在、一言どころか三十言ぐらいになっている。
だが、しかし。
「わかっていたなら、別にいいだろう」
斉藤の毒舌にも全く動じず、悠然と笑ってみせる男に、尚更いらっとした。
土方は文机に寄りかかり、形のよい唇の端をあげてみせた。黒い着物を着流し、切れの長い目でこちらを見ているさまは、同性でも惚れ惚れするほどの男ぶりだった。その黒い瞳に、満足げな色がなければ、の話だが。
「あれは初めから、俺のものだ。当然の結果さ」
「へーえ、あんな冷たい態度をとっていたくせに?」
「しっかり反省して謝った。で、挽回するために頑張った」
土方は俺様な口調で言いきった。
「それで、総司はこの俺を選んでくれたんだ。他があれこれ言う事じゃねぇよ」
「……」
どこまでもどこまでも上から目線、傲慢そのものの恋敵に、一瞬、隊内で反乱を起こしてやろうかと思った時だった。
「土方さん」
ぱたぱたと足音がしたかと思うと、総司が現れた。瞳がいきいきと輝き、なめらかな頬が上気して、思わず見惚れるぐらい可憐で愛らしい。
その場に、ぱっと花が咲いたようだった。
「贈り物、ありがとう……!」
副長室に入ってきた総司は、いの一番にそう言った。……たぶん、斉藤は視界に入っていない。
にこにこしながら土方の傍に坐ると、嬉しそうにつづけた。
「部屋に帰ったら、贈り物があってびっくりしちゃった。とっても綺麗で嬉しいです」
「本当か?」
土方は安堵したように笑った。総司の頬に、そっと手をのばしてふれる。
「おまえのことを考えて選んだが、気にいってくれるか心配だったんだ」
「これって、あの里での思い出から選んだの?」
総司がさし出した手の中には、根付けがあった。隼と小鳥が樹木に並んでとまっている可愛らしい根付だ。
「あぁ。おまえが俺のものになってくれた、切っ掛けだから」
「なってくれたって……」
総司は、ぽっと頬を染めた。もじもじしながら俯く。
「それは私の台詞なのに」
「総司……」
ここが新選組屯所内であることも、それも鬼と呼ばれる副長の公務室であることも忘れ、いちゃいちゃ甘い雰囲気をまき散らし始めた恋人たちに、斉藤は半目になってしまった。
あーはいはい、勝手にやって下さい。
部屋を出る時ちらりと見れば、土方は先程までの俺様ぶりはどこへやら、総司をとろけるような瞳で見つめていた。ふれる手も優しく、まるで壊れ物にふれるようだ。
(傍から見れば、わかりきっていた事だけど。土方さん自身は、とてもそうは思えなかったんじゃないのかな)
俺様な態度で振る舞い、総司のために奔走して、いろいろな手段をこうじてようやく手にいれた恋人。
だが、彼にとって、それは時に不安で何の保証もない、綱渡りのような道のりだったのだろう。
ずっと愛してきた総司を手にいれるため、それこそ、土方はすべてを捨てる覚悟で頑張ったのだ。その覚悟があったからこそ、今、こうして二人は笑いあっていられる。
それを心から祝福してやるべきだろうと、思った。
もっとも恋敵の幸せを祝福するのは、ちょっとおもしろくないものはあるが。
(まぁ、オレは、総司が幸せならそれでいいし)
ひらりと手をふって斉藤が立ち去った後の副長室で、総司が土方の肩に頭を凭せかけた。
その甘えるような仕草に、土方がどきりとしながら抱きよせる。
優しい男の腕の中で、総司が小さく呟いた。
「あの時、やり直してよかった……ううん、記憶を失ったことがよかったのかな」
「崖から落ちるのは御免だがな」
悪戯っぽく笑った土方に、総司はこくりと頷いた。
それに、ふと真剣な顔になった土方は、総司の頬にふれた。両手のひらでつつみこみ、仰向かせる。
深く澄んだ黒い瞳が総司を見つめた。
「愛してる」
「土方さん……」
「好きだ。今度こそ、間違えない」
その言葉に、総司はそっと目を閉じた。誰よりも愛おしい男の胸もとに凭れかかり、そのぬくもりを感じる。
遠く離れていても、本当はすぐ近くにあった愛しいぬくもりに。
……土方さん。
そっと、心の中で彼の名を呼んだ。
あなたは、ずっと教えてくれていたね。
私を愛してると、好きだと、大切なのだと。
今更と拒んだ私が、素直に自然にあなたを受け入れることが出来るように。
二人の本当のかたちに、直してくれた。
みんなの前で胸をはって、この人が恋人ですって言えるように。
あなたがぜんぶ直してくれたの。
私が知らない間に、あなたはいっぱいいっぱい奔走して頑張って、二人が一緒にいられるようにしてくれた。あんなに私はあなたを傷つけたのに、あんなに酷い私だったのに。
なのに、あなたは私を嫌いにならなかったの。ずっと好きでいてくれたの。
それが泣きたくなるぐらい、嬉しい。
私も、ずっとずっと……あなたが好きだから。
総司は彼を見つめた。
小さく笑うと、そっと背伸びをして――唇を重ねた。
「……」
そして、驚いたように目を見開く土方に、微笑んだのだった。
だい好き、と。
心からの幸せをのせて。