Honey Loveシリーズ
「月と闇だけが支配する夜」挿話
月と闇だけが支配する夜。
大聖堂の中は、眩いほどの蝋燭の光に満たされていた。
古風なものだが、とても艶やかで美しい。この見事な造りの大聖堂をより荘厳にうかびあがらせ、見る者の心を強く魅了した。
その大聖堂の中を、一人の男がゆっくりと歩んでいた。
黒いシャツにブラックジーンズ、黒いコートと、闇にとけこむような姿だ。否、むしろ、闇を従えていると云うべきなのか。
それも当然のことだろう。
彼は、この世で最も邪悪で冷酷な魔王、その人だったのだから。
「……」
土方はしなやかな動作で、祭壇へと歩んでゆく。
彼が歩むたび、黒いコートの裾がふわりとひろがった。それが禍々しくも、どこか艶めかしい。
祭壇の前までくると、土方は僅かに目を伏せた。
その腕の中には、一人の少年が包みこむように抱かれている。それへ視線を落とした。
「……総司」
そっと、大天使の名を──己の恋人の名を、呟いた。
彼の腕に身をあずけ、ぐったりと気を喪っている少年。
可愛らしいその顔は青ざめ、長い睫毛が頬に翳りをおとしていた。
そのくせ、僅かに開かれた唇がふっくらと桜色に艶めき、男の腕に抱かれた白い頤を反らせた様子は、どこか官能的でさえあった。
土方は僅かに目を細め、その様子を鑑賞するように眺めた。愛おしげに、そっと頬を指さきでなぞる。
だが、それでも身動き一つしない総司に微笑み、そっと祭壇の上に跪いた。
柔らかく少年の細い躯を抱きおろす。
さらさらと髪がゆれ、白い手が投げだされた。
祭壇の上に横たえられた大天使は、まるで魔王に捧げられた生け贄のようだ。
だが、それはある意味、真実なのだろう。
もはや、この美しく清らかな大天使のすべては、彼のものなのだから。
「……いったい、どうするつもりなのです」
突然、背後からかけられた声にも、土方は眉一つ動かさなかった。その端正な顔は表情ひとつかえない。
まるでわかりきっていた事のように、ふり向きもせぬまま答えた。
「どうするとは、何を」
「総司の処遇です」
背後で、斉藤が渋面をつくっているのが目に見えるようだった。
それに、くすっと笑う。
「処遇というより、始末じゃねぇのか?」
「土方さん」
「大天使を魔王が捕らえたんだ。それがごく当然のことだろう」
「ですが」
ふり返ると、斉藤はきつく眉を顰めていた。何かを堪えるように、両手を握りしめている。
「あなたが……そんな事できるはずもない」
「そうかな」
「……」
「斉藤」
土方は僅かに小首をかしげ、揶揄するような口調で云った。
「おまえこそ、何故そんなにも気にかける」
「……」
彼の問いかけに、斉藤は固く唇を引き結んだ。鳶色の瞳が珍しくも、僅かな動揺の色をうかべた。
それに、土方は喉奥で低く笑い声をたてた。
「……聞くまでもない事だったか」
視線を総司へと戻した。
「確かに……」
そっと指さきで頬や首筋にふれながら、土方は言葉をつづけた。
「俺は、総司を愛している」
「……」
「だが……」
僅かに目を伏せ、薄く笑った。
手をのばし、さらりと総司の柔らかな髪をかきあげてやる。
「愛というものにも、様々な形があるだろう」
「様々な形……ですか」
「無償の愛……」
唄うように、つづけた。
「すべてを奪いさる愛、慈しみの愛、憎しみと紙一重の愛……」
「……ならば」
斉藤は低く問いかけた。
「土方さん、あなたの愛は、いったいどれなのです」
「……」
斉藤の問いかけに、土方は何も答えなかった。
黙ったまま、総司だけをその深く澄んだ黒い瞳で見つめている。
やがて、不意に口調をかえると、逆に問いかけた。
「……外の状況はどうなっている」
突然の問いかけに、斉藤の顔が引き締まった。
僅かな愉悦の笑みをうかべる。
「もうこちらの完全勝利ですね」
「……」
「総司が我々の手中に落ちた以上、何一つ恐れる事はありません」
「なら……」
土方は片手でわずらわしげに前髪をかきあげた。
「おまえも後始末をすませた後、早急にこの国から去れ。長居は無用だ」
物憂げな調子で命じた土方を、斉藤は鳶色の瞳で探るように見つめた。
しばらく黙ってから、問いかける。
「……あなたは?」
「……」
「土方さん、あなたは……どうするのです?」
「さぁ、どうしようか」
土方は形のよい唇の端を、ふっとつりあげた。
「ここをさっさと立ち去るのもいいが……このまま総司が目覚めるまでいてやるのも一興だな」
くっくっと喉奥で嗤う土方に、斉藤は呆れた顔になった。
そんな事をすれば、どうなるか。
せっかく消し去った記憶も無に帰してしまい、総司にすべてを晒けだす事になってしまうのだ。
……いや、むしろ。
(……この人は……)
黙ったまま目を細めた斉藤に、土方はもう何も云わなかった。
ただ祭壇に腰かけ、横たわる総司を愛おしげに見つめている。しなやかな指さきが愛撫のように、頬や首筋にふれた。
まるで──魔王の刻印を残していくがごとく。
「!」
その様に、斉藤ははっと息を呑んだ。
見てならぬ光景を目にしてしまった気がしたのだ。
はからずも、二人の秘められた濃厚な愛の儀式を覗いてしまったような、背徳感。
それほど二人の間にある空気は、艶めかしく蜜のような滴りに満ちていた。
「……」
斉藤は目をそらすと、踵を返した。そのままふり返る事なく大聖堂を出てゆく。
土方の愛が、どんなものであるのかなど知り得ない。だが、それは自分が訊ねる事ではないという気がしたのだ。
斉藤には斉藤の愛があるように、土方には土方なりの愛があるのだから……。
遠ざかる足音を知りながら、土方は一切目をむけようとしなかった。
ただ、総司の傍らに跪き、愛しい大天使だけを見つめている。
(……俺の総司)
土方はそっと目を細め、身をかがめた。柔らかく──まるで目ざめを誘うかのように唇を重ねながら、うっとりと微笑む。
……あの時。
たとえ、この身がおまえに討たれていたとしても、それでも。
俺は構わなかったのだ。
総司……おまえは、こんなにも美しい。
誰よりも輝き、そして、永遠だ。
だが、そんなおまえの白い手も、俺を討てば穢れるだろう。
魔王たる俺の邪悪な血は、清らかなおまえの魂をも穢すだろう。
それは……あぁ、歓びだ。
肉体の快楽をも超越する歓びなのだ。
何故なら、その時こそ。
おまえは本当の意味で、俺のものとなるのだから。
身も心も闇に穢されたおまえは、俺だけの恋人。
魔王たる俺の、最愛の恋人だ……。
「愛してるよ」
なめらかな声で、土方は低く囁いた。
そして。
誰よりも愛おしい大天使を抱きしめると、もう一度そっと唇を重ねたのだった。
月と闇だけが支配する
永遠の夜の中で