淋しい大晦日の夜だった。
 総司がやっている書店はもともと30日で店じまいだ。一人暮らしなので、お節料理をつくるのも何だかつまらない。それに、作り方もわからなかった。
 総司は仕方なく紅白でも見て、大晦日の夜を過ごすつもりだった。
 むろん、独り身な訳ではない。いや、独り身な事は独り身なのだが、これでもちゃんとした恋人がいるのだ。
 だが、その恋人が大問題だった。
 総司の恋人は、二世でありながら親の地盤をつがず遠く離れた選挙区から出ても楽々トップ当選してしまう、人気抜群の気鋭若手代議士だった。
 トップモデル並の端正な容姿に、頭脳明晰、生真面目で誠実な男となれば、人気があって当然だが、その分、恋人としては大変だ。
 何しろ、総司は大天使であると同時に、男の子だった。そんなものばれたら大スキャンダルなため、つい総司もおとなしくせざるを得ない。
 本当は大晦日やお正月だって、彼と一緒に過ごしたいのだが、到底無理だった。多忙な彼はこの処連絡さえとれないのだ。
「……でも、電話かメールぐらい欲しいよね」
 総司は炬燵にもぐりこみ、小さく呟いた。膝を抱え込み、ついつい拗ねた口調になってしまう。
「年が変わる瞬間に、あけましておめでとう! ってメールとか」
 そう云ってから、ふと考え込んだ。
 電話がなければ、こっちからすればいいのだ。だが、今頃パーティや挨拶廻りに忙しいだろう土方の事を思えば、何だかそれも憚られてしまう。
「うーん、どうしよう」
 ごそごそと携帯電話を取り出し、大きな瞳で見つめた。
 目の前のテレビでは、歌手が熱唱している。
 それを聞きながら、総司の指は何度も土方のメルアドを押すか押すまいかで、うろうろした。


 本当は、声を聞きたい。
 でも、そんなの我侭だから。
 甘えた事を云って、土方さんを困らせたくないから。
 だけど、声を聞きたい。
 逢いたい……抱きしめられたい。
 土方さん、あなたを誰よりも近くに感じたい。


 色んな言葉が頭の中をぐるぐるした。
 たっぷり5分間、総司は携帯電話とにらめっこしていた。だが、やがて、はぁーっとため息をつくと、携帯電話を閉じた。
 諦めた表情で、ことんと炬燵の上に置く。
 その瞬間、だった。
「!」
 軽やかな電子音が、部屋の中に鳴り響いた。
 総司は目を見開き、携帯電話を凝視した。だが、すぐさま引っ掴むと、相手も確かめず通話を繋げてしまう。
「もしもし!?」
 思わず大声で呼びかけてしまうと、電話の向うが沈黙した。
 戸外のようだった。車が過ぎる音や、ざわめきが聞こえる。
 それに息をつめていると、くすっと笑う声がした。
「……土方さん?」
 今度は小さな声で、そっと呼びかけた。すると、すぐ彼特有のなめらかな低い声が名を囁いてくれた。
『総司……』
 彼の声で名を呼ばれただけで、胸がどきどきしてしまう。
 総司は思わずセーターをぎゅっと掴んだ。
「土方さん……」
『いったいどうしたんだ、何か急いでいたのか?』
「そうじゃ、なくて」
『ん?』
「電話、びっくりしたから。声聞きたいなと思って、でも、電話できなくて諦めた処だったから」
『諦める事ないだろう。声が聞きたければ、いつでも電話してこればいい』
「でも……」
 口ごもってしまった総司に、土方は電話の向うで苦笑したようだった。
『本当に、おまえは俺に甘えない。男は恋人に甘えられた方が嬉しいという事を、理解できないか?』
「そんなの……わかりません」
『なら、おまえは俺の声など聴きたくなかった? 逢いたくなかった?』
 たたみこむように訊ねられ、総司は言葉をつまらせてしまった。胸奥がきゅんっと切なくなる。
 縋るように携帯電話をより強く耳に押しつけた。
「……聞きたかった、です。」
『総司」
「逢いたかった、逢って……抱きしめられたかった」
『なら、それを俺にねだればいい。甘えてねだってごらん?』
 そう耳もとで、低めた声が囁いた瞬間、インターホンの音が鳴った。それに、総司が息を呑む。
 もしかして、と思った。
 でも、信じられない思いのまま、おずおずと扉に近づいてゆく。でも、開けていいのか、本当の事なのか、まだわからなくて。
 迷っていると、彼の声が耳にふれた。
 電話越しに届く、甘い囁き。
『……扉を開けて』
「!」
 もう我慢なんか出来るはずなかった。
 鍵に手をかけ、押し開ける。
 その瞬間、総司の細い躯は男の腕にさらわれていた。あっと思った時にはきつく抱きしめられ、吐息までも奪われる。
 深く唇を重ねられ、濃厚なキスが襲った。
 冷たい夜の空気を纏った彼に抱きしめられ、躯の芯が妖しいほど熱くなる。くらくらと目眩がし、思わず男の胸もとに縋りついた。
「っ、ぁ…ん、ん…ぅっ……」
 彼の手が扉を閉めてくれたのを感じたが、それさえも遠い意識の彼方だ。
 何度も角度をかえて口づけられ、男の腕の中、少年の躯が甘やかにとろけてゆく。
 冷たい冬の夜にかわす、熱いキス───。
「……土方さん……」
 彼の名を呼びながら縋りついた総司を、土方はもう一度きつく抱きしめた。










 さくっさくっと音が鳴っていた。
 踏みしめるたびに鳴る雪の音。だが、それは一つではなくて。
 その事からも、自分が一人ぼっちじゃないことを彼が優しく教えてくれている気がして、思わず見上げた。
「……」
 すぐ視線に気づき、土方は総司の方を見下ろしてくれた。濡れたような黒い瞳に見つめられ、どきどきする。
「どうして、わかったのですか?」
 そう訊ねた総司に、土方は僅かに首をかしげた。
「何が」
「だから、ぼくが……逢いたいって思ってること」
「あぁ」
 土方は肩をすくめ、くすっと笑った。
 その横顔がとても綺麗だ。
 夜なのに、雪がつもっているせいか、とても明るく感じた。
 大晦日の夜。
 二人でカウントダウンを見に行こうと連れ出されて、地下鉄に乗って、この道を歩いて。
 たくさんの人たちが歩いている道じゃなくて、秘密の近道だからと連れてこられた雪の小道。他に人影はなく、ふたりきりだった。夢のように幻想的な樹木がきらきらと街灯に煌めいて。
 そんな光景の中、彼は息を呑むほど綺麗だった。
 甘めの色合いのコートを、しなやかな長身に柔らかく纏って。その下に着込んだ深みある上質なブラウンのスーツ。プレスされた白いシャツにあわせたワインレッドのタイがよく似合っている。
 さらりと整えられた艶やかな黒髪が、形のよい耳に僅かにかかる様さえ、まるで計算されつくしたようだ。アーモンド形の目も、黒い瞳も、優しげな唇も、何もかもがうっとりと見惚れてしまう程だった。
 雪の光景の中、自分以外に見るものがいないのが惜しいぐらいだ。
 だが、すぐ総司はううんと首をふった。


(ぼく以外に見せたくない。他の誰にも、この人を見せたくないのに……)


 自分の中にあるぞくりとする程の独占欲に、総司は思わず頬を熱く火照らせた。


 我侭だと思う。
 だが、それは真実の気持ちだった。
 彼を愛すれば愛するほど、強くなってゆくこの気持ち。
 もっともっと、この人を独占したい。
 自分だけのものになって欲しい。
 その気持ちは強くて制御不能になりそうで、怖いぐらいで。
 だけど、でも。
 もしかすると──と、思いもするのだ。
 恋とはそういうものなのかもしれない。
 我侭で、身勝手で。
 もっともっとと、求めて、深く求めて感じて、独占して。
 そんな恋を、ぼくは今……。


 総司が潤んだ瞳でぼんやり彼を見つめていると、不意に、土方が苦笑した。
 黙ったまま手をのばすと、細い肩を抱き寄せてくる。彼にしては荒々しい仕草で胸もとへ引きこまれ、総司は驚いて目を瞬いた。
「え、え……何?」
「何ではないだろう」
 くすくす笑いながら、土方は総司のなめらかな頬にキスを落とした。
「あんな瞳で見ておいて、おまえはどこまで男を試したら気が済むんだ?」
「試すって、そんな事」
「しているよ。おまえの瞳で、おまえの声で、おまえの躯で」
 そう甘い声で囁いた土方はコートの前を開き、その中に総司を抱きこんでしまった。
 あたたかな彼の腕に包み込まれ、総司は思わず吐息をもらしてしまう。うっとりと目を閉じ、男の胸もとに身を擦りよせた。
「……好き、だい好きです」
「総司」
「あなただけが好き。こんなに好きになって、どうしたらいいのかわからないぐらい……愛してます」
「……云ってる傍から、これだ」
 ため息に驚いて顔をあげると、土方はくっくっと喉を鳴らして笑っていた。手をあげ、総司の首筋から頬を掌で包みこんでくる。
「本当に、いけない大天使だね」
「土方…さん?」
 不思議そうに見上げると、土方は身をかがめた。そっと耳もとに唇を寄せ、熱っぽい声で囁きかけた。
「カウントダウンを見るよりも……近くのホテルへ連れ込んで欲しい?」
「え、えぇっ」
 男の言葉の意味に、総司は慌てて躯を仰け反らせた。それに素早く手をまわして背中をささえてやりながら、土方はきれいな顔で笑ってみせた。
「大丈夫。ホテルに行くのは、カウントダウンの後だ」
「それって……」
「もう予約済だから、安心して」
 安心なんか出来ませんと云い返したかったが、彼と一緒に久しぶりの夜を過ごしたいのは、総司も同じだった。
 応と返すかわりに、黙ったまま土方の腕に手をからめ、ぎゅっと抱きついた。
 再び、ゆっくりと歩きはじめる。
 小道を抜けると、小さな丘のような場所に出た。そこからだと、港の光景が一望できる。
「ほら、ご覧」
 土方がすっと指さした方向を見れば、たくさんの船が沖合に出ていた。どれも灯りを灯し、きらきらと輝いている。
 やがて、港の中でカウントダウンが始まった。皆、大きな声で数えあげている。
「5,4,3、2,1……Happy new year!」
 その瞬間、たくさんの花火が夜空に打ち上げられた。一斉に、船が汽笛を鳴らしはじめる。
 とても賑やかで、眩いほどの光景だった。
「あけましておめでとう、総司」
 優しく微笑みながら云ってくれた土方に、総司は慌ててぺこりと頭を下げた。
「あけましておめでとうございます、土方さん」
「今年もよろしく」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
 律儀にかえす総司に、土方は小さく笑った。身をかがめ、そっと唇を重ねてくる。
 優しく甘いキスを受けながら、総司は目を閉じた。細い躯に男の腕がまわされ、柔らかく抱きすくめられる。
「……おまえが」
 耳もとで、土方が静かに囁いた。
 それをじっと聞いた。
「俺に逢いたいと思っていること、何故わかったのかと……そう聞いただろう」
「えぇ」
「その答は、とても簡単だ」
「簡単……?」
 不思議そうに訊ねた総司に、土方は微笑んだ。なめらかな頬を両掌で包みこみ、仰向かせる。
 瞳を見つめた。
「答は、俺の気持ちだよ」
「土方さんの……?」
「おまえに逢いたいという気持ち。声が聞きたい、逢いたい、おまえを抱きしめたいという気持ちだ……」
「……っ」
 総司の目が見開かれた。唇が微かにふるえ、瞳が涙に潤んでしまう。
 黙って俯いた総司を、土方はそっと抱きしめてくれた。その腕の中で、目を閉じた。


 自分だけじゃないという事が、嬉しかった。
 自分だけじゃなく、彼も想ってくれていたという事が、たまらなく嬉しかった。
 いつも遠く離れて過ごさざるを得ない恋人たちだけど。
 別々の人々に囲まれ、ほんの少しの合間も埋めるように逢瀬を重ね、そして、すぐまた遠く引き離されて。
 声さえも聞けない日々がつづく、恋人だけど。
 でも。
 心は一緒だと、信じたいから。
 いつも、傍にあるのだと。
 だから───


「愛してます」
 小さな声で告げた。
 あふれるほどの想いをこめて。
「去年も今年も……ずっといつまでも」
「総司」
「愛してます、いつまでも」
 涙まじりの声で告げた総司に、土方はかるく目を見開いた。
 やがて、微かに笑うと、少年の小さな頭を己の胸もとにそっと引き寄せた。柔らかな髪にキスをおとしながら、囁きかける。
「……俺も愛してるよ、総司」


 未来永劫、いつまでも。


 どんなに遠く引き離されていたとしても、心は一緒なのだと。
 そう願っている可愛い大天使に、今夜だけは応えてやりたいと思った。
 いつもどこか不安げな恋人を、この腕の中で思いきり甘やかしてやりたい。
 そんな事さえ願ってしまう己自身に、土方は思わず苦笑した。
 やはり、少し酔わされているのか。
 それは先刻のパーティで口にしたシャンパンゆえか、雪の中で迎える美しい夜のためか。
 否──
 土方は僅かに目を伏せ、腕の中の愛しい恋人をより強く抱きしめた。


(俺を酔わせるのは、この愛しい大天使だけだ……)





「あ」
 不意に、総司が小さく声をあげた。
 見上げれば、粉雪が降り出していた。夜空から、ひらひらと舞い降りてくる。
 土方は微笑み、そっと総司の髪に舞った雪をはらってやった。それに、総司はくすぐったそうに笑い、彼の胸もとへ身を寄せてくる。
 もう新年を祝う花火は消えていた。だが、どこからともなく、調子外れの歌声と賑やかな喧噪が響いている。それが、誰の心をも柔らかく浮立たせた。
 二人は顔を見合わせ、小さく笑いあった。
 お互いにそっと手をさしのべ、手を繋ぐ。
「……行こうか」
 そう云った土方に、総司はどこへとも聞かなかった。ただ大きな瞳で見つめると、こくりと頷いた。


 あなたと一緒にいられるなら、他には何も望まない。
 ずっとずっと、いつまでも。
 どうか、この手だけは離さないで───


 心からの願いは、彼の胸に届いたのか。
 土方は黙ったまま総司の手に、小さなキスを落としてくれた。
 そっと手を繋ぎあったまま歩き出す二人に、天から、雪がひらひらと舞い落ちてくる。
 それは、まるで小さな花びらのように。
 いつまでも、いつまでも。
 心から愛しあう蜜月の恋人たちを、祝福するように。




     A  Happy New Year!














[あとがき]
 お節料理をつくる傍ら書いたお話です。
 いつも来て下さる皆様への、新年のプレゼントということで。短いお話ですが、少しでも皆様が楽しんで下されば、幸いです。
 今年もよろしくお願いしますね♪