「……珍しい処で逢いますね」
突然、頭上から声をかけられ、総司はびっくりして顔をあげた。
目を見開き、その名を呟く。
「伊東さん……」
昼下がりのカフェだった。
美術館の中にあるカフェで、昼食をとっていたのだが、そこに伊東が不意に現われ、声をかけてきたのだ。
この美術館は東京の郊外にあり、あまり人に知られていないのだ。今まで総司も訪れた事はなかったのだが、ふと目にした新聞の広告につられ、ここまで来てしまったのだった。
「伊東さんこそ……どうされたのですか」
「おそらく、きみと同じ理由でしょう。美術鑑賞ですよ」
伊東はカタログをかかげ、微笑んでみせた。
それに、総司はかるく小首をかしげた。
「伊東さんは、今から昼食ですか? もし良かったら、ぼくとご一緒されませんか」
「きみの連れは?」
「ぼく一人です」
そう答えた総司に、伊東は軽く眉を顰めた。が、何も云わぬまま椅子をひくと、腕にかけていたコートとカタログを脇において腰かけた。
「何を注文しました?」
小首を傾げるようにして訊ねられ、総司は小さく笑った。
「パスタセットです。パンと、サラダと、珈琲か紅茶がついてるんです。ぼくはそれにスイーツもつけちゃいましたが」
「じゃあ、私も同じものを」
食事が運ばれてくるまでの間、二人は今さっき鑑賞したばかりの絵について会話をかわした。総司はとくに、広告にも載っていた美しい南国の島の風景がとても気にいっていた。というより、それを見るために来たのだ。
あの、愛する彼との楽しかった旅を思い出すために……。
「……それで、いったいどうしたのです」
「え」
食事を終え、伊東は珈琲を、総司は紅茶とスイーツを前にしたところで、不意に、伊東が口火を切った。
それに、総司が目を見開く。
「伊東さん……?」
「何かあったのでしょう。きみはいつも、すぐ顔に出てしまう。何か思い煩う事があるのだと、逢ってすぐわかりましたよ」
「……っ」
総司はかぁっと頬が熱くなるのを感じた。
まるで己の鍛錬のなさを指摘されているような気がして、大天使でありながら動揺をかくせない自分が恥ずかしくなってしまう。
だが、そんな総司に、伊東は優しく微笑んだ。
「でも……それでいいのですよ。きみは、そのままでいい」
「え」
「純真で素直で、まっすぐで。その清らかさが、きみに大天使たるものとしての誇りをあたえているのだから。それでいいのだと、私は思っています」
「伊東さん……」
「辛い事があったのなら、もしよければ私に話してみませんか。この間、私は余計な助言をしてしまったのかと、悔いてもいましたし……」
「──」
思わず俯いてしまった。膝上に置いた両手をぎゅっと握りしめる。
確かに、あの聖石が原因だった。だが、その方法を選んだのは、自分なのだ。伊東が悔いることではなかった。
「伊東さんが気にされる事じゃありません……でも……」
「そのせいで、恋人と仲違いでもしました?」
「!」
総司は弾かれたように顔をあげた。
仲違いの事を指摘されたからではない。
あの聖石に関連しているという事は、つまり、総司の恋人は悪魔だということになるのだ。
それを、伊東は知っていた……?
「伊東さん……まさか、ずっと知って……?」
「もしかして、と思っていました。まぁ、今までなかった事じゃありませんし、それに……とても力の弱い悪魔なのでしょう。なら、人と変わりはしない、それ程気にする事もないのではありませんか」
「でも……!」
ふるりと総司は首をふった。
「あの人は、逢った頃のままではありませんでした。もちろん、下級悪魔にも及ばない程度ですが、それでも以前よりは……」
「以前よりは強まっていた? でも、人として生きてゆくなら、悪の感情を抱く事もあるでしょう。そして、またいつか善の感情を抱くこともあるはず。下級悪魔にも及ばないのなら……」
「もしかしたら、もっと強いのかもしれないのです」
総司は伊東の言葉を遮り、大きな瞳でまっすぐ彼を見つめた。
その瞳には、不安と戸惑い、苦しさが揺れている。
「あの人は、最後にとんでもない事をしたのです。ぼくの力をはねのけたのです。上級悪魔でもありえない程の……っ」
「とんでもない事?」
伊東は眉を顰めた。鳶色の瞳が鋭くなる。
それに、総司は身を小さく震わせながら、頷いた。
「そうです。あの人は……ぼくの力をものともしなかったのです。白き炎で抗ったぼくを、あの人は平然と抱きしめてきた……」
「白き炎を使ったのですか」
「はい。咄嗟に力が出てしまって、でも、あの人は傷つくどころか平然としていた。手をのばし、ぼくを抱きしめた……」
「……」
それきり言葉を途切らせ、総司は俯いてしまった。ぎゅっと痛々しいほど唇をきつく噛みしめている。
そんな大天使を、伊東は静かに見つめた。
ゆっくりと珈琲カップをもちあげて一口飲むと、ソーサーへ戻す。
それから、穏やかな声で云った。
「……以前、私は妻のことを話しましたね」
「──」
総司は突然かわった話に、きょとんとした顔で見上げた。それに、伊東は微笑みかける。
「私は妻をとても愛していた。妻も私をとても深く愛してくれた。ですが、やはり人相手です。私は躊躇いがあった……何よりも、彼女を様々なしがらみや争いへ巻き込むことを恐れた」
「……」
「だから、私は一度……彼女を拒んだ事があるのです」
「拒んだ?」
目を見開いた総司に、伊東は頷いた。
「そう。別れてくれと云って、それでも泣いて縋る彼女を、私は拒みました。……白き炎で」
「──」
「むろん、あの光は人相手でも同じです。己が拒むもの相手に放てば、人も悪魔も同等に傷つく」
そう云ってから、伊東は一つ息をついた。
小さく笑いながら身をのりだし、総司の顔を覗き込む。
「それで、どうなったと思いますか?」
「え」
「私の妻は……どうしたと思います」
「わかりません……でも……」
伊東は席へ身を戻すと、背もたれへ寄りかかった。どこか遠い処を見つめるような目で、言葉をつづけた。
「結果は……きみと同じでしたよ」
「……」
「彼女も何の躊躇いもなく、平然と私を抱きしめてきた。傷一つ負っていなかった……」
「……」
「それがどうしてなのか、なぜ彼女にだけ白き炎が通じなかったのか、今の私にはよくわかっています。そして……」
伊東はゆっくりと総司に視線を戻した。
静かに、微笑んだ。
「きみも、もう……わかっているのではないですか」
イヴの夜だった。
粉雪がちらちらと闇に舞っている。
不夜城都市はいよいよ華やかに煌めき、その賑わいはどこまでも続きそうだった。
あちこちで恋人たちが愛をかたりあい、子どもたちは贈り物を夢見る。
年に一度の聖夜。
だが、そんな夜の中、総司は一人で佇んでいた。扉に背を凭せかけ、ずっとそこに立っている。
もう何時間になるのか。
ここは、土方のマンションだった。
合い鍵は断ったので持っていないが、下のオートロック解除の暗証番号は教えられていた。一応インターホンを鳴らしたが留守だったようなので、ここまで上がってきてしまったのだ。
総司は冷たい扉に背を凭せかけ、はぁっとため息をついた。
ほとんど勢いで来てしまったが、もしかすると、彼は今夜帰ってこないのかもしれない。去年もパーティを梯子して多忙だったと聞いたので、おそらく今夜もそうだろう。また、実家の方へ戻ってしまったのかもしれないのだ。
「……帰ろうかな」
もうすぐ12時の時計を眺め、総司は小さく呟いた。だが、すぐふるりと頭をふってしまう。
どうしても、諦めきれないのだ。
彼に直接逢って、その瞳を見つめて、話をしたいのだ。
むろん、もしかすると、彼は自分を拒むかもしれない。家にも入れてくれないかもしれない。最終通告を突きつけられるかもしれない。
別れよう──と。
(……でも)
総司はぎゅっと目を閉じた。
絶対に諦めきれないから。
このまま自然消滅なんて関係の終わり方、嫌だから。
ぼくの本当の気持ちを、土方さんに伝えたいから……
「!」
総司ははっとして、顔をあげた。エレベーターホールの方で音が鳴ったのだ。その後、静かな足音が響く。
息を呑んで見つめているうちに、角を曲がって一人の男が現われた。
上質の柔らかな黒いコートを、スーツの上に纏っている。パーティで渡されたのか、幾つかの小さな紙袋を持っていた。
ふとあげられた目が総司を捉えた瞬間、見開かれる。
「……総司……」
低い掠れた声が呟いた。
それに、総司はきつく両手を握りしめた。何か云おうとしたが、喉がからからに渇いてしまったようで、言葉が出てこない。
そうこうするうちに、土方は静かに歩みよってきた。切れの長い目が、どこか探るように総司を見つめる。
やがて、ふっと目をそらすと、懐からキーを取り出した。鍵を回してドアを開き、そのまま部屋の中へ入っていてしまう。
総司は躊躇ったが、やはりどうしても彼と話をしたかった。おずおずと玄関で靴を脱ぎ、廊下を歩いてリビングへ入る。
あらかじめセットされてあったのか、部屋の中はとてもあたたかだった。ふわりと柔らかな空気が身に纏わりつく。リビングには仄かな明かりだけが灯されてあり、大きな窓ガラスごしに都会のイルミネーションが美しく煌めいていた。
そんな部屋の中、こちらに背をむけた土方は、コートなどを脱ぎ捨てていた。彼の肩から床へ、黒いコートやスーツの上着がするりと滑り落ちれば、白いワイシャツにつつまれた広い背中が露になる。
その男の背に縋りつきたい気持ちを、総司は必死に抑えた。
「……ごめん、なさい……」
小さな声で謝った総司に、土方は何も答えなかった。だが、ネクタイを緩めていた手が一瞬だけとまる。
「あんな事して……あなたを試すような事をして、ごめんなさい」
「……」
「あんな事して、いいはずがなかったのに。あなたが傷つくのは当たり前なのに、なのに……」
「……もう、別れようか」
「!」
突然の男の言葉に、総司は弾かれたように顔をあげた。なめらかな頬が青ざめてしまっている。
土方は僅かに嘆息してからふり返ると、その黒い瞳でまっすぐ総司を見つめた。
「俺は……政界に身を置いてる男だ」
低い声がゆっくりと告げた。
「おまえもわかっていると思うが、この世界は清廉潔白だけでやってゆけるものではない。汚れた事、悪事にも手を染めなければ、生き残れない」
「……」
「人を陥れたり、策謀を張り巡らせたり……そんな中で、俺が自分自身の中にある悪をこれ以上育てないという保証など、どこにもないんだ」
土方は目を伏せ、自嘲するような笑みをうかべた。
「これからも同じような事は起るだろう。大天使であるおまえが見過ごせないぐらい、俺は力の強い悪魔になってしまうのかもしれない。そうなった時、苦しむのはおまえも俺も同じだ。だから、今のうちに……」
「今のうちに……別れようと云うのっ!?」
不意に、総司が叫んだ。まるで、切り裂くような声だった。
土方が驚いて見ると、総司は涙をぽろぽろこぼしながら、叫んでいた。
「ぼくは、そんなの絶対にいや! あなたと別れるなんて……いやだ!」
「だが、総司……」
「あなたの中にある悪をこれ以上育てないでって、確かにぼくは云いました。でも……でも、ぼくは今、あなたが世界中の何よりも誰よりも大切なのです。あなたさえいれば、もう他には何もいらない。あなたを失うぐらいなら、ぼくが消えた方がいい……!」
そう叫ぶなり、総司は土方の胸もとに飛び込んできた。そのまま、彼の広い背中に手をまわし、ぎゅっとしがみつく。
「総司……」
思わず抱きしめた男の腕の中、総司は泣きじゃくりながらつづけた。
「やっとわかったから。ぼくがどんなにあなたを愛してるかって、あなたがいなければ生きてゆけないって。よくわかったから……」
「……」
「あなたの中の悪がどんなに強まっても、ぼくはあなたを処刑する事なんて出来ない。あなたを消すぐらいなら、ぼくもあなたと一緒に堕ちます。土方さん、あなただけを何よりも愛してるから……!」
「総司……!」
不意に、激しく抱きしめられたかと思うと、頬から顎にかけて男の掌がつつみこみ、すくいあげた。見上げたとたん、唇を重ねられる。
「っ…ぁ…ん……っ」
甘く激しいキスだった。
躯の芯までとろけさせてしまうような、濃厚なキス。
何度も角度をかえて重ねられ、唇がはれぼったくなるまで口づけられた。舌を絡め合い、互いをどこまでも求めあってゆく。
「……あ!」
ふわりと躯が浮いたかと思うと、次の瞬間には、ソファへ抱き下ろされていた。思わず見上げた総司に、熱っぽい瞳をした土方がのしかかってくる。
手首を掴んでおさえつけられ、そのまま又深く口づけられた。
拒むはずがないのに、だが、その柔らかな拘束がどこか心地よい。どんどん躯が熱くなってくる。
気がつけば、衣服のほとんどを脱がされていた。床にすべり落ちてゆくシャツやセーター、ジーンズ。
土方は総司の細い躯を抱きすくめ、白い肌のあちこちに甘く激しく口づけてくる。
肌をすべる、しなやかな指さき。
花びらを散らしてゆく、熱い唇。
首筋にふれる、彼の髪。
そんな普段よりも少し性急な彼に、躯も心も、とろかされて。
まるで、甘くて濃厚な蜂蜜みたいに───
「……土方…さんっ、愛してる……っ」
込みあげる想いのまま、総司は甘い吐息まじりの声で告げた。
土方の黒い瞳が一瞬だけ見開かれ、その後、優しい笑みをうかべる。
きつく抱きしめられた次の瞬間、彼の熱がその華奢な躯を一気に貫いた。
「ッ! ッぁ…―ッ」
男の腕の中、総司はきつくのけぞった。思わず、ぎゅっとしがみつく。
未だ馴れることのできない疼くような苦痛と。
奥に秘められた、微かな快楽。
「…ぃッ…ぃやッ…あぅ、ぅ──」
それを自覚する間もなく、男のものがずるりと引き抜かれた。思わず、ほっと息を吐く。
とたん、ぐちゅりと音をたてて、男の猛りが蕾の最奥まで突き入れられた。
「ぃ、ぁッ…ぁああーッ…!」
総司は掠れた声で悲鳴をあげた。
涙をこぼしながら仰け反り、きつくソファの端を握りしめる。
「……総司、力を抜いて……」
「ぁ、ぁ…ぁあっ、…ぁッ……」
土方はその背を掌で撫で、優しい睦言とキスをくり返しながら、深く深く交わった。
身も心もとろかすように。
ゆらして。
抱きしめて。
くちづけて。
「……ぅ…ん、ぁ…ぁ、ぁんっ……」
恋人の甘く柔らかな責めに、やがて、少年の声は快楽に濡れたものへと変わってゆく。
熱く燃える、ほむらの聖夜に。
魔王と大天使の夜に。
甘く艶やかに、どこまでも溺れこんで───
世界中の誰よりも互いだけをもとめ、愛しあう永遠の恋人たちを、煌めく星だけが静かに見つめていた……。
情事の後、二人一緒にシャワーを浴びた。
そこでもまた求めあってしまったため、バスルームを出る時には、総司はもう歩けない程だった。なので、土方がその手で着替えもさせてやり、リビングのソファの上へそっと抱き下ろす。
「……ごめん。無理をさせたな」
甘い口づけを落しながら囁いた土方に、総司は「ううん」と首をふってみせた。いつもこの部屋に置いてある白いパジャマがよく似合い、男の腕の中、たまらなく可愛らしかった。
まだなめらかな頬を紅潮させたまま、微笑んでみせる。
「ぼくも……あなたが欲しかったから、いいのです」
「総司……」
土方は思わず微笑み、もう一度だけとキスを落とした。それから、小首をかしげるようにして訊ねる。
「食事はもう済ませてきたのか?」
「え……あ、えーと、まだです」
「せっかくのイヴの夜なのに、ディナー一つ用意してやれなかったな」
土方は眉を顰め、立ち上がった。テーブルの上に放り出してあった幾つかの紙袋を開き、中から取り出す。
「パーティでもらったケーキならあるが……そうだ、ミネストローネでもつくろうか」
「え、いいですよ」
「俺もほとんど食べてないんだ。少し待っててくれ」
にっこり笑ってみせると、土方はカフェエプロンを取り上げた。それを黒のパジャマの上につけ、キッチンへ入ってゆく。やがて、おいしそうな匂いが漂い始めた。
数十分後、土方はトレイを手に戻ってきた。
総司が坐っているソファ前のローテーブルの上に、あたたかい湯気をたてているミネストローネに、チーズ入りオムレツ、サラダ、パンを並べる。
ミネストローネには、トマトやマッシュルーム、ベーコンが入れられ、上には粉チーズがかけられてあった。サラダも総司好みのさっぱり味のドレッシングだ。
「おいしそう……!」
嬉しそうに目を輝かせた総司に、土方は頬を綻ばせた。
「冷蔵庫の残りもので作ったから、適当だけどな。まぁ……冷めないうちに、食べよう」
「はい。いただきます」
二人は質素だがあたたかなイヴの夜の食事をした。ソファの上に二人身をよせあって坐り、スプーンを口許へはこぶ。
身も心もあたたまる、とてもおいしい食事だった。
静かな会話をかわしながら食事をおえると、珈琲と紅茶を入れてもらい、小さなケーキを二人でわけあった。
土方が灯してくれたキャンドルがテーブルの上で、小さな炎を揺らしている。
それをぼんやり見つめていると、土方が鞄の中から何かを取りだしてきた。
「クリスマス・プレゼントだ」
「……え」
総司は目を見開き、戸惑った。思わず口ごもる。
「ご、ごめんなさい……ぼく、今回の事で頭がいっぱいで何も……」
「別に構わないさ。それより……ほら、開けてみてくれ」
「はい」
こくりと頷き、総司は躊躇いがちにだったが、箱を開けてみた。中で輝く真紅の宝石に、小さく息を呑む。
凝った飾りが施された、小さなピアスだった。
「綺麗……!」
「ルビーのピアスだ。いつか付けようかと思った時があったら、これを使ってくれ」
「でも、こんな高価なもの……ぼく、何も用意してないのに……」
「十分もらったよ」
「え?」
小首をかしげた総司に、土方は優しく微笑んだ。髪をかきあげて、白い額にキスを落としてやる。
「こうして、ちゃんと俺に逢いに来てくれた」
「土方さん……」
「おまえが、何よりのプレゼントだ」
彼の言葉に目を瞠ってから、幸せそうに微笑んだ総司に、土方は僅かに目を細めた。
……そう。
この大天使が何よりの贈り物。
身も心も、完全に彼のものになった恋人。
清らかで綺麗な大天使が、魔王の手の中にあるという僥倖───
あなたの中の悪がどんなに強まっても、ぼくはあなたを処刑する事なんて出来ない。
あなたを消すぐらいなら、ぼくもあなたと一緒に堕ちます。
土方さん、あなただけを何よりも愛してるから……!
土方は、ルビーを見つめている総司を眺めながら、ゆっくりと唇の端をつりあげた。
愉悦にみちた薄い笑みが、うかべられる。
黒い瞳が冷たく冴えた。
ようやく得られた言葉。
あれは……契約なのだ。
魔王たる俺と、大天使が交わした永遠の契約だ。
一度空へ放たれた言葉は、二度と返らぬように。
おまえは俺との契約にサインした。
どんな闇を手にしても、どんなに悪を強めても──たとえ、そう。
この俺が、魔王であったとしても。
心から愛する、と。
おまえは、そう誓った。
愛してると、俺に縋った。
ならば……もう逃がさない。
この手の内から、二度と逃れられぬ。
おまえは、未来永劫、世界の終わりまでも──俺だけのものだ。
魔王たる俺だけの恋人だ。
……永遠に。
「ね、土方さん」
総司は不意に顔をあげると、ルビーをさし出しながら微笑いかけた。
白い指さきに、真紅の雫のような石が輝く。
「このルビーの宝石言葉って、知ってる?」
「宝石言葉?」
かるく土方は小首をかしげた。ちょっと考えてから、答える。
「愛……かな。情熱とか」
「近いです。あのね、愛の炎なんですよ」
「ふうん」
頷く土方に、総司はくすっと笑った。それから、大きな瞳で土方を見つめた。
きれいに澄んだ瞳に男を映し、ゆっくりと静かな声で問いかける。
「あなたがぼくの白き炎で傷つかなかった理由、わかりますか?」
「え……?」
突然の問いかけに、土方はかるく目を瞬いた。戸惑ったように見つめてから、やがて、ゆっくりと首をふる。
「……いや、わからなかった」
僅かに目を伏せる。
「大天使の白き炎は人も悪魔も等しく拒んだものを傷つけると、俺も聞いていた。なのに、どうして……」
「その理由ですけど、ぼくはちゃんとわかったんです」
「わかった……?」
「えぇ」
こくりと頷いた総司は、ゆるやかに両手をのばした。土方の胸もとへ凭れかかり、両手を背にまわして抱きつく。
男のぬくもりを感じながら、ゆっくりと囁いた。
「……あなたがぼくを愛してくれるように……ぼくもあなたを愛しています」
「総司?」
土方は戸惑った。突然の告白の意味がよくわからない。これが先程の話といったいどう繋がるのか。
不思議そうに顔を覗き込んだが、それに総司はより彼の胸もとへ顔をうずめた。甘えるように身をすり寄せてくる。
土方はその柔らかな髪を撫でてやった。が、むろんのこと、まだ納得ができていない。
理由がわからないのだ。
なぜ、白き炎で己が一切傷つかなかったのか。
ずっと疑問に思っていた事の答を、総司は得ているという。
それを教えてほしかった。
「総司、俺は……」
云いかけた土方に、総司は不意に顔をあげた。
そして、悪戯っぽい笑顔で、白い指さきを彼の唇にそっと押しあてた。
「だめ、教えない」
「……総司」
「答は、すぐ目の前にあるんだから。あなたがわかるまで、秘密です」
くすくすと可愛らしく笑う大天使に、土方は苦笑した。
何となく答がわかってしまった気がした。だが、それを認める事は何となく口惜しい。彼の矜持が許さないのだ。
むろんのこと、自らそれを認め、答を告げる気などさらさらなかった。
だが───
それなら、それでいい。
白き炎を退けられた理由が、俺自身にあるというのなら。
だが、総司、おまえは知っているか。
この俺の愛の深さが、どんなものであるかということを。
真紅に輝くジュエルのごとく。
愛の炎だ。
激しくも狂おしい、闇の翳りをおびた愛だ。
いつか。
この愛しい存在も己自身をも、昏く燃えさかる炎で灼きつくしてしまう。
そんな、俺の愛───
土方はゆっくりと手をのばし、総司の手を掴んだ。
不思議そうに小首をかしげた大天使に微笑みかけ、そっと手をもちあげる。
白い指さきを押し頂くように、唇を近づけた。
そして。
甘いキスをおとした土方は、最愛の恋人に、誓いのごとく囁いたのだった。
「……愛してるよ、誰よりも」
[あとがき]
つまりは、土方さんが深く総司を愛してるがゆえに、白き炎で退けられなかったという事です。愛の力は強いってとこかな。でも、その愛は、総司が抱いているものと違い、とても昏い狂気の翳りをおびたものです。まぁ、魔王さまですから。
休止中にもかかわらず来て下さり、こうしてラストまで読んで頂き、本当にありがとうございました♪