「……土方…さん」
 総司の目が大きく見開かれた。


 彼の言葉の意味が、おぼろげながら理解できた気がしたのだ。
 ずっと知っていたことだった、彼が何かを抱えているということを。
 それが今、少しだけ明かされたのだ。過去にあった何かで、彼は苦しみ続けている。もがき続けているのだ。
 見上げれば、土方の端正な横顔は誰よりも美しく、凛としていた。大人の男らしい憂いと精悍さをもちあわせている。
 なのに、今、総司の目には、彼がまるで暗闇の中で迷いつづける子供のように映った。
 どこに行けばよいのかわからず、ただ、求めるものを探しつづける子供のように。


「土方さん……!」
 思わず土方の胸もとに抱きついた。彼の広い背に手をまわし、しがみつく。
 驚いたように見下ろす土方に構わず、言葉をつづけた。
「ぼくが…いるから、ぼくが傍にいるから……っ」
「……」
「あなたの苦しみを救うことなんて、出来ないとわかっている。でも、ぼくはあなたの傍にいます。いつまでも、何があっても、あなたの傍にいて愛しつづける」
「総司……」
 土方の目が見開かれた。一瞬、何とも言えぬ表情になったが、黙ったまま、きつく少年の細い身体を抱きしめた。
 だが、それは常と異なる抱擁だった。
 いつもの包みこむようなものではなく、まるで、逆に縋りついてくるような抱擁で、総司の胸奥に熱いものがこみあげた。たまらなくなって、彼の胸もとに頬をすり寄せる。
 愛している、と思った。


 心から、彼だけを誰よりも愛しているのだ。
 この人がいなければ、生きてゆけないぐらい愛してる。
 いったい何を迷っていたのか、何をためらっていたのか。
 こんなにも彼は独りなのに。
 いつも冷静で感情的になる事などない彼。優しくて、総司を誰よりも甘やかしてくれる。
 余裕たっぷりで、総司からすれば、到底追いつけないぐらい大人の男に見えてしまう彼。
 でも、その一方で、暗闇の中、迷いつづける子供のような彼……。
 そのどれもがたまらなく愛しかった。ずっと、いつまでも一緒にいたいと思った。
 死しても尚、共にいたいのだ。
 そう、何を迷うことがあるのか。
 もしもこの人が処刑されるならば、共に逝けばいいのだ。
 我が身を重ねあわせ、死を共にすればいい。
 永遠に、二人は一緒だから……。


 まるで、想いが通じたようだった。
 見上げると、土方は深く澄んだ黒い瞳で総司を見つめていた。視線がからみあうと、安堵したように微笑みかけられる。
 その少年のような笑顔に、不思議なくらい泣きたくなった。


 この人が今ここにいてくれるのは、奇跡なのだ。
 神も悪魔も天使も関係ない。
 星が空にあるように、月が美しく輝くように。
 彼がここにいて微笑いかけてくれる、それこそが奇跡なのだ。


「……行こうか」
 しばらくして、土方は静かに促した。それに、こくりと頷き、歩き出す。
 帰り道、二人は何も言わなかった。言葉を交わすことなく、ただ指と指を絡め合って歩いてゆく。
 それだけですべてが伝えられる気がした。
 想いも愛も何もかも。
「……」
 車に乗り込む前、土方は一度だけ草原の方をふり返った。
 僅かに目を細めているその横顔を、総司は見つめた。
 息を呑むほど、美しい横顔だった。
 夕焼けの茜色に照らされたそのまなざしを、永遠に忘れないと思った。













 夜が落ちていた。
 リビングから寝室に至るまで、床に散らばるように二人の衣服が脱ぎ捨てられてある。スーツやコート、白いシャツなどが重ねられ、夜の明かりにひっそりと浮かび上がっていた。
 あれから、土方は東京へ戻る途中、あるホテルに宿泊の予約を入れた。このまま戻っても夜中になってしまうため、総司の身体のことを気遣ってのことだった。
 それに断ろうとした総司に、土方は優しく答えた。
「俺も正直な話、夜通し車を運転するのは辛いからね。泊まった方がいいんだ」
「そうですね……ごめんなさい」
 はっと気づいた総司は、慌てて謝った。
「土方さん、疲れているのに、そんな事も気づけなくてごめんなさい」
「俺がおまえを無理やり連れてきたんだ。おまえが謝ることではないよ」
 そう言った土方が車を停めたのは、湖畔にある小さなホテルだった。小さいが、とても風格のある老舗のホテルだ。もう日も暮れているため、ホテルを柔らかな明かりが浮かび上がらせていた。
 薔薇ホテルとはまた違った、優しい感じのホテルだと思った。
 土方は何度か来たことがあるらしく、案内を断り、部屋に向かった。
 湖に突き出すようにつくられた客室だった。上階も下階もない、離れのような部屋だ。
「ここも土方さんの隠れ家?」
 そう訊ねた総司に、土方はドアの鍵を開けながら苦笑した。
「隠れ家という程のこともないが、時々は利用しているよ。湖につきだした形になっているだろう。とても落ち着けるんだ」
 常に人々に囲まれている土方にすれば、独りになりたい時もあるのだろう。
 そんなことを考えながら、総司は客室の中に入った。
 中もきれいに整えられ、とてもスタイリッシュなインテリアだった。銀色の金属製の暖炉があり、白い硬質の床が広がっている。
 黒と白を基調にして端正でありながら、男性らしい精悍さも感じさせる雰囲気は、彼にとてもよく似合っていると思った。どこか、土方が住んでいるマンションに似ている気がする。
 ぼんやりと窓外に広がる湖を見つめていると、不意に、背中から抱きすくめられた。
「……ありがとう」
 低い声が耳もとで囁いた。
 突然の言葉に、総司は目を見開いた。
「え?」
「あの場所で、俺を愛していると言ってくれたことだ。いつまでも傍にいると言ってくれた……それが嬉しいんだ」
「土方さん……」
 総司は思わず目を閉じると、胸の上で交差された彼の腕にふれた。
「ぼくは……ずっと悩んでいたのです」
「……」
「あなたには黙っていたけれど、ぼくの仲間である大天使が……己の恋人を処刑しました。その恋人は悪魔で、だから……ぼくは自分と重ねずにはいられなかった。あなたがもしも処刑されるような事があれば、どうすればいいのかと」
 身体の向きをかえると、総司は黙って話を聞いてくれている土方を見上げた。手を伸ばし、彼の頬にふれる。
「もちろん、あなたを処刑するなんて、ぼくには出来ない。でも、もしもそんな事になったら、どうすればいいのかわからなくて、ずっと悩んでいた」
「……それで」
 土方は総司を見つめた。深く澄んだ黒い瞳が己の恋人だけを見つめる。
 静かな声で問いかけた。
「おまえは答えを出すことができたのか……?」
「はい」
 総司はこくりと頷いた。少し黙ってから、そっと身を倒し、彼の胸もとに凭れかかる。そのぬくもりを感じながら、言葉をつづけた。
「さっきのあなたの言葉で、ぼくはわかったのです」
「……」
「あなたがもしも……処刑されるのなら、一緒に逝けばいい。あなたを失ってまで、生きていたいとは思わないから」
 彼の胸もとで、微かに笑った。
「こんな簡単なことなのに、ずっとわからなかった。本当に、なんてぼくは何も見えていなかったのか……」
「そうではない、総司」
 土方がその細い肩を掴んで身を起こさせた。愛らしい顔を見つめながら、真摯な声で伝える。
「悩んで当然のことだ。大天使であるおまえが、その答えに行き着くまでどれほど悩んでいたことか。それを考えると、俺は胸が苦しくなる。何もしてやれない、それどころか、俺が悪魔であるが故に苦しめているのだと思うと、たまらなくなるんだ」
「土方さん、そんな……」
「だが、おまえが出してくれた答えは……嬉しいよ」
 そっと、優しく口づけられた。甘く静かなキスは、総司の身も心もとろけさせてゆく。
 目を閉じた総司を抱き寄せ、その耳もとで囁いた。
「……俺も同じだ。総司……おまえを失ってまで、生きていたいとは思わない」
「土方さん……」
「愛してる、総司、おまえだけを永遠に」
 まるで、婚姻の誓いのようだった。そっと口づけられる。
 二人は何度も口づけあった。次第に、そのキスは深くなり、互いを求め合うように激しくなっていく。
 男の手が衣服を脱がせるのを感じたが、総司は抗わなかった。それどころか、手をのばし、彼のコートやスーツも脱がせてしまう。
 互いの服を脱ぎ捨てながら、二人は寝室へと入った。
 ベッドに入ったところで、土方にしては珍しく荒っぽい仕草でシャツを脱ぎ捨てた。それがまるで美しい獣のようで、うっとりと見惚れてしまう。
 二人の交わりは激しく、そして、切なかった。互いを、この世に繋ぎとめる最後の術であるかのように求め合う。
 それはある意味では真実かもしれなかった。
「……っ、ぁあ…っ」
 総司は声をあげ、仰け反った。白い喉がそらされ、髪がふり乱される。
 その愛らしくも艶かしい顔を見下ろしながら、土方は激しく腰を打ちつけた。細い両足を抱え上げ、揺さぶりをかけてゆく。
 ベッドの上、総司が泣き声をあげた。
「っ、ぁあ…っ、ァ、んっ」
「……総司……」
「ぁ、も…ひっ…ぁあ…ッ」
 濡れそぼった蕾を力強く穿たれ、悲鳴をあげる。
 無意識のうちに上へ逃れようとしていたのだろう。だが、それを男が許すはずもなかった。強引に引き戻されたとたん、深々と貫かれ、泣き叫ぶ。
「ァアアーッ……! っ…」
「……まだだ、総司……俺はまだ満足していない」
「ひ、ぁ、ああっ…ぁ、ぁ……っ」
 総司の瞳はとろりと熱くとろけ、耳もとで囁きかけられる言葉さえ、理解できていないようだった。強すぎる快楽に、意識が朦朧としてきているのだ。
 男に揺さぶられるまま、泣き続けている。
 それでも、身体は正直だった。もっと快楽を求めるように、男を深く甘く受け入れてしまう。
 少しでも焦らされたり快楽をせきとめられたりすると、もうたまらなくなるのだ。
「っ…ぁ、は…ぁ……っ」
 動きをとめた土方の逞しい身体の下で、天使は艶めかしく喘いだ。腰を揺らし、男を深く受け入れようとする。
「……土方…さん……っ」
 甘く掠れた声で彼の名を呼ぶ総司に、土方は目を細めた。かるく小首をかしげてみせた。
「何だ? もっと俺が欲しいのか……」
「ぅ、ん…っ……」
 頷いた総司の身体をゆっくりと組み伏せながら、土方は薄く嗤った。満足気な、愉悦にみちた笑みだ。
  だが、それに総司が気づくことはなかった。
 いきなり両膝を抱え込まれたかと思うと、激しい責めが始まったのだ。力強い抽挿に、総司は悲鳴をあげた。
「ひぃっ…ぁあーッ」
 息つく暇もない責めだった。貪るように激しく腰を打ち付けられ、蕾の奥をぐちゃぐちゃに掻き回される。
 絶え間なく続く快楽に、総司は泣き叫んだ。総司のものはもう達したままで、とろとろと蜜をこぼしつづけている。内側と外側から与えられる快感は、目もくらむほどだった。
「ぁあっ、ひぃっ…ぁ、ぁああんっ」
「……総司……熱いな」
「んっ、ぁあっ…ぃ、ぃいいっ…ぁッぁああ──」
 なめらかな頬は薔薇色に染まり、濡れた唇は艶めかしかった。それを見下ろしながら、土方は細い身体を貪りつづけた。
 総司の声が切羽詰まったものになり、細い指先がきつくシーツを握りしめる。
「や、ぁあッ、ぁ…ぁあっ、ぁ」
「……っ……」
「ぁああッ、ぁ、ぁあああーッ……っ!」
 一際甲高い声をあげた瞬間、総司の腰奥に男の熱が叩きつけられていた。熱い迸りを蕾の奥に感じる。
 それにさえ快楽を覚え、総司は甘く啜り泣いた。たまらず男の身体に縋りつく。細い腕がしがみついてくるのを感じながら、土方は恋人の身体をきつく抱きしめた。熱い吐息がもれる。
 二人、見つめ合い、口づけあった。唇を深く重ね、互いだけを求め合ってゆく。
 夜のシーツの上に再び、熱が生まれたのはそのすぐ後のことだった。












 しばらく後のことだった。
 気を失ってしまった総司を残し、土方はベッドから抜け出た。部屋に備え付けられてあったミニバーで水割りをつくる。
 琥珀色の酒が芳香を放つ。それを味わいながら、土方は寝室に戻った。ベッドに腰かけ、そこに横たわっている総司を見つめる。
「……俺も大概だな」
 微かに唇を歪めた。
 あれから何度抱いてしまったのか。箍が外れたように抱いた自覚はある。
 挙句、総司が腕の中で気を失ってしまったのだ。むろん、傷つけてはいないが、過ぎた快楽であったことは確かだった。
 土方はため息をもらし、片手で前髪をかきあげた。切れの長い目を宙に据えた。


 求めても愛しても抱いても満たされない、この飢餓感は何なのか。
 自分でも舌打ちしたくなる程に、この大天使に囚われてしまっているということなのか。
 否、それだけではないだろう。
 自分は今なお、過去に囚われているのだ。
 愛しい恋人を失った衝撃を、今もこの胸の中に抱きつづけている。
 だからこそ、少しでも総司が自分から離れる素振りを見せたとたん、たまらなくなる。
 切なくなる訳ではない、言い知れぬ怒りを覚えるのだ。
 腹の底がじりじりと焦げるような怒りだった。
 それは恐らく、総司に対してだけではない。己に対しても抱いてしまう怒りなのだ。


「ざまぁねぇな」
 自嘲するように呟き、土方はグラスを傾けた。手の中で氷が音をたてる。
 とたん、総司が小さく身じろいだ。
「……ん……」
 白い手をのばし、目を瞬く。ぼんやりとした表情で、周囲を見回した。
 視界に土方が入ったとたん、ほっとしたように微笑んだ。
「土方…さん……」
 微笑みかけてくるその表情は、あの頃のままだった。己を主君として慕い、愛してくれた頃と同じ笑顔。
 この少年は変わらないのだ。
 純粋で優しく素直で、誰よりも清らかだ。


(俺は……こんなにも変わってしまったのにな)


 苦い笑みが口元にうかんだ。
 むろん、悔いている訳ではない。邪悪な魔王として生まれ変わったからこそ、ここにこうしていられる。
 こうして、一度は失った恋人をこの腕に抱くことが出来たのだ。
「総司……」
 土方はグラスをナイトテーブルの上に置くと、身を乗り出した。片膝でベッドに乗り上げ、総司の細い身体をおおいかぶさるように抱きすくめる。
 その柔らかな髪に、首筋に口づけを落としながら、目を閉じた。


 何を躊躇うことがあるのか。
 過去など消し去ってしまえばいい。
 もう二度と振り返るな。
 今、この瞬間こそが真実なのだ。
 総司、おまえさえいれば……


「……土方さん?」
 固く総司の身体を抱きしめたまま黙りこんでいる彼を、訝しく思ったのだろう。
 おずおずとその広い背に手をまわしながら、総司が問いかけた。
「どうしたのですか? 何か……」
「あぁ」
 土方は身を起こし、静かに微笑んだ。そっと総司の乱れた髪を指先で梳いてやりながら、話しかける。
「思っていたんだ。今、おまえが俺の傍にいてくれることを」
「土方さん……」
「少しずつ時が違っていても、俺たちは出会わなかったかもしれない。それを考えれば、おまえがここにいてくれることは奇跡だと思う」
「っ……」
 総司の目が見開かれた。驚いたような顔で、土方を見上げている。
 それに小首をかしげた。
「どうした」
「……びっくりしたの」
「え?」
「今日、ぼくも同じことを思っていたから。あなたがぼくの傍にいてくれることが奇跡なんだって……」
「そうだったのか」
 土方は総司を再び抱き寄せながら、目を伏せた。
 暗い翳りがその瞳に湛えられる。


 総司、おまえは知らない。
 まさに奇跡だったことを。
 おまえが生まれ変わることが出来たこと。
 そのおまえに出会うことが出来たこと……すべてが。


「愛しているよ、総司」
 不意に、そう告げた土方に、総司はちょっと驚いたように彼を見上げた。だが、すぐに笑顔になると、答える。
「ぼくも愛しています。土方さん、あなただけを」
「総司……」
「ずっとずっと愛している。何があっても……ぼくはあなたを愛しています」
「俺もだ」
 土方は総司の手をとり、その指さきに口づけた。
 そして。
 甘いキスをあたえながら、囁きかけたのだった。
「俺の愛は……おまえだけのものだ」






 今も昔も。
 いつまでも──永遠に。