あれから一週間がすぎた。
土方からは何度か電話がかかってきたが、店の電話はナンバーディスプレイだ。彼の名前が出た時点で無視を決め込んだ。
だが、本当は彼の声が聞きたかった。
彼の優しい声が聞きたかった。
あの夜の事も何度も思い出し、躯を震わせた。とろける蜂蜜のようだった甘いキスが抱擁が、ふとした瞬間、蘇った。
心よりも躯が、躯よりも心が、彼を欲しいと叫んでいた。
世界中でたった一人、彼だけを強く求めていたのだ……。
東京タワーでのある夜、総司は伊東に話した。
もう……恋は終わりました、と。
それに、伊東は黙って肩を抱きよせてくれた。
伊東は誰よりも人に恋する苦しさを知っていた。
天使と違って、人は様々なしがらみに囚われているのだ。その上、必ず天使よりも先に逝ってしまう。
人は死ねば神のもとへ行くとこの世界では信じられているが、それは少し違っていた。もっと神の領域より遥か遠くのどこかへ、行ってしまうのだ。そして、そこで魂は浄化され、再び地上へ戻ってくる。
天使はそれを見守ることしかできなかった。
伊東も、自分の愛した女が死を迎え、天使である己でさえ手のとどかぬ領域へつれ去られてゆくのを、ただ見つめることしかできなかったのだ。
浄化された魂を見分ける力も、天使にはない。天使にあたえられているのは、この世界を見守ることと、悪魔を処刑する力だけだった。
「……」
総司はカウンターの中でため息をつき、手元の本に視線を落とした。
綺麗な宗教画がたくさん載せられた美術書だ。可愛らしい子供の天使が、生まれた赤子に祝福をあたえていた。
(本当の天使もこんなだったら、苦しまなかったのに……)
穢れや恐れも知らず、ただ人に祝福をあたえる天使。処刑される悪魔の断末魔の悲鳴も知ることなく、優しく清らかに微笑んでいれば許される存在。
もし、自分が本当にそんな天使だったなら。
そうであったなら、彼に恋をしたりしなかったのだろうか──?
否、どんな自分であったとしても、やっぱり、自分は彼に恋したのだ。惹かれてしまったのだ。
今でも、こんなにも好きで好きでたまらないのだから。
(だい好き……逢いたい、逢いたい、土方さん……!)
思わず総司はきつく目を閉じた。
我慢しようと思うのに、諦めようと思うのに、夜も昼も彼のことばかり想ってしまうのだ。彼だけを求めてしまう。
恋しくて恋しくてたまらなかった……。
「……」
総司は微かに吐息をもらすと、顔をあげた。
外は雨だ。
あの土方と初めて逢った日のように、雨が降っていた。
珍しく店内には客がいない。ぽっかり空いた時のエアポケットのようだった。外を過ぎる車のサーッという音が聞こえてくる。
ぼんやりとそれを聞いていた総司は、次の瞬間、はっと息を呑んだ。
店の外で車が停まる音がしたのだ。ついでドアが開かれる音と、何か密やかな話し声。
「──」
息をつめてカウンター前に坐っていると、店に一人の男がすっと入ってきた。傘を秘書らしい男に手渡し、大股に店内を横切ってくる。いつものように本を見ることもなく、まっすぐ、総司が坐るカウンターだけを目指していた。
思わず総司は中腰になり、逃げ場を探してしまったが、そんなものは何処にもなかった。
土方は足早にカウンターの前までやってくると、立ち止まった。あの濡れたような黒い瞳でじっと見つめてくる。総司はそれを見返せず、俯いてしまった。
小さな声で云った。
「……いらっしゃいませ」
そう云った総司に、返事はなかった。
が、すぐに微かな音が鳴った。ふわっと芳香が匂いたつ。
え?と顔をあげた瞬間、目の前に突然、薔薇の花束がさし出された。
一重咲きのまっ白な薔薇の花束だ。
「──」
呆然とする総司にその花束をさし出したまま、土方はちょっと照れくさそうに云った。
「おまえに似合うと思って……純粋という意味だそうだ」
「え、その……これ、ぼくにですか?」
「他に誰がいるんだ」
拗ねたような口調で云いざま押し付けられ、総司は慌ててそれを受け取った。甘い芳香が心地よい。思わず、うっとりと薔薇の花びらに顔をうずめてしまった。
「……綺麗……」
「気にいってもらえて良かった。それで、少しは許してもらえるか……?」
「……え?」
きょとんとした総司に、土方はいっそ潔いぐらいの仕草で頭を下げた。
「すまない。おまえの気持ちも考えず、あんな事を無理強いして。もっときちんと段階を踏むつもりだったのに、いきなりホテルへ連れ込むなど、自分でもどうかしていたとしか思えない」
「あ、え、その……っ」
「だが、これだけはわかって欲しい。俺はおまえにそれだけ夢中なんだ。好きで好きでたまらないんだ。こんな気持ちになったのも初めてで、一目見た時からおまえが欲しくてたまらなかった。自分のものにしたいと思った。できるなら、恋人にしたいと願って……」
「ちょっ、ちょっと待って下さい……!」
総司は慌てて土方の言葉を遮った。
こんな所で、この人はいったい何を言い出すのか。これでよくスキャンダル一つなく来れたものだ。本当に生真面目な人がキレると怖いんだなと、しみじみ思った。
「あなた、自分が何を云ってるのかわかってるんですか? そんなこと口にしてるの見つかったら、命とりになりますよ」
「命とり? なぜ?」
土方は心底驚いたように、目を見開いた。
なぜって!
どうして、この人、わかんないの?
総司は思わず地団太を踏んで叫びたくなった。が、それでも人に聞かれるには、あまりにもスキャンダラスな会話だ。何とか声を抑えた。
「だって、立派なスキャンダルでしょう? ぼくと寝たなんて、ぼくを好きだなんて」
「それのどこがスキャンダルになる」
「どこがって……あなた、わかってます? ぼくは男で、あなたも男なんですよ。こんなアブノーマルな関係、認められる訳ないでしょうっ?」
思わず叫んでしまった総司に、土方は頷いた。
「あぁ、確かに認められないだろうな」
「だったら……っ」
「だが、誰に認めてもらう必要がある」
土方はその黒い瞳でまっすぐ総司を見つめ、きっぱりと云い切った。
「俺が誰を好きになろうが、俺の勝手だ。誰に文句を言われる筋合いもないし、非難される謂れもない。俺はおまえに恋をした、そして、抱いたし、誰よりも愛してる。そのことだけが大事じゃないのか」
「……」
総司は大きく目を見開いた。
なんて強い人だろうと思った。
彼はは自分を信じているのだ。自分の力というものを。
こんな強い人を見たことがなかった。あらためて、怖いほど惹かれてゆく自分を感じた。
「……ぼくは……あなたの迷惑になりたくない」
そう呟いた総司に、土方は微笑んだ。
カウンター越しに手をのばし、総司のほっそりした躯を抱き寄せた。
「迷惑になんかならない。むしろ、おまえは俺の幸せだ」
「でも、こんな男の子が、あなたみたいに格好いい人の恋人だなんて……」
「おまえは、誰にでも自慢できる可愛い恋人だ。何なら、マスコミにカミングアウトしてもいい。あぁ、そうしたら、おまえに言い寄る男どもを追い払えるな」
くすくす笑う男の胸もとに、総司は顔をうずめた。そっと広い背中に両手をまわし、小さな声で訊ねた。
「……ほんとに、ぼくなんかでいいの?」
「おまえしか望まない」
「土方さん……ぼくも、あなたしか望みません」
その答えに、土方は嬉しそうに微笑んだ。
愛しさのこもったキスを、額に瞼に頬に降らせてくる。それを幸せそうに受けながら、総司は囁いた。
「だい好き……愛してます」
「俺もだ。愛してる、総司……」
そう囁いてくれる男に抱きしめられると、本当にとろけてしまいそうで。
蜂蜜みたいに甘くとろける自分を感じながら。
天使はうっとりと微笑んだ……。
その日から、土方は三日に一度は店を訪れてくれるようになった。
もっとも政治家として多忙な彼だ。5分しかいられない時もあったが、いつも何とか時間をつくってくれた。
甘い甘いデートもした。
総司がねだって遊園地に行ったこともあった。
アイスクリームを食べながら歩いて、ジェットコースターにも乗った。
いつもと違ってスーツ姿でない土方は、総司にとって新鮮だった。
セーターとジーンズにクリーム色のコートを着た彼は、年よりも更に若く見え、ずっと柔らかな印象になった。いつもきっちり整えられた黒髪も無造作に後ろへ流してるだけなので、かなり違う雰囲気になる。そのためか、誰も彼が若手政治家の土方歳三だと気づいてないようだった。
「すっごく幸せです」
そう云った総司に、土方は微笑んだ。
二人で船のアトラクションに乗ってる最中だった。ゆらゆらした揺れと、少しひんやりした風が心地よい。
総司は土方の肩に頭を凭せかけた。
「こんなに幸せでいいのかなぁと、思っちゃうくらい幸せ」
「それは良かった。連れてきた甲斐があったというものだ」
「んー、じゃなくて……土方さんといるのが幸せなんです」
「……可愛いな、総司は」
くすっと笑い、土方は総司の細い肩を抱き寄せた。他に客がいるのに、平気でなめらかな頬に唇を押しあててくる。しなやかな指さきが首筋から耳もとをくすぐった。
「……や、だ。もう……」
総司は僅かに潤んだ瞳で見あげたが、すぐに土方の胸もとに顔をうずめた。
彼も濡れたような黒い瞳で見つめていたのだ。どきどきするような、セクシャルで艶めいた視線だった。
普段は冷たいほどストイックな印象なのに、ベッドの中ではそのイメージが一変した。激しい欲望に忠実な男そのものになり、総司の躯を熱く貪り尽くしてくるのだ。
その事を云うと、土方は総司の指さきに甘く口づけながら、「そうなるのは、おまえにだけだ」と、熱っぽい声で囁いてくれたのだが……。
二人はアトラクションを終えると、すぐさま近くの路地裏に入り込んだ。そこで激しく互いを求め合う。
深く唇を重ね、とろけるように甘いキスを交わした。
「ぁ……っ、んん……っ」
総司は土方の首を細い両腕でかき抱き、キスを受けた。身長差があるので、少しつまさき立ちになってしまう。男の腕が細い腰にまわり、強く抱き寄せた。
甘いキスと抱擁に、うっとり目を閉じた。
もっともっと、あなたが欲しい。
あなたを感じて。
あなたに愛されて。
あなたの腕の中、とろけちゃいたい。
まるで……そう。
甘い甘い蜂蜜みたいに──
「……愛してる、土方さん……」
総司は今、信じられないくらい幸せだった……。
今日は店の定休日だった。
が、土方はどうしても都合がつかず、総司は一人で休日を過ごしていた。
朝から部屋の掃除や洗濯にいそしんでいたが、ベランダに出て見上げた空の青さの清々しさに、躯がうずうずした。
「よーし、飛んじゃおうっ」
昼間に飛ぶのは久しぶりだ。
ついでに、東京を離れて郊外まで行くのもいいなと思った。夜には土方と約束しているから、それまでに戻ってこれるぐらいの範囲にしないといけないが。
総司は部屋の鍵を閉めて出ると、屋上にあがった。人影はない。
それをきちんと確かめてから、総司はゆるやかに両手をのばした。ばさっと音が鳴り、総司の背中に大きな白い翼があらわれた。
総司は一度それを羽ばたかせてから、ふわりと飛び上がった。
青い空の上にぐんぐんのぼってゆく。
足元に、昼間の都会が広がっていた。が、やはり、夜景で見る方が余程綺麗だ。
総司はそれを眺めながら、ゆったりと飛んだ。
ふと、その目がある一点で止まった。
「……あ」
思わず小さく声をあげてしまった。が、その声も人間には聞こえない。
どこかの高層ビルの前だった。黒塗りの車が停まっており、彼の秘書である山崎が後部座席のドアを開いて立っていた。見るうちに、土方が大勢の男たちに見送られながら、現れた。
思わず総司はふわふわと降下した。地上10メートルぐらいのところから、愛しい男をじっと見つめた。
今日は仕事なので、きっちり髪も整え、一分の隙もないスーツ姿だった。黒いコートの裾をひるがえし、足早に歩いてくる。何か言葉を男たちと交わしてから、土方は山崎に小さく頷いた。そのまま車に乗り込もうとした。
その瞬間だった。
「──」
突然、土方が顔をあげたのだ。
そして、まっすぐこちらを見上げてきた。空の上にいる総司の方だけを。
目が、あった……。
「……う、そ……っ」
総司は鋭く息を呑んだ。
驚いて硬直している総司に、土方もかるく目を見開いた。が、すぐ僅かに苦笑すると、すっと視線をはずした。それきり何もなかったように、車へ乗り込んでしまう。
すぐさま山崎が運転席側にまわり、ドアを閉めた。エンジン音もなく、静かに車は走り出してゆく。それを総司は呆然としたまま見送った。
どうして?
なぜ?
そんな疑問符ばかりが頭の中をぐるぐる回った。
翼のある天使になった自分の姿を見られるのは、天使か悪魔だけだ。
それ以外は見れないはずだった。
人間は絶対に見ることが出来ないのだ。
なのに──
「じゃあ、土方さんは……人間じゃない、の……?」
そう呟いた瞬間、さあっと血の気が引いた。
あまりにもショッキングな出来事に頭が重くなってくる。息さえとまりそうだった。
胸がどきどきして、何も考えたくなかった。
だが、考えるまでもなく、一つしか答えはなかった。
どう考えても、どんなに逃げ道を求めても、それでも答えは一つに限られていたのだ。
総司の初めて愛した男は。
天使の恋人は。
「……悪魔」
だった───。
結局、どこをどうやって帰ったのか。
気がつくと、総司は自分の部屋でぼーっと坐りこんでいた。
いったいどうすればいいのかもわからない。人間と交わり恋をした天使なら幾らでもいたが、悪魔が恋人など聞いたこともなかった。いや、罰せられることはないだろうが、それでも褒められたことでもないだろう。
だいたい、天使にとって悪魔は忌むべき存在なのだ。処刑するべき存在なのだ。
なのに、知らなかったとはいえ、その悪魔と抱きあい、恋し愛してしまった。
こんなこと、誰にも相談できるはずがなかった。伊東に云えば、すぐ処刑しろと云ってくるだろう。だが、そんな事が自分に出来るのか──絶対に無理だと思った。
「!」
突然、総司はびくっと躯を震わせた。
玄関の呼び鈴が鳴ったのだ。無視していると、躊躇いがちにだが、何度か鳴らされる。仕方なく総司は立ち上がり、玄関へ向かった。
「はい、どちらさま……」
扉を開けたとたん、絶句してしまった。
そこには今の今まで考えていた、彼──土方が立っていたのだ。
呆然としている総司を、困ったように眺めてくる。
「……入れてくれないのか」
そう問われ、総司ははっと我に返った。そう云えば、今夜、家にきてもらう約束をしていたのだ。
慌てて頷き、躯をずらすと、土方は安堵したような表情で中に入ってきた。靴を脱いで上がってから、持っていた重箱の包みを手渡した。
「ほら、おまえが食べたいと云っていた料亭の奴だ」
「……ありがとう」
総司は重箱の包みを受け取り、踵を返した。リビングへ入り、ローテーブルの上にそれを置いた。
お茶をわかし始めた総司をよそに、土方は部屋に入ってくるとコートとスーツの上着を脱いだ。それに慌てて手をさし出して受け取り、皺にならないようハンガーに掛けた。
食事は、奇妙なくらいなごやかに進んだ。
土方は今日あったことなどを、面白おかしく話してくれた。違ったと云えば、それを聞く総司がいつもより口数が少なかったことだった。
食事を終え、今日は泊まることになっていたので風呂を済ませると、土方は総司の手を引いて抱き寄せた。
思わず、びくんっと震えてしまう。
そう云えば、今日初めてふれられたのだと、総司は気がついた。いつもなら、逢ってすぐキスと抱擁を交わしていた二人なのに。
「……」
そっと見上げると、土方は静かな黒い瞳で総司を見つめていた。
総司は彼を見返し、小さく唇を噛んだ。つんと涙がこみ上げてくる。それに、土方が困惑したように眉を顰めた。
「……そんな顔しないでくれ」
囁き、優しく頬にキスされた。それに総司は目を閉じた。
「……だって……」
「総司……俺は、おまえにそんな顔されると辛い。おまえを泣かせたくないんだ……」
「でも、だって……あなたは……っ」
総司は土方の胸もとにぎゅっとしがみついた。そして、少しだけ息を吸い込むと、思いきって云った。
「今日……ぼくを見たのでしょう?」
「……」
「空にいるぼくを、あなたは見た。そうなんでしょう……?」
「……あぁ」
土方は静かに頷いた。総司の柔らかな髪を撫でながら、答えた。
「俺は確かにおまえを見た。おまえはビル三階ぐらいの高さのところにいた。おまえの背中には……白い翼があって、とても綺麗だった……」
「……」
総司は固く目を閉じた。
やっぱり、そうなのだ。この人は天使であるぼくを見たのだ。
気のせいなんかじゃなかったのだ。
「……天使の姿になったぼくを、人間は見ることができません」
「……」
「天使を見れるのは、同じ天使と、天使の宿敵である悪魔だけ……」
「……」
「あなたは天使じゃないですよね」
総司の問いかけに、土方は僅かに苦笑した。
「あぁ……」
「なら……あなたは、悪魔……?」
「……」
それに答えは返らなかった。だが、この場合、沈黙こそが答えなのだ。
総司は思わず土方の胸に顔をうずめてしまった。涙がこみあげ、ぽろぽろと頬を零れ落ちた。どうすればいいのか、もうわからなかった。
そんな総司を、土方は優しく抱きすくめた。
「総司……総司、すまない……泣かないでくれ……」
「……土方…さん……」
「愛してるんだ。おまえを苦しめたい訳じゃないんだ……」
「だって、こんな事って……っ」
総司は泣きながら云いつのった。
「あなたは悪魔なのでしょう? ぼくたち天使の務めは、悪魔を処刑することなんですよ。なのに、ぼくはその悪魔と恋をして、愛してしまったんだ。こんな事って、聞いたこともない……!」
「後悔してるのか?」
そう訊ねた土方を、総司は涙をいっぱいためた瞳で見あげた。すぐに激しく首をふると、また男の胸もとに顔をうずめた。広い背中に手をまわして、ぎゅっと縋りつく。
「後悔なんか……絶対しない」
「なら、俺を処刑するのか?」
「そんなこと、できるはずがない」
「だが、おまえは天使だ。俺を処刑するのが務めなんだろう……?」
「全部の悪魔を処刑する訳じゃないんです」
そう答えてから、総司ははっとしたように顔をあげた。
そうだ。
どうして、この人が悪魔だと気づかなかったのか。それは、彼の魔力が弱かったからなのだ。だから、人間だと思いこんでいたのだ。
「……土方さん、魔力ある?」
そう訊ねられ、土方は僅かに小首をかしげた。
「さぁ。おまえが判断してくれ……できるだろう?」
「……」
総司は目を閉じ、土方のすべてを感じとろうとした。だが、悪の芽も魔の力も──ほんの僅かにしか感じなかった。彼は本当に弱い魔力しかもたない悪魔なのだ。
「……少ししか感じない」
そう云ってから、総司は思わず安堵の吐息をもらした。
そして、小首をかしげるようにして自分を見つめる土方を見上げ、説明した。
「天使が処刑するのは、強い魔力をもった悪魔だけなんです。弱い魔力しかもたない悪魔は人にも世界にも害を及ばなさないから、そのまま放置します。だから……ぼくがあなたを処刑する必要はない」
総司は少し躯を離すと、その黒い瞳をまっすぐ見つめた。
「でも、お願い。そのほんの少しの魔力でも使わないと約束して。あなたの内にある小さな悪を育てないで」
「総司……」
「ぼくはあなたを愛してる。もう……あなたを失ったら生きてゆけないくらい。だから、あなたを処刑なんかしたくないし、絶対にできないんです。ずっと、こうしてあなたの傍にいたいし、愛して愛されていたいと願っているから……」
「……わかった」
土方は静かに頷いた。
総司の頬を手のひらで優しく撫でると、まだ濡れていた涙を唇でぬぐった。甘えるように長い睫毛を瞬かせた少年に微笑み、耳もとでそっと囁いた。
「……愛してる」
「うん、ぼくも……愛してる」
……そう。
あなたが人間でも悪魔でも。
それでも、あなただけを愛してる。
ぼくはもう、世界中の誰よりも、あなただけを愛してしまったのだから。
あなたを失うことなど、考えられないくらい……。
総司は土方の首を両腕でかき抱くと、自分から激しく口づけた。深く唇を重ね、舌を甘く柔らかく吸いあう。
とろけるようなキス。躯の芯まで痺れてしまいそうな──
「……あっ」
不意に、土方の腕が総司の躯を抱き上げた。それに慌ててしがみつく。
土方は甘いキスを何度も落としながら、寝室へとはこんでくれた。まるで壊れ物を扱うように、ベッドへ下ろした。
「天使とのセックスか……何か背徳的だな」
くすっと笑った土方に、総司も微笑んだ。
柔らかく両手をのばし、艶かしく潤んだ瞳で男を誘った。
「……抱いて」
「あぁ……」
土方の声も欲望に掠れている。見上げると、その黒い瞳は獣のように濡れていた。それがたまらなくセクシーで、総司をぞくぞくさせた。
二人は何度も唇を重ね、互いを夢中で求めあい始めた。
背徳的なセックス。
だが、それは深い愛だけに満たされた夜だった。
まるで、甘い甘い蜂蜜のようにとろけあう、恋人たちの夜だった……。
朝の光が眩しかった。
土方は白いシーツにうもれてぐっすり眠る総司に微笑み、そっと頬に口づけた。
「……総司」
囁くが、まったく起きない。額や瞼、頬、あちこちにキスの雨を落としてゆくと、くすぐったかったのか、くすくす笑いだした。
「やっ…ん……もう……」
総司は目を開き、恋人を見上げた。
両手をのばして甘えると、すぐさまキスが降ってくる。唇を深く重ね、互いを甘く感じあった。素肌でふれあっているため、すぐさまその気になってしまう。
が、総司はそれを押さえた。
「だ…め。今日は、朝からお仕事でしょう? 遅刻しちゃいますよ」
「……面倒くさい」
「もう。期待の新鋭代議士が何を云ってるんです。ほら、早く起きて。そのかわり、おいしい朝ごはんを作ってあげますから」
総司は男の腕の中からするりと抜け出すと、ベッドの傍に降り立った。
てきぱきと衣服をつけてゆく少年を、土方は片肘をついた格好で眺めた。
「朝食、俺がつくろうか?」
「えっ……できるんですか」
「一人暮らししてるんだ。ある程度はできるさ」
「うーん、でも……」
総司はにっこり笑った。
「今日はぼくが作ってあげたい気分だから」
そう云ってから、かるく身をかがめた。ちゅっと音をたてて土方の頬に口づけ、可愛いらしく笑った。
「早く仕度すませてね?」
「あぁ」
頷いた土方に微笑み、総司はひらりと身をひるがえした。少年特有の身軽さで寝室から出てゆく。それを見送り、土方はゆっくりと身を起こした。
洗面所で身支度をすませると、寝室に戻ってスーツを身につけた。ネクタイを締めながら、鏡の中を覗きこむ。
「……」
ふと、その目が細められた。
鏡の中から、一人の男が見返していた。
黒髪に黒い瞳。
端正な顔だちに、微かな笑みをうかべた男。
天使を恋人にもつ、悪魔。だが、魔力が弱いからこそ、処刑されずに済んだ───
思わず、くすっと笑った。
(……処刑なんかされるはずがねぇけどな)
そんなこと、いくら大天使の力でもできるはずがないのだ。
悪魔だと気づかれなかったのは、魔力が弱いからではなかった。
むしろ──強いのだ。強大すぎるほどに。
だからこそ、魔力を完全に押さえ込み、人間としてふる舞うことができた。過去に何人かの天使にも逢ったことがあるが、皆誰も気づかなかった。
(俺に気づいたのは、総司が初めてだな。もちろん、違う形でだが。しかし……よりによって、この俺を魔力の弱い悪魔だとは)
土方は静かに、鏡の中の己を見つめた。
冷ややかに澄んだ黒い瞳が見返した。
世界中の誰よりも、残酷で、邪悪な。
そして。
冷たく美しい魔王の瞳が──
「……」
土方は静かに視線を落とし、ネクタイを締めた。カフスボタンを止めながら、ふとある事を考え、僅かに唇の端をつりあげた。
もし、すべてが総司にばれたら、どうなるのだろう?
この俺が魔王だと知ったら……。
涙をこぼすだろうか、怒るだろうか。
優しげな姿形ながら気の強いあの天使のことだ、泣きながら罵られそうな気がした。
だが、それでも──
(俺は……総司を放さない)
泣いて嫌がるあいつを浚って、この世の果てまでも逃げてやる。総司のためなら、何を失ってもかまわなかった。
それが総司を堕天使に貶める行為であっても、この恋が俺自身を破滅に陥れるものであっても。
もう──愛さずにはいられないから。
たとえ、この愛のために天上と再び対峙し、世界を滅ぼす事になったとしても、それでも俺は総司を愛しつづける。
甘く優しく、残酷に。
総司だけを貪り、愛してゆく。
いつまでも永遠に───
「……土方さん?」
不意に声がかけられた。
ふり返ると、総司が戸口から覗いていた。かるく小首をかしげている。
「どうしたんですか? もう朝食の用意が出来たんだけど……」
「あぁ、悪かった。すぐ行く」
土方は優しく微笑んだ。それに総司が寝室へ入ってきて、うっとりした瞳で見上げた。
「? どうした?」
「うん……だい好きだと思って」
「あぁ」
土方はくすっと笑い、総司の耳柔にしなやかな指さきでふれた。
「やっぱり……遅刻しようか?」
「だめ。云ったでしょう? あなたの迷惑にはなりたくないって」
「俺も云っただろ? おまえは俺の幸せだと」
彼の言葉に頬を紅潮させ、総司は男の体へ抱きついた。両手を彼の広い背中にまわし、ぎゅっとしがみつく。甘えるように、男のワイシャツに頬をすり寄せた。
その可愛い恋人を見下ろし、土方は僅かに目を細めた。
……そう。
総司は、自分のすべてなのだ。
魔王である己が溺れるほど虜にされてしまった、最愛の恋人。
それを誰にも奪われたくなかった。誰にも邪魔されたくなかった。
失うことなど耐えられるはずもない。
そのためなら、何でもできると思った。
魔力を押し殺すことも、この可愛い天使を欺きつづけることも──
「総司……愛してる」
そう囁き、土方は総司の白い手をとった。
そして。
恭しく──まるで、誓いの儀式のように口づけたのだった。
永遠の忠誠を誓うかのごとく。
愛を想いをこめて。
このいとおしい天使に。
その瞬間、すべてを捧げた。
──そして
魔王は、天使に恋をした
まるで……そう
甘くとろける蜂蜜のように──……
[あとがき]
という訳で、初のファンタジーものを送り致しました。優美さまからのリクにはちゃんと、「魔王歳三と大天使総司の恋」とあったのですが、それを書くとネタバレになるので、扉ではあぁいう形にしました。
魔王なので、逆にすごくストイックで硬派な男という設定にしました。本質はもちろん、ブラック土方さん♪ すごく残酷で邪悪な魔王さまです。でも、総司の事は心底愛しちゃってますから、すっごく優しいんですよー。大天使にめろめろな魔王ってのがいいなぁと。
それで、あのう、これ、またシリーズ化しそうです。読みきりタイプで、単発的に。もちろん、優美さまのご了承が頂ければですが。優美さま、いかがでしょう?
これは絶対はっぴーな話なので、いくら土方さんが総司の知らないところで冷酷非道な魔王してても、基本的に激甘です。この土方さんは絶対、総司を傷つけません。ま、大天使伊東さんと魔王土方さんの対決なんかも、面白そうですけど。いろいろ、妄想がひろがってゆく〜。
天使のお話って他ジャンルでもよくありますよね。でも、だからこそ、よくある天使の恋愛話にしたくありませんでした。天使も様々な葛藤や苦しみがあるはずだと。悪は誘惑的なのだと。戦争と悪魔の繋がり、世界の闇、でも、だからこそ誰かを愛する力は強いのだと。
私はお話を書く時、必ず一つの世界を構築するクセがあります。このお話も様々な枝話があり、そこからまた色んな光景が広がっています。その一部でも、いつか皆様にお見せする事ができれば、はっぴーです。
このお話で、リクして下さった優美さまはもちろん、読んで下さった皆様が、少しでも楽しんで頂ければ嬉しいです。私自身は、めちゃくちゃ楽しく書かせて頂きました。
それから、私の怪我でこのお話のupが一週間遅れましたこと、この場をかりてお詫び申しあげます。楽しみにして下さってた優美さまにも、皆様にも、本当に申し訳ないことをしたと思っています。もっとよく気をつけますね。
優美さま、素敵なキリリク、本当にありがとうございました♪
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