しっとり濡れた花びら
そんなおまえが愛しくてたまらない
優しくて綺麗で可愛らしく
まるでクリーム色の薔薇のよう

いとしいおまえは
俺の可愛いButter Scotch










「……え」
 総司はちょっと息を呑んだ。
 驚いた表情で、傍らの伊東を見上げた。
 いつもの東京タワーの夜だ。煌く美しいイルミネーションを眺めながら、だが、伊東の表情はいつになく厳しかった。
「消され、た……?」
 そう訊ねた総司に、伊東は頷いた。両腕を組み、タワーの柱に寄りかかった。彼の背中にある大きな翼が、東京タワーのレッドの光を遮り、影をつくった。
 その足元で梁に腰かけている総司に、静かな声で言葉をつづけた。
「そう。昨夜の事だったらしい。天使が二人、消されました」
「消されたって……悪魔にですか?」
「としか考えられないでしょう。それもかなり強い魔力をもった悪魔にです。でなければ、あんな一瞬で消すなど出来るはずもない」
「強い力をもった悪魔……」
 思わず、総司は小さく呟いた。
 そのとたん、脳裏にうかんだ一人の男の姿に、ぎゅっと両手を握りしめた。
 まさか、そんな事あるはずがない。
 だって、あの人は本当に力の弱い悪魔なのだから……。
「まぁ、だいたい目星はつきますがね」
 伊東はため息をつき、鳶色の瞳に怜悧な光をうかべた。
「おそらく、魔王に一番近しい悪魔……強大な力をもった悪魔がいると聞いてますから。それとも、もしかすると、魔王自身が……いや、そんな事はありえない。あの魔王が復活したなど、私は聞いてないのだから……」 
 もう──百年以上も前のことだった。
 魔王は眠りについたのだ。大天使伊東の焔の剣に負わされた傷を癒すために。
 だが、だからこそ、その復活は恐れられていた。
 傷を癒し、それを克服し復活したとなれば、魔王はより強い魔力をえた事になるのだ。己の中に刻まれた大天使の傷を力と変えて取りこみ、己の邪悪な魔力をより強大につくりあげる。そんな恐ろしいことが出来るからこそ、彼は魔王だった。
 しかも、人として誕生し復活したのなら、尚更悪い。
 生まれながらの魔王となった彼は、以前伊東が戦った時とは比べ物にならぬほど強大な力をえているはずだった。
「伊東さんは昔、魔王と逢ってるのですよね?」
 総司はかるく小首をかしげ、訊ねた。
「どんな姿をしてるのですか? やはり、邪悪そのものの姿を?」
「いや……」
 伊東は苦笑した。
「信じられないかもしれないが、彼はとても美しかった」
「美しい? 魔王が?」
「初めて逢った時、彼は綺麗な顔で優しげに微笑みかけてきたのです。むろん、その黒い瞳は冷たく澄みわたり、私をじっと見つめていましたが。しかし、あんな綺麗な笑顔を、私は他に見たことがない……あぁ、もちろん」
 伊東はくすっと笑い、片手をさしのべた。総司のなめらかな頬を手のひらで包みこんだ。
「きみは別としての話ですがね」
「つまり、天使みたいに綺麗だという事ですか。悪魔が……魔王が」
「魔王だからこそですよ」
 伊東は鳶色の瞳を翳らせ、低く呟いた。
「この世の誰よりも冷たく残酷に邪悪だからこそ、美しい」
「……」
「それが……魔王なのです」
 

 

 


 翌朝だった。
 ジリジリ鳴る目覚まし時計の音に、総司は目を覚ました。
「……うーん……」
 もぞもぞと手をのばし、それを消そうとする。ようやく探りあてた時計を掴むと、ぱちっと音をたてて消してしまった。
 ねぼけまなこのまま、また羽根布団の中へもぐりこんでしまう。
 とたん、くすっと笑う声が響いた。
「それじゃ、目覚ましかける意味がないな」
(……え?)
「やれやれ、お寝坊さん? 今日は朝から一緒に出かける約束だろう?」
「……土方さん!」
 驚き、総司はがばっと起き上がった。
 それに、ベッドの傍らで跪き、頬杖をつくようにして総司を見ていた男がにっこり笑った。
「おはよう」
 そういい様、総司の手をとって、指さきに軽くキスしてくる。それから、手のひらに、最後に手の甲に。
 それを呆然と見ていた総司は、ようやく疑問を口に出した。
「どうして、ここに……いったい、いつから?」
「30分ほど前だ。おまえの可愛い寝顔を見てると、あっという間だったが」
 くすくす笑いながら云う土方に、総司はため息をつきたくなった。
 30分も前からいたなら、起こしてくれたら良かったのに。
「でも、どうして。待ち合わせは10時にあの噴水前で……」
 そう云いかけた総司に、土方は黙ったまま腕時計をしめしてみせた。それを総司はぼんやりと眺めていたが、不意に大きく目を見開いた。
「え……えぇっ!?」
「おまえの時計、狂うにしても狂いすぎだな。3時間遅れとは……」
「電池が切れてたの? ええっ、そんな、11時って……!」
「だから、お寝坊さんと云ったのさ」
 そう云いながら土方は身を乗り出すと、総司のなめらかな頬にキスした。
「ご、ごめんなさい。あなたを待たせるなんて……っ」
「いいさ。それより今日はおまえの誕生日だ。早く仕度して出かけよう」
「あ、は……はい!」
 慌てて総司はベッドを飛び出すと、洗面所に駆け込んでいった。
 それを楽しそうに見送った土方はベッドに腰を下ろすと、天使のぬくもりが残ったシーツを指さきでふれ、低く笑ったのだった。
 


 

 

「ブランチになってしまったな」
 そう云いながら土方が総司をつれていったのは、ホテルのフレンチレストランだった。
 瀟洒な造りの室内は美しく、だが、昼時からか、さほど堅苦しい感じはなかった。皆、楽しそうに歓談しながら食事をしている。
 二人が案内されたのは、奥まった窓際の席だった。
 広々とした青空が広がり、どこまでも東京の街が見渡せる。
「さぁ、何でも好きなものをどうぞ」
 そう云った土方に、総司はちょっと唇を尖らせた。
「好きなものをと云われても、こんな所じゃよくわかりません」
「じゃあ、俺が適当にオーダーしよう。いいね?」
「はい」
 こくりと頷いた。
 何しろ、彼にまかせておけば安心なのだ。土方は総司の好みを完璧に熟知していたし、いつも丁寧に優しくエスコートしてくれる。それはとても心地よいことだが、一方でたまらなく総司を不安にさせた。
 こんな大人の男である彼が、自分を恋人とし、優しくしてくれる。
 どんな我儘でも受け止め、優しく身も心もとろけそうなほど甘えさせてくれる。
 だが、本当にそれでいいのだろうか。
 ぼくはこんなにも甘えてしまっていいのだろうか。
 この人の隣にいるべきなのは、もっと……
「ストップ」
 低い声で不意に云われ、総司はびくんっと肩を揺らした。
 慌てて顔をあげると、土方は苦笑しながら総司を見つめていた。
「な…に……?」
「おまえ、また何か考えていただろう。それをストップして欲しいと云ったんだ」
「何かって……」
「総司、俺は」
 そっと手をのばし、土方はしなやかな指さきで総司の頬にふれた。濡れたような黒い瞳が優しく見つめる。
「おまえだけを愛してる。おまえしか望まない」
「土方さん……」
「それをちゃんとわかって欲しいんだ。おまえが生まれてくれたこの日を、俺がどれだけ嬉しく思っているか」
「でも……」
 総司はちょっと視線をさまよわせた。
 ちらりと周囲をうかがってから、声をひそめた。
「ぼく、天使ですから。天使にお誕生日なんて本当はないんですけど」
「だが、生まれた日はあるだろう」
「もちろん。でも、こういうの祝ったことなくて」
「じゃあ、尚更嬉しいな」
 土方はにっこりと笑った。言葉どおり、彼の声も弾んでいる。
「この俺はおまえの誕生日を祝う、初めての男だという事だ。本当に嬉しいよ」
 そう云いざま、土方はまた手をのばした。総司の手首を掴んで引き寄せると、しなやかな指さきで手首の裏側をつ…っと撫であげた。
「!」
 慌てて総司は掴まれてない方の手で唇をおさえた。甘い痺れが走り、声が出そうになったのだ。
 が、それに構わず土方はいっそ恭しいと云ってもよい仕草で総司の手をもちあげ、その白い手首に唇を押しあてた。甘いキスを落としてから、ちらりと総司を見上げてみせる。
 濡れたような黒い瞳が艶めき、その形のよい唇に悪戯っぽく──だが魅力的な笑みをうかべた。
 その視線、笑みに、ぞくりとするほど惹きつけられる。
「ひ、土方さん……っ」
 総司は慌てて手をもぎ放し、テーブルの下に隠した。耳柔まで真っ赤になってしまっている。
 それに、土方は楽しそうにくすくす笑った。が、オードブルを手にしたボーイが近寄ってくるのに気づくと、表情をあらためた。ナフキンをとるよう優しい声で促してくる。総司はちょっとだけ土方を睨んでから、上質の白いナフキンをひろげた。
 食事はとてもおいしく、楽しかった。
 土方はちゃんと誕生日ケーキまで用意してくれ、そのことに総司は頬を紅潮させた。
 嬉しくて嬉しくてたまらない。
 こんなふうに祝ってもらったことなどなかった総司は、うっとりとなってしまった。それに、恋人と過ごす誕生日は幸せそのものだ。
 ベリーでいっぱいの誕生日ケーキを切り分けてもらい、それを頬ばりながら、総司は幸せそうに笑った。
 土方も珈琲を飲みながら、優しく微笑み返してくれた。それだけで、ふわっと体中があたたかくなる。
 幸せな幸せな誕生日。
「……総司」
 静かな声で呼びかけられ、総司は顔をあげた。
「はい?」
「この後なんだが……どこか行きたい所はあるか?」
 カップをソーサーに戻しながら、土方は訊ねた。
 それに、ちょっと総司は小首をかしげた。大きな瞳が訊ねるように目の前の男を見つめた。
「行きたい所……?」
「おまえの誕生日だ。どこでも連れていってあげるよ」
「うーん、じゃあね」
 総司は可愛らしく笑った。
「あなたが一番大切にしてる場所に、つれていって」
「俺が一番大切にしてる場所?」
 そう聞き返し、土方はちょっと考え込むような表情になった。それから、小さく苦笑した。
「つまらないかもしれない」
「土方さんが一番大切にしてる場所でしょう? 絶対そんな事ありません」
「わかったよ。じゃあ、一緒に行こう」
「はい」
 こくりと頷いた総司に、土方は優しく微笑んだ。
 

 




 それから一時間後だった。
 静寂の場所に、二人はいた。
「……確かに」
 ゆっくりとした口調で、土方は云った。
「あの遺産などとくらべれば何てことない建物なのだろう。だが、俺にとっては何よりも美しく見えるんだ」
「……」
 総司は黙ったまま彼に寄り添い、見上げた。
 二人の前には、荘厳な美しい教会内部の光景が広がっていた。
 嵌め込まれたステンドガラスから鮮やかな光が射し込んでくる。それが中央の祭壇にまるで祝福のように降り注ぎ、きらきらと輝いた。
 他に人の姿はない。本当なら、そんな簡単に入れる場所ではないのだ。
 だが、先ほど、土方はここの神父自身に話して扉を開けてもらった。だからこそ、二人はこの場に佇んでいるのだが───
「でも……どうして許可されたのですか?」
 総司は不思議そうに訊ねた。
「たくさんの寄付でもしてるの?」
「むろん、それもあるが、俺はここで洗礼を受けているんだ」
「……え?」
 総司は大きく目を見開いた。
「洗礼って……悪魔であるあなたが……?」
「悪魔でも洗礼を受ける事はあるさ。第一、俺の意思など関係ない。うちの一族は皆、敬虔なカトリック信者なんだ。それに……」
 土方は肩をすくめた。優雅なまでの仕草で、すっと祭壇の主へ手をさしのべた。
「ここにあるのは、真実の神ではないだろう。これは人がつくり出した神だ」
「そうですけど……」
「天使があの絵のようでないのと同様、神もまた然りじゃないのか。そう……悪魔であっても」
 そう云った土方は一瞬だけ皮肉な笑みをうかべたが、天使の絵に目をやっていた総司は何も気づかなかった。
「確かに、あなたの云うとおりですね」
 総司は可愛らしい子供の天使の絵を眺めながら、呟いた。
「本当に、現実は違う。天使はあの絵のようじゃない」
「そうさ」
 土方は手をのばし、総司の細い腰に腕をまわした。さらうように引き寄せると、腕の中に抱きすくめる。
「真実の、ここにいる天使は……もっと綺麗だ」
「土方さん……」
「もっと綺麗で可愛くて優しくて、悪魔である俺を愛してくれる」
「うん……」
 こくりと頷き、総司は両手をのばした。男の胸もとに身を擦りよせ、口づけをねだった。
「だい好き……愛してます」
「愛してるよ、総司」
 とろけるように優しい声で囁き、土方はそっと唇を重ねた。
 舌をさしいれられ、甘く柔らかく絡められる。少年の手が男のスーツの襟もとを握りしめた。
「ぁ…ん、んぅ…ふっ……」
 甘い濃厚なキスに、身も心もとろけてしまいそうになる。
 総司はうっとりと目を閉じ、その熱いキスにすべてをゆだねた。男の指さきが項から髪へ柔らかくさし入れられ、さらさらとかき乱された。それがまた心地よい。
 最後に、頬を両手のひらで包みこまれ、額に瞼に頬に、そして唇にキスを落とされた。
「……総司」
 甘いキスの後、土方はかるく小首をかしげた。
 そっと総司の顔を覗きこんでくる。
「受け取って欲しいものがあるんだ」
「え……?」
「誕生日プレゼント。おまえが気にいってくれたら、嬉しいが」
 そう云いながら、土方はスーツのポケットから小さな箱を取り出した。総司の手をとり、そっとそれをのせる。
 思わず見上げた総司に、微笑んだ。
「開けてごらん?」
「はい」
 総司は綺麗に包装された紙を丁寧にはがし、箱を取り出した。フタを開けると、美しい装飾が施されたジュエルボックスがある。ぱちんと音をたてて開いた総司は、思わず息を呑んだ。
「……これ……!」
「気にいって貰えたか? いろいろ考えはしたんだが……」
「だって、これ……」
「指輪だ。できるだけシンプルなものにした」
 そう云うと、土方は箱から指輪を取り出した。純プラチナの綺麗な指輪だ。全体に細く瀟洒な造りで、真ん中に小さなダイヤが嵌めこまれてある。
 柔らかく総司の左手を取り上げ、その薬指に指輪をはめた。
 満足そうに目を細めた。
「……よく似合っている」
「土方さん……」
 戸惑いがちに彼の名を呼んだ総司に、土方は微笑んだ。
 バージンロードの上、そっと少年の手をとった。
「……この指輪に誓おう」
 土方は身をかがめ、総司の指さきに、指輪に、そっとキスした。
 彼の優しい唇が指さきにふれる。
「俺はおまえだけを愛している。今までも、そして、これからも……」
「……」
「俺の愛は未来永劫、おまえだけのものだ」
「……土方…さん……」
 総司の声が掠れた。
 大きな瞳が潤み、小さく嗚咽をあげる。
 そのまま不意に両手をのばすと、土方の躯へ抱きついた。その胸もとに顔を擦りよせ、幼い子供のように泣きじゃくる。
 嬉しくて嬉しくてたまらなかった……。
 こんなにも幸せだと思ったこと、今までなかった。
 その気持ちをあらわす言葉を、総司は知らなかった。だからこそ、ただ彼に抱きつき、泣いた。
 どれだけ、愛されているのだろう。
 どれだけ、愛しているのだろう。
 この人を、この男を。
 いつでも自分の心を真っ直ぐ見つめ、その甘えも弱さも受けとめてくれる優しい恋人。
 だい好きなだい好きな──
「土方さん……愛してる……」
 ぽろぽろ涙をこぼしながらそう告げた総司に、土方は微笑んだ。
 そして。
 少年の体を抱きしめると、その耳もとに優しく囁いたのだった。
「Happy Birth Day. おまえが生まれてくれたこの日に……心からの感謝を」


 

 

 
 教会を出ようとした時だった。
 土方のスーツの胸ポケットで軽い電子音が鳴った。
「……すまない」
 そう云って電話に出た土方は僅かに眉を顰めた。
 たぶん、仕事の関係なのだろう。
 不安そうに見上げた総司に、土方は電話口を押さえながら云った。
「悪いが、ちょっと長引きそうだ」
「あ、じゃあ……」
「この窓から公園が見えるだろう? あそこに薔薇園があって、今の時期なら満開のはずだ。どのみち後で寄るつもりだったから、先に行っててくれないか」
「はい」
 総司は素直に頷くと、踵を返した。とたん、少年の着ている白いシャツの裾がふわりとひるがえった。それが天使の翼のようで、一瞬、土方は目を細めた。
 が、総司が教会から出てゆくと、すぐに表情は変わった。
 静かに切った携帯電話を胸もとに仕舞いながら、低い声で呼びかけた。
「……もういいぞ、斉藤」
 その声に、ゆらっと教会の片隅の闇が揺らめいた。やがて、そこに一人の若者の姿が現れた。
「……悪趣味ですね」
 斉藤はジーンズのポケットに手をいれながら、揶揄するような口調で云った。祭壇前で静かに佇む土方へ、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「よりにもよって教会とは」
「……」
「神の前で、魔王と天使が逢引ですか」
 土方は冷たく澄んだ黒い瞳で、斉藤を見据えた。傲然とした口調で問いかけた。
「そんな事を云うために、おまえはわざわざ来たのか」
「いえ」
 斉藤は僅かに表情を引き締めた。
 じっと鳶色の瞳で土方を見つめ、静かな声で云った。
「先ほど、二人の悪魔が処刑されました」
「……」
 土方は無言のまま目を細めた。
 冷たく端正な横顔を見せ、祭壇の方へ視線をむけていた。ふと手をあげ、物憂げな仕草で黒髪をかきあげた。さらりと指の間を艶やかな黒髪が流れる。
 それに目をやりながら、斉藤は言葉をつづけた。
「もちろん、天使の手によってです。完全に抹殺されたらしく、彼らの残り香さえ存在してませんでした」
「そうか」
「処刑された悪魔は、松原と浅井です」
 その言葉に、初めて土方の表情が動いた。切れの長い目が底光りした。
「……松原が?」
「そうです。力の弱い浅井はともかく、松原ほどの悪魔を消せるとなると、おそらく相手は……」
「大天使だろうな」
 そう呟き、土方は視線をおとした。しばらく黙っていたが、やがて、低く笑った。
 形のよい唇が歪み、酷薄な笑みをうかべた。
「なるほど……あっちも本気を出したという訳だ。やるじゃねぇか」
「先日、天使を消したのがまずかったのでしょう。あれで、もし、あなたの復活を知られることになったら……」
「その時はその時だ。向かってくるなら、こちらも容赦はしない。あの伊東にきっちり借りを返してやるさ」
「そのことはオレも心配しませんが……」
 斉藤は僅かに躊躇った。
 ちらりとその視線を、窓ごしに見える公園へ向けた。
「問題は、あの大天使です。あなたの致命傷にならなければいいのですが」
「俺があの天使に処刑されるとでも?」
「違います。今のあなたを処刑できる天使など、いないでしょう。おれが不安に思うのはそうではなく……」
 云いかけ、斉藤はその先の言葉を呑み込んだ。
 不安なのは、彼の心の在りようだった。これほど、あの天使に心を許し、執着し、愛してしまっているのだ。
 斉藤は、不吉な影をそこに見ずにはいられなかった。
 悪魔と天使の戦いが本格的になった時、彼は心揺らがないでいられるのか。今のままの冷酷で残忍な魔王でいられるのか。
 突き詰めれば、すべてはある疑念に繋がるのだ。
 もしも、その選択を迫られた時。
 魔王である彼は躊躇いなく、愛する天使をその手で殺せるのか──?
「……斉藤」
 顔をあげると、土方が斉藤を見ていた。
 見返した斉藤に、どこか夢見るような瞳で微笑んでみせた。それはとても魔王とは思えぬ、綺麗な微笑みだった。その身の内に息づく邪悪さ冷酷さなど微塵も感じさせない。
 土方は手をのばし、しなやかな指さきで斉藤の肩にふれた。びりっとした魔力を感じた。
「何を心配しているのか知らねぇが、大丈夫だ。おまえたちが思い煩うことじゃない」
「……」
「とにかく、この対策は後で練ろう。今夜、例の場所に来い」
 そう云った土方を、斉藤はしばらく見つめていた。が、やがて僅かに嘆息し、目を伏せた。
「……わかりました」
 静かに斉藤は頷き、一歩後ろへさがった。そのまま、薄闇に溶け込むように消えてしまう。
 それを見送ることもなく、土方は静かに歩き出した。
 扉を両手で押し開き、外へ出ると、爽やかな風が彼の黒髪を吹き乱した。それに目を細め、指さきでかき上げた。
 神父に礼を云ってから公園へむかい、まっすぐ薔薇園へ入った。
 とたん、甘い濃厚な芳香が彼の躯を包みこむ。それを心地よく感じながら歩むと、すぐ傍から声をかけられた。
「土方さん……!」
 柔らかなベビーピンクの薔薇の茂みの傍から、総司が飛びついてくる。それを柔らかく抱きとめた。
「すまない、随分と待たせてしまって」
「ううん、いいんです。お仕事なんだもの」
 そう答え、総司は土方の腕にそっと手をからめた。まるで仔猫のように頬をすり寄せてくる。戸外では珍しい総司の甘えに、土方は思わず微笑んだ。
「やっぱり、淋しかったみたいだな」
「ちょっとだけ……でも、土方さんが来てくれたからもういいんです。あのね、あっちにすごく綺麗なクリーム色の薔薇があるんですよ」
「クリーム色の薔薇? あぁ……たぶん、Butter Scotchだな」
「名前はわからないけど。ね、見に行きませんか」
 可愛らしく笑い、総司は彼の腕を引いて誘った。「こっちですよ」と云いざま、うきうきした様子で歩きだしてゆく。もちろん、彼の腕に両手をからめたままだ。
 それに大人しく従いながら、土方は僅かに目を細めた。
 総司……。
 誰よりもいとおしい、俺だけの天使。
 おまえのためなら、何だってできる。
 そう、おまえを手離さないためなら。
 たとえ、それがおまえ自身を傷つけ、苦しめたとしても。
 愛しい総司。
 いつか、俺は斉藤の予感どおり、おまえのために破滅するのかもしれない。
 魔王たる俺が、天使のために身を滅ぼす。それもまた一興だろう。俺はおまえの剣で刺し貫かれ、処刑されるのか。
 だが……総司。
 それでも、俺はおまえを離さない。
 どんな地獄に、どんな修羅に堕とされたとしても、俺たちは一緒だ。
 すべての罪や裏切り、愛さえも超えた何処かで、この身も心も深く狂おしく繋がれているのだから。
 世界が終わりを告げる、その瞬間まで───
「……土方さん?」
 気がつくと、総司が不思議そうに彼を見上げていた。
 薔薇の前に来ても、黙ったままの彼を訝しく思ったのだろう。 
 それに、土方は優しく微笑んだ。
 そして。
 綺麗なクリーム色の薔薇が咲き誇る中。
 愛しい天使を抱きしめると、そっと甘くキスしたのだった……。


 





 
優しくて綺麗で可愛らしく
まるでクリーム色の薔薇のよう
愛しい愛しい俺だけの天使


だが、いつか
その甘く鋭い棘の剣は、俺にむけられるのか
この身を貫き、昏く冷たい死の翼で俺を抱くのか
あぁ……総司
それでも、俺はおまえを離さない
未来永劫
どんな地獄の涯までも


愛しい愛しい天使
おまえは
俺だけの可愛いButter Scotch……











[あとがき]
 Butter Scotchという薔薇はミルクティーのような色合いの蔓薔薇です。とても綺麗で結構手入れも簡単とか(いや、薔薇にしてはの意味)。私はこの何だかキャラメルみたいな名前も薔薇自体も好きで、今回使いました。総司というより、土方さんに似あいそうな気がするんですけど。だから、食べちゃうのかな?(笑)ところで、総司のもらった指輪はとーぜん斉藤さん作でしょう。そう思われません?


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