「……仕事、どうしたんです」
そう訊ねた斉藤に、黛は店の窓枠に腰かけたまま、すらりとした足を組みかえた。
くすくす笑いながら、斉藤を見やる。
「迷惑そうって顔ね」
「事実、迷惑ですから当然です。で、仕事は」
「もちろん、ちゃーんとやったわよ。ついでに、あちこちつまみ食いもしちゃったし?」
艶やかな長い黒髪をかき上げながら、黛は斉藤に艶然と笑いかけた。
それに、斉藤はため息をついた。
……成程、妙に機嫌がいい訳だ。
人からあちこち力を吸い取り、すっかりご満悦なのだろう。
生まれながらの悪魔である斉藤にすれば、人の力など不味くてとても我慢できるものではなかったが、黛はそうではない。逆に、魔王の土方などと躯を重ねようものなら、何もかも奪いとられてしまうに違いなかった。
彼の力は強大で、凄まじいのだから。
「……」
斉藤はふと主のことを想い、宝石を装飾していた手をとめた。
傍らに幾つか置いてある宝石の一つに、視線を落とした。
美しい黒曜石。
まるで、魔王の黒い瞳のようだった。
冷たく澄んだ、綺麗な瞳。
悪魔である自分は当然ながら、魔王に忠誠を誓っていた。あの強大な力に圧倒されたのこともある。
だが、自分は彼に魅入られたのだ。
初めて逢った時、そのしなやかな手をさし出しながら、優しく微笑んでみせた魔王に。
その綺麗な笑顔に。
深く澄んだ黒い瞳に、静かな声に。
魅入られてしまった。
むろん、それはとんでもない見せかけで、その後すぐ、やはり彼は、残酷で邪悪な魔王なのだと骨の髄まで思い知らされることになったのだが。
それでも、斉藤が土方の傍にいる理由は、彼が魔王であるだけではない。
その力に屈したゆえではないのだ……。
「……」
斉藤は小さく笑った。
それを傍らにいた黛が見逃すはずがなかった。その瞳が悪戯っぽくきらめいた。
「何がおかしいの?」
「いえ、別に」
「ふうん。斉藤って何を考えてるかよくわからなくて、あたし、好きじゃないわ」
「それはどうも」
「山崎の方が好きよ。まだわかり易いもの」
「わかり易くなくて、結構ですよ」
そう答え、斉藤は再び宝石に細工を施し始めた。
それを眺めながら、黛は「んんーっ」とのびをした。まるで黒猫がのびをするような仕草に、思わず笑いがこみ上げた。
「退屈そうですね。これでも手伝いますか?」
「まさか。あたしは宝石を身につける方が好きよ。この間のダイヤのブレスレット、ありがとうね。なかなか評判も良かったわ」
「あなたにつけて貰うと、いい宣伝になりますからね」
「嘘ばっかり。あたしなんかに頼らなくても、いくらでもいい顧客がいるじゃない。……例えば、あの人とか」
そう口にした時、黛の口調に僅かな畏怖と憧憬に似たものがにじんだ。
黛も一見するほど、単純ではないのだ。土方を心の底から恐れ敬い、そして、どこか恋に似た気持ちを抱いている。ただ、それは主に対するものの域を決して超えなかったが。
土方の方も、斉藤などから見ると、黛をまるでお気にいりのペットのように扱っていた。
その白い肌をしなやかな指さきで撫でてやり、時折、抱き寄せ、甘くキスを落として。
とびきり端正な容姿をもつ男である土方と、艶やかで美しい黛がそうして戯れているのを見るのは、なかなか目の保養になり楽しかった。
斉藤は美しいものだけを愛するのだ。だからこそ、この我儘でどうしようもない下級悪魔である黛も、決して突き離すことはできない。
パリコレにも出てるトップモデルの黛は、当然のことながら美しい。
綺麗に整った顔に、艶やかな笑み。すらりとした肢体は日本人離れしており、すれ違った男は十人中十人はふり返った。
それ程の美しい女をペットとして扱い、何とも思っていないのが土方なのだ。
他でもさんざん遊んではいるらしい。もっとも、不味くて仕方ないとあの形のよい眉を顰めていたが。清廉潔白が聞いて呆れると、斉藤はしみじみ思った。
(……まったく、あの人ほど外見と中身がかけ離れた人もいないよな)
そう肩をすくめた時だった。
ある気配が、ふわりと指さきをかすめた。それを敏感に感じ取り、斉藤は顔をあげた。
「……来る」
小さく呟いた斉藤を、黛が訝しげに見た。
「来るって何が」
「あの大天使がですよ。いや、先日、来て貰った時に見せたいものがあると云っておいたのですが」
「あら、大天使に斉藤もアプローチ?」
「そんなのじゃありませんよ」
そう云いながら斉藤は奥から一つの箱を取り出した。それを眺めながら、黛は瞳をきらめかせた。
「ねーえ?」
「はい」
「あたしもその子に会いたいわ」
「悪さをしないのなら」
「する訳ないでしょ。そんな恐ろしいこと出来るものですか。でもね、あの人が溺愛してる天使を見てみたいのよ」
「仕方ありませんね」
ため息をつき、斉藤は手をのばした。かるく黛の白い腕にふれてやる。ふわっと魔力の香りが漂ったが、すぐかき消された。
「人間のふりして下さいよ。せっかく、オレが魔力で隠してやったんですから」
「はぁい」
ふざけた口調で云いながら、黛はぱちんとウインクしてみせた。グラビア雑誌の表紙を飾る表情そのものだが、斉藤には何の効果もない。呆れたように、やれやれと首をふっただけだった。
「こんにちは」
そっと扉を押し開いて店に入った総司は、一瞬、戸惑った。
店のカウンターの前に斉藤がいるのは、いつもの光景だ。
が、大きなショーウインドウの際、磨き抜かれたマホガニーの窓枠に、美しい女が腰かけていたのだ。ゆらゆら長い黒髪を艶やかに波うたせ、じっとこちらを見つめている。
思わず息を呑むほど、美しく艶やかな女だった。
抜群のプロポーションをもち、独特のきらめく瞳がまるで美しい猫のような印象を与える。視線があうと、紅いルージュを塗った唇が僅かに微笑んだ。
「いらっしゃい」
そう云われ、総司は慌てて視線を斉藤に戻した。
もう何度も訪れているので、斉藤とは店の主と客という関係より、友人関係に近くなっている。同じように年若くして一軒の店をもつ者として親近感がわいたのか、総司も斉藤にかなり心を許していた。
「あの、こんにちは。突然おじゃましてすみません」
「そんな謝ることないって」
斉藤は小さく笑った。
「呼んだのはオレの方だから。ちょっと見せたいものがあったんだ」
そう云うと、斉藤はカウンターへ寄るよう云ってから、手元の箱を開けた。
総司はそれを覗きこみ、思わず小さく息を呑んだ。
「……綺麗……」
うっとり見つめた。
黒いビロードの上に、繊細で美しいアクセサリーが輝いていた。
プラチナと真珠をつかったブローチだ。
天使をモチーフにして作られたそのアクセサリーはロマンチックで美しく、総司の心を強く惹きつけた。
「これ、おまえに似合うと思って」
斉藤の言葉に、総司は「え?」と顔をあげた。
「ちょっとおまえをイメージして、作ってみたんだ。貰ってくれないか?」
「え……えぇっ!?」
総司は驚き、慌てて両手をふった。
「だ、駄目です! そんな、こんな高そうなもの……っ」
「試作品だから、値段のことは気にしないでいいって。どうせ、自分の趣味で作ったものだし」
そう云うと、斉藤はブローチを取り上げた。
カウンターごしに身を乗り出すと、総司の着ている麻のセーターにブローチをつけた。水色の生地の上、きらりと輝く。
「ほら、よく似合っているよ」
「え、でも……っ、ぼく……」
「じゃあさ」
斉藤は小首をかしげ、総司を覗きこんだ。
「また来年の、その恋人さんへの誕生日プレゼント、うちで買ってくれること。それを条件にしてもいいかな?」
「はい」
総司はこくりと頷いた。
じっとブローチに視線を落としてから顔をあげ、にっこり微笑んだ。
「ありがとう! 斉藤さん、大事にしますね」
それに、斉藤も嬉しそうに微笑んだ。
そんな二人に、傍らから声がかけられた。
「ふうん、斉藤の話どおりね」
「……え」
ふり返った総司に、あの美しい女が笑いかけた。
「すっごく可愛いわ。モデルでも今時これだけ可愛い子いないわよ」
「え、あの……もしかして、黛、さん?」
総司はテレビや雑誌で見たことのある女に、おずおずと問いかけた。
それに、黛は立ち上がると、総司の傍まで歩み寄ってきた。
やはりモデルだけあって、かなりの長身だ。ボディラインを強調するような黒のスーツがよく似合っていた。
「そう。あたしのこと知ってくれてるんだ、嬉しいわ」
黛はにっこり笑い、しなやかに手をのばした。
そっと総司のなめらかな頬にふれた。
「ふふっ、可愛いわねぇ。あたしもこんな子欲しいわ」
「黛さん」
叱咤するような斉藤の声に、黛は肩をすくめた。ちょっと唇を尖らせながら、言い返す。
「何よ、本当のこと云っただけじゃない」
「……」
うんざりした表情でため息をつく斉藤と、目の前に立ちうっとりしたように自分を見つめる黛に、総司はちょっと戸惑った。
が、ちらりと視界をかすめた時計に、はっと我に返った。
慌てて鞄から携帯電話を取り出した。
「す、すみませんっ。この近くにRホテルがあるはずなんですけど」
「あぁ、Rホテルならこの前の通りの突きあたりだけど、かなり距離あるよ」
「ありがとうございます! じゃあ、ぼくはこれで」
ぺこりと頭を下げると、総司は慌しく出ていった。待ち合わせに遅れちゃうーっと、かなり焦って駆け出してゆく。
それを斉藤は苦笑しながら見送った。
隣で黛がくすくす笑っている。
「ほんっと可愛い子ねぇ。あれで大天使なんて信じられないわ」
「だが、あの子に大勢の悪魔が処刑された事もお忘れなく」
「そうね。でも、あたし、あの子気にいったわ。可愛いものや美しいものは、だい好きよ」
悪戯っぽく笑うと、黛はさらりと黒髪を片手でかきあげた。
小さなバックを引き寄せながら、とんとんとハイヒールの履き心地を確かめる。
「じゃあね、あたしもそろそろ行くわ」
「気をつけて。また近いうちにお会いしましょう」
「近いうちにね」
黛は斉藤の頬にかるくキスすると、ひらりと身をひるがえした。黒髪を波うたせながら、店を出てゆく。
静まり返った店内で、斉藤はふうっとため息をついた。
先ほどやっていたアクセサリー製作のつづきをしようと、踵を返した。店の奥へと入ってゆく。
が、一歩足を踏み入れたとたん、鋭く息を呑んだ。
「!」
心臓を鷲掴みにされたような驚きに、斉藤は身を震わせた。
「ひ、土方さん……っ」
店の奥。
そこにいたのは、確かに土方だった。
奥に置かれてあるソファにゆったりと腰かけ、足を組んでいる。一分の隙もないスーツ姿で、僅かに目を伏せていた。男にしては長い睫毛が頬に翳りをおとし、その形のよい唇にうかべられた微笑が、ゾッとするほど冷ややかだった。。
静かに顔をあげると、斉藤をまっすぐ見つめた。
「……いったい……」
斉藤はごくりと喉を鳴らした。
「いったい、いつから此処に……?」
「さぁ、いつからだろうな」
くっくっと喉を鳴らして笑い、土方はソファの肘かけに頬杖をついた。
すっきり整えられた黒髪、きっちり着込んだスーツ。
だが、そのストイックな印象は、彼の黒い瞳が裏切っていた。
濡れたような黒い瞳がしっとりと潤み、男でもどきりとするような凄艶さだ。見つめていると、誰もが虜にされそうだった。
その綺麗に整った顔に微かな笑みをうかべ、土方は唄うように言葉をつづけた。
「いつからだと思う? この店に総司が来た時からか、それとも、ついさっきか?」
「……どちらにしろ、立ち聞きは悪趣味でしょう」
驚きからすぐさま立ち直り、斉藤は穏やかな口調で言い返した。それに肩をすくめてから、土方はふと視線を落とした。
いつのまにか手にした黒曜石をしなやかな指さきで弄りながら、低い声で呟いた。
「随分、総司と親しくなっているんだな」
「会ってもよいと許可をしたのは、あなたです」
「……まぁ、いい。会うことは許可したが、あれに手は出すなよ」
「そこまでオレが愚かだとでも?」
思わず聞き返した斉藤に、土方は何も答えなかった。その時、彼のスーツの胸ポケットで電子音が鳴ったのだ。
携帯電話を取り出すと、土方は相手の表示に僅かに微笑んだ。
冷たく澄んでいた瞳が、とろけるように優しくなる。
「……土方だ」
電話の相手は、総司のようだった。何か口早に云っているのが、斉藤のところにまで聞こえてくる。
恐らく待ち合わせに遅れると云っているのだろう。
土方は腕時計にちらりと視線を走らせた。
「いい、構わないから。俺も少し遅れそうだ……あぁ、じゃあ二十分後に」
優しい声で云うと、土方は携帯電話を切った。
それに斉藤は肩をすくめた。
「そりゃ遅れもしますよね。何しろ、あなたはこんな所にいるんですから」
「すぐ行けるさ」
そう云いざま、土方は黒曜石を斉藤へ無造作に投げてよこした。それに、斉藤はちょっと顔をしかめた。
「……これ触りすぎです。あなたの魔力が残照のように残ってしまっている」
「なら、おまえがつければいい。いいお守りにでもなるだろう」
「冗談じゃありませんよ、まったく……」
ため息をつく斉藤の前で、土方はしなやかに立ち上がった。ゆっくりとした足取りで店へと出てゆく。
それを追って行くと、土方は扉の前で足をとめていた。
ふと思い出したようにふり返り、その黒い瞳でまっすぐ斉藤を見つめた。
「斉藤」
「はい」
「この間のネクタイピン、なかなか良かった。だが、総司にはもう何も贈るな」
「……」
「あれにものを与えるのは、俺だけでいい」
そう傲慢な口調で云い捨てると、土方は静かに扉を押し開いた。そのままもうふり向きもせず、出ていってしまう。
それを見送り、斉藤は苦笑いをうかべた。
「魔王も、恋をすると一人の男だ」
が、それは不快なことではなかった。
斉藤が土方に惹かれたのは、決して魔王であるからではなかったのだから。
むろん、その強大な力に驚き、到底叶わぬと思った事も確かだったが、それよりも何よりも。
あの綺麗な笑顔に惹かれ、その激しい燃えるような気性に魅了されたからこそ、土方の前に跪いたのだ。
今まで誰にも屈しなかった、最強の悪魔である彼が。
「……まぁ、仕方ないか。大天使との恋に溺れる魔王というのも見物だ」
この先、土方が総司をどうする気なのか。
己が魔王であることを欺きつづけるのか。
総司を身も心も溺れこませ、罪深い堕天使にしてしまうのか。
それは全くわからないが。
だが、これだけは云える。
彼が総司を手放すことなど、決してありえないだろう。
どんな事があっても、たとえ世界を滅ぼすことになっても、土方は総司を愛しつづける。
魔王の恋は激しく、そして、永遠なのだ。
未来永劫、二人の恋はつづいてゆくのだ──……
「……ま、どちらにしても」
斉藤は肩をすくめた。
「あのブローチだけでも、大事に使ってくれるといいけどな」
全然こりてない表情でそう呟くと、斉藤は踵を返した。
そして、店の奥へ戻って行ったのだった。
悪魔たちの休息は、なかなかお忙しいようで……?
[あとがき]
このお話は、天使のモチーフのアイデアを下さったはるひさまと、モデル黛さんのアイデアを下さった最上さまに、捧げます。この黛さんは邪悪で我儘な悪魔ですが、土方さんが怖いし、可愛くて綺麗なものが大好きなので、総司には絶対手出ししません。斉藤さんは全然懲りてないし(笑)、なかなか魔王土方さんも大変です。この後の土方さんと総司のお話もまた書いてみたいなぁ。表面には出さず、その実めらめら嫉妬に燃えてる土方さんってのが萌えポイントですね(笑)。そう思われません?
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