「……では、始めましょうか」
そう云った島田に、総司は緊張した面持ちでこくりと頷いた。
二人が立っているのは、屋敷内にある広い台所だった。
もともと旧家の屋敷らしく、どこもかしこも日本家屋そのものの風情だが、水回りだけは現代ものが入れられていた。それも最新最高級のものをだ。
この台所も勿論の事で、立派なシステムキッチンが入れられてある。
壁際に据え付けられたシンクやコンロ。中央には大きな調理台があり、ステンレスがぴかぴか輝いていた。
それらを見つめ、総司は両手をぎゅーっと握りしめた。
今日は、島田に料理を教えて貰うのだ。土方家お抱え料理人である島田直々の、お料理教室である。
どうして、そんな事になったのか?
それは当然のことながら、、土方のためだった。
総司の愛する恋人であり、世間的には夫である男のためだ。
(……絶対、頑張るんだから!)
きゅっと綺麗な紐で艶やかな髪を結わえながら、総司は決意にめらめら燃え上がった。
切っ掛けは、花雪の里で見た他の新婚夫婦の姿だった。
とってもお天気のいい秋晴れの日。
青空の下、よく知っている新婚夫婦が草むらに坐り、二人でお弁当を食べていたのだ。それも、奥さんのお手製らしいお弁当を、夫がとても嬉しそうに食べていた。
とっても幸せそうだった。
羨ましくなるほど、新婚そのものの光景だった。
それらを眺めていた総司は、ふと考え込んだのだ。
自分は彼の妻という立場になっているが、それらしい事をした事があるのか、と。
あらためてよくよく考えてみるとかなりショックだったのだが、全然ない気がした。
むろん、頑張ろうとは思っているのだが、いろいろわからない事が多すぎるのだ。
それに、総司が使い方のわからない掃除機などと睨めっこしていると、たちまち山崎あたりが現れ、「総司さまはそういう事をされなくて宜しいのです!」などと、ささっと取り上げられてしまう。
そのため、総司にできるのは、せいぜい窓を拭くとか、彼の服を畳むとか、花を生けるぐらいだった。
だが、もっともっと妻らしい事をしたいのだ。三百年前に出来なかった事を、いろいろと愛する旦那さまにしてあげたかった。
で、手始めに料理だと思いついたのだ。
何が何でも、お弁当をつくり、二人で外で食べよう!と強く決意した。
(絶対、私の手製お弁当を、歳三さんに食べて貰うんだから!)
総司は着物の袂を襷がけにし、割烹着姿も初々しい新妻姿で、めちゃくちゃ張り切っていた。
だが、人生、何事も熱意だけで成功できる訳ではない。
また、何事にも才能と必要という事は、容赦ない現実なのだ。
その事を、島田と総司がしみじみ思い知らされるのは、数十分後の事だった……。
「わああーっ、いけませんッ!」
島田が絶叫した。
が、もう時既に遅し。
総司は悪戦苦闘の末に切ったイカを、皮もはがさぬまま、えーいっ!と全部、油に放り込んだ処だった。
え?とふり返った次の瞬間、バチバチーッ!ともの凄い音が響き、油が四方八方に飛び散った。
「きゃああっ」
悲鳴をあげてうずくまった総司を、それでも踏まぬよう気をつけ、島田は必死になってガスコンロのスイッチを切り、天ぷら鍋に適当な蓋をした。
とりあえず、バチバチ音は鳴ってるが、油の悲惨──いやいや飛散はおさまった。
はぁはぁ肩で息をしながら、島田は総司を見下ろした。
そおっとコンロから離れたところへ連れてゆき、その綺麗な顔を覗き込んで訊ねた。
「お怪我はありませんか?」
「だ、大丈夫です……」
「それは良かった」
ほっと息をついてから、島田はちょっと躊躇いつつ云った。
「ですが……その、もうやめになさいませんか」
「……でも……」
「総司さまに火傷などさせたら、私がご当主に殺されます」
「…………う、ごめんなさい」
あながち冗談とも云えぬ島田の言葉に、総司はしゅんと俯いてしまった。
その二人の周囲には、ものの見事に無惨なキッチンの光景が広がっていた。
あちこちに飛び散ったソースや汁。
ほとんど牛蒡程度に細くなってしまった、じゃがいもや里芋の姿。
骨やうろこをとって下ろしたが最後、雀の涙程度の欠片になってしまった鯖、などなど───
「……島田さんにはご迷惑だとわかってるんですけど……」
総司は細い指さきを組みあわせた。
うっすらと項から頬を桜色に染めながら、潤んだ瞳で島田を見上げる。
男なら誰でもころりと落とされてしまいそうなほど、艶めかしく可憐な表情だった。
「私、どうしても歳三さんにお弁当をつくってあげたくて……」
「……」
「だめ……ですか? もう教えてもらえない……?」
それに、島田は天井を見上げた。
はあっとため息をつき、苦笑をうかべた。
「仕方ありません。ご当主のためですからね、それに……その、総司さまの熱意には負けましたよ」
「じゃあ……!」
ぱっと顔を輝かせた総司を、島田はちょっと眩しそうに見つめた。
「あと少しだけ頑張ってみましょう」
「島田さん、ありがとう!」
思わず両手をのばし、総司は島田にぎゅーっと抱きついた。まるで大きな熊に兎が抱きついてるような、ほのぼのとした光景だ。
甘い匂いと柔らかな感触に、まずいなぁと思いつつ、島田は少しだけときめいてしまった。
総司のためならキッチンの一つや二つ破壊されても、まぁ仕方がないだろう……なーんてことまで考えてしまう。
「じゃ、つづきしますか」
「はい!」
にこにこ笑う総司に、島田は冷蔵庫を開けてみせた。
「ここに卵が入ってますから、ゆで卵を作ってください。私は電子レンジでじゃが芋の下ごしらえをしますから、その間にコンロで」
「……卵……電子レンジ……コンロ」
ぶつぶつと、総司は呟いた。
しばらく、じーっと考え込んでいたが、やがてパッと顔をあげた。
にっこり可愛い笑顔で、島田を見上げる。
「わかりました! やってみますね」
そう云うと、いそいそと卵を冷蔵庫から取り出した。そぉっと一つ二つと、料理台の上に置いている。
それを見てから、島田はじゃが芋を剥きはじめた。何しろ、先ほど総司が剥いたものではあまりにも小さくなりすぎて食べるところがほとんどなかったのだ。
一つめ二つめを剥いた辺りで、島田は、背後である音を聞いた。
──パタン。
ピッ、ピッ、ピッ。
(……え?)
ウィーンという音に、恐ろしくも怪しい胸騒ぎを覚えながら、島田はゆっくりとふり返った。
とたん、愕然となった。
何故か、電子レンジの前に立っている総司。
ぐるぐる回ってる庫内を、じーっと大きな瞳で覗き込んでいる。
「ま、まさか……っ」
「え?」
総司が不思議そうにふり返った。
口をぱくぱくさせてる島田に、可愛らしく小首をかしげた。
「何ですか?」
「な、何って、卵……」
「はい。電子レンジでゆで卵にしようと思って……」
「な、何ですって──ッ!?」
またまた、島田は絶叫した。
その瞬間だった。
今度こそ、もの凄い轟音がキッチンどころか、屋敷中に響きわたった。
後日、山崎が語ったところによると、裏山が土砂崩れを起こしたか!?と思ったとか何とか。
いやはや、とにかくもの凄い音だった。
庫内で熱された卵が、爆発したのだ。
電子レンジが錯覚でなく、右に左にピョンピョン飛び跳ねまくった。
「────ッ!?」
総司が悲鳴をあげ、キッチンの反対側へすッ飛んで逃げてゆく。
それを視界の端にとらえながらも、島田は呆然と立ちつくしていた。あまりのショックにもう気絶しそうだったのだ。
そして、数分後。
「いったい、何事です!?」
と、飛び込んできた山崎が見たものは、見事惨状と化したキッチンと、気の抜けきった顔で立ちつくす島田。
そして。
キッチンの片隅でしくしくと泣き崩れる、「熱意だけは人一倍ある新妻」総司の姿だった……。
「……何だって?」
土方は電話ごしに聞かされた言葉に、眉を顰めた。
車はもう東京を離れ、里近くまで来ている。突然鳴った携帯電話に、路肩に停めて出たのたが、山崎の話はさっぱり要領を得なかった。
「つまり、俺に外で飯を食ってこいというのか」
『申し訳ありません……その、お作りできる状態にありませんので……』
「いったい、どういう事なんだ」
土方は苛立った口調で云いながら、ちらりと時計に視線をやった。
「今、もう夜の10時だぞ。今更、俺に東京へ戻れというのか。この辺りに飯食えるところなんざねぇの、おまえも知ってるだろ」
『この辺りと申しますと……』
「もう里近くまで来てるんだ」
『そ、それは……っ』
「今更どうしようもねぇよ。あと30分ほどで帰るから、ちゃんと用意しておけ。こっちはくたくたに疲れきってるんだ、くだらん事で俺を煩わせるな」
疲れもあり凄味のある声音で云ってやると、山崎はさすがに沈黙した。
その返事を待たぬまま、土方はさっさと電話を切った。眉間に皺をよせながら携帯電話を後部座席に放り投げ、ドライブを戻した。そのままアクセルを踏み込み、車を夜道に滑りこませてゆく。
苛立ちと疲れのため、少々荒っぽい運転になったのは当然の事と云えよう。そのせいか、結局20分ほどで屋敷についてしまった。
バタンとドアを閉めて降り立った土方に、山崎が慌てて飛び出してきた。
「お早いお帰りで……っ」
「嫌味か」
ぼそりと呟いた土方に、山崎はささーっと顔色を青くした。
「い、いえ! そんな! その、まだ何も…支度がその……」
「だから、いったい何があったんだ。島田が倒れでもしたのか」
「はあ、倒れた事は確かなのですが……」
口ごもった山崎に、土方はかるく目を見開いた。
「あいつが? 珍しい事もあるものだな、屋敷中が倒れるような風邪がはやっても、あいつだけは大丈夫だと思っていたが」
失敬な事を淡々と云ってのけた主に、山崎はため息をついた。
「それは私もそう思っておりましたし、まったくお言葉どおりだと頷かざるをえませんが……」
「この屋敷の者なら皆、頷くぜ」
主従ともども酷い事を云いながら、玄関の框をあがった。
「その、今回の場合、倒れたのはショックのためでして」
「ショック? 何だ、それは」
「島田が大切にしておりましたキッチンが……その、半壊しまして……」
「半壊?」
そこまで来てから、土方はようやくある事に気がついた。
不機嫌そうに形のよい眉を顰め、ぐるりと周囲を見回した。
「おい、山崎」
「はい」
「総司はどうした。いつもなら迎えに出てくるのに……まさか……!」
はっと土方は息を呑んだ。
「まさか、総司は島田から病でも移されたのか!? それで、寝込んでるとか……!」
「いえ、総司さまはお元気です」
主の溺愛ぶりに、少々顔をひきつらせながらも、山崎は答えた。
が、思わずはぁっとため息をついた。
「お元気はお元気なのですが、それが一番問題でして……」
「?」
「この際、はっきり申し上げましょう」
山崎はガバッと顔をあげると、土方を見上げた。
そして、思いきって云いきった。
「キッチンを半壊させたのは、総司さまご自身なのです」
「!?」
土方は目を見開き、思わず山崎を凝視した。信じられないという表情になっている。
それも、もっともの事だろうと、山崎はしみじみ思った。
何しろ、土方の妻である総司は、雪の精霊である事からも想像がつくとおり、儚げで楚々とし、優美、可憐そのものの姿なのだ。
そんな総司がキッチンを半壊させるなど、誰が想像できよう。
だが、事実、土方家の屋敷のキッチンはものの見事に半壊し、そのショックで料理長島田は寝込んでしまったのだ。
「もちろん、総司さまご自身に悪意がおありだった訳ではありません。ただ、熱意が空回りしたと申し上げるべきなのか……」
呆気にとられている土方に、山崎はできるだけ簡潔に淡々と事の顛末を語った。
話が終わった後も、しばらくの間、土方は押し黙ったままだった。眉間に皺を寄せ、きつく唇を噛みしめている。
それを、山崎は恐る恐る眺めやった。
怒ったのかと思ったのだ。
だが、次の瞬間、土方の形のよい唇からもれたのは、抑えきれぬと云いたげな笑い声だった。くっくっと喉を鳴らし、笑っている。
「ご当主?」
驚く山崎に、土方は笑いながら、その黒い瞳をむけた。
「まるでコメディだな。喜劇そのものか」
「は…その……」
「島田には、好きなキッチンをどれでも入れてやると云っておけ。面倒をかけた詫びだ、どれだけ高いものでも構わねぇとな」
「あ、ありがとうございます!」
とたん、山崎は喜色満面になった。
「そうして頂けますと、島田もどれだけ喜びます事か」
「すぐ知らせてやれ」
「はい!」
「あぁ、そうだ。それで、総司は? あいつはどこにいるんだ」
訊ねた土方に、山崎はちょっと目を伏せた。
「それが……あの事の後、お姿が見えなくて……」
「そうか」
「あの、どう致しましょう」
「いい。総司のことは、俺が何とかする。おまえは早く島田に知らせてやれ」
手をひらりとふってみせた土方に、山崎は深く一礼した。それでも走らず、足早に島田が寝込んでいるはずの部屋へと向かってゆく。
それを見送り、土方は僅かに乱れた黒髪をくしゃっと片手でかきあげた。
ちょっと目を細め、呟く。
「さて…と、お姫さまの救出に行くとするか」
この屋敷のどこかで泣いてるに違いない、彼の大切で可愛いお姫さまを抱きしめるために───
夜空が綺麗だった。
それを、潤んだ瞳で見上げ、総司はきゅっと唇を噛みしめた。
蔵の片隅だった。小さな窓から月の光が射し込んでいる。それを見上げては泣くを、先ほどから何度も何度も総司はくり返していた。
「……どうして出来ないんだろ……」
両膝を抱え込み、その上に顔をふせた。まだ、割烹着姿のままだ。
自分が情けなく悲しかった。先ほどの惨状を思っただけで、涙がぽろぽろこぼれてくる。
ただ、歳三さんにお料理をつくってあげたかっただけなのに。
二人一緒に、お弁当をもってピクニックというものをしたかっただけなのに。
「やっぱり駄目なんだ。歳三さんの奥さんに、ふさわしくない……?」
そう自分で呟いたとたん、ますます涙がこみあげてきた。
泣いちゃ駄目だと思うのに、どんどん頭の奥が痛くなり、大粒の涙があふれてくる。その涙までもが雪の精霊らしく冷たく、それがとても悲しかった。
「私…人じゃないものね。雪の精霊の私なんか……」
どんどん自分で自分を追いつめ、総司はしくしく泣いた。
その時、不意に声がふってきた。
「……ふさわしくないなんて、いったい誰が決めたんだ」
「!」
驚き、ぱっと顔をあげると、少し離れた所に土方が立っていた。
まだ帰宅したばかりのようで、スーツに黒いコート姿だ。蔵の薄暗い中、彼の黒い瞳がきらりと光った。
それに、総司は慌てて立ち上がった。
「ご、ごめんなさい!」
頭を下げ、泣きながら謝った。ぎゅっと両手で割烹着を握りしめた。
「い、一生懸命頑張ったつもりなのに、なのに……島田さんにも山崎さんにも、みんな迷惑かけて……台所あんな事にしちゃって、私、やっぱり歳三さんに全然ふさわしくな……っ」
「だから、そんなこと誰が決めたんだ」
土方はため息をつき、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「ほら、おいで」と、優しく手をさしのべてくれる。
それに、総司はふるふるっと首をふった。
「だ…めっ、私、こんな私……っ」
「料理なんざ出来なくていいさ。俺はそんなこと、おまえに望んでねぇよ」
「だって、歳三さんに食べて欲しかったんだもの! 私がつくったお弁当をもって、二人で、ピクニックというものをしたかった! なのに……っ」
言葉が不意に途切れた。
土方が総司の細い腕を掴んだかと思うと、そのまま強引に己の胸もとへ引き寄せたのだ。あっと思った瞬間には、もう男のあたたかい腕の中だった。きつく優しく抱きすくめられている。
そっと髪を撫でてくれる。
「……そうか。おまえは弁当を作りたかったんだな。俺に食べさせたかったんだな……」
「うん……っ」
「また頑張ればいいさ。一度で出来るはずもねぇだろ?」
「だって、また台所壊しちゃう……」
「いいさ。何度でも作り直してやるから」
くすくすと笑いながら、土方は総司の頬や首筋にキスの雨を降らせた。それから、瞳を覗き込むと、悪戯っぽい表情で云った。
「今度は、俺と一緒にやってみようか。俺が教えてやる」
「え、だって……」
「こう見えても、ある程度の料理は出来るしな。そうと決まったら善は急げだ、ほら、行こうぜ」
「ど、どこへ?」
「キッチンさ。半壊なんだろ? 全壊じゃねぇんだろ? なら、何とかなるさ」
そして、その数分後。
半壊したキッチンで、総司は卵をボールに溶いていた。
冷蔵庫とコンロは無事だったし、ボールも一つぐらいは見つけられたのだ。
その細い背を抱くようにして、土方が立っていた。手を重ね、総司がもった箸をゆっくりと動かしてくれる。
「ほら、こうして溶いて……」
「もっと? 白身がなくなるくらい?」
「それは無理だろ。けど、もう少し溶かねぇとな……」
低い声で云った瞬間、総司がくすくす笑いながら身を捩らせた。
「や、くすぐったい」
「え? おまえ、耳もと敏感だなぁ」
「だって……」
恥ずかしそうに長い睫毛を瞬かせる総司が、たまらなく可愛い。
土方はなめらかな頬にキスを一つ落とすと、その手からボールと箸をとりあげた。躯の向きを変えさせ指さきを絡めあい、深く唇を重ねてゆく。
しばらく濃厚で甘いキスをかわしてから、総司は彼の胸もとに顔をうずめた。
男のカッターシャツを指さきで弄りながら、甘ったるい声で訊ねた。
「ご飯……作らないの?」
「おまえの方が食いたくなってきた」
「だめ。木の葉丼、つくってくれるんでしょう? 一緒に食べる約束です」
「あぁ……そうだったな」
苦笑し、土方は鍋をコンロにかけた。
冷蔵庫にあった出汁を入れて味付けし、椎茸や三つ葉を入れてから、総司と一緒に手を重ね、そおっと卵を注ぎいれてゆく。とろりと、鍋の中に黄色の渦が広がった。
「ほら、こうして……ゆっくりと回して」
「はい……あ、ふわふわしてきた」
「だろ? かき混ぜたりしたら駄目だぞ」
「んんー、いい匂い」
「飯もおまえも……早く食いたいな」
くすっと笑った彼の声が、また耳朶にふれた。それがとても心地よい。
背中からゆるく抱いてくれる彼の逞しい腕。
視線をおとすと、白いカッターシャツを肘まで捲り上げた腕。
重ねられた男の大きな手。
思わず甘えるように、その広い胸もとへ凭れかかった総司を、土方は笑いながら優しく抱きすくめてくれた。
幸せで嬉しくて、とろけてしまいそうで。
砂糖よりも甘い甘い、新婚の一時。
二人でつくった夜食は、もちろん、とってもおいしいはずで。
ご飯に木の葉の卵とじをかけながら、恋人たちは、それはそれは幸せそうに微笑みあったのだった。
──蛇足。
半壊したキッチン。料理台の前に仲良く並んで坐り、土方と総司は楽しそうに食事をしている。
以下、そんな二人の様子をキッチンの入り口から、こっそりうかがいつつ、かわされる斉藤と山崎の会話。
「……で、どう?」
「問題なしみたいですね。お二人とも楽しそうに食事をとっておられます」
「料理してる最中もいちゃつきまくってまぁ……新婚そのものだね」
「仕方がございません。実際、新婚でいらっしゃいますから」
「そりゃそうだけど、あれじゃ初めから土方さんがやれば良かった訳じゃないか。島田の苦労は何だったんだ」
「それを云われますと、何とも……」
「で、島田は?」
「あっという間に回復致しまして、キッチンのカタログを熱心に検討中でございます」
「……単純な男だな」
「はぁ。ですが、島田もキッチンをリフォームして頂けるなら、本望でございましょうし」
「けど、そのキッチンもさ、総司にまた壊されるんじゃないのか」
「……う」
「お互い、苦労がたえないなぁ……」
そして。
花雪の里の夜は、今日も静かに過ぎてゆくのでありました。
めでたし、めでたし。
>
[あとがき]
めでたしと云うべきかどうか。でも、ま、この「花雪綺譚」はもともと、お伽噺ですから。
書いてて楽しかったのは、もちろんお料理教室と、怒る土方さんに怯える山崎さんと、二人仲良くお料理するシーンです。やっぱり、新婚さん独特の甘ったるい雰囲気って、だい好き〜♪ 書いてて楽しいですもの。今度は、お弁当もってお出かけを書いてみたいなぁと思ったりしているんですけど。>
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