その朝、屋敷を出る時、山崎が玄関口で云ってくれた。
「雨になりそうですので、お気をつけて」
「……」
それに、総司は黙ったまま微笑んだ。
雨や雪や陽の光、雲の動き。自然のことなら、雪の精霊である総司は誰よりも感じ取れる事ができる。
だが、それでも、わざわざ心使いをしてくれた山崎の優しさが嬉しかった。恐らく、初めて東京へ出る総司を気遣ってくれているのだろう。しかも、土方の妻となってから遠出するのは、これが初めてなのだ。
「ありがとう」
小さく礼を云い、総司は土方が開けてくれたドアの間から、助手席にそっと躯をさし入れた。着物の裾を整えていると、静かにドアが閉じられる。
本来なら、ドアの開閉はもちろん、車を運転することも、他の人間がするべき事だった。土方家の当主である彼がするべき事ではない。
だが、土方は総司に他の誰かが関わることも酷く嫌った。指一本、誰にもふれさせないのだ。その執着は少し怖い程だった。
「いってらっしゃいませ」
頭を下げる山崎に頷き、土方は運転席のドアを開いた。しなやかに躯を滑り込ませる。
琥珀色の美しいスポーツカーは、以前、総司を救出した時に彼が乗っていたものだ。あの時とは違い、ハードトップは固く閉じられていた。
ゆっくりと走り出した車の中、総司はそっと目を伏せた。
東京へ出たのは、どうしても外せない会合の為だった。
それに総司が連れていかれたのは、土方が二人の距離があくことを嫌ったためだった。躊躇う総司を、屋敷から花雪の里から強引に連れ出したのだ。
「おまえは、俺のものじゃねぇのか」
丁寧なハンドル裁きで車を走らせながら、土方は低い声で云った。
僅かに、その形のよい眉を顰めている。
総司は桜色の唇を尖らせた。
「でも……私にも自由があると思います」
「自由?」
「どこかへ行ったり行かなかったりする自由です。歳三さん……すごく強引なんだもの」
「強引で悪いか? 俺はおまえを手放す気はねぇよ」
「だから、手放すとかそういう事じゃなくて」
「なら、一人里に残ってどうするつもりだった。俺と離れた方が、息抜きできると云うのか?」
鋭く問い返した土方に、総司は長い睫毛を伏せた。
彼がこんなにも強引で不機嫌な理由は、よくわかっている。
先日、総司が里の外から来た花屋の若い男と二人きりになった事を、怒っているのだ。
いや、それぐらいなら土方も怒らなかっただろうが、その若い男は総司に懸想したらしく手を握りしめてきた。それを帰ってきた土方に見られたのだ。むろん、花屋は出入り禁止になったが、その時も無防備すぎるとさんざん叱られた。
だが、勝ち気な総司は思わず言い返し、かっとなった土方と激しい口論になってしまった。結局、斉藤が仲裁に入った事でおさまったが、あの時から何となく二人の間はぎくしゃくしている。
「……そんなに怒らないで」
小さな声で云った総司に、土方は唇を噛んだ。
まだ苛立ちに満ちた声で答えた。
「怒ってねぇよ」
「嘘。歳三さん……怒ってるから、私を連れてきたのでしょう?」
「そうじゃない。俺はおまえを一瞬でも離したくないんだ」
「それは疑ってるから? 私がまた逃げるとか、もしかして……三百年前みたいに、他の誰かと……」
総司の声が震えた。
その長い睫毛に涙の雫が光り、そのまま、ぽろぽろとなめらかな頬を零れ落ちてゆく。
土方は僅かに息を呑んだ。
慌てて車を路肩に停めると、総司の方へ向き直った。両手をのばし、少年の華奢な躯を抱き寄せようとする。だが、総司は僅かに身じろぐことで、それを避けた。
「いや……歳三さんなんて、嫌い」
「そんなこと云わないでくれ」
「だって、私、謝ったのにずっと怒っているから……」
拗ねきって顔をそむける総司に、土方はため息をついた。
本当に、この恋人には叶わない。何をされても結局は許してしまうのだ。
それは三百年前から、同じ事だった。
「すまない。俺が悪かった」
「……」
「機嫌を直してくれ。な、こっちを向いてくれよ」
「……」
まだ涙目だったが、総司はおずおずと土方の方へ向き直った。とたん、男の広い胸もとに抱きこまれてしまう。だが、今度は総司も逆らわなかった。
そっと、男のワイシャツの胸に顔をうずめた。
涙に濡れた声が訊ねた。
「もう……あんなに怒らない?」
「あぁ」
「私を信じてくれる?」
「信じてるさ、ずっと前から」
「じゃあ、どうして……」
東京へ連れていくのかと問いかけた総司に、土方は苦笑した。
その細い躯を抱きすくめ、額に瞼に頬に、キスの雨を降らせながら、囁いた。
「さっきも云っただろう? 俺がおまえを一瞬でも離したくねぇからだって」
「どうして」
「愛してるからさ。いつだって、俺はおまえを感じたいし、傍にいて欲しい」
「それは……私もそうです」
総司は土方の広い背中に両腕をまわし、吐息をもらした。子供のように身を擦り寄せてしまう。
土方は優しく微笑んだ。柔らかく髪を撫でてくれる。
それを心地よく感じながら、総司は言葉をつづけた。
「私もあなたの傍にいたいし……感じていたいです。でも、こんなふうに私の意思を無視されるのは、嫌」
「すまない。これからは、もう少しおまえの気持ちを考えるよ」
「本当に……?」
「あぁ」
頷いた土方の黒い瞳に、嘘はなかった。
だが、真実でもないのだ。
以前、斉藤が評したとおり、彼の総司への執着は常軌を逸していた。
総司にすれば本当に些細な事でも不愉快に思うし、何もかもを束縛しようとしてくるのだ。
それはまるで、甘やかな鎖に絡みつかれるようだった。
指さき一つまで、俺のものだと囁かれているような……。
(それは、本当の事だけれど……)
総司はそっと目をあげた。
視線が絡みあうと、土方は綺麗な優しい笑顔を見せてくれた。潤んだ瞳で見上げる総司に、「愛してるよ」と囁きざま、甘いキスを落としてくれる。
その男の腕の中、思った。
土方自身にしても、どうしようもない事なのだろう。
その愛が深くなればなるほど、総司への執着も増してゆく。ましてや、三百年の時を経てようやく取り戻せた恋人なのだ。土方が狂ったように執着し、独占するのも無理のない事だった。
「総司……」
もの思いに耽っていた総司に、土方が呼びかけた。
見上げると、なめらかな頬を両掌でそっと包みこまれ、かるく仰向かされた。
「今更かもしれねぇが……」
どこか躊躇いがちな、とても嫌そうな口調で、土方が云った。
「おまえ、今からでも……里へ戻るか」
「……」
思わず、くすっと笑ってしまった。
本当に今更だなぁと思ったのだ。だが、こんなふうにして、何とか総司の気持ちに添おうとしてくれる彼が愛しかった。
総司は可愛らしく小首をかしげてみせた。
「戻ってもいいのですか? 歳三さんはそれで構わない?」
「本当は一緒に来て欲しいが、おまえが嫌がるなら……」
僅かに目を伏せて答えた土方に、総司は鈴のような笑い声をたてた。白い両腕をのばすと、少し身をのり出すようにして男の首をかき抱いた。
「だい好きです、歳三さん」
「総司……」
「もうここまで来たんだもの。今回はついてゆきます。でも、いつもって訳にはいきませんからね」
「いいのか? 本当に?」
不安そうに瞳を覗き込んでくる土方に、総司はこくりと頷いた。
それに、ほっとしたように吐息をついた。
運転シートに身を戻しながら、今朝がた整えたばかりの黒髪をくしゃっと片手でかき上げた。
それを見つめていると、土方は微笑みかけてくれた。その幸せそうな笑顔は、まるで少年のようだ。
どきっとした総司に身を乗り出して一度だけ口づけてから、土方はシフトレバーをドライヴに入れ替えた。静かにアクセルを踏み込み、車を走り出させてゆく。
次第にスピードアップする車の中、総司は小さく微笑んだ。
だが、しかし。
土方が反省したと思ったのは、やはり間違いだったらしい。
東京へつくと、彼自身は会合へ出席するためホテルのホールへ向かったのだが、総司はそのホテルの一室に閉じこめられてしまったのだ。
「いいか? 絶対に出るなよ」
そう命じた土方に、総司は桜色の唇を尖らせた。
「でも……」
「でも、何だ?」
「今朝方、約束したばかりじゃない。私の気持ちを考えるって」
「それとこれとは別だ」
土方はスーツのカフスボタンを嵌めながら、素っ気ない口調で答えた。
すらりとした長身に上質のダークスーツを纏っている。プレスされた真っ白なワイシャツに包まれた逞しい腕や、タイトに締められたネクタイに、総司はどきりと胸が高鳴るのを感じた。
何気ない仕草でスーツの上着に腕を通す姿さえ、思わず見惚れるほど絵になっている。
それをぼんやり見つめていると、土方は訝しげに眉を顰め、ふり返った。総司の細い腰に腕をまわして抱き寄せ、その大きな瞳を覗き込んだ。
「おい、話を聞いてるか?」
「……聞いてます。部屋から出るなと命じたのでしょう」
「あぁ、そうだ」
「でも……それに従うかどうかは、私の勝手ですよね」
「おまえは俺の妻だろう」
「妻なら、夫の言葉にすべて従うべきだと?」
「三百年前は、そうだったはずだ」
「今は現代でしょう。もうあの頃とは違うんです」
そう云い返した総司に、土方は酷く冷たい瞳になった。
ふっと唇の端をつり上げながら総司を眺めると、低い声で云い捨てた。
「……確かにな」
云いざま、腕の力を緩めた。総司の躯から手を離し、すっと踵を返してしまう。それきり、土方は総司を一瞥することもなく、部屋を出ていってしまった。
豪奢なスイートに一人残された総司は、きつく唇を噛みしめた。
「……」
むろん、土方の云ってる事はわかっている。
総司がこの馴れない現代社会、しかも初めて訪れた東京で、何かアクシデントにあわないよう気遣ってくれているのだ。外を出歩くなら、会合の後で彼と一緒にと云いたいのだろう。何しろ、総司にすれば初めての海外旅行と同じようなものだから。
だが、それでも総司は嫌だった。
絡みつく鎖を払いのけたくなる瞬間もあるのだ。
その鎖が、彼の深く激しい愛ゆえだとわかってはいても。
「……」
20分程たってから、総司はそっと部屋を出た。
廊下を歩き、先ほど彼と一緒に乗ったエレベーターの前に立った。正直、怖い。
こんなもので移動するなんて、信じられないと思った。先ほど乗った時も思わず土方の腕に縋りついてしまった程だった。だが、これに乗らなければ、どこにも行けないのだ。
もしかしたら、総司はちょっと意地になっていたのかもしれない。
あまりにも強く束縛してこようとする土方への意趣返しなのか、それはわからなかったけれど。
「私は私なんだから……」
小さく呟いた。
三百年前と変わらぬ勝ち気な瞳で、鏡に映る自分を見つめた。
その時、ポーンと軽やかな音とともにエレベーターが到着した。それに、総司はおそるおそる乗り込むと、1階のボタンを押したのだった。
ホテルから出ると、外は曇り空だった。
そのためか、むっとした暑さに満ちている。雪の精霊である総司はむろん、暑さには弱い。
思わず怯んでしまったが、すぐに気をとり直し歩き出した。
このホテルは都心にあるらしく、大勢の人々や車が道を行き来していた。皆、見惚れるような視線を総司にむけてゆく。
自分自身では全く気づいてないが、総司はいやというほど人目を惹いていた。
土方が特注で仕立てさせた上質の夏物の着物を華奢な身に纏い、華やかな帯を締めている。さらりと波打つ艶やかな黒髪は絹糸のようで、雪のようにまっ白な肌はしみ一つない。潤んだような瞳も、ふっくらした桜色の唇も、息を呑むほどの可憐さだった。
土方が己の腕の中、永遠に閉じこめておきたいと願っても当然の、可愛らしさだ。
だが、そんな事に全く気づかぬまま、総司は街を歩いた。
ショーウインドーの中を覗き込み、ふと目を見開いた。
「可愛い……」
そこは一軒のおしゃれな玩具店だった。
たくさんのおもちゃや人形が並んでいる。
総司は思わず扉を開き、中へ入った。店の中にいた客たちがふり返り、可憐な少女の姿に目を見張る。
そんな事に全く頓着せず、総司は店の中を楽しく見てまわった。
ふと、一つのものに目がとまった。ガラスの小さなオーナメントだ。ひっくり返すと、白い雪が中で舞い落ちる仕組みになっている。中にある小さな家々がまるであの花雪の里のように思えた。
手にとり、おずおずとひっくり返してみた。
さらさらと、白い雪が舞い落ちてゆく。
小さな小さな里に。
「何だか……不思議」
総司は山に雪の精霊としていた頃、いつもこんな感じで里を見下ろし、雪を降らせていた。そして、今、自分はその花雪の里に住み、愛する男の妻となっているのだ。
「これ、買って帰ろうかな」
小さく呟き、総司はそれを手にレジへ向かった。包んで貰った小さな箱を袋にいれ、店を出た。
また、ゆっくりと歩き始める。
だが、そのうち総司はとんでもない事に気づいてしまった。
(もしかして……迷った?)
さぁっと血の気が引いた。
店を出て何も考えず歩き出したせいか、方向がわからなくなってしまったのだ。
総司は戸惑い、立ち止まった。
不安げな瞳で周囲を見回したが、ここがどこなのかさえ全くわからない。むろん、ホテルは何処にもなかった。
「どうしよう……」
その不安げな様子は、先ほどからちらちらと総司の方を見ていた男たちを刺激したようだった。はっと気づくと、総司はあまり柄がいいとは言い難い男たちに囲まれていた。
「……っ」
総司は慌てて駆けだした。何か云いながら手をのばしてくる男たちを突き飛ばし、すり抜ける。
思わず息を吐きかけた瞬間、一人が悲鳴をあげて手を引っ込めた。異様な感覚があったのだろう。総司の雪の吐息にふれれば、下手すると凍傷になってしまうのだ。
「化け物……ッ!」
そんな悲鳴が聞こえたが、もう無我夢中だった。
懸命に走りつづけた総司は、見覚えのある辺りまで戻ってきたのを感じた。
見上げると、例のホテルが建っている。
その玄関へ走りこんだ総司は、大きく息をついた。恐怖と怯えに、まだ躯中の震えはとまらない。呼吸もおさまならかった。
だが、それでも早く部屋へ戻らなければならなかった。
一刻も早くと歩き出した総司は、その瞬間、鋭く息を呑んだ。
「!」
ロビーの真ん中。
華やかな花が生けられた大きな花瓶の前。
そこに、一人の若い男が仁王立ちになり、こちらをじっと見据えていたのだ。
僅かに眉を顰め、その黒い瞳には明らかな怒りがうかべられている。形のよい唇は固く引き結ばれていた。
すらりとした長身はモデルばりで、ロビーにいる人々の視線を奪っていたが、本人はそんなこと全く意に介してないようだった。
総司が気づいたのを知ると、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
「……っ」
思わず周囲を見回したが、どこにも逃げ場などなかった。総司は目を伏せ、きつく唇を噛みしめた。
そんな総司の前に立ち止まると、土方は手をのばした。少年の細い顎を指さきで掴み、くいっと仰向けさせた。
「……どこへ行っていた」
低い声が耳もとにふれた瞬間、総司は思わず両手をのばしていた。
人前にも関わらず、男の広い胸もとに縋ってしまう。だが、それを土方はすげなく引き離した。
ふっと唇の端をつりあげた。
「誤魔化すな。俺はどこへ行っていたかと聞いてるんだ」
「そ、外へ……」
「それはわかってる。だが、外のどこへだ。何があった」
「お店を見て……道に迷って……」
総司は俯き、口ごもった。
「それで……変な男の人たちに声かけられて、追いかけられて……」
「……っ」
一瞬、土方は激昂しそうになった。だが、すぐさま自分の感情の発露を抑えこんだ。
ここがホテルのロビーなどでなく、二人きりであったなら、莫迦!とでも思いっきり怒鳴りつけていただろう。
しばらく押し黙っていたが、やがて低い、感情を押し殺した声で云った。
「勝手に一人で外へ出るからだ」
「ごめんなさい……」
「少しは俺の云うことを聞くんだな」
そう冷ややかに告げると、土方は踵を返した。
総司を促そうともせず、さっさと歩き出してゆく。それを、総司は慌てて追った。
エレベーターの中でも土方は無言だった。腕を組んで壁に凭れかかり、固く瞼を閉ざしていた。冷ややかな男の態度に、総司は泣き出したくなった。
怖くて怖くてたまらなかった。
あの男たちに追われた時も怖かったが、今はそれ以上に彼の怒りが怖かった。嫌われたのかもしれないと思うと、つんっと頭の奥が痛くなり涙がこみあげた。
「……」
部屋に戻ると、土方はカードキーで扉を開き、総司に中へ入るよう目で促した。それに頷き、おずおずと入った。
背後で扉が閉まる音と、キーをかけられる音が響いた。
総司はふり返り、謝ろうとした。
「歳三さん、ごめんなさい。私……っ」
だが、その言葉は続けられなかった。
不意に土方が総司の細い腰を片腕でさらったかと思うと、強く引き寄せ、噛みつくように口づけてきたのだ。
深く唇を重ね、少年の甘い舌を蹂躙してくる。
「んっ、ぅ…ぁ、んんっ……」
思わず両手で男の胸もとに縋りついた。だが、懸命にキスに応えた。
これ以上、彼を怒らせたくなかったし、いつでも彼からのキスや抱擁は総司を夢心地にさせるのだから。
壁に背を押しつけられ、荒々しく躯をまさぐられた。
「は…ぁっ、ぁんっ…んっ……」
帯が解かれ、着物のあわせめから男の冷たい手が滑り込んだ。しなやかな指さきが白い肌を撫であげ、胸の尖りをくすぐってくる。
それに甘い声をあげた瞬間、総司の躯はふわりと抱きあげられていた。
「……あ……」
思わず縋りつくと、そのまま奥の寝室へ運ばれた。
まだ明るい室内に羞じらったが、男はそんなこと全く意に介してないようだった。
優しくベットに横たえながら、土方は低い声で囁いた。
「もう……どこへも行くな」
「歳三さん……」
「俺の傍を決して離れるな。おまえがこの部屋にいないと知った時……本当に気が狂いそうだったんだ。また、おまえを失ったかと思った」
「ごめんなさい……」
「総司、俺はおまえがいないと生きられねぇんだ。それぐらいおまえを愛してるってことを、頼むからわかってくれ」
「私も……私もだから、ごめんなさい、歳三さん……」
涙をぽろぽろ零しながら両手をのばした総司を、土方は今度こそ柔らかく抱きしめてくれた。
その白い首筋や胸もとに唇を押しあてながら、熱く囁いた。
「……愛してる……」
「私も……愛してます、あなただけを……」
二人は互いの躯を抱きしめあい、激しく唇を重ねた。
やがて、甘い吐息と熱だけが、部屋の中を満たしていった……。
いつのまにか、雨が降り出していたようだった。
ホテル特製の厚いガラスのため音は聞こえないが、窓ガラスをつたい落ちてゆく水滴でそれと知れる。
夜の東京のイルミネーションが雨の雫に霞んだ。
「……」
総司はその雨に濡れる窓を、ベットの中からぼんやり見つめた。
乱れきった白いシーツに、艶めかしい襦袢姿のままうもれている。その白い絹の襦袢も乱され、もろ肌ぬいだ姿になってしまっていたが。
遠く、土方がシャワーを浴びているらしい音が聞こえていた。
それを心地よい快楽の余韻にひたりながら聞くともなしに耳をかたむけていると、やがて、水音がとまり、扉が開く音が聞こえた。
土方がゆっくりと戻ってきたのを感じる。
そっと髪にふれられた。
「……気がついたのか」
低い声で囁かれ、総司は自分が快感のあまり失神した事を思い出し、頬を染めた。
恥ずかしそうに、だが、こくりと頷いた総司に微笑み、土方はベットに腰を下ろした。手をのばし、また総司の背中から首筋を掌で撫であげてやる。
「少し無理をさせてしまったな……シャワーを浴びるか?」
「いいです……」
「湯でなく、ちゃんと水で洗ってやるよ」
雪の精である総司の事を考え、そう云ってくれた土方に、総司はゆるゆると首をふった。
「何か……躯に力が入らなくて。このまま眠ってしまいたい……」
「なら、そうしよう。おまえが失神してる間に、ある程度躯はタオルで拭ってやったしな」
平然とそう云われ、総司はまた頬を染めた。
彼に抱かれる時よりも、後始末をされる時の方が、もっと恥ずかしいのだ。それが知らない間になされたのなら、尚の事だった。
「や……」
袂で顔をおおってしまった総司に、土方はくすっと笑った。
シーツの間に躯を滑り込ませてくると、逞しい両腕でその華奢な躯を抱きすくめた。
見上げた総司の頬に、甘いキスを落としてやる。
「本当に可愛いな、おまえは」
「だって……恥ずかしいんです。これからは私を起こしてください、自分でしますから」
「そんな事させられるかよ。俺がちゃんとしてやるから」
「なら、私……もう歳三さんとこういう事しません」
「セックスレス夫婦って訳か?」
くすくす笑いながら、土方は総司の首筋に唇を押しあてた。それだけでぴくんっと震えてしまった可愛い妻に、低く喉奥で笑う。
「こんな感じやすい躯で、我慢できるはずねぇだろ?」
「我慢できます」
勝ち気そうな瞳で見返し、総司は桜色の唇を尖らせた。その唇を、男の指さきがそっと愛撫するようにくすぐった。
「俺の方が我慢できねぇよ……いつだって、俺はおまえが欲しいんだ」
「私も欲しいですけど、でも……」
口ごもった総司に、土方の声が熱をおびた。
「俺は、おまえのすべてが可愛くてたまらねぇ。本当に愛おしいんだ」
「……歳三さん」
「何をしてもどんな事をしても、構わない。おまえのすべてを、俺だけに見せてくれ」
「──」
彼の強い執着を感じさせる言葉に、僅かに息を呑んだ。
わかっているのに。
どれほど深く愛されているのか。
三百年前も、私を助けるために、自らに刃を突きたて命を絶った人。
本当に愛されているのだ。
誰よりも、何よりも。
深く。
なのに──それをよくわかってるくせに、彼の元から逃げ出すような真似をして酷く怒らせた。
確かに、煩わしいと思う瞬間も、怖いと怯える瞬間もあるけれど。
その常軌を逸していると云ってよい執着を、厭う気持ちは全くなかった。
愛しい彼がその形のよい眉を顰めるのを見るたび、たまらない罪悪感を覚えてしまう程なのだ。
その胸奥深くに抱えた、恐ろしい秘密ゆえでもあったが。
それに───
「……」
黙ったまま、男の胸もとに身をすり寄せた。その広い背中に両手をまわし、ぎゅっとしがみつく。
それを承諾の意味にとったのか、土方が満足げに微笑んだ。
柔らかなキスをあたえながら、両腕ですっぽり抱き込んでくれる。
三百年前もそうだったが、小柄な総司からすれば、土方の体躯は驚くほど逞しい大人の男のものだ。そんな彼に包みこむように抱きこまれる事は、たまらない安堵感を総司にあたえた。
「……歳三さん……」
思わず吐息をもらし、土方の広い胸もとに顔をうずめた。ゆっくりと髪を撫でてくれる男の手が心地よい。
それに、うっとりと微笑んだ。
彼の愛撫だけじゃない。
その激しい独占欲や執着さえも、本当は心地よく感じるのだと。
そう告げたら──彼は驚くだろうか。
でも、事実、そうだから。
私はあなたの甘い鎖に絡みつかれることを、望んでいる。
怖がりながら、怯えながら。
それでも、あなたの鎖に絡めとられ、もっともっと独占して欲しいと望んでしまうから。
この指さき一つまで、愛するあなただけのものでありたいと。
ね……歳三さん。
そんな私に、あなたは呆れるでしょうか──?
「総司……」
そっと男の熱い唇が、額に瞼に頬にふれた。
まるで花を降らすような、優しいキス。
その優しい恋人の腕の中、総司はとけるように眠りへおちていったのだった。
雨の都会の夜。
「……おまえは、俺だけのものだ」
耳もとにふれる男の吐息と、優しい囁きを感じながら。
「愛してる……」
三百年前も、今も
そして
これからも、私はあなただけのもの───
[あとがき]
「花雪綺譚」番外編、一つめのお話です。土方家お抱え料理人島田さんのお料理教室にしようと思っていたのですが、まずは基本おさえと思いまして。何しろ、このシリーズは、土方さんが総司に抱く狂気じみた執着なので、一つめはこういうお話にしました。
だいたいこういう感じで、激甘なのにどこか危険な香りがする──背景に選んだ薔薇みたいな、土方さんと総司の恋愛を書いていきたいと思っています。いかがなものでしょう? つづき読んでみたいな♪とちょこっとでも思って下さった方は、ぜひメッセージでGoGo!してやって下さいね。 |
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