この家で目を覚ましたのは、二度目だった。
 先ほどとは違い、今度は朝らしい。その証に障子ごしに陽光が射し込み、部屋の中は白い百合のような光に包まれていた。


(そう云えば、百合の香りがする……)


 ふと気づき、総司は視線を動かした。
 ここに連れ込まれた時も、夜、彼に抱かれた時もまるで気づかなかったが、床の間に百合の花が生けられてあったのだ。
 それをぼんやり見つめていると、傍らから声をかけられた。
「目が覚めたのか」
 身動きしたことで、土方も起きてしまったのだろう。切れの長い目が総司を見つめていた。
 慌てて謝った。
「ごめんなさい……起こしてしまいましたか」
「いや、ちょうど起きかけていた」
 土方はそう云うと、ゆっくりと身を起こした。乱れた黒髪を片手で煩わしげにかきあげている。
 総司は身を起こしつつ、云った。
「結い直しましょうか」
「出来るのか」
「えぇ」
「なら、頼む」
 二人は褥を出て、身支度を整えた。土方が髭をあたっている間に、髪を綺麗に結った。艶やかな黒髪は手触りもよくて、さらさらと指の間をこぼれる。
 本当に、この人は何もかもが綺麗なのだ。
 土方は髪が結いおわると、身支度を整え、足早に家を出ていった。だが、すぐに戻ってきて、弁当らしいものを掲げてみせる。
「それは……?」
「川を渡る旅人相手だろうな、近くに茶店があるんだよ。そこで買ってきた」
「そう云えば、昨日から……何も食べていません」
 今更気づいた事を口にしてから、総司は頬を赤くしてしまった。食事もとらず、二人は昨夜抱きあっていたのだ。あれから二度も交わり、ようやく眠りについたのは夜明け前のことだった。
 その事を思い出したとたん、恥ずかしくなってしまった。しかも、そうして抱いてくれた男が目の前にいるのだ。彼の躰の動きを見ているだけで、頬が熱くなる自分が恥ずかしい。
 俯いていると、土方が喉奥で笑った。肩を掴まれ、男の胸もとに頭を押しつけられる。
「朝から、そんな顔するなよ」
「え……?」
「たまらなくなっちまうだろ」
「あ、ごめん…なさい」
 意味がわからぬまま謝る総司に、土方は苦笑した。控えめでおとなしい総司らしい言動だが、こういう処もいじらしくて可愛いのだ。
 布団をあげて襖をあけ放つと、家の中を風と光が抜けた。朝の澄んだ空気が心地よい。
 だが、意外と日が高い事に気づき、総司は、はっと息を呑んだ。
「土方さん、隊の方には……っ」
「昨日のうちに使いを出しておいた。心配するな」
 土方は当然のように答え、買ってきた弁当を広げた。握り飯と、煮物と漬物が入っている。
 二人は黙って食事をしたが、総司は、その手もとまりがちだった。
 隊のことを口にしたために、昨日からの事を思い出してしまったのだ。
 まるで何事もなかったように振る舞う土方につられ、普通に会話をしていたが、自分は彼によってここに囲われた身だった。当て身までくらわされ、閉じ込められた。この後、黙って返して貰えるのかどうかも、まったくわからない。


(私は、これからどうなるの……?)


 食事の後、総司は抱きよせてくる土方を、大きな瞳で見上げた。
 また褥へ運ばれるのかと思ったが、土方は何も云わず、膝上に総司の躰を横抱きにし、首筋や頬に口づけたり、髪を撫でたりしている。
「土方さん……」
 たまらず呼びかけると、土方は「何だ」と答え、濡れたような黒い瞳で見つめ返してきた。その熱っぽいまなざしに、胸がどきどきする。
「私……これから、どうなるのですか」
「どうなるとは?」
「昨日、云ったでしょう? 私を囲うと、それに、私に当て身を……」
「あぁ」
 土方は目を細めた。総司の小柄な躰を抱きしめる。
「すまん……怖がらせちまったな」
 その言葉に、ほっとして躰から力が抜けた。
 やはり、そうだったのだ。彼特有の悪ふざけだったのだ。ここが彼の妻のための新居か、妾のための休息所かはわからない。だが、総司を囲うためのものでない事だけは確かだった。
「悪ふざけも大概にして下さい」
 思わず唇を尖らせて云った総司に、土方は眉を顰めた。
「悪ふざけ?」
「だって、そうでしょう? 私を囲うなんて冗談を云って、そんなこと」
「冗談だなどと、誰が云った」
「え」
「俺はおまえを囲うつもりだ」
「――」
 男の言葉に、目を見開いた。
 躰を離されたので見上げると、土方はあの時と同じような昏い瞳をしていた。どこか残酷な、雄の本能が剥き出された瞳だ。
「……土方、さん……?」
 怯えた表情の総司に、土方は淡々とした口調でつづけた。
「俺はおまえのために、この家を用意した。少し離れているが、ここならおまえも気にいるだろうと思ったんだ」
「え、あの……」
「隊には帰さない」
 きっぱりと断言した土方を、総司は呆然と見つめた。


 この人はいったい何を云っているのか。
 本気で自分をここに閉じ込め、囲うつもりなのか。
 そんな事をすれば、醜聞沙汰になるのはわかりきっている。
 自分だけじゃない、彼も破滅への道を辿るのだ。
 なのに、どうして。


「どう……して?」
 掠れた声がもれた。
 総司は、訳がわからないまま、言葉を紡いだ。
「どうして……そんな事、するの? 私を閉じ込めるだなんて」
 そう云ってから、はっと息を呑んだ。ある考えが頭をよぎったのだ。
「もしかして……私が娘の恰好をしていたから?」
 言葉が口から飛び出していた。
「私が娘の恰好をして、あなたを騙したから……だから、妾にしてやろうと思ったの? 隊に戻しても病もちの私じゃ、いずれ役に立たたなくなる。だから、ここで囲われて、妾として男の慰みものになれってことなの……っ?」
 土方の目が見開かれた。愕然と総司を見下ろしている。
 その端正な顔に、傷ついた表情を見た気がしたが、もう言葉がとまらなかった。
「結局、私はあなたにとって、その程度の価値しかない駒だったんですよね。一番隊組長として役にたたなくなって、でも、ちょうど娘の恰好みたいな莫迦な事をしている私を見つけて、躰を抱いて、ちょうどいい気晴らしになると思ったのでしょう? 新しい使い道を見つけたってこと? だから、ずっと私を抱いたり、構ったりしてきた。全部、このために……私を、こうして慰みものにするために……っ」
「いい加減にしろッ!」
 男の怒声が響いた。
 ずっと黙って聞いていた土方が一喝したのだ。本気で怒ったらしく、切れの長い目の眦がつりあがっている。
 総司の肩を荒々しく掴み、その小さな顔を覗き込んだ。
「俺がおまえをそんなふうに思っていると、本気で考えているのか」
「だって……」
「そんな酷い事……自分を貶めるような云いざまは二度とするな。おまえ自身でも許さねぇ」
 土方の表情は、彼自身も傷ついているようだった。愛する男にそんな顔をさせた事に、総司はたまらなくなる。
 俯いてしまった総司に、土方は吐息をもらした。
「俺は……おまえを隊に戻したくない。だが、それは、おまえが思っているような理由じゃねぇ」
「……」
「総司、おまえが……俺のものではなくなるからだ」
「え……?」
 意味がわからず、総司は彼を見上げた。その小柄な躰を抱きしめ、土方は言葉をつづけた。
「こうして抱きしめていれば、おまえは俺のものだ。俺だけのものでいてくれる……だが、隊に戻れば、おまえは俺に見向きもしない。話しかけても怯えたような顔をするし、いつも距離を置いていた。そのくせ、他の男……斉藤には、笑いかけたり無邪気に誘いにのったりしている。それを見るたび、俺は嫉妬に狂っていた」
「……」
 呆然と、総司は彼を見上げた。
 見向きもしないなんて、自分の方こそ、そうだと思っていたのに。なのに。
「俺は、おまえが可愛かった。ずっと昔から……おまえが宗次郎と呼ばれていた頃から、愛しくてたまらなかったんだ。おまえは覚えていないだろうが、一度、思い切って云った事がある。俺のものにならないかと」
「覚えています」
 総司はまだ混乱したまま、答えた。のろのろと言葉を紡ぐ。
「でも、あの時、土方さん、悪ふざけだと云ったから、だから……」
「おまえのあどけない顔を見ていたら、そう誤魔化す他なかった。だが、俺はずっとおまえを見ていた。愛していた……いや、今も愛している。総司、俺はおまえだけを愛しているんだ」
「……」
 呆然としたまま、総司は土方の胸もとに引きよせられた。背中を、髪を撫でる男の大きな手のひらが心地よい。
「愛してる、総司……愛してる」
 土方は熱にうかされたようにくり返し、総司の頬や首筋に唇を押しあてた。愛しくて愛しくてたまらないと云いたげな仕草に、総司は、これが現のことなのだと知った。


 ずっと、彼に関心さえ持たれていないと思ってきた。
 だが、それは間違いだったのだ。
 彼は、自分を愛してくれていた。
 そして、今も……心から愛してくれているのだ。


「土方…さん……っ」
 思わず彼の背にしがみついた。ぎゅっと着物に皺がよるほど、縋りついてしまう。
「……す…き……っ」
 掠れた声が、唇からもれた。
 ずっとずっと云いたくて、でも、云えなかった言葉が。
「あなたが……好き、好きです、土方さん……」
「!」
 土方の手がびくりと震えた。総司を抱きしめたまま、息を呑んでいる。
 それを感じつつ、懸命につづけた。
「江戸にいた頃から、好きだったの。でも、私なんて駄目だと思っていた……引っ込み思案で、何もできない子どもの私なんて、あなたに相手して貰えるはずがないって。でも、好きで好きでたまらなくて……いつも、あなたを遠くから見て……っ」
「総司……っ」
 息もとまるほど抱きしめられた。小柄な躰が土方の腕にきつく抱きしめられる。
 それを夢のように感じながら、総司は囁いた。愛しい男のぬくもりに包まれ、何度も何度もくり返す。
「好き……愛してる、土方さん……」
 ずっと云えなかった言葉は、やがて、途切れた。
 とろけるような口づけで。
 愛しい男の腕の中、激しく甘い抱擁と口づけを受けながら、総司はそっと目を閉じた。














 数日後のことだった。
 玄関口で出かけようとしていた総司は、後ろからかけられた声にふり返った。
「斉藤さん」
 にこりと微笑む顔は、花のように愛らしい。
 それを、斉藤はため息まじりに眺めた。
 最近、噂になっているのだ。もともと可愛かった総司だが、まるで花開くように明るく、より綺麗になったと。
 その理由を、知りたくもないのに知っている斉藤は、訊ねた。
「どこへ行くんだ。外出か」
「はい。土方さんと出かけるのです」
 臆面もなく応える総司に、斉藤はやれやれと肩をすくめた。


 これまた、噂になっているのは、土方のことだった。
 冷徹で、感情がないのかとさえ云われていた男が、総司の前では、柔らかく笑うようになったのだ。
 肩を抱きよせたりしている様も、見られている。
 噂にならぬ方が不思議だった。
 念兄弟だという噂もあったが、土方はまるで気にしていないようだった。
 むしろ、そうだと肯定しかねない堂々とした態度だ。


「あの人も開き直ると、怖いからなぁ」
「? 斉藤さん?」
「いや、何でもないよ」
 斉藤はちょっと笑ってから、鳶色の瞳で総司を覗き込んだ。
「で、素直になった結果が、これって事なんだろう?」
「え」
「よかったな、総司」
 恋敵としては面白くないが、総司の幸せを願わずにはいられなかった。
 その想いをこめて云った斉藤の言葉に、総司は一瞬、目を見開いた。それから、耳朶まで桜色に染めると、「はい」と小さく頷く。
 土方さんは幸せものだと思いつつ、斉藤は総司の髪に手をのばした。撫でてやりたくなったのだ。
 ところが、ふれる直前で、ぱしっと手をはたかれてしまう。
「いたっ」
 驚き、ふり返ると、いつの間に現れたのか、土方がそこに立っていた。素早く総司を己の胸もとへ引き寄せながら、云い放つ。
「ふれるのも許さねぇと云っただろうが」
「ちょっとさわるぐらい」
「絶対に許さねぇよ。こいつは俺のものだ」
 凄みのある声で云い返す土方の腕の中で、総司は顔を真っ赤にしていた。何度も土方の胸を小さな拳で叩いているが、まったくびくともしない。
 恥ずかしそうな総司が可哀想で、斉藤は引き下がる事にした。
 いつもいつも土方が見張っている訳ではないのだ。
 これからも、少しぐらい機会はあるだろう。
 そんな事を考えながら歩みさっていく斉藤を見送り、土方は短く舌打ちした。そのまま総司の手をひくと、屯所を出て足早に歩き出す。
 かなり屯所から離れてから、不意に、土方は総司を物陰に引っ張り込んだ。抱きすくめながら、低い声で呟く。
「……本当に油断も隙もねぇ」
「土方さん」
「ずっと見張っている訳にもいかねぇし、けど、他の誰にもふれさせたくねぇよ」
 総司は小さな声で抗議した。
「どうして、あんな事をするのっ。ばれちゃったら、どうするのです」
「俺たちのことか?」
「そうです」
「別に構やしねぇだろうが」
 土方は、総司を深く澄んだ瞳で見下ろした。微かに眉を顰め、訊ねる。
「それとも……おまえは嫌か? 俺のものだと云われるのが、嫌なのか」
「……いいえ」
 総司は一瞬黙ってから、はっきりと答えた。


 嫌なはずがないのだ。
 それは、本当の事なのだから。
 自分の体も心も、喜びも悲しみも―――命さえも、この人のものなのだから。


「嫌なはずがありません」
 そう告げてから、総司は両手をのばした。背伸びし、土方の肩に抱きつくと、そっと唇を重ねる。
「私は、あなたのものだから……あなただけのものだから」
「そうだな、総司」
 土方は愛しい恋人を抱きよせた。かるく喉を鳴らして笑う。
「おまえは俺だけのものだ」
 そう答えた土方を、総司は大きな瞳で見つめた。何だ? と訝しげに首をかしげる土方に、微笑いかける。
 つま先立ちになり、彼の耳もとに唇を寄せて囁いた。


「……私のものになりません?」


 土方の目が見開かれた。
 そして、喉を鳴らして笑うと、答えのかわりに可愛い恋人を抱きしめたのだった。























これにて完結です。ラストまでおつきあい下さり、ありがとうございました。
女の子の恰好で土方さんと出逢う総司を、書きたい! と思ったのが、このお話のきっかけです。途中から切ない感じになりましたが、ラストははっぴーえんど。土方さんが昔云った「俺のものになっちまわねぇ?」を、総司風に返した訳です。
このお話、少しでも、お楽しみ頂けたら、とっても嬉しいです♪
これからも、土方さんと総司の恋愛物語を書いていきますので、よろしくお願い致しますね。
本当に、ありがとうございました!