……また見られてる。


 ぞくりとするようないつもの感触に、宗次郎は体を竦ませた。
 どうせ振り返ってみても、視線は反らされているのだ。この頃、あの黒い瞳にまっすぐ見つめられた事はない。それは宗次郎を悲しませてもいたが、不安を覚えさせる事でもあった。
 まっすぐ見つめないくせに、こうして背をむけると痛いほど男の視線を感じるのだ。
 一挙一足、纏わりつくように、彼の視線は宗次郎を捕らえ続ける。まるで、彼の手の中から決して逃れられえぬ虜のように。
 それでいて、宗次郎は歳三に面と向かって訊ねることが出来なかった。
 ずっと子供の頃から彼に可愛がられてきたのだ。その不器用だが優しい愛情を一身に受けてきた。
 いつでも傍にいるのが当たり前の存在だった。むろん、歳三は行商や女遊びに忙しく、たびたび留守にしたが、それでも試衛館にいる時はいつでも宗次郎の傍にいてくれた。
 何でも話せる、どんなことでも甘えられる兄のような存在だった。
 なのに──いつ頃からなのか。
 歳三が宗次郎と話す時、どこか苦しげな表情をすることに気づいた。僅かに眉をひそめ、その黒い瞳を翳らせる。苦みばしった男前の顔にうかべられたその表情に、宗次郎は困惑した。
 こんな子供に纏わりつかれて迷惑なのかとも思った。いくら兄弟同然であっても、甘えすぎてしまったのかと。
 宗次郎も十四の年をむかえていた。もう子供ではない。相変わらず華奢だったが、その手足はすらりとのび、時折、綺麗な顔にうかぶ表情は周囲が驚くほど大人びていた。
 だが、そんな頃から、急に歳三が宗次郎を遠ざけだしたのだ。むろん、話かければ答えるし、笑顔も見せてくれる。だが、彼から近づいてくることは一切なかった。
 ただ──遠くから見つめているのだ。
 強い視線を感じて振り返れば、すっと目をそらす。なのに背をむければ、また見つめられる。
 そのくり返しだった。
 初めは気にしないでおこうと思った。何か怒っているのだろうと。だが、だんだん、そうではない事がわかってきた。
 むろん、彼の真意は今でも全くわからないが。だい好きな人が理解できなかった、まるで宗次郎が知らない男のように思えた。
 何より怖いのは、こんな事をするくせに、他の人の前では何もなかったように笑いかけてくることだった。
 端正な顔にあの優しい笑みをうかべ、手をさしのべてくれる。そこにいるのは、確かに、宗次郎の「だい好きな歳三さん」だった。

(なのに……)

 宗次郎は竹刀を握り締めたまま、息をつめた。
 痛いほど感じる。
 彼の強い視線を。

(とらえられる……)

 ふと、そんなことを思った。このままでは、彼の手の中に捕らえられてしまう。
 だが、すぐさま宗次郎は首をふった。
 どうして、彼が自分を捕らえるのか。子供の頃からずっと優しかった人。だい好きな兄のような人。
 そんな彼がどうして……
「───」
 ふっと視線が外れたのを感じた。振り返って見ると、道場の入り口付近に立つ歳三に、近藤が歩みより話しかける処だった。親友の話を、小さく笑いながら聞いている。
 思わず、その端正な横顔を見つめた。


 柱に凭れかかった長身。すらりとした体に深い藍色の着物を着流している。
 僅かに乱れた黒髪を片手で鬱陶しそうにかきあげるその仕草が、妙に男の色気を感じさせた。
 目を細め、かるく首をかしげるように人の話を聞く癖。唇の端をあげて笑う、冷ややかだけど綺麗な笑み。


 それを見た瞬間、どきりとした。どうしてか頬が火照る。
 前からずっと、驚くほど綺麗な顔をしてると思っていた。自分では叶わない、引き締まった長身が羨ましかった。だが、こんなにも彼の仕草一つに見惚れ、どきどきしたのは初めてだった。
 宗次郎は向きをかえると、道場の真ん中で素振りを始めた。近藤と土方の話し声が遠ざかってゆくのを感じる。
 それを安堵と淋しさという相反する想いのまま追い続けている己が、自分でも理解できなかった。











 それからも歳三の視線は感じ続けた。
 相変わらず振り向けば、すっと反らされるのだが。
 むしろ──、変化は宗次郎の方にあった。
 怖いと思いながら、逆に彼の視線を求めてしまうのだ。
 初めはあんなに戸惑っていたくせに、最近は、彼の視線を感じないと不安になった。振り返り、無意識の内に歳三を探してしまう。
 そして、また彼の視線に捕らえられ、安堵した。
 いつでも見つめられていたかった。
 まるで鎖のようだと思ったが、それでも、それが心地よかったのだ。
 異常だとわかってる。
 兄がわりとして慕ってきた男との、奇妙な緊張感を、宗次郎は望んだ。その細い背に男の強い視線を受けることで、安堵する自分を見つけてからはもう、どうしようもなかった。
 心の奥底にあった何かを掴み出されてしまったのだ。
 宗次郎にとって、歳三はもう「だい好きな兄」ではなかった。
 この世でただ一人の男。
 怖いほど自分の身も心も虜にしてしまう、恋しい男だったのだ。
「……歳三さん……」
 思わず彼の名を口にした。それだけで体じゅうが熱くなった。
 ずっと、彼に見つめられていたい。
 彼の手の中にとらえられ、繋がれていたい。
 知ってしまったから。
 彼が好きなのだと。一人の男として恋してるのだと。
 そんな自分の気持ちを知ってしまった以上、彼の鎖で永遠にとらえられることは至上の幸せだった。
 いっそ……身動き一つできないほど虜にされたかった。











 「…… 宗次郎」
 声をかけられた瞬間、びくりと体がすみあがった。
 夜の中庭だった。水を飲みに井戸端へ来たところで、後ろから声をかけられたのだ。
 月明かりで草木一つまでよく見える。白い月の光が中庭を浮かび上がらせていた。
 おそるおそる振り返った宗次郎は、そこに久しぶりに自分をまっすぐ見つめる歳三を見出した。
「歳三さん……」
 ぎゅっと両手を握り締めた宗次郎に、歳三はどこかが痛むような顔をした。しばらく黙った後、その引き締まった唇からもれたのは、思いがけない言葉だった。
「すまねぇ」
「え」
「今まですまなかったな……おまえに怖い思いをさせちまった」
 宗次郎は俯いた。それを見つめ、歳三は言葉をつづけた。
「俺の言ってること、わかってんだろ。おまえ、すげぇ怯えた顔して俺を見てたものな」
「………」
「身勝手だが、何であんなことしたかき聞かねぇで欲しいんだ。ただ、もうしねぇから、俺を……怖がらないでくれねぇか」
「………」
「なぁ、頼む。前みたいに俺に接してくれ。身勝手な言い草だとわかってるが、宗次郎……何か、言ってくれ」
 宗次郎は長い睫毛を伏せたまま、息をつめた。
 そして、細い声で答えた。
「……怖がってなんかない」
「宗次郎」
「それは……初めは怖かったけど、歳三さんどうしたんだろって思って、でも……そのうち……」
 宗次郎の頬が火照った。
 男が手をのばしてくる。その力強い腕に引き寄せられるまま、従順に抱かれた。
 彼の胸に顔をうずめ、小さな声でつづけた。
「そのうち……歳三さんが見ててくれないと、逆に怖くなったんです。いつでも見てて欲しかった。歳三さんに見られて……私、嬉しかったから」
 ぽつりぽつりと告げられる言葉に、歳三の目が見開かれた。
「宗次郎、おまえ……」
「だから……」
 細く白い指が歳三の着物を縋るように掴んだ。
「だから、お願い。ずっと私を見ていて……」
「………」
「いつまでも見ててください」
「……見てるさ」
 歳三は掠れた声で囁いた。まるで宝物のように腕の中の細い体をそっと抱きしめた。
「おまえを見てる。ずっと、いつまでも見ててやる」
「歳三さん……」
 彼の腕の中、宗次郎はうっとりと目を閉じた。
 それを歳三は見下ろし、目を細めた。





 こんなにも誰かを愛しい──と思ったのは初めてだった。
 一度は思い切ろうとしたが、とても出来るものではなかった。宗次郎に逢うたび、その笑顔を見るたび、甘い疼きが全身を貫いた。
 己の身の内を焦がす炎のような恋情に、自分でも茫然となった。
 そして、それは宗次郎がもう子供でないと気づいた日から、一気に燃え上がってしまったのだ。
 ある日ふと見せられた、宗次郎の大人びた表情。
 長い睫毛を伏せ、僅かに桜色の唇を開いて。その綺麗な横顔にある、幼いが紛れもない艶かしさにぞくりとした。


 この少年を愛してる。
 その気持ちのまま、目で追ってしまった。
 他の誰と話すのも許せず、だが、見ている事しかできない自分が悔しかった。宗次郎が自分の汚い感情に気づいたのかどうなのか、ひどく怯えた表情で己を見あげた瞬間、それは絶望となった。


 このままでは、宗次郎を失ってしまう。その焦燥のまま話しかけたのだが、宗次郎は自分を受け入れてくれた。見てて欲しいとまで言ってくれたのだ。
 自分がどんな恐ろしい事を、この男に告げてるのか知りもせず……。





 歳三は薄く笑った。
 それは昏く歪んだ──どこか狂ったような笑みだった。だが、その笑みを見せないよう、宗次郎の小さな頭を胸もとに引き寄せ、優しく髪を撫でてやった。
 そんな彼の体に、宗次郎は甘えるように両手をまわした。 
「歳三さん……だい好きですよ」
 いつもの無邪気な口調のまま、宗次郎はそう告げた。
 それを、歳三はあの黒い瞳で見下ろした。


 そして。


 腕の中にとらえた可愛い獲物を抱きしめると、優しく静かに微笑ってみせたのだった……。
















 


[あとがき]
 ……三時間で書き上げちゃいました。何でか、すごく書きたくなったストーカー土方さん話です。タイトルの甘い罠は、宇多田ヒカルの曲から。さて、甘い罠にかかったのはどっち? 短いお話は基本的に甘甘なのですが、その奥底にはこういう土方さんの狂気じみた執着があります。土方さんが抱えている、総司へのやばい執着と愛を書きたかったのですが、如何だったでしょうか。ラストの土方さんで、少しでも伝われば嬉しいです。
 こういうちょっとやばい話を書くのって、私は好きです。でも、皆様のお好みは? またご感想を頂けると嬉しいです。一応、これは1000ヒット祝にします。けっこう、うちの基本的なとこでいいんじゃないかと思うのですが。ね?