辛いとき、苦しいとき

初発以来の自分の辛さ、苦しさ、しんどさをイメージ化してみました。





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H16-17
初発
・へその上下20p切開、鼠蹊部大動脈から心臓に向けてカテーテルを入れての検査
・結果、「「悪性リンパ腫」です。気を落とさないように、今は良い薬がありますから」と医者から告げられた。
・悪性リンパ腫?What?「がん」とは言われなかったし、どうにかなるだろう、がん保険の保険金出るのかな?
自分はその程度認識しかなかった。
H17-18
治療
・主治医からは様子を見てもよいし、治療を始めてもよいしと判断を求められた。
・おなかの中に変なものができている、先生、早く取ってよという気持であった。
・抗がん剤治療中は、毛髪は無くなるは、下痢が続くは、精神的なイライラ感が跳ね上がるは・・・ではあったが
休養もまた良しと読書三昧、パソコン三昧の生活を続けながら、定期的に職場と連絡を取りあい、復帰後に向けやる気満々であった。
H18〜
職場復帰
・半年の治療の結果、腫瘍は消失した。休養は十分取れたし、それでてと職場復帰した。
・しかし、課題は山積、半年たってもそのままの懸案も多く、いきなりフル操業状態となった。
・3月ごとの検査は順調で、この調子でいけば完治も夢ではないと思っていた。
H19〜
再発
・再発!寛解後たった1年で!信じられない思い.
治療しても再発してしまう恐怖感、心理的重圧ですべての活力が一気に奪い去られてしまった。
・寝ても覚めても意識の底に死への恐怖感がこびりついて離れない。
・ネット情報から余命5年
・自分のことよりも、子供たちは?妻は大丈夫だろうかと不安ばかりが増していく。
H19
治療
・ひと月あまり療養休暇を取り、放射線治療と抗がん剤治療により、一応寛解する。
・寛解後も再再発の恐怖に苛まれ続ける。
・自分では何もできない、再発がないことを祈るだけとの無力感が漂う。
H19-20
転機
・がん患者の会「WAHAHAの会」との出会い(特定非営利活動法人 WAHAHAの会)

・がんを消滅させた人、がんと共生する人などがんを克服した人々と出会い、二つのことを気づかされた。
 ・一つはこの状況の中でどう生きるかという生き方の問題、これは自分の意志でどうにでもできるもの
 ・もう一つは、医学の世界では冷淡に扱われるが、自分にもできることがたくさんあること

・運命を呪い医者任せの無力感に覆われた無気力な生き方から、できることがあるならやってみようと積極的に生き方に変わっていった。
H21〜
再再発
・それでも2年後、再発してしまった。残念ではあったが無念ではなかった。心の動揺は、再発時と比べてはるかに小さなものだった。ならばどうすべきかと思える自分に変わっていたと思う。

・事実は受け入れるしかない、この中でどう生きるかは自分が選択すればよいだけのことと割り切った。
・治療は急ぐことはない、元気なうちは、やりたいことをどんどんやっていった。