平成6年4月から、小学校の歯科校医を任されていますが、当時生徒数が多く、検診も慣れないため下校時間を過ぎることもありました。
 現在は少子化のためか、2クラスの学年もできてきてずいぶん楽になりました。
 その分、スクリーニング検査がだんだんと精密検査に移行してきました。
つまり篩の目が細かくなり、その分検査項目が増えて時間がかかるようになりました。
 生徒数が多いとき、給食終了の時間を早くしてもらい、検診時間を早めてもらったり学級から学級の引継ぎもスムーズにしてもらったりして工夫をこらしました。
 たまたま検診の日が台風のため休校になり、予備日を作っておく知恵もなく、診療を休んで朝から一気に検診することになりました。
 当然昼休みも15分か20分ほどしかなく、給食を食べさせていただきました。
 思えば、給食を食べたのは20数年以上前になります。
 当時と比べ、脱脂粉乳はパック牛乳に代わっていますし、金属製の食器ポリカーボネートの食器になっていますし、悪名高き先われスプーンが普通のスプーンになっています。
 現在、給食試食会があって、保護者が給食を食べる機会がありますが働くお父さんには時間帯などの条件が遭わないと無理でしょう。
 パンも2個あったような気がするのですが、1個になっていますし現在の子供が満足しているのか興味があります。
 給食も全部残さず食べるように指導が行われているのでしょうか。あまり強くは行われていないような雰囲気です。
 1食200円ぐらいなのでしょうか、休みの日に子供にねだられて使うおやつのほうが高いだろうし、外食したら1週間分の給食費を超えてしまうと思うと、奇妙な感じになります。
 学校という団体生活の特徴のひとつと理解すべきなのでしょうが、家庭と学校との関係が昔と比べだんだんと変わってきているのでは。
 教育、教え育むということの重要性が今も学校にあると思いますが、教えるという点では、ゆとり教育とか、週休2日制とか、文部科学省の迷走もあいまって学力低下という現実が取りざたされています。
 勉強に関しては、学習塾のほうが圧倒的に効率が良いに決まっています。
 教育のうち、十分な「教」が期待できず学習塾に移行しだして、「育」も給食のようにだんだん形だけになってしまうかもしれないし。
 中学校も、トライやるウィークを作って社会に出て何かを感じ取ってもらおうとしています。
 そもそもの動機が、過去の悲惨な事件がきっかけですが、どれだけの成果が期待できるのか。
 図書館で本を物色しているとき、掃除しているトライやる中の中学生に「掃除しているのでどいて」といわれたり、パン屋でパンを買うとき素手でパンを取り扱ったり、すし屋で元気な掛け声というより、大声を張り上げているとしか思えないような叫び声をあげていたり。
 ごくごく一部の生徒だと思いますが、そうは言っても指導者がいないと適切な指導ができません。
 お店の人が指導すればよいといっても、店員ではなくてお客様なわけで限界があります。
 学校で何もかも学ぶことはそもそも無理があります。
 昔は、地域で学んだ礼儀なり社会性が生活環境の変化で教える人がいなくなり自然と学校にその比重がかかってしまい、当然必要な体制が学校ではないのでトライやるウィークなるものまで生み出し社会に教育の一環を求めたのかもしれません。
 どんどん教育の現場に重荷がかかってきているように感じることが多くなってきました。
 子供のしつけについては、誰がどこでいつ行うのか?家庭で?学校で?地域で?体罰が学校から一掃された現在、言葉だけで説得することができるのか?
 宗教の手助けを借りる必要があるのではという人もいましたが、宗教は、諸刃の刃、徳も毒も含みます。
 スポーツの普及?これも身体能力の差が歴然と出ます。
 もっと生きていくうえでの基本的なこと衣食住の食で稲作を授業で取り入れる?
 時間的にも、場所もないですね。
 「しつけ」に理由を付けて教えること事態無理があります。
 多分理由付けしようとすると、「人間の尊厳」にはなしが及ぶことになり、「尊厳」をちゃんと理解するには、ある程度の理解力なり、経験が必要になって来るでしょうから、結局「しつけ」の説明は後日回しということで訳も判らずにしつけてもらうということになるのでは。