地に足を着ける。なかなかできないことです。
 自分の立っている場所はどこか?どこを見ているのか?何をしたいのか?
 ゆるぎない自身と信念を持っている人は何事が遭っても動揺しない。
 生きていくうえで、いろんな判断をしていきますが、そのたびにあれやこれや判断に迷ってしまいます。
 歯科診療中いろんな判断を下さないと先へ進みません。治療方針をどうするのか?
 どうやったら一番お金が儲かるのかを基準にしているとしか思えないような方針の治療もたまに見られます。
 あんまり偉そうな事はいえないのですがご容赦。
 それはそれで、確固たる自信を持った上での治療方針でしょうから、ほかの人がどう言おうと信念は曲げないと思います。ある意味現代医学はもはや医は仁術ではなくなってきていますから。
 それも治療だと思います。症状を悪くしたのは患者さんだと言い切ってしまえばよいだけですから。
 また、最先端の治療に邁進している先生も居ます。さすがに勉強会に継ぐ勉強会、学会等にも発表されていて、このバイタリティーには頭が下がります。
 どんどん患者さんに応用するのに勇気がいるように感じますが、前進あるのみなのでしょう。
 こういった方針もひとつの生き方に通じると思います。
 歯科医師会の仕事に重きを置いている先生も居ます。誰かがしなければいけないことなので、それを続けるにも気力体力知力ともに必要になっています。従ってこれらを備えている人でなければできない訳です。
 臨床は捨てて、研究一本の先生も居ます。臨床をやらなければ迷いませんね。
 これらの先生は、迷わないと思います。自分の立っている場所、基盤を持っているからだと思います。
 そういった態度が、患者さんに安心感を生むのかもしれません。
 とりあえず痛みを消さないといけないのに、なかなか消えないときもあります。
 痛ければどんどん歯髄をとればよい、それでもだめなら、歯を抜けばよい、歯がなくなれば入れ歯があるし、気持ち悪けりゃインプラントがあるさ。と割り切っていいものかどうか。
 なかなかうまく行っているのに、「かめないんです。」を連発されてにっちもさっちも行かない状態の人も居れば、どうやってこの義歯で食事しているのかしらと思っても、機嫌よく使用している患者さんも居ます。
 何が良くて何が悪いのか、患者さんの考え方、生き方にも関係しているような気もします。
 一日二日の痛みをどう乗り切るか、一週間二週間の機能障害をどう切り抜けるか、数ヶ月から数年間を快適に過ごすのはどうしたらよいのか、それぞれどこに視点を置くかで処置も違ってきます。
 忙しい仕事の人は、今痛くなくなればこられなくなるかもしれませんし、人前に出る仕事で審美性に重きを置くのなら、機能が低下します
 年単位の状態を維持するには、定期検査の重要性が考えられます。
 そんなことを考えていったら、何もしないですむに越したことはないというような考え方にもなります。予防第一主義ですね。
 でも、現実にいろんな疾病にかかってから来院するのであって、まずスタートが病気からなので、そんなことはいってられません。
 患者さんの希望第一を治療方針にすれば気は楽ですが、大概要求が高くて相容れないことが多いです。
 言い訳ばっかり言って、お願いに継ぐお願いで納得してもらうのが現状です。
 親知らずの抜歯困難な症例や、矯正、審美歯科、予防歯科、再生歯科、インプラント、シリコーン義歯・・・・・・
 できないことが多いこと多いこと。
 すべて完璧にやり遂げることは不可能だということが理解できます。
 いわゆる、町の開業医という基準で考えると、適切なアドバイス、初期の矯正、初期の審美歯科ができれば、100点満点はもらえないにしても、60点の合格点を目指せると思っています。
 自分の能力を考えると、これなら目指せるかもしれないと思ってきました。
 虫歯治療が100点、歯周治療が100点、根の治療が40点では、平均80点かというと、総合30点の治療になってしまいます。
 すべて55点の治療にも劣ってしまいます。
 こんなにうまく治療の判定自体ができませんが、治療方針として、バランスの取れた治療がしたいなあと考えています。
 うまく行かなくても、粘って何とか格好を付けるといった逃げの治療が多いのも事実です。