20周年同窓会             11月26日(土)午後3時から大阪ホテルリッツカールトンで卒業20周年記念大会と同窓会開会
 幹事会の下っ端の下っ端だけど、早めに集合が掛かったので、急いで大阪に。初めてリッツに行きましたが、田舎者丸出し状態でした。20数年前に毎日通った大阪駅周辺は大きく様変わり。ちょくちょく大阪に足を運びましたが、どんどん変わり続けています。
 歯科医師人生20年が過ぎたと言うことは、せいぜいあと20年ぐらいしか同じペースで働けないと思います。ファイナンシャルコンサルタントを迎え講演していただきましたが、20年後にこのままで生きていると悲惨なことになるそうです。
 悲惨な老後?それを避けるために今から資産形成?投資信託始めなければいけない?
 支出削減、経費削減では設備投資が出来ないし。よりいっそう働かなければいけないが、医療改革、診療報酬減額いろんな圧力で患者さんも来院するのを控えるだろうし。

 今までなら、普通に診療しているだけで資産形成できた時代だったらしい。そう言えば70代前後の先生方はビルのオーナーとなって家賃収入で歯科診療は副業になりかけている。跡取りがある先生は、診療所を子供(と言っても50歳前後)に任し資産があるのか悠々自適だし。
 総会、講演会の後懇親会がありましたが、まず物故者2名の黙祷に始まりスライドショー。どんどん暗い気持ちに。涙ぐんでいる会員の姿を見て余計に悲しくなります。
 あるかどうか分かりませんが、40周年記念大会では、自分も含まれているかも知れず、それでなくても黙祷だけで済まされそうです。とりあえず、30週年記念大会には何とか元気で参加したい。
 幹事会の下っ端の下っ端として、早めに食べてスナップ写真をとり巻くっていました。プロの写真家がスナップ写真を取っていましたが、見ず知らずの人たちに積極的に話しかけてカメラに向かったスナップ写真はなかなか撮れません。私を含め3人の先生が記念誌に載せるスナップ写真を撮っていました。
 数人まとめて写真を撮りますが、気心の知れた同士「先生、カツラずれとるで。」と言って、頭に手を掛け余計にずらす場面も。突っ込んで良いものやら、カツラをもう一度直すのが良いのか、どきまきしてしまいそのまま黙って分からないフリをして撮影しました。果たして記念誌に載るでしょうか。
 この同窓会の日の丁度1年前に脳溢血で倒れた先生もリハビリの末自力歩行できるほど回復して参加されていました。サッカー部で鍛えた気力と体力でここまで回復したのでしょう。代診を雇い診療所再開しているそうです。
 8020運動で、結果が分かるのは80歳生きた人だけ。80歳は無理かもしれないけど、20年後どうなっているか、経ってみないと分からない。
 超零細歯科医院の挑戦は続く。