今年は当たり年。
 誕生した年が1回目なら今回で5回目。そんなことを考えていたら、嬉しくないことで年末から年始に掛けて大忙し。そのため私も体調を崩し、1月の下旬になるまでふらふら状態で、ブログもホームページも更新できませんでした。
 というのも、去年の暮れから体調を崩していた義父が危篤状態で12月31日から家内の実家で待機していました。
 山間部と言うこともあって、寒い寒い。
 残念ながら1月1日に逝去。
 次女の婿と言うことであんまり病状についても分からず、闘病生活は2年半あったのですが、いつの間にか発病して、いつの間にか入院していつの間にか手術して・・・・・。と言った感じです。
 そもそもの発症は肺がんでした。
 偉そうに歯科医師を名乗っていて「医師」が付いていますが、「医師」のバッタモンの悲しさ。メジャーな医師の知識には程遠くあんまり頼りにされませんでした。
 と言うものの、さすがに気になって後追いで教養書程度の本に目を通していると、歯科医療と相通ずる点もあって色々と考え込んでしまいました。本人から相談を受けたらもう少し時間を費やして調べていたかもしれませんが、偉そうなことを言って人の生き死に関与する勇気がありませんでしたので、なんとなく黙ってみているだけでした。
 
 1月1日の早朝に急変したのですが、看護婦さんは朝早いということで連絡はもう少し待ったほうがよいのではと言ったのを付き添っていた義母が敢えて連絡してくれたのですが、結局義母以外誰も間に合いませんでした。
 1月31日の段階で血圧も下がってきていて、最高血圧が60を割っていたので、そんな状態でも大丈夫なのかなあとぼんやり考えていただけで、次女が風邪気味なので病院の近くの実家で泊まっていました。
 歯科医師会の理事をしていると会員の先生家族が亡くなられたら手伝いに行かなければいけません。そんなお葬式になれていたので簡単に考えていたら大違いでした。まず、斎場が3日まで休みなので連絡が取れません。従って通夜、告別式の日程が決まりません。
 基本的に村の人が仕出しとか、手伝ってもらうことに決まっていて手伝いの時間日程も決まりません。そんなことより、遺体が帰ってきます。それも、義父の兄弟が車で病院から。私の車では荷台がなくて運べないと言うので仕方なくその軽トラで運んだしだいです。布団だけではいけないので、元日から近くの花やさんにお願いしてドライアイスを分けてもらいました。最初は病人で帰ってきたということで南枕でしたが、義父の直ぐ下の弟(義理の叔父)が知り合いのお坊さんに聞いて死亡診断書が届いた時点で北枕に。
 1月1日中には義兄一家、義弟一家も駆けつけましたが、その土地の風習に従わなくてはいけないのでほとんど、義父の兄弟におんぶに抱っこ状態でした。
 村の長老と折衝してもらって、祭壇も農協か葬儀店で注文する段取りもつけてもらい、近くの集会場を借りてお通夜と告別式に使うと言うことがおおよそ決まりました。
 1月2日は友引だし何にも出来ない日となり、3日お通夜で、4日告別式が決まりました。
 1月4日を仕事始めにして患者さんを集中させていたので急遽帰神して、キャンセルに明け暮れることにしました。1月2日の午後と1月3日の午前も開院して、こられない患者さんは後日再予約お正月なのでさすがに連絡がつきにくく大変でした。1月3日の午後に再び戻るとすっかりお通夜モードに。
 義兄は3回挨拶すると言うので緊張しているし、着替えが遅れたりしていてやきもきしていました。
 お通夜も集会場の控え室を使わしてもらい寝ていましたが、冷え込みがきつく、ストーブの前で寝ていても寒い寒い。地元の人や義兄は普通に寝ている横でほぼ夜更かし時状態でした。
 お通夜で他に考えることもなく、色々と話を聞いていると、やはりもっと話を聞いて置けばよかったと思い始めていました。

 医療は一発勝負の繰り返し。医師選びも寿命のうち。70歳を越えて無症状なら手術しないと言う方法が最善では?最悪ホスピスでもよかったのでは?手術の必要性の決め手は何だったのだろう?スプリング8での治療は200万円掛かるので躊躇したと言っていたが、手術してからだったし。検査来院中に意識不明になったが体調を崩してからの無理な検査の必要性は?意識不明になった時緊急処置で人工呼吸器を使ったが、そのはずす時期の決定は?
 どんどん疑問がわいてきて、その後も色んな情報を見るに付け、煙たがられても良いから立ち入ったことを聞きに言って置けばよかったかもと思い始めていました。どうしても結果論で判断してしまうと全てが間違いのような気がしてしまいます。
 お通夜ぐらいに引いた風邪で体調が下降気味なときに3歳児健診の当番があり、連続して
垂水区歯科医師会新年会。普通なら新春学術講演会の記録ぐらいだけど、50周年記念誌の会員先生の顔写真も一人一人とらなくてはいけなくて、機材一式私が持っているしどうしても行かなくてはいけませんでした。数年前からタイムテーブルを作りいよいよ記念誌製作が動き出すと言うことで張り切っていましたが、めどが立った時点で気が抜けて体調が悪化してブログ、HPともども更新していませんでした。
 情報源はもっぱら近藤 誠の成人病の真実 文藝春秋です。
 賛否両論です。例えば、反対論は、
 
 賛成論は、
 
 両者とも立派な学者先生ですが立場は違います。世の中誰を信じたら良いのか、何を信じたら良いのか。癌の末期で藁をもつかむ想いでフランスのルルドの水(http://www2n.biglobe.ne.jp/~jysuzuki/lourdes.htm)を現地まで飲みに行って体力を消耗した人を知っていますが、止めろとはいえません。息子さんはファーストクラスをとって親子3人で行って来ました。世の中には奇跡というものがあるかもしれませんから。
 世の中には絶対と言うことはないのは分かっていますが、感情が介入すると絶対的な力を信じたくなります。たちが悪いことに無意識農地に信じるあるいは行動してしまいます。
 薬なり治療方法の有効かどうかを判断するのに、無作為二重盲検法(くじ引き法)を行わないと判断できません。
 ところが医療となると無作為二重盲検法が実施できることが実際問題として不可能です。医療のほとんど全てが一発勝負だからです。検索すると、
 根拠に基づいた医療あるいはエビデンスに基づく医療(EBM: Evidence-based Medicine)とは、医療に科学的手法を取り入れようとする運動のひとつである。医療行為における治療法の選択などにあたっては、理論や経験や権威者の判断ではなく、確固とした疫学的証拠に基づき、科学的に最良の判断をすべきであるという考え方を最大の特徴とする。
 とありますが、まだまだ理論や経験や権威者の判断で治療が成り立っています。
 ヘビースモーカーが肺がんになって、検査で見つかり症状がなかったが手術し、医者に驚かされて気力がなえて体力も落ちて、そのうち脳に転移しさらに体力が衰えてきたにもかかわらず検査に病院にいき検査終了したとたん呼吸停止し人工呼吸器を装着して意識不明になって延髄に炎症が起こり死亡したら、死因は?
 統計的には死因は何になる?ガンなら、原発の肺がん?脳の転移癌?肺がんの症状がないので検査して見つからなかったらあるいは検査せずそのままなら、老衰で死亡する可能性が大きいのでは?
 医師が弄繰り回さなかったらもっと長生きできていたかもしれないかもと考えるのはあながち間違っていないかも。機嫌よく生きている人はそのままそっとしておくのが一番かも。急激に進行するガンは誰にも止められないかも。初期のガンは見つかっても短期間に大きくならないし、ポリープがガン化するということは証明されていないとか、大規模疫学調査で検診したグループとしないグループとでは死亡率に差がないといわれると、根本的なところに立ち返って考え直さないといけないような気がします。
 虫歯の程度でC1 C2 C3 C4の4段階が、Co C2 C3 C4となっただけで、虫歯の数は変わるし治療方法も変わってきます。現実の虫歯は何も変わっていません。考え方が変わっただけ。
 どちらが正解か、誰が判断できるのか。虫歯は直接命に関わってきませんが成人病となるとそうは行きません。何人かの医師の判断を聞くことも大切になってきます。セカンドオピニオン、サードオピニオンも重要になってきます。医科、歯科にセカンドオピニオン科と言ったものを作る必要があるのでは。
 第2意見、第2診断(セコンドオピニオン)でも、大きく違っても同じような内容でも迷う場合は迷います。最後は本人の勘?