サッカー オリンピック出場 NHKのドキュメント番組「そのとき歴史が動いた」「日本サッカーベルリンオリンピックの奇跡 世界を驚かせた逆転勝利」をみていて、ちょっとした疑問が解決した。
サッカー日本代表のジャパンブルーは、空と海と青春を現すというそうだが、どうも後付け理由だったようだ。
始まりは68年前のヒットラー統治下のベルリンオリンピックで、サッカー日本代表のユニフォームだそうである。
ベルリンオリンピックといえば「前畑頑張れ。」の、水泳平泳ぎ前畑選手の金メダル獲得が思い出されるが、サッカーの初出場がこのときだった。
番組を見ているとオリンピック出場といっても降って沸いたような出場で現在のような予選を勝ち抜く必要が無かった。
 急造の素人集団、体格で劣っているし、誰が考えても無茶な話だと思うが、当時のサッカー界の強豪の優勝候補のスウェーデンに昭和11年8月4日午後5時45分逆転勝利を収めたのであった。
 以前民放でも放送していたが、今回再び同様な番組を見て再確認したことがあります。
 奇跡というが、条件が揃えばとんでもないことが起こるのがサッカーだということです。
 早稲田大学の大学選手権優勝チームが主体で作ったチーム。練習試合でも欧州の弱小チームに負けていたのが、短期間で戦う集団に変身したのはいくつかのポイントがあるといっていました。
 出場は多分に政治がらみで、満州事変等で孤立していった日本が東京オリンピックを開催しようとするためのアピールのひとつであったが、無様な試合をしては逆効果となってしまうという事情があった。
 選手にとってはかなり精神的に追い込まれた状況だったということです。
 ディフェンダー堀江忠男選手は英国で出版されたサッカーの専門書を読むことから始めました。基本的なテクニックをこれから学ぶという信じられないレベルからスタートしたのには考えられないことです。
 ところが、専門書のなかにサッカーの精神論が書かれていました。
「player should surrender」の単語が書かれています。去年の阪神タイガースのスローガン「Never never surrender」ですね。
 「The pleasure is in the struggle,not in the result,」番組で「結果ではなく勝とうとする葛藤の中にこそ、喜びは生まれる」と訳していました。
「find out wrong」間違いを探し出し、克服せよ
「your confidence,and if you succeed in you will also inspire your comrades」もしチームの一人が自信を得ることが出来ればその自信は仲間にも伝わっていく。
 ショートパス戦法を考え出し練習を積んで行ったのでした。
有名な2.26事件が起こったとき当時の大蔵大臣の高橋是清の孫もメンバーにいたし、勝利のキーマン「金 容植」選手がいました。「キム ヨンショク」選手は朝鮮蹴球協会から出場を拒否するように言われていましたが出場しました。
 ショートパスでゴール前にボールを運びエースストライカー川本泰三選手が決める。
 攻撃パターンはこれだけ。後はディフェンス陣が頑張る。典型的なカウンター攻撃チームだと思います。
 実力差がある場合、体格、戦術に劣るチームはカウンター攻撃が唯一最高の戦術になります。
 その代わり、鉄壁なディフェンス、相手を上まわる運動量が要求されます。
チーム自体が若く、1ヶ月半前にベルリンに着いてから弱小クラブチームに惨敗してすぐさま3バックを取り入れそれを身に着ける。若いからこそ出来ることで、短期間ですさまじい成長を遂げたことになります
 日本代表といっても、実質、韓国日本合同チーム。試合で金選手が出るとディフェンスが安定しカウンターに切り替えれる。
 決定力があるストライカー川本選手がいても、パスが繋がらなければ何にもなりません。前半0−2で負けていたのに、鈴木監督の一言「皆調子がいいぞ、うまくなっている。この調子で行けば勝てるぞ」で、選手が奮い立って後半の逆転。
 堀江選手は監督の言葉で「忘れ物」を思い出し、その「忘れ物」をみんなに話しました。「決して諦めるな。」
 スウェーデン選手の運動量が落ちてきたために、カウンターが決まり始めたわけですね。
 長々と書いていますが、最後の5分間で松永選手の決勝ゴールが決まった画面を見ると感動しますね。
 ベルリンオリンピックの翌年、日中戦争。
 何人かは戦死。
 時代に翻弄されても精一杯生きている人がいたことが素晴らしいと思いました。
 イラクがオリンピック出場を決めましたね。
 今もどこかでドラマが生まれていることでしょう