昭和57年3月31日発行の「たるみ区史跡めぐり」 著者川口陽之 発行垂水区役所広報相談課 領価300円
を、昭和60年ぐらいに手に入れて、スタンプ帳にもなっているので、73個スタンプを集めました。
 平成4年ごろから集めだしたので、もうスタンプを置いていない場所もあって、21箇所は押せませんでした。
 この本によると、56ページに、
 この丘(垂水村)の南の裾にすんでおられた駒井さん(現商大の前学長高木さん宅)が、この3万坪の丘は兵庫県に寄付されたためでもあったのです。
 かくして昭和6年にこの丘に県立神戸高商と県立商業(現星陵高校)の立派な建物が完成し、垂水町は学園町になりました
 この誘致のかげには、垂水町は
明石市と合併せずに将来神戸市と合併するという政治的密約がなされていたのです。
 しかし、日中戦争などで合併が遅れ、太平洋戦争が始まる6ヶ月前の昭和16年7月1日に
須磨区に編入されたのです。
 この16年の合併時には、西神の7ヵ村、玉津、平野、枦谷、伊川谷、押部谷、神出、岩岡村も明石に入らず神戸市と合併
する調印をしましたが、戦争が悪化したため戦後の昭和二十一年に垂水区が誕生し、二十二年に垂水区に編入され、五十七年8月には、西区として独立します。
と書いてあり、スタンプも、東は塩屋駅から西は大久保のインターを越え、北は押部谷、緑ヶ丘まで網羅しています。
雌岡山の頂上にある、神出神社にもスタンプがあるというので登りましたが、もうありませんでした。既に西区になっていた来光寺は個人の住宅になってしまっているにもかかわらず、わざわざおうちに入れていただき、垂水区と印字してあるスタンプを押させていただきました。
 現在では神戸商科大学も西区の学園町に引っ越してしまい、商大筋という道路の名称を残すのみになっています。
 商大は無いのに商大筋とは。
 国道175号線より西までスタンプを押しに行きました。
 さすがに、商店に置かれているとなっている場所では、商店自体がなくなっていわゆる所もありました。
 お寺は健在なところが多かったですが、いくつか廃寺になっているところもありました。
 明石城にもスタンプを押しに行きましたが、候補としては東垂水の台地(ジェームス山)と、和坂(かにかさかとよんでいた)
この「赤坂山」を幕府に申請したが、ジェームス山の方は堅牢過ぎるということで現在の位置に鳴ったとの事なので、意外と広い範囲でまとまっていたようにも思います。
 垂水NTTではなくて、垂水電電局。JRではなくて国鉄。塩屋毘沙門天の子守地蔵も盗難に会って今はないし。
 昭和12年七月七日の盧溝橋事件から、日中事変(支那事変)になり国家総動員法が発布され、加古川や三木へ行く軍用放射道路の工事に着手しましたが、太平洋戦争で中断。昭和35年に再開し昭和39年に垂水区のみ有料の「神明バイパス」として完成。今や明石海峡大橋の入り口にもなっています。
 垂水郵便局は舞子郵便局として開かれていたし百年の歴史を持つ郵便局です。現垂水駅も明治35年に一時舞子駅と改名されていました。
 塩屋、名谷、垂水、舞子、木津、高和、平野、枦谷、岩岡、玉津小学校は、すべて明治6年から開校しています。
 現在、私の診療所のすぐそばに小束山小学校がありますが、多聞東小学校の分校で、多聞東小学校は名谷小学校の分校です。
 ここ5年10年でもものすごい変化がありました。
 阪神淡路大地震の影響で多聞東小学校は建て直しになったし、明石海峡大橋という巨大建造物ができたし。
 垂水史跡もどんどん忘れ去られてしまうのでしょう。