昭和52年に兵庫県立長田高校を卒業して、今でも交流があるのはひとりだけとなりました
 子供には、Hのおっちゃんといって、私の何倍も偉いおっちゃんだと教えているのですが。
 彼は、静岡大学卒業後、東京の小西六、現コニカ カメラに就職した後、数年後合格者数2名の地方公務員試験を突破して神戸市市役所に就職したので、声をかければ行き来できます。
 以前彼とバックトゥザフューチャーを見ていると、声を上げました。
 彼が設計をしたレンズを使ったビデオカメラが登場していたのです。
 大企業に見切りをつけて公務員になるのは、なかなかなチャレンジャーですが、彼とは30年近く付き合っていて、彼の長女が生まれたその日に、私の結婚式の司会をやってもらったりして、語りだしたらとまりません。
 私の親がいうには、「血はつながっていないが、兄貴そのもの。」と表現しています。
 でも、「知り合いのチャレンジャーU」というのは、その兄貴分ではなくて、
 その兄貴分の友達で、高校の同級生の(当然私も同級生ですが)Y君のことです。
 友達の友達はみな友達だといいます。
 Y君は、日本の損害補償会社に就職して日本中を転勤し、海外転勤も経験して転勤族の悲哀を経験していました。
 ところが損保会社の将来性に見切りをつけて、43歳で早期退職したのです。
 ここまではよくある話かなあと思います。
 独立して会社を起こす人もいるでしょうし、ヘッドハンティングで再就職するする人もいるでしょうが、彼は日本の会社ではなくてアメリカに目を向けたのです。
 彼の計画とは、アメリカの大学のMBA(日本の大学院)に入学して、卒業して資格を取ってアメリカの損保会社に就職して永住するというものです。
 そのためには、ある程度のレベルのアメリカの大学入学試験を受けなくてはいけません。
 そこでまず、日本でそのための予備校に1年程度通いながら、パソコンでTOEFLなどのグローバルなテストで高得点を取らないと、合格できません。
 世の中には40歳でも50歳でも大学入試に挑戦して見事合格する人は何人もいますが、妻子を抱えて退職金を食いつぶしながら一か八かの入学試験に挑戦するのは並大抵な気持ちではできません。
 以前に書いたように、父兄が医師で援助してくれた34歳妻子持ちもいましたが。
 悪いほう悪いほうに物事を考えると何もできませんが、自分の能力を信じて挑戦する。
 簡単にできることではないと思っていました。
 テストのタイムリミットが今年の9月みたいなことを言っていましたが昨日メールが来ました。
 結局、考えていた大学は英語の試験が足を引っ張ったそうで希望していた大学はすべて不合格だったのですが、急転直下、波乱万丈、滑り止めのNew Yorkの St. John's University(セントジョーンズ大学)のMBA−Risk Management コースの入学許可を8月末に受け取り、現在通学しています。
 妻子ともども、アメリカの友人宅で同居させてもらい、次の段階に進んでいるとのことです。
 45歳のチャレンジャーが立ち止まっていたのが、歩き出したわけです。
 私も経験がありますが、ひとたび動き出すと、後は進むだけです。
 2年後にはニューヨーカーの知り合いができる訳です。
 金銭的な苦労もあるでしょうが、奥さんが日本人学校で教員をしたりしてバックアップするそうなので、家族一丸となって突き進むことでしょう。
 何一つ力になれませんでしたが、体に気をつけて頑張ってほしいものです。