ショッピングセンターに行くと、幼児用の滑り台や、ジャングルジムや、シーソーなどが置いてあります。
 子供同士遊んでいると、すぐに仲良くなって、『お友達になった。』といって、うれしそうに話していますが、その後再び会うことがなくその場だけの友人に終わっています。
 付き合いが続く条件としては、やはり学校や教育施設といった特別な環境が必要でしょう。
 文通や、メルトモなんかも確かにありますが、圧倒的に学校でしょう。
 今でも親交があるのは、高校3年のときの同級生か、大学のときの同級生になります。
 それも、近くに住んでいないと行き来できません。
 変わったところで、職場が一緒で予備校の同窓生というのがいます。
 彼から電話がかかってくると、小一時間は雑談してしまいます。
 面白いネタをたくさん持っているので、電話口で大笑いしてしまいます。
 かつての職場というのは、当然歯科医院です。
 大学の同級生で、口腔衛生教室に院生として卒後残って勉強したN先生の紹介です。
 口腔衛生学教室で非常勤講師をされていた院長先生が神戸で開業していたのですが、代診の先生が開業のため辞めるので新たに代診を探していて、N先生に口利きを頼んでいた関係で、その歯科医院に就職したのです。
 1年後、宝塚のW先生の紹介でもう一人新人の先生に勤務医として来てもらうことになり、宝塚のH先生が面接に来るというのです。
 初めてその話を聞いたときあまり気に留めていませんでしたが、予備校の医師薬進学コースで一緒だった宝塚のH君という名前をなんとなく思い出しましたが、医学部に行ったものと思っていましたので他人だろうと思っていたところ、いざ面接に同席すると、その当人でした。
 7年ぶりの再会ということになります。
 H君も私を覚えていて、院長先生にその旨を言ったところ、2人だけにして当時の思い出話でもして旧交を温めることになりました。
 予備校時代、懇親野球大会で、スポーツ万能のH君が、ピッチャーでかつ4番で活躍していたことなど話しました。
 わざわざ院長先生が席をはずしていただいたところ、たまたまナガサワ文具の長澤専務(現『サン ナガサワ』社長)が注文を取りに来ていました。
 何回か会っているので、話好きな専務が会話に加わってしまいました。
 院長先生の性格上、意図せぬ展開になっているので、この状況を知ると機嫌が悪くなるかなあと心配していたところ、暫くして院長先生が戻ってこられて、きつい注意を受けてしまいました。
 「なぜそのときの状況を説明して、ナガサワ専務に退座してもらわなかったのか」と思いっきり怒鳴られました。ナガサワ専務にも、「状況把握がなっていない」と怒って2人ともうな垂れていました。
 流石に、この状況を目の当たりにしたら、H君は就職を断るだろうと思ったのですが、何がどうしたのか、就職してきました。
 最初に思ったのがまさに『チャレンジャーだなアー。』
 後で聞くと、「あれは芝居でわざとやったことだと思っていた。」といっていました。
 そんな訳ないだろー。
 何かにつけ要領が悪い私に対して、気配りが上手なH君は院長先生から大きな信頼を受けて私が開業のため退職した後、次々に就職してくる新人の歯科医師を指導して、H君自身開業のため退職しようとした時、院長先生の強い希望で1年間開業を遅らしたほどでした。
上司に信頼され、後輩に慕われる。
 絵に描いたような理想の勤務医をしていたわけです。
 彼は宝塚歯科医師会から理事として兵庫県歯科医師会 医療保険常任委員会に出務して活躍していますが、それを聞いたときやはり『チャレンジャーだなアー。』と感心しました。
 名前は威厳がありますがほとんどボランティア状態の役職なので私のような余裕のない弱小零細歯科医院には勤まりません。
 お父さんはかつてクリーニング店経営、お母さんは美容院を経営していて、一念発起して歯科医学の世界を目指したのですが、H君の中学高校大学の学生時代の話を聞くと波乱万丈の雨あられ。
 面白くて小説にできます。
 知り合いに宝塚市にある中学の数学の先生がいますが、H君の経歴を聞くと信じられないといっていました。
 まさに、人生のチャレンジャー
 同級生で、阪大の歯学部で助教授になっている人がいますが、話を聞いていると7年間僻地で妻子ともども冷や飯を食っていたとのことでした。
 7年前に教授選に率先して働いて、師事した先生ともども左遷の憂き目に会ったのです
 突如として過去に師事していた先生が教授になったとたん呼び戻されて晴れて助教授になったといっていましたが、人生何がどうなるのかわかりません。
 チャレンジしてみるものですね。
 H君の次のチャレンジに期待して、面白い電話を期待して待っている今日この頃です。