バカの壁(養老孟司 著)を読んで ベストセラーになっているので、買って読んでみると、これが面白い。
成る程という部分がたくさんあります。
そこでいろいろ書かれているのですが、日頃の疑問をうまく説明していて面白い。
人類は進化の戦略として脳を巨大化してきた。
たまたま2本足で立ち上がったから、結果として余った前足を自由に使って手に変化させ、頭も大きく出来たといえますが、現在の人類を想定して、人類の祖先が立ち上がって歩き出したわけではないのですね。
進化に関してすべては偶然の積み重ねなのと考えるのが妥当です。
脳という器官は、考えると非常に単純な構造をしています。
神経細胞と、グリア(主に神経細胞を生かしていくだけに存在している)と、血管(栄養を運んだりする)で出来ているわけで、神経細胞の伝達行為を擬似的にコンピューターで作ろうという試み(ニューラル ネット)も行われています。
その脳がいろいろなことを考え色々なものを生み出してきているわけです。
いわゆる、脳化社会を作り出したと書いています。詳しくは本を読んでもらえれば一番ですが、いろいろ示唆に富むことが書かれています。
現在の社会のひずみ、問題点をうまく解説しています。
そこからこれからの社会の進む方向が書かれていますが、それが難しい。
常々思っているのですが、おそらく確信犯的に科学的推測を科学的事実として思い込み、科学的疫学調査を行っていると見せかけているとある省庁は今後も都合が悪いと思えば文学的な疫学調査を行うだろうし、「公正・客観・中立」を唱えている放送局は今後も潤滑な資金を振り回してやりたい放題するだろうし。
悔しいのは、そんな省庁に媚び諂わないと生きていけない今の自分、そんな放送局の番組を見て知識を得ている自分が情けない?
もっともその省庁の記事が出ている新聞や、そんな放送局を映すテレビの前で「なにゆうてんのー」と、叫ぶことが多いですけど。
民放でも、ほとんど毎日放送している9時ごろの報道番組が、北朝鮮の報道番組の雰囲気が感じられることがあるのは、気のせいかしら。
この頃何事も話半分で聞いとかないといけないのではと考えています。
これはこの方が正しいのではと思うと、今までの主張を変えて豹変するのが一番ということが分かりました。
ただ、「人間なら普通こうでしょ」という基準がまた難しい。
教育現場で「個性をのばせ」がおかしいのも分かりました。現在の「ゆとり教育」「自然学習」の申し訳程度の骨抜き状態で、結果としてインチキ自然学習になってきたのも理解できます。
そうしたら、教育をどうして行けばよいのかがまた難しい。たぶん教育のシステムが機能しなくなっているのだろうから、どうすればいいのか分からない。
一元論はどうも生理的に受け入れられなかったので、二元論で行かないと思っていましたが、今の全世界の三分の二の一元論を信じている人にどうやって、二元論的な考えを理解してもらうのか、恐ろしく難しい。
結局、タイムリミットが迫ってきているのに進むに進めず退くに退けず、その場でもがくと沈んでいく。
大変な時代なのではないかと再確認しました。