昭和63年4月に開院して15年目、勤務医の時代を入れると18年目
出会った患者さんの数は流行っている歯科医院の何分の一でしかないでしょうが、いろいろな患者さんに出会います。
医療の特徴か保険診療の特徴か、保険証を一時的に預かります。当たり前の話ですが。
社保はある程度職業も分かります。
まず気になるのが、名前です。
一文字の名前の人で、父親も一文字なら、祖父も一文字。
一文字名前が受け継げられているそうです。
双子名や三つ子なら、共通の文字が使われているし。
3兄弟すべて「大」の文字が付いていたりします。
ちょっと変わった名前なら由来を聞いたりします。
例えば、「万亀子」と書いて、「マキコ」と読むそうですが、あだ名まで判ってしまいます。
どなたが決めたのかと聞くと、僧侶の祖父が決めたそうです。
さすがにこれではちょっとかわいそうな気がしました
「弘子」なら、お父さんが真言宗のお坊さんだったりします。
長女、長男は工夫の跡がありますね。
流行り廃りがあるそうですが、時代時代に多い名前があります。
名前をつけるのに皆さん考えに考えているんだなあと、いつも感心します。
そういえば、歯科医院の名称を決めるときもいろいろ考えました。
私の場合「秀」 と書いて「ヒデ」と読みますが、「シュウ」と呼ばれることが多いです。
小学校、中学校、高校大学の最初の授業で、出席簿を読み上げるとき、「にしおか」「のま」「はやし」と読み上げられて、「シュウ」と呼ばれるのがほぼ100%でした。
なぜ、「あいうえお順」に並べてあるのに、「ナ行」の後は「ハ行」のはずが、突然「サ行」に戻るのでしょうかね。
「はやし」「ひで」「ひらた」とスムーズに呼ばれた記憶がありませんでした。
さすがに苗字は変更できませんね。
ちょっと横道にそれますが、
両親が、淡路島出身なので田舎に帰ると何軒か「秀」が存在します。
ほとんど親戚ですが、「秀モータース」「秀電気」も存在します。いとこですけど。
インターネットで検索すると、ひで歯科医院も存在します。
父親の生まれたのは「国生み伝説の、おのころ島」淡路島の中の、「倭文長田」というところですが、本籍地証明を取ったとき何と読むのか分かりませんでした。
「ひとおり ながた」と読むのですが、機織の職業集団の名前らしいのです。
大昔大陸から船に乗って流れ着いたのかも
もっとも、先祖のお墓に苗字がないので、明治時代の氏姓制度のとき、名字帯刀を許されていた庄屋さんの苗字を拝借したらしいのですが。
いわゆる「水飲み百姓」です。
「秀でる」というのは、稲の穂が飛びぬけている意味だそうですが、なんとなく納得しています。
そう言っても読んでくれないとどうしょうもないので、看板は「秀 歯科医院」とせず「ひで歯科医院」にしました。
「ヒデ歯科医院」も捨てがたかったけど。
「秀モータース」「秀電気」の隣なら、「秀歯科医院」に統一したんですけど。
「小束山歯科医院」「学園緑ヶ丘歯科医院」もちょっと考えましたが、15年前に決めたとおりにしました。
中身は一緒ですから。