



大学5年の夏、昭和58年7月終わりに、自動車部のちょび髭中村君、同じく寺野君、アイスホッケー部の林君、ワンゲルの学年1のハンサム西原君、後で飛行機で千歳空港で合流したサッカー部の柴田君の6人で、キャンプ場を転々と北海道旅行しました。
そのころは今のように、高速道路が整備されていなくて、ほとんど地道でしたが、観光地化されていなくて、よかったです
途中から渓流釣り組みの、林、西原、柴田、観光組みの中村、寺野、ひでに分かれて行動しましたが、中村君の愛車レビンが山の中のくぼ地に落ち込み、クラッチが過激な操縦で焼けて、札幌の修理工場まで西原君のカムリで牽引して、中村君はそのまま寝袋で開くまで野宿していました。
舞鶴から札幌にフェリーで1日がかりでたどり着いて、札幌時計台を皮切りに、キャンプ場からキャンプ場、途中銭湯に行ったら駐車違反でつかまったり、貸しきり状態の温泉で大はしゃぎしたり、観光組みに分かれてから、オホーツク水族館、流氷博物館、登別の熊牧場、中標津のキタキツネ牧場、羅臼の露天風呂、北海道の五湖、幸福駅,愛国駅、襟裳岬、観光地のとうもろこし、ジャガイモをぱくつきながら、10日間に渡り旅行しました。
私は、舞鶴に戻ってきたのもつかの間、そのまま岐阜の美濃白鳥で合宿、インカレのため東京の東工大に移動して、神戸に帰ってきたのは、1ヵ月後でした。
野間君と稲田君の宮崎コンビの写真発見。
金沢兼六園で、卒業直後に撮った写真です。
2人とも、宮崎でがんばっているかしら。みんな偉くなったんだろうなあ。
野間君は、都城高校出身で、丁度甲子園に後輩が出場してきたとき市内観光の引率したそうです。そのとき、阪神電車の踏み切りで、後輩が、「先輩、都会の電車速いですねー。」とビックリしているのを聞いて、内心自分も驚いていたんですが、何事もなかったように「そうだろう。」と答えたと話していました。
稲田君は、しばしばこのホームページで登場しています。