同級生で口腔衛生学教室に大学院生として残ることになったN君が、神戸で開業している口腔衛生学教室非常勤講師の先生が代診を探しているということで、神戸から通っている私に就職の斡旋をしてくれました。
1985年4月に歯科医師国家試験を受験して、すぐその先生の歯科医院にお世話になりました。
就職活動としては、友人の就職活動について行かされたのを思い出します。
同級生で東大阪の徳庵の歯科医院の長男で口腔外科を専攻したいというT君が、神戸大学の口腔外科に面接に行くときに一緒についていきました。
T君が面接を受けたとき、どういうわけか私も一緒に面接されてしまい、当時助教授のN先生と話をさせていただきました。
T君がこの医局に入局するのなら、もしかしたら一緒に行っていたかも知れませんが、かれは母校の大阪歯科大学に残り結局入局しませんでした。
ところが、私が就職した歯科医院の難抜歯専門で非常勤でこられていたのがN先生だったので、狭い社会だとびっくりしました。
後に、院長先生に仲人、N先生に乾杯の音頭、をしていただきました。
現在大阪の日本橋で開業しているN歯科医院のN君と千里中央のサンスター歯科診療所にも面接にいってきました。
大学の事務局の掲示板に歯科医師募集の張り紙をいち早く中村君が見つけてきて、初任給その他をチェックして通いやすい歯科医院をリストアップしていました。
彼のお父さんは、日本橋のN歯科医院初代の院長ですが、「違う釜の飯を食べるのも勉強だ」ということでそこで就職しました。
もう一軒、大阪の歯科医院にN君と面接に行きましたが、これは歯科医院を出たとたん断ることを決めました。
学生時代世話になった、HT君に連れられて、大阪駅の歯科医院に面接に行きました。この歯科医院は彼のお父さんも世話になったということでなかなか感じがよかったのですが、HT君と一緒なら就職しようと思いましたが、かれも別の歯科医院に就職したので結局就職しませんでした。
神戸大学付属病院で中西先生が、「大学に残ってずっと勤務医をするか、開業医になるのなら最初からそのつもりで計画を立てるのが一番で、中途半端はどっちつかずになってしまうので良くないよ。」とアドバイスを受けたのを記憶しています。
結局、両親の希望もあり将来開業しようと思い、実家から通いやすい歯科医院にお世話になることと成りました。
まだまだ、影も形もないどんな内容の歯科医院を目指すのか暗中模索の時代ですが、ひで歯科医院開院の第一歩を踏み出しました。