雑感05年11月

2005年11月03日
同志社大学スケッチクラブOB展がはじまりました。元同志社総長住谷悦治先生の2点の賛助出品をくわえて、総計62点の作品が集まりました。会場スペースからはこれが限界の点数です。この展覧会も4回目となり、初回を思い返せば、OB相互の刺激もあり一段と力作が揃いました。**2日目の会場受付を担当しましたが、多くの来場者の好評をうれしく感じています。見て楽しい、心が和む、気持ちが明るくなる、楽しんで絵を描いている幸せな姿が浮かぶなどとの感想を聞くと、このような絵のスタイルをこれからも続けようと心を強くしました。谷内六郎や原田泰治やグランマ・モーゼスやアンリ・ルソーのようなスタイルです。
2005年11月09日
大丸京都店での同志社創立130周年記念「新島襄と同志社」展会場で岩波文庫新刊の「新島襄の手紙」を買いました。一般書店販売の本とは、表紙カバーが帆をあげたワイルドローヴァー号の模型写真に替わっています。この本は、まえがきによると「原文の文語体そのままではなく、原文の格調を活かしながらも読みやすい現代表記」に改められています。ようやく読み始めましたが、それぞれが深い内容の手紙でそう簡単に読み進めるわけにはいかないものです。アメリカより帰国までの「幕末・脱国・米欧世界の発見」という章を読み終わりましたが、130年後の今あらためて新島先生の高尚な志がどこまで引き継がれているかを(自分自身のこととして)見つめてみたいと思います。
2005年11月15日
向日市立向陽小学校の郷土資料室の整理を手伝いをしました。文化資料館のボランティア・スタッフが小学校から資料の整理を依頼されて、すでに何度か作業していたのですが、大きいガラスケースなどの配置換えなどに体力のある人が必要ということで、先週に続いて協力しました。市民から寄贈を受けた民具・農具などや児童の地域学習や卒業制作での成果の模型・パネルなどが空き教室に詰め込まれていたというのが実情でした。とても「郷土資料室」として活用されているようには見えません。もうすこし時間はかかりますが、ここが「郷土資料室」として整備できれば、児童の地域学習の教室として利用するのは当然として、この部屋が向日市・向日町の地域住民の憩える場として活用され、地域に開かれた学校の象徴にしてもらいたいものです。
2005年11月25日
散歩の途中にブックオフに立ち寄り、岩波文庫正岡子規著「病床六尺」など5冊を買いました。「病床六尺、これが我が世界である。しかもこの六尺の病床が余には広すぎるのである。年が年中、しかも6年の間世間も知らずに寝ていた病人の感じは先ずこんなもんですと前置きして」と死の2日前まで書き続けた随筆は始まります。旺盛な好奇心と洞察力には驚くばかりですが、死を目前にした34歳の明治の人物はここまで高みにきていたのだと分かります。改革は老人ではできない、若者が先頭に立ってこそ、一大改革はできるのだと、明治の正岡子規は書いています。今の日本を見たら正岡子規は何というでしょうか。
2005年11月26日
大山崎町歴史資料館企画展「西国街道をゆく」の現地見学会「西国街道を歩く」に参加しました。阪急大山崎駅に集合して、離宮八幡宮、大山崎東黒門跡、百々遺跡、円明寺ねじりまんぽ、茶屋町、神足町まで50人ほどで歩きました。今まで西国街道だと思っていた道が新道で、路地のような道が本当の西国街道だったと知らされて驚ろいた場所があります。やはり適切な案内者は必要です。ここまで歩いたのならと、ついでに長岡京駅から自宅まで歩いて帰りました。今日は大山崎から西向日までのウォーキングでした。
2005年11月30日
干し柿つくりのはなし。今年は柿がたくさん実りそれを干し柿にしました。その話を何人かの人にすると、それぞれに微妙に違う作り方を教えてもらいました。散歩をしていて、観察をすると柿の干し方にもいろいろと工夫がある様子が分かります。まだ渋が残っているかなとも思いながら試食してみると、もう十分に甘みが出ています。昨夜、旭米の酒を飲む会というあつまりに、30人近くの人が参加するというので、この自家製の干し柿も食べてもらいました。おいしかったという一言を聞くだけで干し柿つくりの楽しみも倍化します。散歩していて、収穫されずの鈴なりの柿の実をみると、ついおせっかいにも、干し柿つくり手伝いましょうかといいたくなります。


トップへ
戻る