雑感05年2月

2005年02月01日
ときどき、「戦争体験の記録と語りに関する資料調査」というのを見ています。国立歴史民俗博物館が2004年3月に発行した資料調査報告書でA4判2100ページという膨大なものです。各都道府県で男女各1名を対象にして、日中戦争からアジア太平洋戦争の直接の体験者の聞き書きで構成されています。女性は夫が戦死した妻を想定し、男性は戦友が戦死した元兵士を想定しています。一定の内容の調査カードによる聞き取りです。戦争体験者の高齢化と記憶の風化により全国的な民俗学的調査はこれが最後になるでしょう。とても重く暗い内容で一気に読み通すことはできません。戦後60年、日本という国は戦争の反省として軍人恩給・遺族年金などという経済的な形で済ませてきて、政治的な根本をごまかしてきました。憲法9条の曲解を指摘する人は少数派です。また同じ道を進もうとしています。いつでもしわ寄せを受けるのは弱者です。この調査書は涙なくしては読めません。
2005年02月03日
ポータブルハードディスクオーディオプレーヤーを手に入れて1週間になります。ソニーのオリジナルブランド名、ネットワークウォークマンです。アップル社のiPODなどと比較したのですが、使い勝手と価格は目をつぶり、音質とデザインと信頼性の点でソニーに決めました。それまでにCD50枚の音楽データは取り込んでいたので、ネットワークウォークマンへの転送は25分ほどでできました。再生音質は期待通りです。その後、時間の合間にさらに40枚ほどのCDから取り込みました。これも以前に比べれば実に簡単になりました。ハードディスクはまだ半分以上が空いています。今まで眠っていたCDが甦りました。**次の問題はイアーフォン、ヘッドフォンがどうも耳に合わなくて、形式の違うもの何種類かを試しています。
2005年02月04日
大山崎の天王山の中腹にある宝積寺の節分会に行きました。1300年続くという星供会は本堂の中で行われていたので遠目での拝観になりました。1時間以上もの祈祷で七福神と修験者と僧侶と信徒で鬼を追う払うというものです。その後、回廊から福豆が撒かれて善男善女が招福の豆を受けました。保育園児も参加しての熱気に包まれました。七福神も鬼役の人も園児と記念写真を撮って、明るく和やかな節分の一日でした。
2005年02月07日
むこうまち歴史サークルの古文書班では去年の7月から物集女村中山家文書(A4で94ページ)を読み続けています。はじめにワープロで目次をつくり「物集女村寺社御改帳、御除地御改帳」としたのですが、読み進めているうちにこの一連の文書は、隣村の者が長野山を開墾して幕府に納税するということになったのを、物集女村がなんとか抵抗して自分たちで開墾するから納税額を低くしてほしいという訴えに関連した文書集でした。京都の役所に訴えて、その内容が江戸表からの指示に従い、それでもまだ承知できないのでまた、理由をつけて訴えでてということを何度も繰り返して、7年かかって(実質は開墾しなくて)ようやく決着したようですが、まだそこまでは読み進めていません。もう少しかかりますが先は見えてきました。それにしても江戸時代の人の粘り強さはすごいものです。
2005年02月09日
京町屋 紅彩苑での町屋音楽会にいきました。その場所は四条猪熊上ルでなにかと便利なところでした。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、オーボエの演奏で、第3回目ということなのか曲も本格的な選曲でした。シュターミッツ、ドホナーニ、バッハ、モーツァルトのものです。220年も前に作曲されたモーツァルトのオーボエ四重奏曲を300年前の楽器などで演奏されるのを京都の古いままの町屋でこうして聞けるというのは貴重な体験でした。そして単独ではまだ文化財として価値の認められていない古い家を生かすということについていろいろと示唆にも富む音楽会でもありました。
2005年02月11日
友人の子供の引越しを手伝いました。単身者なのでわずかな荷物ということだったのですが、全部運ぶとなると予想外に多いものでした。近い距離なので乗用車に少しずつ積んで運ぶことになりました。今思い出してみると昔、金沢からの転勤で荷物を運んでもらったときには4トントラックに積みきれなかったものです。その荷物は6畳間に入りきらないほどでした。それからの30年間のもろもろの品物が捨てられずに溜まっています。これを全部運ぶのは友人の子供の引越しどころではありません。新しく保管する場所もありません。やはり処分することになります。しかし、日ごろ古いものを残そう、その良さを伝えていこうと考えていることとこれらを処分することは、大いに矛盾してきます。今は歴史的価値は低くても、結果として残ったものがその後価値をもってくるというのは身近でいくつも見ています。価値を持つまで待てないというのが今というときの、今の時代の問題です。さらには価値があり惜しいけど仕方なく処分するというのもまた現実です。どこかでおりあえる方法を探しています。
2005年02月16日
風邪で発熱してダウンしています。朝のうちは微熱なのですが午後から徐々に体温が上昇してきて夕食後には38度を超えるのが3日続きました。薬を飲み静かにしています。これくらいなら今まで無理をして何かと動き回っていたのですがもうそろそろ慎重にしていたほうがよさそうです。風邪をこじらせ長引いてまわりにこれ以上迷惑をかけても困ります。**新しいウィルスセキュリティソフトをインストールしてからこのホームページの更新がうまくいかなくなりました。何が原因か一つ一つチェックしてようやくまた復元できました。まだまだ安心はできません。いつまでたってもパソコン初心者から卒業できません。
2005年02月22日
先週土曜日の男声合唱団の演奏会と日曜日の歴史講演会と発掘成果のスライド発表会へ行く予定をやめておとなしくしていました。その前のデッサン会も欠席しています。今日は痛風治療薬をもらいにいきました。おかげで今回の風邪はようやく回復しました。**外の空気は冷たいのですが日差しはかなり春めいてきました。白梅も先日から咲き出して、庭の紅白の椿もまだまだたくさんのつぼみで当分楽しめそうです。**そろそろ西国街道ウォーキングの実践の季節です。裏通りの庭の花々をながめながらのウォーク計画です。
2005年02月27日
物集女城地形模型つくり作業が終わりに近づきました。3月12日に展示発表をするというスケジュールになり、25日の金曜・26日土曜と連日の作業をして後は3月に2回の作業日の設定でとりあえず出来上がることになりました。作業しながら専門家の指摘を受けて修正していくということで現時点ではここまでしかできないということで終わります。今後、現地の発掘や同じような城跡での研究成果が出たときに修正することになります。物集女城の模型も既にいくつか作られていますが現在はいずれのものも専門家により否定されています。今回も事実に基づかない不明のものは作らないということで地形模型だけにして建物の復元は見送ることになりました。はやく発掘調査をしてもらい研究成果を知りたいのが本心です。この地形模型を見てもらうことで早期発掘の機運が高まることを期待しています。
2005年02月28日
27日の連続歴史講演会に出席しました。今回で11回目になります。3月の講演会で1年間のまとめとなり受講終了証がもらえるということです。今回は身に着けるもの・ファッションというテーマでしたが、いつものように出土遺物に触り観察するという時間が設けられていて貴重な体験となりました。長岡京時代の下駄や草鞋にも触れましたが、これが草鞋だといわれても単なる土の塊にしか見えません。同じもののスライド写真では何となく足の形が見えてくるのですが遺物の実物では何も感じ取れないのが現実です。下駄にみえる木製品は実物に触り観察するとこれは別の用途のものに見えます。下駄にすれば幅が小さすぎます。周囲の規則的な小穴も下駄には不要なものです。たとえば、脚のついた台に布を綴じた枕のようです。**講演を聞いてすぐに納得するより、ものに触れて、「ほんとにそうなのかな?」と疑問を持つほうがより体験として重要だと思います。来年度も受講するつもりです。


トップへ
戻る