雑感05年1月

2005年01月01日

みなさまあけましておめでとうございます。私たちは年越しで北真経寺で除夜の鐘を衝き、向日神社へお参りし、南真経寺、石塔寺とまわりました。新しい年を晴れやかに迎え、神棚に若水とお灯明供え、お雑煮で新春を祝いました。こうして3人で新年を迎えることができたことをことを感謝しています。新しい年が良いことで満ち溢れますように、災いが少しでも福に転じますように。みなさまと共に日々充実した日を送るようにしたいと思っています。今年もよろしくお願いいたします。**表紙絵は我が家の玄関の注連縄です。松の内だけの登場です。



2005年01月02日

5人で自宅から粟生光明寺まで歩きました。日陰にはまだ先日の雪が残っていました。山手少し奥の子守勝手神社まで足をのばしました。神主不在の神社を守っている地元の護持会の人たちの焚き火のもてなしで、冷えたからだが文字通り温まりました。長法寺を横目に見るいつものコースで帰りました。地図で確認すると約8キロメートルのウォーキングでした。高齢者(?)も一緒の初歩きとしてはこれくらいの距離で十分でしょう。**今回から表紙ページにのんびりした音楽を入れました。これからは時々変えてみます。



2005年01月04日

1月3日は京都地下鉄東西線の東山で降りて平安神宮にお参りしました。そこから歩いて青蓮院、知恩院、円山公園を通り祇園八坂神社へお参りしました。東山界隈はどこも人でいっぱいで普段の静かな京都とは大違いの景観です。車両通行止めになっている道の真ん中をのんびり歩くのは悪くない気分です。比較的若い人の姿が多いように思います。もしこの人たちが古来の日本の宗教の良さを自覚するようになれば、乱れた世の中も少しずつでも住みやすくなるかもしれません。**歩いた距離を測ると約5キロメートルでした。



2005年01月07日

先日からMDウォークマンの機種選びをしてました。3年前のMDウォークマンは数ヶ月前から故障したままでした。MDの故障はこれで3台目です。精密部品の塊なので修理代は高くなりそうで迷っていました。1月4日でも大型電気店の駐車場は大混雑でした。新春売り出しセールの目当てのものはどれも売り切れでした。どうせ買うならとデザインも気に入った最新機種にしました。もう時代はMDウォークマンではなくHDDネットワークウォークマンなのですが、今まで録音したたくさんのMDをポータブルでも聞きたいものだと思ったからです。**いろいろと情報をみているとHDDウォークマンもかなりおもしろそうだなと思えてきました。昨日は梅田の大型店で現物での機種比較をしてきました。価格は別にしてなかなか好印象です。20GBのHDDのものならCD330枚が全部収録できるということは、所有CDを全部入ったミュージック・ライブラリィーを持ち歩けるということになります。昔の夢物語が今は簡単に実現できてしまいそうです。しかしこれは「夢のはなし」ではなく単に物欲のとりこになってしまっているだけなのかな、と悩むところです。



2005年01月09日

むこうまち歴史サークルで続日本紀を読み始めて1年近くなります。ようやく桓武天皇即位の条まできました。「朕は初めて皇位を受けて天下に君臨するにあたり、ここに人民のことを思い、慈しみ育みたいと心より思っている。中略。10頭の羊を養うのに9人の牧者をもちいるような定員外の職員が置かれている。中略。そこで内外の文武の官で定員外の者はすべて解任する。願わくは、悪を除き、善を高揚し人情が薄く乱れた風俗を往年の状況に復し、昔のような淳朴な気風にしたい。」これは天応元年(781年)の記事ですが1200年以上経た今の状況と本質は何も変わっていません。一番の問題は桓武天皇がこういうことを言うにふさわしい人だったかと、自戒をこめての感想です。



2005年01月13日

今日は向日市文化資料館模型工房「物集女城をつくる」の今年2回目の集まりでした。去年は「物集女城を学ぶ」という5回の連続勉強会でいろいろと専門家の指導を受けました。しかし、中世の物集女城について分かっていることはわずかだということが結論でした。今年は模型作りを具体化させるということで大まかな方向を決め作業を開始しました。今までの発掘調査などで分かっていることをもとに、周辺の地形模型から再現することになりました。**昨年、向陽小学校4年生の児童たちに「むこうまち町並み模型」の説明会をしたところ、先日その感想文を寄せてくれました。町並み模型を見たことで、昔の町の様子など郷土のことに予想以上に興味を持ってくれていることがいききとした文で綴られています。うれしいことです。物集女城の模型をつくることで地域の人ともさらに交流が拡がればと思っています。



2005年01月15日

今日は1月15日の小正月で小豆かゆを食べました。昨夜のうちに取り外した注連飾りや祝い箸・箸紙などを朝のうちに庭先で燃やしました。残った灰は木の根元に埋め土に戻します。この焚き火を「どんど」といいますが、昔は各家庭でしていました。今は神社で古いお札を焼く行事として新聞記事になります。ここでいう「昔」とはいつごろのことでしょうか。数年前ではなく、2,30年かもっと以前を意味するつもりですから、今日庭先で「どんど」をした家庭はそれだけ時間が止まっているということになりそうです。**表紙の絵を変えました。これも前と同じフラクタル画ですが、近々新しいシリーズにするつもりです。新しい絵の紹介ページも開設予定です。もう少しお待ちください。



2005年01月16日

京都コンサートホールで阪神淡路大震災10周年祈念・みやこフィルハーモニックチャリティコンサートがありました。今回はベートヴェンの「荘厳ミサ曲作品123」という大作の演奏でした。プログラムによると125名の合唱団と71名のオーケストラによる200名近いメンバーのフィルハーモニックです。チャリティコンサートの歩みを見ると前回までの募金総額は1281万円にのぼり、今回は100万円を募金できそうだということです。来年以降もずっとこのような演奏会を続けていきたいと指揮者が挨拶しましたが、その意思と行動はとても素晴らしいものです。多くの人の共感と協力を得て、それぞれの人の能力に応じ、それぞれができることからしていく、ということがここに成果として現れています。**来年はモーツァルト生誕250年にあたるのでモーツァルトの曲が演奏されるということです。これはまた楽しみなことです。



2005年01月18日

京都大丸での京都現代書道作家展をみました。書道展ではいつも思うのですが、日ごろ使っている日本語なのに、ここにあるものは素人の好みを云々できるものではありません。(これは僕個人の不勉強の言い訳です。)**京都府立文化芸術会館での京都銅版画協会展をみました。版画は好きなジャンルですし、銅版画にも少しは知識があるつもりです。個々の作品は悪くないのですが全体として展示を見ると大きな会場に対して弱く感じてしまいました。展示方法を再考するか会場を変えたほうがいいでしょう。**美術館「えき」KYOTOでの上村松篁展をみました。ここの出品作はどれも安心してみていられます。以前にも感じたことですが、画家として幸せな一生だったように見えるうらやましい人柄が絵に表れていて、見るものの心を穏やかにしてくれます。今日の展覧会コースの締めくくりとしてふさわしい展覧会でした。松篁の年表に板倉星光という名を見つけてうれしくなりました。



2005年01月20日

阪急東向日の駅から西に向かって家並みを見上げてどこか見慣れないもの、違和感を感じます。子供のころから今まで見てきた景色と違うものがそこに含まれているのです。そこは階段状に整然とした住宅街が広がっているのですが、この向日市という土地の特色がまったく感じられなくなりました。丘陵に残されている竹やぶも、ここからでは申し訳なさそうにあるかのようにしか見えません。**先日、JR京都駅の屋上から西方を見たときに、無残に赤茶けた土の露出したところが遠目にもよく分かりました。それがこの東向日駅から見える住宅造成地です。**バブルがはじけても、自然災害が起きても、神頼みはしても、社会は何も変わっていません。こんなことをしていては、自覚しないうちに全身が腐ってしまいます。若者の知らず知らずの根腐れが今の社会を象徴しています。**過去にも人間はいろいろな失敗をしてきました。今からでも、何度でも、歴史に学ぶ必要があります。古いということに敬意を払い大事に守っていくことの実践です。



2005年01月23日

向日市文化資料館で展示されている白鳳時代のものと特定された「長岡銘墨書土器」を見てきました。向日市埋蔵文化財センター主催の市民考古学講座でもその解説をしてもらいました。今までの「長岡」の初出文字資料は「続日本紀」のもので、この発見で「長岡」の存在がさらに約100年ほど遡ることになります。飛鳥時代後期には今の鶏冠井町のあたりを「長岡」と呼んでいたのは間違いなさそうです。私見ですが、向日丘陵の東側を「長岡」、西側を「弟国」と呼んでいたのではないかと考えると、継体天皇の「弟国宮」は丘陵の西の地点の可能性が高くなります。**ただ、「長岡」の地名が開田天神が「長岡天神」を名乗るようになってから南方に移動したように、「弟国・乙訓」の地名も丘陵の東から西に移動したかもしれません。これからも継続的発掘で新発見・新知見を期待したいものです。



2005年01月25日

いつもは電話でなにかと相談相手になっているKさんからの依頼で家庭訪問をしてきました。ビデオカメラで撮った映像をDVD-Rにしたいという相談に、パソコンで作るよりDVDレコーダーで作るほうが簡単だと勧めたからです。買ったきたままの梱包された状態のHDD・DVDレコーダーは取り説も見なくて接続できるくらい簡単でした。パソコンとは大違い、さすがに家電製品です。それでもデジタル・ビデオカメラにはパソコン用の接続ケーブルは付属しているのに、DVDレコーダーと接続するにはまた別の種類のケーブルが必要でした。とりあえずの目的のDVD-Rに映像をダビングすることまではできましたが、取り説を見るまでもなくこれはレコーダーの機能のごく一部だけです。しかし盛りだくさんの機能がどれだけKさんの役に立つのかとちょっと心配です。せいぜい活用して宝の持ち腐れにならないようにと期待しています。



2005年01月27日

27日の京都新聞朝刊に写真入りの記事で物集女城模型つくりが紹介されました。取材したことを、なかなか簡潔にまとめてあります。物集女城を考える活動の一環として、24日(火)に物集女城跡の土塁周辺竹やぶの整備作業を9名余りのボランティアでしました。この竹切りなどの作業の方が体力も使い、地域周辺も目だってきれいになるので、こちらの方が話題性もあるかと思うのですがなぜか今回は模型つくりの方が記事になりました。少しでも理解者が増えるのはうれしいことです。**京都新聞インターネットニュース http://www.kyoto-np.co.jp/ ジャンル別ニュース まちの話題 1月26日(水) 「物集女城伝える資料にと模型作り 向日市民 児童の地域学習にも」  という項目で記事は見てもらえます。



2005年01月30日

昨日は天気にも恵まれての快適な歴史散歩でした。むこうまち歴史サークル野外研修会として亀岡城と城下の町並みを歩くという企画に31名の参加でした。昔は「亀山」と呼ばれていたのに明治になって「亀岡」と変えられてしまったことや、明智光秀にゆかりがあり、大本教に関連したことで完全破壊された城が部分的に復元されたという歴史的経緯などについての詳しい説明や、城下の町並みを古地図を見ながら現在の姿と比較しながらの現地解説と貴重な体験でした。亀岡市文化資料館での「京都の人形浄瑠璃」という特別展も見学しました。その後、亀岡に残る2軒の地酒酒造の見学と利き酒コースもあって楽しい1日でした。**今回は4組も家族での参加があり、歴史サークル野外研修がより親しみやすい会になったと思います。





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